第8話 桐島英紀に誘われて
狼のフードを被ったまま川を渡るために橋を渡って、歩道橋を超えて、広場の手前で曲がって。十分もしないで目的地の市立図書館に辿り着いた。
自転車から降りて建物全体を見上げてみた。
「おぉ、ここが......」
「こっちにあまり来ないとはいえそんなに珍しいものでもないだろ」
古谷はそう言うけど私にとっては少しだけ新鮮だった。川を挟んでハイハイがある方は少し落ち着いた様子の住宅街って感じだけど、こっちの駅の方はまるで違う。道は広いしビルは高いしいろんなものが近代的。当然市立図書館も一般的なデザインとは違う建物だった。
「とりあえず裏の駐輪場まで行こーぜ」
「あっ、うん」
物珍し気に見ていた私と対照的に古谷はすたすたと建物の奥の方に歩いて自転車を押していった。
「ねー、古谷」
「なんだ?」
「お昼ってどうするの?」
すると古谷が足を止めて私の方をじっと見てきた。
「......もうお腹空いたのか?」
「ち、違うよっ!その、気になっただけというか、何というか......。とにかく、そういうこと!」
まるで私が食いしん坊みたいな言い方じゃん。いくら古谷だからってそんな風に思われたら嫌だよ。
「いや、寝坊して急いで準備してたから朝飯を食べてないんかなぁって思って......」
「......」
古谷はそう言ってまたとぼとぼ歩きだした。
お腹が空いているのは確かだったけれど、今は古谷の気遣いごと突っぱねてしまったことに申し訳なさを覚えるばかりだった。
「......寝坊してごめんなさい」
「なんで急に謝るんだ?」
私もよくわからないままそんなことを言っていた。
それにしても、古谷はここでどんなことを私に教えてくれるんだろう。
そんなことを考えながら建物に隣接している立体駐車場の下までやってきた。
「さて、図書館に着いたらまずは......おっ、いたいた」
「ん?どうしたの、古谷?」
駐輪場の中に入った瞬間、突然古谷は足を止めてしまった。
すると視線の先には古谷ほどじゃないけど背の高い特徴的な髪形をした男子が自転車のそばに立ってスマホを覗き込んでいた。
赤いスニーカーに重そうな黒い革ジャン、そしてデニム生地のズボン。一見するとライダーのようにも見えたけど、その自転車はボロボロなママチャリだった。
するとその男子は私たちに気付いたのか顔を上げて、
「ん?――あぁ、なんか聞いたことある声だなーって思ったら古谷じゃん。お前もここにって、え?」
まるで不可思議な現象を目の当たりにしたみたいな表情でその人は古谷を見た後隣の私を見てもう一度古谷の方を見た。
一方古谷は真面目そうな面持ちでその男子を見ていた。
「えーと、古谷の知り合い?」
「そう。そうなんだけど、その前に」
すると古谷は自転車をその場に止めて長髪を後ろで一纏めにした男子のもとへと歩いていった。
気づけばその男子の表情はいつの間にか驚愕から怒りのようなものへと移り変わっていた。
「お、おい古谷、俺は聞いてないぞ!お前に......お前にこんな綺麗で可愛い彼女がいただなんて!てめぇ裏切りやがったな!くっ、くそぉ!」
その男子は自分の自転車のハンドルに八つ当たりするように拳を叩きつけながらそう言っていた。
「何だよ、前に『古谷に彼女ができた時は盛大に祝ってやるよ。まぁ、できたらの話だがなッ!ハッ!』って散々煽ってきていたくせに。てか、男女が一緒にいるだけで付き合ってるってどんな思考回路をしてるんだっつーの。――そういうことで桐島、お前は一つ勘違いをしている」
古谷は指を立てて桐島という男子の前で立ち止まった。
勘違いというのは多分私が古谷の彼女じゃないのに彼女だと思っていることを指しているんだろう。
「......何だよ。俺は何を勘違いしていると?」
「ふっ、喜べ桐島。ここにいる女子は決して俺の彼女では――」
「い、いいえ彼女ですっ!」
「......は?」
――あっ、否定したら面白いかなーと思ってたらつい変なことを口走っちゃった。
「「....................................」」
私の突然の一言で、二人はこっちを見たまま唖然とした表情で固まってしまった。
桐島って人は私が突然大きな声を出したことに驚いているみたいだったし、それ以上に古谷は今まで見たこともないような顔を私に向けていた。――『やりやがったなコイツ!?』、みたいな表情。
「あ、有佐!?なんで急にそんなことを――」
「......おい、古谷。さっきお前は俺に対してあの子が彼女じゃないって言おうとしたよな?」
「えっ、いや、まぁ......」
古谷は近づいてくる桐島の方を恐る恐る振り返った。
「はぁ。――俺はお前のことを心の底から軽蔑するわ。いや、漢として失格だぁお前は。俺ら彼女無し同盟からの非難を恐れて彼女の前で嘘を吐くだなんて。本当に、ゴミクズだおめぇは。ああ、ゴミクズゴミクズ。社会の敵、女の敵、俺たちの敵。くそ野郎もくそ野郎。恥を知れ恥を。お前が恥だ、古谷。恥の擬人化だ、古谷。同じ『ひでき』の名を有する者として俺まで恥ずかしいわ」
桐島からのブツブツと呪言のような静かな罵倒を古谷はこれまた何とも言えない面白い表情で受け止めていた。
「はぁ......」
――何だか古谷が私のことをすっごく睨んでいるような!?そうなって当然のことを私はしちゃったのだけど。
「......桐島、俺に言いたいことはそれまでか?」
「あぁ。これくらいにしてやらねぇとお前の彼女に嫌われるかもしれないからな。もう嫌われてるかもだけど」
すると桐島は私の方を見てきた。
「えーと、どうも。『桐島英紀』って言います。その、ごめんな。彼氏を、古谷をメッタメタに罵って」
先ほどの静かな罵倒から一転して、桐島はまるで私の機嫌を伺うように時々視線を外しながらそう言ってきた。
「あっ、どうも。私は有佐途乃香って言います。でも、ほんと酷いと思います!古谷が!」
「えっ、俺!?なんで!?」
内心古谷には申し訳なさでいっぱいだったのに、戸惑う古谷が珍しくて面白いせいで何故か自制心が利かなかった。
「だよなぁ。ほら古谷、彼女もそう言ってるぞ」
桐島は腕を組みながら古谷に向けてそう言った。
「だから!俺と有佐はそういう関係じゃ――」
「いいえ、私たちはラブラブなカップルです!」
腰に手を当てて堂々と宣言した。
「だ、か、ら!なんでそんなことを......。今日の有佐おかしいぞ!?」
どうしよう、自分でもおかしいとわかってるのに古谷をからかうのがやめられない。ゾクゾクするというか、何だか物凄く癖になるというか、とにかくいつも私のことをわかり切ったみたいな態度をしてくる古谷の上に立てているみたいで気分がいい!
「ああ。有佐が、いつもの有佐じゃ絶対しないような艶めかしい笑みを浮かべてる......」
今の私は配下をこき使っているような悪いお姫様の気分。いや、獲物を追い詰めていじめて愉悦に浸ってるいじわるな狼の気分かも。
「ふふっ、そんなことないですよ、古谷さん。でもからかいはここまでにしておきましょう。――ごめんね、古谷、桐島」
一茶番をして私がそう言うと、桐島は不思議そうな顔をした。
「え、なんで俺にまで謝るんだ?」
「私と古谷が付き合っているのは私の嘘だから」
「えっ、付き合っているわけじゃないの?」
「うん、全部私の嘘。古谷と私はただの友達だよ」
すると桐島は私を見た後に確認するように古谷の方を見た。そして古谷は首を縦に振った。
「はぁ、まったく。有佐の言う通り、俺とこいつはお前が思うような関係じゃねぇよ。お前も俺も、この有佐って狼少女に踊らされたってだけだ」
「そうだったのか......。え、じゃあ古谷は彼女がいないってことでいいのか?」
「......こう言うのは悔しいけどそうだ。てか、なんで嬉しそうにしてるんだよ」
桐島は心底嬉しそうな微笑みを古谷に向けていた。憐みのような、同情のような、煽っているような。
「何だよ。ここは彼女無し同盟の一員の身の潔白が証明されたことを喜べよ」
「いーや、喜ばんし許さん。俺はお前に女子の友達がいるという事実を許さない。最近付き合いが悪いと思ってらそういうことだったんだな。俺たちよりも、女の子と遊ぶ方が何倍も楽しいよなぁ、そりゃ」
「今日のお前もいつもと様子が違って変だぞ?どした?」
古谷はそう言いながら自転車を駐輪スペースへと押していったので、私も続くように自転車を押していった。
「毎日人とのかかわりが少なすぎて暇なんだよ。察しろ」
「あー、そう言えばお前ハイハイの通信制に転入したもんな。よかったな、俺と、そこのとんでも狼少女と話せて」
向けられて当然の呆れたような細い眼差しを古谷から向けられた。もう今の私は二人を困惑させてしまった罪深き女なんだ。どんな言葉も態度も受け止めよう。
「とんでも狼少女......。まぁ、確かにとんでもないな。でも、面白い奴だな」
興味深そうに笑みを浮かべながら桐島が私のことを見てきた。
「ふ、普段の私は違うからね!今日はいつも私のことを知り尽くしているみたいな態度をとってる古谷に一矢報いたかったというか......」
「えっ、古谷お前きもっ」
桐島が冷たい眼差しを古谷に突き刺した。
「うるせぇな!ってか、もしかして今までの俺ってキモかった!?」
私は全力で首を横に振って否定した。
「そんなことないよ!だって古谷は今日の約束を寝坊して遅れちゃった私のことを心配してくれたし、気遣いだってできるし、それに......」
「それに?」
「それに!私のことをよく見てくれているというか、何というか......」
「......そっか」
どうしよう、すっごく気まずい空気になっちゃった。古谷は黙るし、私もなんて言えばいいのかわからなくなっちゃってるし、桐島は静かに微笑ましそうな表情で私たちのことを見てるし。
そう思っていると桐島が腕を組んで前に出た。
「......まぁなんだ有佐。突然だけど、俺からお前に一つ提案がある」
口を開いたのは桐島だった。
「提案?」
「そうだ。丁度いい、俺たちはお前のようなやつを探していたところだ」
「な、なになに?どういうこと......?」
じりじりと歩み寄る桐島が丁度私の真横に来た時。桐島は横目で私の目を見て、そして、
「――俺たちと一緒に、この不可解な街の謎を解き明かしてみないか?」
「..................へ?」
――この不可解な街の、謎?
何だか物凄くキリっとした決め台詞みたいな感じで桐島はそう言ったのだけれど、私には何が何だかさっぱり。
「......そんな反応されると俺も困るんだが」
桐島にそう言われてもなんて言葉を返せばいいのか全く分からない。えーと、中二病みたいな返事をした方がいいのかな?
「いや、今のはどう考えたって桐島の言い方が悪いだろ」
「まぁ、それはそうでしかないんだけど。――とにかく、だ。俺はこの街が少しおかしいと思ってるんさ」
私の気持ちを置いてきぼりにするように桐島は続けた。
「けど皆はそのことについて何も疑問に思っていないんだ。例えば、ほら」
すると桐島は自分の耳を指した。よく見ると銀色の小さなピアスが付けられていた。
「そのピアスがどうしたの?」
「あぁ、ピアスのことじゃない。俺が言いたいのは耳についてのことだ。有佐はこの耳のほかに動物のような耳が生えていたら変だと思わないか?」
「それはそうだけど......。でもそれって普通のことなんじゃないの?」
人には人の耳が付いていて、動物のものが付くなんてあり得ない。当たり前のことだと思ったけど、桐島は首を横に振って否定した。
「確かに『普通』はそうなのかもしれねぇけど、実はいくつかの本の中ではそうじゃなかったりするんだ」
「えっ、でも本って物語とかでしょ?それならそんなことがあっても不思議じゃなくない?」
これまた当たり前のことを言っているように思えたけど、桐島は指を振って否定した。
「物語、小説とかだったら確かにそうかもな。だけど自叙伝、ありのままの自分の生き様を書いた本の中には、その時の一般的な記録とは違った事象が書き込まれていることもあるんだ。――書かれたのは同じ年代の出来事のはずなのに、作者によってこの現実じゃあり得ないことが書かれていることがある。だけど不思議なことにその不可思議な現実を書いている作者たちは全員共通して同じことを事実として書いている。変だと思わないか?」
「え、ええと......」
言っていることが難しくてよく理解できたかわからないけど、とにかく本によって書かれた現実の内容が違うことがあるってことだけはわかった。
「まぁ、桐島が言ったことの内容は実際に目で見た方がわかりやすいだろうから、早く図書館に行こうぜ」
「あぁ、それもそうだな。その方がいいかも」
男子二人は顔を見合わせてそう言って体を建物の方へと向けた。
「そんじゃ行こうか。ほら、有佐」
「あっ、うん」
――よくわからないけど、何だか面白そうなことが始まったのかも?
一切の状況がよくわからないまま、私は二人の背の高い男子の後をついていった。
建物の裏口から中へと入ると、ほんの少しだけひんやりとした空気が私たちを出迎えた。
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