はじめての

棚霧書生

はじめての

 いつもくだらないことで突っかかってくる嫌な奴だった。「俺が歩いてきたら道を譲れ、陰キャ野郎」とか「いつも本を読んでっけどよぉ、それってもしかしてエロ本じゃねえの?」とか学校で会うたびに因縁をつけてくるそいつのことが俺は面倒くさくて仕方なかった。俺は平穏が好きだ。趣味は読書、ザ・インドア派。人と喋ってる暇があったら本を読みたい、というかなるべく人と喋りたくない。無駄に絡んでくる、それも悪意のこもった粘着質なコミュニケーションは俺の中の認識では蜘蛛の巣に近かった。うっかり触ってしまったところで痛くも痒くもないが、ただ肌にまとわりついてきてしばらく不愉快な気分になる。俺が校舎内で奴の目立つ金髪頭を先に見つけたときは遭遇しないようルートを変えたり、身を隠したりするようになるのにそう時間はかからなかった。学校にいる間、奴が近くに接近してきていないか多少辺りに気を配ってないといけないのは最初は疲れたが一ヶ月も経つ頃には俺もすっかり慣れていた。

 だが、慣れた頃が一番危ないとはどの分野の事柄にも当てはまるようで放課後、学校を出てすぐの場所で俺は件の男、崎山夏樹に捕まった。

「待て、陰キャ野郎」

 俺は掴まれた腕と低い位置にある金髪頭を順繰りに見やる。あまり背の高くない奴だとは思ってはいたがここまで近づかれると如実にそれを感じた。俺の肩より下に奴の頭がある。大雑把に見積もって二十センチくらいは差がありそうだった。

「………………」

「なんか喋れよ、木偶!」

 ツイッターのクソリプなら無視を決め込むのが一番なのだが、現実に相対している状態ではそういうわけにもいかない。俺はあまりの面倒くささにめまいのようなものを感じながらも、一応の返事をする。

「……俺になにか用ですか」

「お前……最近、俺を避けてるだろ!」

 崎山が額に青筋を立てて無駄に大きい声を出す。わかりやすく怒りを表に出してキャンキャン吠え立てるところに近所で飼われているチワワを思い出した。

「言っている意味がよくわかりませんが、仮に俺があなたを避けていたとしてなにか問題がありますか?」

「大ありだ!」

「へえ……例えばどんな問題が?」

「それは……それはだな、えっと……」

 大ありだ、なんて大見得を切ったくせに少し踏み込んだだけで崎山は口ごもった。きっとなにも考えずに動いているのだろう。俺の頭の中でまたチワワが思い浮かぶ。

「俺に遊んでほしいんですか?」

 チワワの姿に引っ張られて、意味の取りようによっては挑発と受け取られるかもしれない言い方をしてしまった。ちょっとまずっただろうかと崎山の様子をうかがうと彼は顔を真っ赤にしていた。俺の腕を掴んだ手が万力のように締め上げてくる。これは痕がついてしまっただろう。崎山は喧嘩をするタイプの不良だと風のうわさで聞いている。もしかして、俺は今から殴られたりするんだろうか。

「……遊んでくれんの?」

 崎山が震える声で尋ねてくる。興奮でもしてるのだろうか、崎山が実は物凄いサディストだったりしたら俺はめちゃくちゃにボコられたりして……。

「………………」

 体格は俺のほうが有利だ。今ならまだ逃げられなくもない……と思いたい。俺は掴まれたほうの腕を思いきり振って崎山の手を振り払おうとした、その寸前に、崎山が腕を組むように俺にべったりとくっついてきた。

「あ、あのさ駅前にクレープ屋あるの知ってっか? ホイップクリームが多めでめちゃウマって話でよ、あっ、お前は甘いの食える? あの、あれだ……甘いの駄目ならラーメンとかでもいいし……。飯じゃなくてもいいぞ、カラオケとかゲーセンとか……!」

 崎山が妙に早口になって喋る。一方、俺は崎山の話に相槌も打たず、黙っていた。崎山に手を引かれるようにして俺たちは駅前に向かう。話題のクレープとやらを買って、ベンチに腰を下ろしたところでようやく俺は状況を理解する。

「……普通に遊んでる」

「あっ、なんだって?」

 崎山が口の端に白いクリームをつけたまま、首を傾げた。

「あなたの用件は結局なんだったんですか?」

「用件ってなんだよ?」

「いや、それはこっちが聞いてるんですけど」

「はあ?」

 会話が噛み合わない。崎山はクレープを食べることに夢中で、あまりこちらに集中していないように見える。帰りたくなってきた。俺もさっさとクレープを食べてしまおう。

「お前、休みの日はなにしてるんだ? やっぱ本読んでんの?」

 崎山がごく一般的な会話のテーマ、休日の過ごし方を振ってくる。素っ気ない態度をとることもできたが今日の俺には崎山のことが人間にかまってほしいチワワに見えていたので、ちょっと話してやってもいいかと思った。

「……そうですね、基本的に読書は休日もしています。あとは友達と古本屋巡りとかしてますよ」

「お前にダチがいんの!?」

「なんですかその返し、めちゃくちゃ失礼じゃないですか……」

 話さなければよかった。やっぱり崎山は嫌な奴だ。まだあと半分も残っているクレープにイライラしてくる。俺は大きく口を開けてクレープにかぶりついた。

「はじめてのダチ作戦が……」

 崎山が悔しそうになにかよくわからない作戦名をつぶやく。

「はあ、なんですそれ?」

「なんでもない! 忘れろ!」

 崎山は手に持っていたクレープの残りをすべて口の中に押し込んだ。頬がリスのように膨れている。もぐもぐと咀嚼している姿はやっぱり動物っぽかった。

「俺はそろそろ帰ります。さよなら」

 ちょうど俺も食べ終わったので、これ幸いと別れを切り出した。だが立ち上がろうとした瞬間、腕を引っ張られ、ベンチに戻されてしまう。

「待て!」

「もうなんなんですか……。用もないのに引きとめないでください」

「今度、本屋に行くときは俺も連れて行け!」

「はあ? どうしてそんなことしなくちゃならないんです?」

「えっ、それは……その……」

 崎山は思いきり動揺していた。言葉は出てきていないし、目は右に左に泳ぎまくり、……本当になにがしたいんだこいつは?

「本……? そう……本を探してるんだよ! お前、何軒も本屋を巡ってるなら詳しいだろ、案内しろ!」

 崎山の態度から言っていることは明らかに嘘だとわかった。その場で必死で紡いだ嘘、だけど紡ぎ方が下手くそすぎてほころびだらけのそれ。いつも嫌なことを言ってくる相手に、俺もちょっとだけ意地悪をしたくなった。

「あなたに本を読む趣味があるとは知りませんでした。読書は陰気な奴がやるものだと断言していたので、ああ、つまりあなたも実は陰気な人間だったってことですかね。最近はどんなものを読んでいるんですか? 好きなジャンルは? お気に入りの著者は?」

「えっ……えっ……あー、あれだあれあれ、ここまで出てきてるんだけどな、ちっと思い出せなくて……」

 崎山がしどろもどろになっているのを見て、胸が少しだけ晴れる。

「本当は興味がないものに、無理矢理興味があるように振る舞うのはやめたほうがいいですよ。その振る舞いはとても滑稽に映りますから」

 俺は突き放すように言ってやった。しかし、崎山には怒った様子はなく、ただびっくりしたように目を見開いていた。

「本に興味がないわけじゃねえよ。まあ、ずっと文字とにらめっこすることのどこがいいのかはまだわかんねえけど。……お前がいつも読んでるとこ見てたら、面白いのかもしれないって思い始めて……そんだけじゃダメなのか? 興味があるって言っちゃいけねえのか?」

 話す声が段々と小さくなっていく。崎山にじっと見つめられ、俺は罪悪感に堪えられなくなった。

「……いや……はあ、すみません。今のは俺が悪かったです」

 俺と崎山は互いに沈黙する。気まずい空気を俺は感じていた。

「俺が本よりも興味あるの、お前だから……」

 沈黙を破ったのは崎山の蚊の鳴くような小さな声。その言葉に俺は引っかかりを覚える。

「はあ……あなた、俺に興味があったんですか?」

 あんなにうざ絡みをしてきたのは俺にかまってほしかったからなのか。崎山がみるみる顔を真っ赤にしていく、それが照れからくるものなのかそれとも怒りからくるものなのか俺には区別はつかなかったが、崎山は「興味があったっていいだろ!?」と叫ぶと俺の腕を殴った。彼からすれば軽く叩いたくらいの感覚なのかもしれないが、俺には結構痛かった。なにせこちらは喧嘩にはとんと縁のない文学青年なので。

「とにかく、今度はお前から俺を誘えよ、陰キャ野郎!!」

 崎山はそれだけ言って、勢いよく立ち上がると物凄いスピードでどこかに走っていってしまう。

「……これが嵐のように、ってやつ?」

 一人になった俺はシャツの袖をまくった。予想通り、掴まれたり殴られたりした腕にはあざができている。だが、それを見ても不思議とマイナスの感情は湧いてこない。どちらかというと気になる装丁の本を偶然棚から見つけたときと似たような気分だ。中身が知りたくなっている。

 次の休みには甘いもの好きな新しい友人を神保町にある喫茶店へと案内することになりそうだ。


終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はじめての 棚霧書生 @katagiri_8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ