転変カプセルで眠っていた指輪

珀詠そら

第1話 転変カプセルで眠っていた指輪

 第一話 思い出を掘り起こす


 転変カプセル。

 それは、タイムカプセルに纏わる、都市伝説に登場する物だ。

 地中等に埋めて、数年後、数十年後に掘り起こす事で、その時の情緒を懐古する。

 それが、タイムカプセルの醍醐味である。

 俺が小学生の頃、そんな物を埋めたような気がする。


 ※


 大学を卒業して、晴れて社会人になった俺――――社納 畜三郎(しゃのう ちくさぶろう)は、希望と期待で満ちあふれていた。


 企業の花形である企画部に配属されて、俺は嬉しかった。

 これから、沢山活躍して、人生を豊かにしよう。

 将来は一軒家を買って、外車を乗り回して、部屋に贅沢なシアタールームを作る。

 結婚して、家庭を持ち、幸せを勝ち取る。

 そんな人生設計を、勝手に妄想していたのだ。


 だが――――そんなに世の中は甘くなかった。

 初めて社会の洗礼を受けたのは、会社の新人研修だった。

 東京から数百キロ離れた離島で、自給自足して、一ヶ月を過ごせと教官に言われた。

 当然、スマホやパソコン等は使えない。アニメや漫画、あらゆる娯楽物もない。あるのは、大自然と有り余った時間のみ。

 そんな無人島で学べた事は一つ。

 俺は、ブラック研修を受けていたのだ。


 あの頃は、社会の常識に詳しくなかった為、これが『普通』だと思っていた。


 しかし、研修が終わり、いよいよ仕事が始まった途端・・・・・・この会社は異常だと気付いた。

 まず、その日に帰宅できないのは当たり前。

 一ヶ月に数回、家に帰ることが出来れば、マシだと感じる程に過酷だった。

 そして、サービス残業は一五〇時間以上からが本番。繁忙期は、二〇〇時間も会社に貢献することになる。


 その為、毎日、些細な幸せを感じることもできなかった。

 仕事終わりに缶ビールを飲み、お笑い番組を見てゲラゲラ笑って、眠気が襲ってきたら就寝する。そんな当たり前のことも、俺は会社に奪われた。


 そんな過酷な環境で労働を勤しんでいたら、必然と病む。

 もう俺は・・・・・・メンタルがボロボロだった。


 だが、仕事を休む訳にはいかない。

 もし、休んでしまったら、誰かに尻拭いしてもらう必要がある。

 加えて、上司に正座させられて、数時間は説教を受けることになる。


「・・・・・・何の為に働いてるんだろうな・・・・・・俺」


 珍しく、全てのタスクを終わらせて退社することができた。

 数時間後には、自分のデスクに座って仕事しなければいけない。


「――――会社、行きたくねぇな」


 思わず、ボヤいてしまった。

 俺は満身創痍な状態で、家まで帰っていた。

 その時、ふと、視界に入った店があった。


『しんどい時はうちに飲みに来い!』


 そんな店名で、だいぶ風変わりだと思った。


 ・・・・・・今は、しんどい。


 だから、この店で、一杯ひっかけてから帰ろう。

 俺は店の扉を開けて、カウンター席に案内された。

 生ビールが飲める。今日なんて贅沢な日なのだろうか。

 俺は枝豆とビールを注文してから、頬杖をつきながら品物が運ばれるのを待った。

 ――――いっそ、アルコール中毒になって救急車で搬送されたら、会社を休むことができるかも知れない。


 そんなことを思った矢先に。


「――――あれ、もしかして社畜?」


 右隣にいる女性から、声を掛けられた。

 そして、その呼び名で俺を呼ぶのは、一人しかいない。

 俺は、その人をよく知っている。


「――――車子(しゃこ)?」


 右隣に座っている女性を視界に捉えて確信した。

 幼稚園から高校まで一緒に過ごした、俺の幼馴染みだ。

 名前は、大歯車子(おおばしゃこ)。

 マロンブラウンの髪の毛は、シュシュで一束に纏められたポニーテール。凹凸のある体型は、非常に女性らしくて男心を鷲づかみする。白のニットシャツと茶色のスカートの私服が、カジュアルさがあって良い。


「高校の卒業式以来だね。元気にしてた?」

「・・・・・・そんな風に見えるか?」

「ううん、全然。死んだハシビロコウみたい」

「なんでハシビロコウなんだよ」


 車子なりの冗談かもしれないが、今の俺はまともに突っ込みできる余裕がなかった。


「今日は仕事帰り?」

「あぁ・・・・・・数時間後には会社に行かないといけないけどな」


 それを聞いた車子は、少し目を細めて、じっと俺を見てきた。


「・・・・・・会社、大変なの?」

「毎日、サービス残業の荒しだ。今日も、一五日ぶりに退社できたんだ」

「・・・・・・そっか。社畜は名前の通り、社畜マンになっていると」

「その呼び方、止めろって何時も言ってるだろ。昔から車子が社畜って言うから、本当にその通りになっちまったじゃねぇか」

「あははッ! 私のせいにしないでよ」


 車子はケラケラ笑いながら、俺を小突いてきた。


「・・・・・・車子は、笑うことができて羨ましいぜ。俺は、ずっと笑えてねぇから」

「なら、くすぐってあげようか? それなら笑えるでしょ」

「そう反射的なものじゃなくて、楽しかったり面白かったりする時に出る笑いだよ」


 最後に笑ったのは・・・・・・多分、大学の卒業日だったと思う。

 同級生が卒業式を終えてから、好きな女の子に告白して、撃沈してからヤケ酒に付き合った時は、ゲラゲラ笑いながら励ました記憶がある。


「そういえば、大学で何を専門に学んでんだ?」


 高校を卒業する前に聞いた記憶はあるが、肝心なことを忘れてしまっていた。


「栄養学だよ。私、将来は栄養士になりたいから」


「そっか・・・・・・車子。今のうちに大学生活を満喫しとけよ。社会人になったらーーーー何も楽しめなくなる」

「そんなに今の会社が辛いなら、辞めちゃえば?」


 多分、車子なりに気遣って発言したのだと思う。

 だけど――――そんな簡単に辞められたら、苦労しねぇよ。


「俺が退職したら、他の人にしわ寄せが及ぶ。誰かが辛い思いをする羽目になるなら、俺だけ頑張れば済む話だ」

「でも・・・・・・今の社畜は、人生を無駄にしているよ。毎日、充実させないと、生きている意味がないよ」


 ・・・・・・そんなこと、分かっている。

 だけど、辛い時も踏ん張らないといけない瞬間は必ず訪れる。

 きっと、今がその時なのだ。


「・・・・・・ねぇ、社畜は覚えてる? 小学生の時に、地元でタイムカプセルを埋めたこと」

「そういえば、そんなことしたかも知れねぇな」


 あれは、高学年になる前の話だ。

 小学生の頃は、毎日のように、車子と一緒に遊んでいた。

 その時に『転変カプセル』の都市伝説を知って、車子が埋めに行こうと言われた気がする。


「もしかしたら、今、掘り起こしたら・・・・・・内容物が変わってるかもしれないね」

「ただの都市伝説だろ。そんな奇跡、起こるはずねぇって」


 俺は諦観しながらも、少しだけ想像した。

 あの頃に入れた物が形を変えているのなら、一体どんなものになっているのだろうか。


「――――ねぇ、これから、掘り起こしに行かない?」

「・・・・・・は? これから?」


 あまりにも突拍子もない提案されて、俺は困惑した。

 まず、当然、明日は会社がある。

 車子には大学がある。

 何より――――会社は休めない。有休を利用できたことは一度もないし、俺がいなかったら誰かが辛い思いをすることになる。


「そう、今からだよ」


 車子は、まるで新しい玩具を買ってもらったかのように、両目を輝かせていた。


「無理だ。それぞれ俺達は勤めがあるんだから」

「うーん。じゃあ、スマホ貸して?」

「は? まぁ、いいけど」


 俺は車子にスマホを渡してから、そのまま連絡先をタップされて。


「――――もしもし、社納の妻です。先程、畜三郎が高熱で倒れてしまったので、明日はお休みを取らせて頂きます」

「ちょッ! おまッ!」


 スマホを奪い返してもらう前に、ボタンを押されて通話を切られてしまった。


「妻って・・・・・・俺、まだ独身だって社内で言ったことがあるのに」

「まぁまぁ、さて・・・・・・これで問題ないよね?」


 ニカッと実に楽しそうに車子は笑っていた。


「いやいや、お前だって大学があるだろ?」

「一日休むくらいなら全然問題ないよ。これで、何も心配はなくなったよね?」

「もう夜の九時だぞ?」


 この時間だと、仮に東京から北海道の札幌まで飛行機で行っても、そこで足止めをくらう羽目になる。


「今から飛行機に乗れば、ギリ北海道に着くよ」

「その後は、どうするんだよ。俺達の地元はフェリーでしかいけない孤島だぜ?」

「空港の近くにあるホテルで一泊してから向かえばいいんだよ」

「……確かに理屈上、可能だけど」

「そうと決まれば、善は急げ、だよ! さぁ、行こう!」


 車子は、これから大冒険に出掛ける寸前のように、ワクワクしていた。


「……はぁ、仕方ないな」


 退路を断たれた状況なら、行くしかないか。

 それに、こうなった車子は歯止めが効かなくなって、何時だって有言実行する奴だ。

 ――――俺としても、確かにモヤモヤが残っている。

 幼少期、俺は一体『何者』になりたかったのか、思い出したい。


「ここは俺が出すよ」


 俺は財布を片手に持って、会計を済ませようとする。


「ヒュウッ♪ さすが社会人、頼りになる!」

「もう大人だからな、俺は」

「そっか……お互い、大人だもんね」

「そうだ……なっちまったんだ」


 そして、会計が終わってから、俺達はタクシーで空港まで向かった。


 2


 車で成田空港まで向かった。

それから、ギリギリ札幌行きの便に乗ることができて、夜の十二時を過ぎたので、近くのホテルで一泊した。

 その際、受付の人に「一部屋しか空いていません」と言われた時は、微かに動揺した。

 いくら幼馴染みとはいえ、一人の女性と同じ空間で寝泊まりするのは、緊張した。

 特に車子は――――高校生の頃とは違って、大人の女性っぽく美しくなっていたので、より一層ドキドキした。

 そう考えると、どうやら俺は車子のことを、ちゃんと『異性』として見ていることに気付いた。

 部屋を借りて、お互いシャワーを済ませてから、学生時代の思い出話に花を咲かせた。

 車子とは何時も一緒に行動を共にして、時には青春をして、時には喧嘩して、時には悪さもして……全て俺が行動する上で、彼女が居た。

 大学に進学してから、それぞれ別れることになったが、それでも定期的にLineでやり取りしていた。最も、あまり返信ができる程の余裕はなかったが。

 俺達は今、フェリーで礼文島に移動している。

 海上にいる為、潮風が肌に当たって、懐かしさと暖かさを感じている。


「ねぇ。昨日から話してて思ったけど……社畜って性格変わったね」


 ふと、さり気なく車子は言ってきた。


「そりゃ。何時までも子供のままではいられないからな。大人になるにつれて、性格の一つくらい変わるだろ」

「なんか、昔はもっと、積極的だった気がする」


 車子はフェリー上から景色を一望しながら伝えてきた。


「そうか? 逆に、車子は変わらないよな。何時だって俺を引っかき回して、無理矢理にでも一緒に何かをやろうとするところとか」

「私は……まだ大人になりきれてないのかも知れないね」


 フフッと、切なさそうに笑う車子。


「……本当の大人になってからは、常に時間に追われて、自由がなくなるぜ?」

「それは、その人次第じゃない? どんなに辛い状況でも、時間を作って自由に振る舞えることだって、できると思うよ」


 それを聞かされた時、俺は少し――――苛立ちの感情が芽生えた。


「車子は、まだ分かってないだけだ。社会人になれば、嫌でも分かってくる」

「そうかな? 社畜が『自ら』、その環境にいるだけだと思うけど」

「俺が……自ら?」

「そう。自分の意思で、だよ。仕事だって、変えようと思えば変えられるし、自由時間がほしいなら、そういった働き方ができるはずでしょ?」


 たまに、車子は正論を突きつけてくる奴だ。

 それが――――何時も喧嘩する口実となるのだ。

 段々と憤りが膨張していき、気付いた頃には、常に俺から仕掛けるのが恒例の流れだ。


「お前に、社会人の何が分かるんだよ。まだ学生の身なのに」

「身分は関係ないよ。社畜が自分で自分を苦しめているだけだよ」

「責任があるんだよ、社会人は。ガキの頃みたいに、後先考えないで行動することができなくなる。それが大人ってものだ」


 そう……大人には責任が付きまとう。

 だから、学生の時のように、己の意思だけを優先して動くことが難しくなってくる。

 それは……社会を生きる上で、絶対に身につける処世術だ。


「……社畜。今、怒ってるの?」


 詫びる素振りを一切見せず、車子は目を丸くしながら、尋ねてきた。


「割とな」

「そっか……社畜は、怒りかたも忘れちゃったんだね」

「……は? 今、それなりにイライラをぶつけてるんだが?」

「ううん。昔の社畜は、もっと大声を出して、私に罵声を浴びせてた。世界が……社畜が、社畜を変えちゃったんだね」


 言われてみると、確かに、その通りかも知れない。

 車子と喧嘩する時は、気に入らないと思ったことをストレートに伝えるタイプの人間だったはずだ。

 ――――あぁ、そうか。仕事が、俺を変えたのか。

 何時だって自分の意見を認めてもらえず、でも上司に逆らえなくて、だから反論せずに毎日パワハラに絶えてきた。

 だから、自分の意見を率直に伝えることを、恐れるようになったのだ。

 コイツの言っていることは、全くもって事実だったというわけだ。


「もっと怒りたい時は、直球で思いを伝えるべきだよ。今は失った感情かも知れないけど、取り返すことは何時でもできるから、私相手に練習してみなよ」


 車子は、優しく微笑みながら、俺に言ってきた。

 後ろ髪が靡いていて、それを優しい手つきで押さえ込む仕草は、実に女性らしかった。


 ……もしかしたら、彼女なりに、気を遣ってくれているのかも知れない。

 少なくとも、高校生の頃の車子では、有り得ない配慮だった。

 彼女は形振り構わず、自分の好きなことを発言して、周囲を翻弄する人種だった。

 俺の知らないところで――――車子も大人になったっていうのか?

 ……それを考えたら、余計にイライラしてきた。

 ここは彼女の言うとおり、せいぜい練習台にしてやる。

 だから俺は、彼女に言われた通り。


「――――相変わらず、ムカつく奴だぜ! クソ女が!」


 この時に抱いた憤怒を、そのままぶつけてみた。

 そう言った俺は、もの凄く清々した。

 そして車子は、優しく微笑んでいた。

 あぁ……潮風が気持ちよくて、溜まらない。


 3


 礼文島に到着して、直ぐに俺達は、タイムカプセルを埋めた場所まで行くことにした。

 バスで地元の途中まで向かい、それからは低山の頂上付近まで足を運んだ。

 あそこは低山なのに、村を一望できる為、俺達にとっては『お気に入りのスポット』であり、そこで頻繁に遊んでいた。


「とうちゃーく! 確か、この辺りだったはずだよ」

「あぁ、そうだな。でも、どこの辺に埋めたか覚えてるか?」


 そこら辺の詳細は、記憶から抜け落ちている為、車子に尋ねた。


「うーん。確か、一本の大樹があって、そこの根元だったはず」

「……あれか?」


 俺が指さした先に、大きなクスノキが鎮座していた。


「あ、あれあれ! それで、目印になるように、私達の名前を幹に刻んだはず!」

「そうだったか? 全く覚えてない……」


 大樹に近付いて、俺達は、かつての目印を探した。


「あ……これか。確かに、ひらがなで名前が書いてある」


 まさに小学生が書いていそうな、不格好で整っていない文字だった。


「ここに間違いないよ! この下に、埋まってるはずだよ!」


 実に彼女はウキウキと心を弾ませた仕草をしながら言ってきた。


「じぁあ――――いっちょ、仕事しますか」


 俺は予め港町のホームセンターで買っておいたハンドスコップで、地面を掘る作業をした。

 恐らく、そんなに深くまでは埋めてないはずだ。せいぜい、五メートル程だろう。

 俺は無心で掘っている間、彼女はワクワクウキウキといった表情を浮かばせながら、俺の作業を見物していた。

 そして、数メートル程、掘ったら。

 ――――カツンッ。

 何かの物体が、ハンドスコップの先に当たった。


「お、もしかして、これか?」

「見つかった⁉」

「ちょっと待て……」


 俺は、それが完全に見えるまで掘り続けた。

 すると、両手サイズくらいの、木製の宝箱を目視できた。


「あーッ! これだよ、社畜!」

「あ、あぁ……確かに、見覚えがある」


 記憶が正しければ、当時の車子が「将来の宝になるかも知れないから、宝箱に入れよう!」と言っていた気がする。


「だいぶ錆びてるが……ロックチェーンでしまってるな」


 そこで、肝心なパスワードが、頭からすっぽりと抜け落ちていることに気付く。


「番号は、1107だよ!」

「よく覚えてたな」

「私と社畜の誕生月に設定したんだよ」

「成る程……1107………あ、外れた」


 どうやら、車子の記憶が正しかったようだ。


「いよいよ開けるんだね……なんか、本当に宝物を掘り当てた気分だよ!」

「作業したのは俺だけどな……じゃあ、開けるぞ」


 目線で彼女に合図を送り――――俺達は中身を確認した。

 すると、一枚の手紙と、二つの指輪が入っていた。


「……ん? この手紙……全然、風化してないな。新しい紙のように新品だ」


 そこで、ハッキリと思い出したことがある。

 俺が、将来的に自分の夢を綴った、所謂――――妄想日記を書いたことを。

 しかし、数錠年も経過しているのだから、古紙になっているはずなのだが……どういうことだ?


「それに、この二つの指輪も新品のように綺麗!」

「錆びついても可笑しくないはずなんだが……」

「それだけじゃないよ! この指輪、ダイヤが埋め込まれているみたい!」

「それは絶対に有り得ない。当時の俺達は小学生だぞ? せいぜい、安物の指輪のはずだ」

「もしかして――――これが転変カプセルの実態かも知れないね!」


 車子は、とても大きな声で感嘆していた。


「……オカルト現象は認めたくないが、それしか説明がつかないな……」


 ただの都市伝説。少なくとも、俺はそう思っていた。

 しかし、俺達が埋めたタイムカプセルの中身は――――明らかに入れ替わっている。


「都市伝説も、バカにできないな………」


 俺の感情は、驚愕と狼狽がミックスして、戸惑いを覚えている。

 だが、実際に起こった事実は、認めなければならない。


「ねぇ。紙には、なんて書かれてるの?」

「あ、あぁ……今、確認するよ」


 紙が新品同様の状態であるかは不明だが、俺は自分で綴った夢を思い出すことにした。


 ※


 未来の俺よ。ちゃんと毎日を充実させてるか? きちんと一日に三食、食べているか?

 きちんと一日に八時間、寝ているか? 人間、健康が第一だからな。もし、それが出来ていない状況なら、その環境を今すぐにでも捨てちまえ! 俺の人生は、自分で決めろ! 誰かに命令されながら寿命を消費するな! 俺が大事だと思ってることを最優先しろ! 責任感を抱くことは大事だけど、その責任に押し潰されるな! 逃げたい時は逃げていい。立ち止まりたい時は、立ち止まっていい。いいか? 全て、俺の人生が良くなることを最優先で考えろ! 自分のやりたいことを諦めるな! 他の奴らに俺の価値をつけさせるな! 俺は何時だって俺という一個人を尊重できる生き方をしろ! そして、最後に……それを気付かせてくれる存在――――車子を大事にしろ! 俺の初恋は、手をかざせば、絶対に届くはずだ! 何時も一緒に居てくれて、何時も間違った道を歩んでも正してくれる彼女――――取り逃がすんじゃねぇぞ! じゃあな、未来の俺!


 ――――なん……だ、これは?


 明らかに小学生の俺は、こんな大それたことを考えられるような人格ではなかった。

 まるで……ずっと、毎日『俺』を見てきたかのような綴り方だった。

 これは……転変カプセルが、俺に伝えたかったのだろうか。

 ……俺は、一体今まで、何をしていたのだ。

 そうだ。自分勝手に、会社への責任感を覚えて、ただひたすら――――自分を苦しめていただけではないか。

 何が、大人になると責任が付きまとう、だ。

 そんなの――――俺自身を堕落させる要因の一つにしか過ぎない。

 ――――あぁ、車子の言いたかったことは、こういう意味だったのか。


「……社畜」


 彼女は、ただひたすら、俺の傍に寄ってきて、頭を預けてきた。

 その優しさが、段々と心の中に浸透していき……俺は目から滴を零した。

 嗚咽して、枯れるくらいまで、泣きじゃくった。

 大の大人が、みっともない。

 ――――でも、それもまた、俺なのだ。


「社畜、ゆっくり、やり直そうよ?」


 どこまでも優しくて、美しい声音で、車子は俺に言っていた。


「……いや、その前に、やるべきことを済ませる」

「やるべきこと?」


 俺の決心に追いついていない彼女だったが、構わず、ズボンからスマホを取り出した。

 そして、俺は――――会社に電話した。


「もしもし、社納畜三郎だ。もうお前達の会社には行かねぇ。今まで、ゲロお世話になったな。一生、社畜人生を送ってろ。ばぁあああああああああかッ!」


 俺は言いたいことだけ吐き散らかして、通話ボタンを切った。


「……社畜……ううん、もう社畜は、社畜じゃなくなったね」

「あぁ。俺の名前は、社納畜三郎だ。だが………俺はある場所では、社畜を辞める気はねぇぜ?」

「……え? どういうこと?」


 俺は、宝箱の中に入っている、一つの指輪を持って――――車子の前で膝をついて、捧げた。


「ずっと、ずっと、ずっと……隠してきた。俺、昔からお前の事が好きだったんだ」

「――――ッ⁉」


 車子は、この展開は想定してなかったかのように、顔に両手を当てて驚いていた。


「俺は……お前の為になら、喜んで社畜になれる。車子のお婿さんという名の会社に、ずっと勤めたいと思っている。だから――――これから、俺と一緒に人生を歩んでくれ」


 思いは伝えきった。後は、彼女の返答次第だ。

 緊張していないと言えば、それは嘘になる。

 正直、色々な事が起こりすぎて、感情が追いついていけてない。

 それでも――――今が正念場だ。

 そうだろ? 未来の俺。


「――――そっか。私達、両想いだったんだね」


 ふと、幸せそうに微笑む車子。


「……え?」

「私――――将来は、社畜のお嫁さんになりたいと思って、この宝箱に指輪を二つ入れたんだよ?」

「そ、そうだったのか……」

「それに、大学で栄養学を学んでいるのも――――将来的に、社畜に毎日、ご飯を作ってあげて、健康的に育ってほしかったからだよ」

「……分かりにくすぎるんだよ、そのアプローチ」


 そして、数秒間、沈黙が続いたと思ったら「「――――ぷッ、あははッ!」」と二人で笑いが弾けた。


 タイムカプセルとは、将来の自分に向けて、思い出を埋めておくものだ。

 だけど――――転変カプセルは、未来の自分が、何を目指しているかを示してくれるものだということが、はっきりと俺は分かった。


「――――その言葉を、ずっと待ってたよ、社畜」

「すまねぇ。だいぶ、寄り道してたわ」

「……ねぇ、その指輪、私の指にはめて?」

「あぁ」


 車子の細くて華奢な指に――――婚約指輪をはめた。


「さぁ、そうと決まれば、地元に帰ってきてる今のうちに、お互いの両親に挨拶を済ませておこうよ!」


 車子が、まさに夢みる少女のように、両目をキラキラと輝かせていた。


「そうだな。早く、行くとするか!」


 俺達は、駆け足で低山を降りていく。

 社会は、時と場合によっては、人を狂わせる。

 それでも、少し立ち止まってみれば――――今、自分が何をするべきか見えてくるかも知れない。

 社畜になることは決して褒められたことではない。

 だが、視点を変えるだけで、見てきた世界が一変するかも知れない。

 ――――なぁ、今の君達。

 人生、充実させているかい?


 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転変カプセルで眠っていた指輪 珀詠そら @hakuyomi3991

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ