噛みたい指

棚霧書生

噛みたい指

 呼び止めてきた男が誰だったか、記憶の底をあさる。ただの人間に知り合いなんていないし、冷たい冬の明け方に大魔法使いの僕を呼び止めていい身分じゃない。今から城に帰って寝るところだったのに、空気の読めないやつ。僕はいつものように魔法を使って話しかけてきた人間の腕を吹き飛ばした。恨むならタイミングの悪い自分を恨んでくれよ。

 人間の気色悪い絶叫につられて、こちらに走ってくる足音が一人分。僕は男の腕を拾い上げながら、ため息をつく。あまり好みじゃなかったから、これはいらない。腕を地面に投げ捨てた。次に現れる人間の腕も好みじゃなかったら、両人ともまとめて殺してやろうと僕は算段をつける。

「何事だ! お前はっ、ジェーイル!? なぜこんなところに!?」

「あれれ、騎士様だ。久しぶり」

 現れたのは僕もよく知っている子だった。名はセインツ。美しい銀の髪に晴れた日の空みたいに真っ青な目をしてる。鍛えられた体から伸びる筋肉質な太い腕はいつ見てもきれい。突然転がってきた幸運に僕は頬を緩めた。

「騎士様は朝帰り? 女の子といいことしてたの? フェンデル騎士団は清廉潔白、品行方正で人々の手本になるような行動を心がけないといけないんじゃないの? ああ、でも、騎士様も男の子だもんね、たまには遊んじゃうこともあるよね、ふふふふ」

 セインツが顔をしかめていく。嫌がっている顔も可愛らしくて、もっと意地悪なことを言ってやりたくなる。しかし、僕が再び口を開く前にセインツが言わせないとばかりに割り込んでくる。

「巡回中だったんだよ。お前の足元に倒れてるそいつとな」

 セインツが腰に指した剣に左手をかけ、こちらを警戒している。よく見れば、地面に倒れ伏している男はセインツと同じ騎士団の服を着ていた。セインツの立場からすれば今すぐにでも暴行の現行犯で仲間を痛めつけた僕を制圧したいはずだった。

「ああ、こいつフェンデルの騎士だったの? あまりにもショボいから全然気づかなかったよ。別に騎士団に喧嘩を売ろうと思ったわけじゃないんだ。たまたまここを通りがかったら、背後から突然声をかけられて怖くなっちゃったんだよね」

「怖くなった? あの悪い魔法使いのジェーイルが?」

「繊細なんだ。びっくりするとつい反撃しちゃう。だから、これは不幸な事故だよ」

「馬鹿馬鹿しい言い訳だ。どうせまた腕を物色してたんだろ」

 セインツが軽蔑した目で僕を見る。もしかしたら、嫉妬の意味もそこには含まれているのかもしれなかった。

「騎士様の腕が一番だよ。僕にとっても尽くしてくれる」

 僕はセインツから昔もらった“彼の右腕”を指を鳴らして、喚び出す。僕の肩に肘を引っ掛けるようにして彼は姿を現した。

「俺の腕、返せっ……」

 セインツが怒りに染まった瞳で僕を睨みつけ、ついに剣を抜いた。義手の右腕は戦闘にはあまり使えないのか、彼は剣を左手で片手持ちにし僕へと鋭い切っ先を向ける。

「これは騎士様からもらったものだから、あげないよ」

 僕はセインツの右手と自分の左手で手をつないだ。ギュッと力強く握り返してくれるセインツの右手は頼りがいのある男のようでとても格好良かった。やっぱり、一番だ、さっき言った言葉は全部本当のことだ。ああ、早くこの腕に癒やされたい。僕はセインツの右腕にキスをする。

「俺の右腕に変なことすんな!」

 途端にセインツは怒鳴った。うるさくてイライラしてくる。

「僕は疲れたからもう帰る。ああ、お仲間のことだけど気絶してるだけでまだ死んでないよ。失血死しないように魔法で止血もしてある。でも、腕をくっつけるなら処置は早いほうがいいかもね。じゃあまたね騎士様。いつか左腕ももらいにくるよ」

 セインツが斬りかかってくる前に僕はテレポートの魔法を使ってその場を後にした。


 悪名高い魔法使いジェーイルの急襲を受けて、大怪我をした同僚を救護班に引き渡したあと、俺は酒場でひたすら酒を飲んでいた。夜勤明け直前で起こったイレギュラーは俺をひどく疲れさせ、酒でも飲んでいないとやってられない気分だった。

 日も登った時間から大量の酒を頼む俺を店主が不審そうに見ている。俺の右手が目に止まったのか、彼は一瞬だけ、おや、という顔をした。

「俺の右腕さ、悪い魔法使いに盗られちまったんだ」

 久々にジェーイルと相対したせいか、彼に奪われた俺の右腕について誰かに話したいと思った。酒場の店主ならばおかしな話のひとつやふたつ聞き慣れているだろうし、ちょうどいい。俺は舌を酒で湿らせてから、口を開いた。


 ジェーイルと会ったのは、セントラルにあるとある酒場だった。俺はあとから知ったがその酒場には悪魔や魔法使いと呼ばれる連中がよく出入りしていたらしい。知らないってのは怖いもので、当時、兵長に昇進したばかりで浮かれていた俺は隣に座った客が危ないやつともわからずに酒の勢いで友人のように絡んでいた。

 その日、ジェーイルをひと目見てきれいなやつだと思った。彼は最初、自分自身のことをジエルと名乗った。あの大魔法使いジェーイルだとは露知らず、俺はジエルに見惚れていた。真夜中みたいな黒い髪にお月さんのかけらを閉じ込めたような瞳。しっとりと濡れた雰囲気もあり、妖しい色気を漂わせているやつだった。正直に言うと見た目が物凄く好みだったから、俺は美しいジエルを前に少し格好をつけようとしていた。

「僕は寂しくて駄目だよ。騎士様もそう思うときはないかい?」

 伏し目がちにそう言われたとき、俺はなんでも力になってやりたいと思った。

「寂しいと思う前にまた飲みくればいいんじゃないか? 俺で良ければ仕事のない日はいつでも付き合うぞ!」

 俺はジエルの肩に腕を回して抱き寄せた。その行動にまったく下心がなかったかと聞かれると答えにくいところだが、ジエルも満更ではなさそうだった。

「ねえ、騎士様のこの腕……とっても格好いいね。僕、これ欲しいなぁ……」

 ジエルのセリフに俺はドキドキしたし、このあとのことを考え出していた。言ってしまえば俺は思い違いをしていたのだ。ジエルから夜を誘われていると、今振り返るとそんなとんでもない勘違いを……。

「僕が寝るときは腕枕をして、この大きな掌は僕の目元を優しく覆ってくれるんだ……。想像したら欲しくてたまらなくなっちゃうな。騎士様の腕があれば夜も寂しくないかもしれない」

 抱き寄せた体を離すタイミングを失った。いや、離す必要すらないと思った。このまま二人で席を立ち、どこかの宿で一晩を共に過ごすのだと考えていた。

「ジエルが望むなら、いくらでも真心を尽くそう」

「騎士様の腕、僕にくれる?」

 俺に抱いてほしいのだとそういう意味だと思った。

「ああ」

 返事をした瞬間、ジエルを抱いていた右腕の感覚が無くなった。あれ、と思う間もなく右肩から少し先の辺りに激痛が走る。気づいたときにはもう俺の右腕は、切断されていた。

 俺は痛みにのたうち回り無様に床に転がった。見上げた先にはジエルが赤子を抱えるように大事そうにして俺の右腕を持っていた。

「ぐああ……俺の、右腕っ……!?」

「違うね。これはもう僕のものだよ。騎士様がくれるって言ったんだ」

 ジエルがなにかつぶやくと淡い光が俺の右腕を包み、パッと弾ける。次の瞬間、魔力を付与されたらしい俺の右腕はひとりでに動き出していた。その光景はとても気持ち悪く、トカゲの尻尾切りを思い出した。

 俺の体から離され、司令塔を失ったはずのそれはジエルの髪を愛おしそうに撫でている。あれほど奇妙で臓腑が冷えるような光景を俺は先にもあとにも見ていない。


「それから俺の右腕はずーっとそいつのオモチャにされてるってわけ」

 ひとしきり話し終わって俺はまた酒を一口飲んだ。店主がグラスを拭く手も止めて、目を丸くしている。

「信じられなきゃ、酔っぱらいの与太話だと思ってくれ……っと……」

 なくなったはずの右腕が痺れた感覚をキャッチする。たぶん、ジェーイルがまた俺の右腕を枕にして眠っているのだろう。右腕は体から離れてしまったが、その触覚は完全に俺から絶たれたわけではなく、たまにこうして触れているものがわかるときがある。

「まあ……、その厄介な魔法使いも俺の右腕がお気に入りらしいから、壊されたり捨てられたりはしばらくなさそうなとこだけが今の救いかな……」

 右手の指先が甘く噛まれる感覚がして、酒の酔いではない熱が体に回りだす。俺はすぐに勘定を済ませて帰路についた。

 ジェーイルが好きなのは結局、俺の腕だけなのだ。舐められるのも、噛まれるのも、撫でられるのも、頬ずりされるのも全部右腕だけ。こちらから右腕を動かせるならあのきれいな顔に爪の一つでも立ててやるのに。俺はため息をつきながら、義手になった冷たい右手を撫でた。


終わり

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