アマリリス

結晶蜘蛛

アマリリス


 うめき声。

 ぴちゃり、とそこの厚い靴がコンクリートの床にしたたる血を踏み冬月トリア(ふゆつきとりあ)は顔をしかめた。

 薄紫色の髪が揺れる。ひくり、と小粒な鼻がなる。

 色素の薄い肌。端正な顔立ちが不快気に歪んだ。

 鉄の匂いが周囲に充満しているためだ。


「わかってるよ」


 腰にぶらさげた日本刀の柄を叩き、ため息を一つ。

 冬月は喉の渇きを覚えた。

 乾いた喉が張り付き合い痛むような疼き。

 いますぐしゃがみこんで、はしたなく血に吸い付きたくなる。

 それもこれも忌々しい妖刀である『血嵐(ちあらし)』のせいだ。

 ぎりっと歯を噛み締める冬月であったが、吸血鬼を斬るという目的のため自己嫌悪を押さえ、歩を進める。

 冬月が歩を進める度にうめき声や悲鳴、笑い声が大きくなっていく。

 これから見るであろう惨劇を考え、冬月は気が重くなっていった。



 狂宴である。

 郊外の廃工場、錆びついた屋根の下に彼らは集まっていた。

 窓はところどころ割れており、絡みついた蔦が仲にまで入り込んでいた。

 かつては使われていたであろう設備は残されたままであった。

 鉄工場として作られたが、会社がつぶれ、工場を取り壊す費用もなくそのまま残され、ろくな手入れもされずに残されたままの場所であった。

 そこを彼らは占拠している。

 

「ほら、どうした。早く奉仕しろ」

「さっきまでの威勢のよい声はどうした?」

「んー、聞こえないなぁ……?」


 この場にいるのは主に三つのグループであった。

 一つ目は狂宴の主。バンダナをつけた男が女性を侍らせ、嬲っている。

 いまは一人の女性に刃物を持たせ、もう片方の女性を切り刻む姿をニヤニヤと笑いながら見物している。

 二つ目はそれを後ろから見ている男女のグループであった。

 バンダナの男の配下であるが、おこぼれにあずかれるため彼の楽しみが終わるのを待っていた。

 三つ目は縛られ転がされた男女である。彼らはさるぐつわを噛まされ、怯え、涙が浮かんだ目で今の状況を見ている。


「ほら、次は急所に当たるといいな!」

 

 首領の男――城井 粒示(しろい りゅうじ)がダーツを構え、ルーレットに投げた。

 ルーレットの「腕」を示す部位に当たる。


「次は腕だ!」

「……ぅぅぅ」


 少女はがちがちと歯を鳴らし、顔を青ざめながら縛られた少女へと向かう。

 縛られた少女へと目が合うと、ナイフを持った少女は目を閉じた。


「ごめんなさい!」


 そして、ナイフを振り下ろし、腕へと突き刺した。

 これは遊びであった。

 粒示が当てたルーレットの部位を傷つけていく遊びである。

 それを粒示の手下たちははやしたてながら、いやらしく嗤う。

 彼らは新興の暴力集団――『流星団』である。

 粒示の力の元に集まった彼らは勝手に廃工場を根城にし、窃盗や脅迫により財を成していた。

 そして、大半が趣味の入った誘拐を楽しんでいた。


「さーて、次は――」


 粒示が笑う。革ジャンにジーパンをはき、バンダナを頭に巻いた、目つきが鋭い彼はどこか肉食獣のような雰囲気をまといっている。

 その主な理由は歯の鋭さだろう。犬歯のように鋭くとがった歯が笑うと良く見える。

 それは吸血鬼の証であった。 

 彼が今やっていることに大きな理由はない。ただ自分を慰撫するための遊興に過ぎない。

 どうせ血を見る方が楽しい方がいい。

 友人に一方的にもう片方を嬲らせている理由はただそれだけであった。

 そして粒示がダーツを再びとったその時だった。


 ――ガラン


 と音がした。

 全員がそちらを見ると、鉄の扉が斜めに切り裂かれていた。

 そこに一人の少女がいた。

 薄い紫色の髪、小柄ながらグラマラスな体型、黒いジャケット、厚い靴底――冬月 トリアだ。

 冬月は片手に日本刀を持っていた。

 

「なんだぁ、お前はよぉ……?」


 ドスの利いた粒示の声。周囲の人間は本能的に身をすくませる。

 冬月はそれに付き合わず、鼻をすんすんと鳴らし、目を細めると、粒示をにらんだ。


「……斬ってやる」

「なんだ、こいつは? まぁいいや、お前たち、やれ」


 面倒そうに粒示が背後の仲間に命令を下す。

 日本刀を持っている相手につっこめといわれ、彼らは逡巡した。

 粒示が適当に一人を選び、手で拳銃の形を作ると、「BANG!」と撃つ真似をした。

 途端、少年の足に指先程の穴が開き、悲鳴をあげた。


「相手がポントーだからってお前らの数の方が多いだろうが、さっさと囲んで袋にしちまえ。俺が楽しんだら、お前らに払い下げてやるからさ」

「で、でも……」

「なに、よくわからんが顔のいい女が勝手にやってきたんだ、楽しみがふえてよかったじゃねぇか。それともなんだ、オレよりあいつのほうが怖いってのか?」

「そんなことはないよ、りゅーじ君」

「そうだよな? 当たり前だよな。ならとっとと行けよ」


 彼らは生唾を飲み、それぞれナイフや鉄パイプを持って冬月の周囲へと群がっていく。

 恐怖に動かされながらもそれを振り払うために彼らは必死に思考を変えた。

 なに確かに相手は日本刀を持っているが、それで斬れるのはせいぜい一人か二人、自分じゃない。

 それよりもあの美しい顔が恥辱に歪みながら自分の上で喘ぐ姿を連想する方がまだいいというもの。

 都合のいい未来を考えながら袋叩きにするため、彼らは冬月へと集団で襲いかかった。


「めんどくさいな……」

 

 苛立ちを隠さない冬月の声。

 群がってくる集団に対して冬月も自ら進み出で、逆に殴りかかってきた。

 持っていた日本刀を投げつけ、先頭の少年の顔に刀の平の部分を当てた。少年が鼻血を出しひるんだすきに柄にくくりつけた紐を引っ張り、冬月は刀を手元に戻す。

 そのまま紐で大きく刀を引っ張り、威嚇し、本人も拳や蹴り、刀の峰で殴り飛ばしていく。

 容赦なく殴り飛ばされ歯が地面に落ち、折れた腕を抑えてうめき声半グレ集団。

 遠くからそれを見ていた粒示は次々と倒されていく団員たちを見ながら「喧嘩殺法に近いな」と思う。

 明らかに訓練された動きではない。

 刀の扱いに慣れておらず、刀の平で殴り飛ばすような扱い方をしている。あれでは刀が折れるかもしれない。

 洗練された動きではなく目につくものを目につくまま必死に殴り飛ばしているだけの、怪我をしてあがく獣に近い動きと言える。

 型も理合いもない動きであるが、見た目に反して大の男の腕をあっさりと折る怪力を矢継ぎ早に繰り出すさまは攻撃される側としてはたまったものではない。

 一応、『斬ろう』としていないだけあって致命傷を負った者はいないようであるが、別に死んでも特に気にしてないないような、そんな容赦のなさを感じた。

 どこか余裕な様子で手下たちが倒されていく姿を見ている粒示。


「あーあー、容赦なくオレの手下を倒しやがって……お前、楽に死ねると思うなよ」

「うっせぇ、屑が。殺してやるよ吸血鬼」

「ほー? オレの正体を知ってるのか。何者だ?」

「いうと思ってんのか?」

「……まぁいい、どうせ捕まった後にお前は嫌と言うほど吐くことになるんだからなぁ!」


 粒示が地を蹴り、冬月を肉薄する。

 十数mはあった間を瞬きも終わらぬ間に詰める。

 これが吸血鬼の脅威の一つ、圧倒的な身体能力だ。一般人なら反応できないだろう。

 冬月の腹に拳が突き刺さり、彼女の身体が空を舞った。

 

「――っぅ」

「まだだ、おらぁ!」


 浮いた冬月が胃液を漏らす。熱い鉛を流し込まれたような重い激痛が冬月に走る。

 しかし、彼女の身体が地面へ落ちる前に、さらに粒示の追撃が入る。

 粒示の手から赤い液体が鞭のように空を切り、冬月の身体に絡み、引っ張った。

 勢いよく自身の方へ飛んでくる冬月を狙って再び拳を繰り出す粒示。

 確かに身体能力は高いが、吸血鬼ほどではない。

 たかが刀を持っただけのやつに負けるつもりはない。それに俺の能力は無敵だから、何があっても大丈夫だ。このあと、たっぷりと可愛がって後悔させてやる、とニヤリと粒示が笑う。

 その粒示の顔がずれて首がごとりと、地面へと落ちた。


「嘘だろ……」

「……黙れ、死ね。……くっ、う、うぇぇぇ……っぅ……」


 嘔吐し、膝をつく冬月。

 涙目。胃液の嫌な臭いが鼻につく。

 膝をついたまま、血を噴き上げている粒示の身体を下から斬りあげ、縦に真っ二つに斬り捨てた。

 血嵐の異常なまでの切れ味が、粒示の腕ごと切り裂き、首を落としたのだった。

 代わりに自らの身を守らなかったため、粒示の残った腕が再び腹にめりこんだが。

 しかし、首を落として心臓を壊せばいかに吸血鬼と言えど死なないはずはない。

 がたり、と倒れ動かない粒示の身体が灰になっていく。

 死んだと判断した冬月は連絡を取るため携帯電話を取り出した。

 吸血鬼さえ退治すれば、後始末のために組んでいる刑事を呼ぶ必要があったからだ。


「――油断したなぁ?」


 その瞬間だった、背後から掴みかかられ、腕をねじられる。姿勢が崩れ、そのまま頭をコンクリートへ叩きつけられた。


「な、んで……?」

「オレの能力は無敵なんだよ、ばーか! しかし、散々やってくれたな、このあと分かってるんだろうな、お前」


 冬月にからくりはわからないが粒示は死んでいなかった。

 吸血鬼の怪力に抑えつけられ、微動だにしない。

 鋼鉄で固められているようだ。

 

「おっと、危ない……。これは没収させてもらうぜ」

「このクソ野郎!」


 刀を持っている腕を踏みつけられた。

 悪態をつく冬月。しかし、腕は折れない。

 これには粒示も驚いた。吸血鬼の膂力なら人間の腕をおるなど小枝を折るほどの労力のはずだからだ。

 痛みはあるようで、冬月は痛みに歯を食いしばる。

 なら、好都合だ、このまま嬲ってやる、と思ったところで、背中に衝撃が走った。


「あっ?」


 背中を見ると、粒示が遊びに使った少女がナイフを粒示の背中に突き立てていた。



「愛歌の仇ぃ!」


 しかし、ナイフは一切刺さらなかった。本来、人間の力で繰り出された刃物など、吸血鬼には一切効かないのだ。


「ちょうどよかった、飯が欲しかったんだ」


 粒示が振り向き、少女にいやらしい笑みを浮かべた。

 その手を伸ばそうとした瞬間、こきり、という奇妙な音がした。

 組み敷かれた冬月が自分から腕を折ったのだ。

 激痛に悲鳴を上げながら、転じ、粒示に刀を突き立てたのだ。

 粒示は自分の中から何かが座れる感触に背筋がヒヤリとした。


(これはまずい……!)


  

 粒示の身体が赤い液体になって崩れる。

 自らの身体の液化。それこそが粒示の固有能力であった。

 液体化すれば急所である心臓を斬られようと死ぬことはなく、どのような攻撃もあっさりとすり抜ける。

 自由自在に形を変えることができ、液体に交ざれば同化し、好きに操作することもできる。

 本人が無敵と断じるのも理解できる能力だった。

 そのうえで今回は、あの刀はヤバイと判断し、隠れ家も仲間も捨てて逃げることにした粒示。

 さいわいコンクリートの上には血がまき散らされており、その中に溶け合ってしまえば、自分がどこにいるかなどはわからないだろうと粒示は考えた。

 そして、外に出て下水にでも混じってしまえ――深い極まるが――逃げ切れる。

 なに、顔は覚えた、あとで復讐してしまえばいい、と、粒示はほくそ笑む。

 ひとつ誤算があるとするならば。


「――――啜れ、血嵐」


 冬月の持っている妖刀・血嵐が、廃工場のコンクリートの上に流れていた血を全て飲み干したことだった。

 退治、完了。




 世界には人ならざる者がいる。

 吸血鬼、悪魔、妖怪、宇宙人、妖精、都市伝説の具現化……種類は様々だが、それらは通常の暮らし裏で密かに存在しており、一般的には知られていない。

 そして、冬月トリアはかつて吸血鬼により全てを失ったため、現在は吸血鬼を狩り回っている。

 そして、志を同じくする刑事に後始末を頼み、彼が到着するのを待っていた。


「あの……」

「そこで待ってろ」


 困っている雰囲気の少女にぶっきらぼうに言葉を投げかける冬月。

 すでに腕は治っていた。

 妖刀・血嵐。この妖刀はありえざるほどの切れ味の他に血を飲み干す能力を持つ。

 そして、飲み干した血から生命力を啜り取り、持ち主にわけあたえるのだ。

 吸血鬼と戦えるほどの身体能力や傷の回復などは、すべてこの能力による副産物だ。

 代わりに妖刀は常に血に飢えており、持ち主である冬月の精神へ飢餓感を送り続けている。


「………ろくなものはなさそうだな」


 久々に血を啜れたためか、冬月の感じている飢餓感は薄れていた。

 吸血鬼が潜んでいるかもしれない、とさらに廃工場の奥へと進んでいく。

 そして、そこで驚き目を見開いた。


「――――天上?」


 奥の部屋には汚れたベッドの上に、首輪をつけられ、全裸で放置された少女が一人横たわっていた。

 それは冬月の友人――天上夏陽(あまなうえ なつひ)であった。


† 


「――とりあえず、これは終わり、と」


 後片付けも終わり、冬月は家に戻っていた。

 部屋の中には机の上や壁中に紙が貼りつけられており、調査についてまとめられていた。

 それら全てが隠れている吸血鬼について調べたものだ。

 生活感が感じられるものといえば、簡素なベッドぐらいのものだろう。

 そのベッドの上には、今は天上夏陽が寝かされている。

 服がなかったので、とりあえず、裸のままで布団をかけられていた。


「……どうしようか」


 会うのは『血都事件』以来であった。

 吸血鬼の一人が冬月の住む天内市に現れ、徐々に吸血鬼の数を増やしていった。

 そして、一定以上の数が増えた吸血鬼たちは――暴発した。

 各々が勝手に動いた結果、道の破壊や街内の占拠を行い、冬月たちはそれに巻き込まれたのだった。

 吸血鬼と違い、知能のない動くだけの死者がはびこり、吸血鬼たちが笑いながら人を啜り使い捨てていく地獄に天内市は成り果てた。


『いや、いやいや、あたしの足を食べないで!』

『そこは彼氏にしか触られたことないところなの!

『痛い、痛い、痛い、どうせならひと思いに殺してよ!』


 今でも冬月の耳にこびりついていく声。

 吸血鬼の暴走が始まったとき、冬月は学校に居たのだ。

 生徒が歩く死者に捕まり、生きたまま食われてゆく中、たまたま退魔師に出会えた冬月であった。

 しかし、その退魔師も死亡し、彼女が持っていた妖刀を受け継ぎ――その力を用いて、いま、あの都市にいた吸血鬼たちを狩っている。

 それが冬月の現状であった。

 その上で、もう二度と会えることはないと思っていた友人――天上夏陽と再会し、どうしようか考えあぐねていた。

 見た目は別れる前の姿とあまり変わっていない。

 ポニーテールにくくられた髪に可愛らしい印象の顔立ち、はにゃっとした笑顔が印象的な子だった。

 手足はかつて健康的な肉付きだったが、いまは痩せているように見える。

 相変わらず細い体つきであり、家まで運ぶのは簡単であった。

 しかし、身体のいたるところに汚れが目立ち、打撲された後などが見て取れた。

 すでに討伐した粒示への怒りを覚え、もう少し切り刻んでから殺したかった、と冬月は後悔する。

 そして、それよりも問題は中身である。

 あの惨劇からどうやって生き延びたのか、そして、彼女は『人間』のままなのか。

 もし、吸血鬼となっているのなら狩らなければならない。

 しかし、友人を斬りたくはない……どうしようか悩んでいたところで、「ううん」という声と共に天上が目を覚ました。

 ぱっちりと可愛らしい目を見開き、大きく伸びをした。


「ふわぁぁ……えっと、あれ? 知らない天井? あれ?」

「天上……」

「え、冬月ちゃん!? って、なんで刀を持ってるの!?」


 相も変わらないフワフワとしたノリに冬月は、少しだけなつかしさを覚える。

 かつてならここで笑って、ツッコミをいれていただろう。

 しかし、いま油断するわけにはいかなかった。


「お前は、何だ?」

「えっと、意味が分からないよ……? 私は確かあの城井って人に工場に連れてこられて、それから、今ここで目覚めたわけなんだけど……」

「……お前が吸血鬼かどうか確かめるために、少し斬る。いいか?」

「…………」


 きょとん、と天上が冬月を見た後に、布団から手を離した。

 天上は受け入れ抱擁するように腕を広げた。


「いいよ、それで冬月ちゃんの気が済むならね」

「ごめん」


 そして、冬月は天上の腕に斬りつけた。

 白い肌の上に赤い筋がはしり、そして、ぽたぽたと血が落ち、シーツを赤く汚す。

 しかし、吸血鬼特有の高速再生は怒らず、普通の傷と変わらない。

 傷と血を見た冬月は、ごくりと喉を鳴らした。

 飲みたいと思う心をねじ伏せ、首を振る。


「……どうも吸血鬼とは違うみたいだな」

「痛い」

「ごめん」

「もう、なんなのか説明してもらうからね――うわぁ」


 ベッドから起き上がり降りようとした天上が転ぶ。

 そのまま冬月も巻き込まれて、押し倒されてしまった。

 天上は額を打ち付け、痛そうに抑えている。

 彼女の口の中は――普通の人間と同じであった。吸血鬼特有の鋭い牙もない。


「痛ぁい……!」

「あたしを巻き込むなよ」

「ごめん! でも、ひとつ言いたいことがあるんだけど」

「なんだよ」

「お風呂、ある……?」


 自分の身体を見て、汚れたところが多数あるのを認めた天上は困ったように笑い、そう言った。



「怪我してんだから、まず風呂に入らなくてもいいだろうに……」

「ごめん! でも、ずっと入ってなかったからどうしても入りたかったの! 身体を拭くぐらいしかできなかったから!」

「まったく……」


 運んだ際もそうだが、さきほど天上に押し倒されたことにより冬月の服も大幅に汚れてしまったため、今は新井に出している。

 天上が「せっかくだから一緒にお風呂に入ろ」と言い出したことにより、二人はともに風呂に入ることになった。

 いまは洗濯機の中で冬月の服が回っている。


「それであのあとどうなったの、冬月ちゃん」

「あたしはたまたま退魔師って名乗る人に出会って、一緒に行動してたんだけど……その人も死んじゃって妖刀を継承したんだよ」

「妖刀……、ムラサメみたいなやつかな?」

「そんないいもんじゃない」


 小さい風呂の中に顔半分を沈めて、ぶくぶくと冬月が泡立てる。苦虫を潰したような顔だ。

 天上の肌の上をシャワーの水が滑っていく。

 白い肌には細かい傷の後があった。


「……天上は何があったの?」

「えーっとねぇ。死人がみんなを食っていく中、隠れたりして動いてて……、たまたまグループで行動している子たちと合流できたんだけど、全員で吸血鬼に捕まっちゃったの」

「……っ、それは」

「うん、あとは想像する通り。あたしも含めて玩具みたいな扱いをされたの。ただ、そのおかげで生き残ることはできたかな」


 最後に見た時と変わらない笑みを浮かべる天上。

 なんとも痛ましく感じ、冬月が目をそらした。

 今の力があれば、どうにかすることもできただろうに、と心が痛む。


「あ、冬月ちゃんがそんなに気にしなくていいんだよ。冬月ちゃんが悪いわけではないんだから」

「そうはいっても……」

「もーう」


 切れ目の長い目を伏せ、沈痛な顔をする冬月を見て、天上が無理矢理、風呂の中に入って来る。

 小柄な二人とはいえ、一坪タイプの小さな風呂に二人も入れば、容量いっぱいいっぱいだ。


「狭いんだけど」

「あははは、本当だね」

「まったく……変わらないな、天上は」

「冬月ちゃんは変わったね」

「……そうだ、いろいろあったからな」

「よしよし、天上ちゃんの胸の中でいろいろと吐き出しちゃないさない」

「なんだよ、それ」


 天上が冬月の頭を抱え込み、頭を撫でる。

 最初は押して抵抗していた冬月であるが、その温かさに、次第に受け入れ、黙りこくってしまった。


「よしよし、頑張ったねー」

「あんたはあたしの何だよ」

「友人かなー」

「まったく……」


 天上に抱き締められ、冬月は久々に安堵の感情を思い出すのだった。



「すっかりのぼせちゃったねー」

「誰のせいだ誰の」

「あははは……」


 天上は冬月から借りたパジャマを羽織っている。

 双方ともに小柄であるが、冬月よりは天上のほうが身長がある。

 そのため、天上の羽織っているパジャマは少し小さく白い素肌が所々みえていた。

 うなじ部分が見え、冬月が喉をならす。

 噛みつき、血を飲みたい。

 携帯していなくても血嵐とは精神的に繋がっているため血への飢餓感は常に存在するのである。

 冬月自身が斬っておいてなんだが、天上の傷口から血の匂いがするのもまずい。目線がそちらへと言ってしまう。

 廃工場で多量の血を飲んでいるため、いつもよりは飢餓感は薄れてはいるが、今後、我慢できるかの自信はない。

 別の家を借りることも検討に入れるべきか、と冬月は悩んでいた。


「……そんなに見なくても、斬られたことは気にしてないよ?」

「え、あ、違う」

「何が違うの?」

「ち、近づくな……!」


 きょとん、とした顔つきで天上が近づいてくる。

 ごくり、と喉がなった。


「んんー? え、どうしたの? 大丈夫?」

「いや、本当に、大丈夫、大丈夫だから……」

「……いやね。その、冬月ちゃんの目つき、吸血鬼さんたちと一緒で……血を欲するのと同じだったから……」

「あたしは吸血鬼じゃない!」

「……ごめん、無神経だった」

「い、いや、いいんだよ」

「ただ、苦しそうなのはわかるから、話せることなら話してほしいなーって」

「…………」


 真剣なまなざしで冬月の目を見る天上。

 梃子でも動かない意志を感じる目だった。

 こうなった天上は本当に頑固であることを冬月は知っていた。


「血嵐は使ってると血を吸いたくなってくるんだ。でも、吸血鬼の真似なんて嫌だ」

「うーん、でも、我慢してるの大変じゃない?」

「それはそうだけど……」

「あたしならいいよ」

「さっきの話を聞いてたの? 血なんて吸いたくないんだけど」

「うん、聞いてたよ。ただ、冬月ちゃんが苦しんでるのもわかるから、あたしが血を吸わせてあげたら緩和できるかなって」

「……それは……ありがたいけど」


 赤い傷口を見て、冬月が生唾を呑んだ。

 美味しそう……というわけではない。

 ただ、砂漠で水もとめてさまよっているような、熱い飢餓感がずっと続いている身からすると、オアシスを見つけたようだった。

 ガリッ、天上が自分の傷口をひっかき血を流す。

 苦悶の表情を浮かべながら、血のにじむ傷口を冬月の前へとかかげる。

 思わず、むしゃぶりたくなり、冬月は顔をそむけた。


「いいよ」

「いや、だから……」


 冬月は顔をそむけながらも、にじみ出る血へと何度か視線を送る。

 腕を伝い、流れる血が天上の白い腕を通り、指先へと滴り落ちて来る。

 天上は血が下たる指先を冬月の唇へと伸ばした。

 血が冬月の唇へと触れた。

 我慢できなくなる冬月が血を舐める。

 

「ごめん、天上……もう我慢できない」


 垂れた血をなめとり、傷口へと接吻をひとつ。

 湿った傷口に舌があたり天上に鈍い痛みが顔をしかめる。

 普段の冬月なら思わず腕をはなしてしまいそうであるが、我慢の限界をむかえた彼女にそのような余裕はない。

 ただ、一心不乱に傷口からこぼれる血を舐め続ける。

 鉄の臭いが口の中に広がり、生温かな液体を喉に流し続けた。

 しばしの間、水っぽい音が響き、冬月が天上から口を離した。 

 唾液の糸が引いている。


「夢中で舐めてたね」

「うるせぇ。……ありがとう」


 冬月が口をぬぐった。

 天上の顔が見づらく、冬月は顔をそらした。

 彼女は頬が少し熱く感じた。


「それでこれからどうするんだ」

「私の家とかまだあるの……?」

「あたしたちが住んでた街、自然災害でなくなったことになったから多分のこってないんじゃなとおもうぞ」

「それじゃあ、冬月ちゃん養って?」

「なっなっなっ、アホか、伝手を紹介してやるからそっちでどうにかしろ」

「冬月ちゃん」

「お、おう」

「いまさら別れるの寂しいよ」

「……いや、あたしがやってることは危ないから近くにいない方がいい」

「何やってるの?」

「……吸血鬼退治だ」

「じゃあ、あたしもそれを手伝うから。むしろ手伝わせて!」

「お前……本気で危ないんだぞ。あたしが常に助けられるかわからないし」

「ずっと家で待っておくのも心配だし、もう離れたくないよ」

「しれっと、家にいるのが前提に話を進めてやがるっ……! 本当にいいのか? 痛いじゃすまないぞ」

「うん。一緒にいたいの」

「そ、そうか……」

「それに血に飢えてるの一回で解決しないでしょ? あたしなら飲ませてあげられるからさ」

「……それを話しに出すのは卑怯だ」

「ごめんね」


 冬月がため息を一つ。

 天上がほほ笑んだ。


「あたしも許せないのは同じだからさ、ね」

「厳しくいくからな」


 そして、二人は握手をして笑いあうのだった。


■Side:夏陽 


 冬月ちゃんが刀を抱いて眠っている。

 あの事件以来、冬月ちゃんは刀が近くにないと安心できないらしいね。

 それに痛ましさを感じるけど、本当にあの事件あ地獄だったから気持ちはわかる。

 今で思い出しても体が震えちゃうもん。

 そして、一つだけ冬月ちゃんに謝らないといけない事を思い出し、私は心が痛んだ。

 吸血鬼に捕まり、弄ばれる中で私は一度死んだのだ。

 そして、蘇った。

 彼らが言うには、造血鬼というらしいね。

 吸血鬼として最低限の再生能力ももたない、血を作る能力だけは強くなった血袋みたいなもの。

 それが今の天上夏陽だ。

 造血器になってからは人間だったときよりも派手に損壊されるようになったけど、おかげで冬月ちゃんと再会できてよかった。

 肉体はほとんど人間のままだから吸血鬼と認定されることもなかったからね。

 でも、力を使えば使うほど吸血鬼に近づいて行っちゃうらしいんだ。

 血を吸われるぐらいなら大丈夫だろうけど……これから先はどうなるかわからない。

 でも、一人で行かせるのは心配だし、冬月ちゃん一人が痛い目に合うのはもっと嫌。

 だからついていく。

 でも、今の冬月ちゃんは吸血鬼を殺し続けることで精神を保っているようだから……もし、あたしが吸血鬼になったら受け入れてくれるかな?

 ううん、きっと、そうなってしまったら痛みを残して行っちゃうね。

 でも、それでも、それまではともに居たいと思うのはあたしのエゴで愛なんだ。


「おやすみ、冬月ちゃん」


 彼女の額に軽くキスをして、私も隣で眠りにつくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アマリリス 結晶蜘蛛 @crystal000

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ