第七幕 鵬翼に、願う。

 ――鵬翼に、願う。


 アナの掌が彼女の正面で合わさる。それと同時に、<天使>増殖プラントたる繭の中に“裁きの光”が降り注ぐ。眩い光柱は包んだ<天使>の悉くを無に帰し、葬り去った。まさに圧倒的な制圧力。

 しかし、敵の物量はそれすらも上回る程の勢いだった。軍勢に穴が開いたそばから周囲の<天使>がそれを埋め尽くす。屠っても屠ってもキリがない状態だった。

 当然、“裁きの光”を越えてやってくる<天使>が増える。その討伐にあたるフェリ、リゼ、キノ。

 フェリの“空気振動”によって身体を二つに裂かれるもの、リゼの“発火”によって光輪を燃やされるもの、“隠密”によって姿を隠したキノに背後をつかれるもの。セラの管制によって最高効率の動きで連携する三体によって<天使>は次から次へと撃ち落されていく。

 「リゼさん、上層からの敵をお願いします。フェリさんとキノさんは下からの進攻を防いでください。ここまで来たものに対しては私が処理しますので、深追いはしないように」

 「了解!」

 セラの指示に従い、リゼは兵装変換コンバートされた2枚の翼で繭の中央から上へ飛んだ。その間にも幾条もの“裁きの光”による光柱が降り注ぐ。

 「これだけ間引いてくれてるなら、やりますか」

 “発火”能力。リゼが念じれば炎が生じる。リゼは自身の翼に炎を纏わせた。そのまま飛翔。光柱を縫うようにして飛び回る。翼からは火の粉にしては大きすぎる程の炎の塊が辺りに撒き散らされ、触れた<天使>を、壁をそして空気を焼き始めた。

 もともと空間が然程広くなかったこともあり、“裁きの光”と炎の翼によって繭上層の<天使>はその勢いを失くしていた。

 「これなら、押し切れる……!」

 希望を見出し、リゼは更に飛ぶ。上へ、上へ、上へ。そう、まるで天地を逆しまにした蟻地獄に蟻が吸い込まれていくかのように。


 一方、同じく“裁きの光”から漏れた<天使>を処理しながら下層へと向かったフェリとキノは、漸くその最下部、すなわち地面へと到達していた。もっとも、光柱によって照らし出されたその場所には、白しか見られなかったのだが。

 「ねぇ、キノすけ。あれ全部、<天使>?」

 「そうだろうな。しかも、上にいた出来損ないとは違う。ここにいるのは、既に完成された<天使>だ」

 そこには、あたり一帯を埋め尽くさんばかりの<天使>の大群が犇めき合っていたのだ。一体、また一体と翼を広げて中層へ向けて飛び立つ。しかし、増殖プラントたるこの繭内部においては、その捨て身とも言える戦法は理にかなっていた。

 繭が供給している戦力は、アナやその他小隊の面々が削いでいく戦力を大きく上回っていた。断続的に壁から産み落とされる<天使>たち。恐れを知らぬ奴らはすぐさま飛び始める。目標である中層の大敵、アナに向けて。

 「まずいな。奴ら、現状最も撃墜数の多いアナを最優先排除対象にしているようだ。我々を無視して上に向かっている」

 「あんな勢いで進まれたら、セラたんだけじゃ捌き切れないよ。こっちに注意を引き付けないと」

 フェリは言いながら上方へ向けて手を伸ばす。“空気振動”。周囲の空気を震えさせることで気流を乱し、次々と<天使>たちを落下させていく。それが致命傷にはなりえないが、“裁きの光”は落下した<天使>たちにも容赦なく降り注ぐ。

 「フェリ、それだけ広範囲・高威力で能力を行使するともたないぞ。乱発は控えろ」

 「けど、あのままじゃアナぽんが!」

 「私もいる。……見ていろ」

 キノは短く答えると、右手で自らの左手の小指を握り締めた。

 「兵装変換コンバート

 そして、次に分かたれた右手には鉛色の小さな円筒状の物体がおさめられていた。

 「キノすけ、まさか!?」

 フェリはすぐにキノが何をしたかを悟り、彼女の左腕を掴んだ。そして、視線を腕の先へ滑らせるとそこには、小指のない掌があった。

 「指1本をまるまる兵装変換コンバートしたの!? そんな無茶なこと」

 「問題ない。帰還すればメンテナンスしてもらえる。それに、この状況を打破するには、少々の犠牲は致し方あるまい」

 「けど、まだフェリちゃんも戦えるし」

 「指ならば、あと9本もある。だが、お前のあの力はそれ以上の使用には耐えられない。効率を考えた結果だ」

 そこまで言うと、フェリの返事を聞かず、キノは飛び立った。

 キノが兵装変換コンバートのエキスパートであることは、普段の訓練で分かっていたことだった。キノの固有能力は強力ではあるものの、一対多の戦闘が基本となる生体人形バイオ・パペットにとっては少々相性が悪いと言わざるを得なかった。セラほどとまではいかずとも、十分古参であるキノがここまで生き残ってこられたのは、その固有能力の弱点を補うべく、不断の努力を重ねてきた成果であった。

 そのキノが指を犠牲にして作り出した兵器。それは、単なる小型爆弾だった。とはいえ、それは<生体人形バイオ・パペット>が自身を糧に錬成した品。その破壊力の凄まじさは想像に難くない。

 そして、キノが“隠密”によって姿を消して飛び去ってから暫くの後。周囲は閃光に包まれた。次いで、爆音と衝撃波。中層へ向けて飛翔していた数多の<天使>たちはキノの指を用いた爆弾によって木端微塵に吹き飛んだのだ。

 しかしそれでも尚、敵の出現は留まるところを知らず、更に上へ上へと進攻を続けていく。

 「あの爆発でも、一瞬殲滅することができるだけ、か」

 “隠密”を解いてフェリの隣に降りたったキノが忌々しげに吐き捨てる。その声には未だ諦めの色はなかったが、フェリもキノも現状をどうやって打破すればよいのか頭を悩ませていた。

 「ねぇ、いっそのことアナぽんたちも下に降りて来てもらった方がよくないかな? あんな中途半端な高さから侵入しちゃったからそこを起点にしてたけど、出られなくなっちゃった今、あそこに陣取る意味ってないと思うんだけど」

 「……確かに、な。この距離ならば、今の話、セラには伝わっているはずだ。あいつがその方がいいと判断すれば、そうするだろう」

 「うん。とにかく今は、少しでも上へ向かう<天使>を撃ち落さないと、だね」

 フェリとキノは顔を見合わせると軽く頷き合い、中層へと向かう<天使>の群れへと再び飛び立った。


 「アナさん、私も先ほどのフェリさんの意見に賛成です。下へ降りましょう。想定していたよりも敵の数が多すぎます。貴女にも疲労の色が見えます。私たちが分断されているこの状況は危険です」

 「分かったよ、セラちゃん。力を使い続けて、流石にちょっとしんどくなってきてたから。けど、上に行ったリゼちゃんはどうしよう?」

 「私が連れてきます。アナさんなら、お一人でフェリさんたちと合流することは可能でしょう?」

 「私は、多分大丈夫だけど、セラちゃんは……」

 「問題ありません。上層の方が敵の密度は低い。リゼさんと合流した後は速やかに離脱しますので」

 セラはそう自信ありげに言ったが、アナはやはりまだ心配なようで視線が落ち着かない。しかし、アナとてこれまで戦い抜いてきた経験がある。ここでどうすべきが最良なのかは分かっていた。だから、後ろ髪を引かれる思いでセラに向けて頷くしかなかった。

 「何かあったと分かったら、すぐ助けに行くからね」

 「……早く行ってください、アナさん。生き残るためには貴女の力が必ず要ります」

 「うん、わかってる。でも、必要なのはセラちゃんもだから、ね」

 そしてアナは下層へ、セラは上層へと羽搏いたのだった。


 上層では、リゼが敵のほとんどを焼き尽くしてしまっていた。結果として、リゼは繭の最上部にまで辿り着いていた。――否、辿り着かされてしまっていた。

 最初は、思いの外ことがうまく進んで得意になっていた。しかし途中から、どこかおかしいと感じるようになっていた。上部から降ってくる敵の勢いが穏やかであることに。そして、自身の下方からの敵の攻撃が激しいことに。

 徐々に上へと押し込まれている。それが確信に変わったのは、最上層へと辿り着き、そこでを見た時だった。

 「あれって……」

 繭の紡錘形の上端。そこからは繭の壁が変質したものであろう、2m程の糸状のものが垂れていた。そしてその先に、リゼが見たものがあった。

 繭や<天使>と同じ色で、人間二人分ほどの大きさをしたそれは、微動だにすることなくただそこにぶら下がっていた。どれもコピーされたかの如く同じ貌をもつ他の<天使>たちとは異なり、それは穏やかな寝顔ともとれる表情をしていた。丸みを帯びたボディラインは幼児のそれとは異なり、胸部が穏やかに膨らんでいる。

 ブリーフィングでのカイムの言葉通り、成人女性のような見た目をしたそれは、<大天使>に違いなかった。

 「なんだってこんなものに出くわしちゃうかなぁ、あたし」

 自らの不運と不注意に悪態をつきながらもリゼは冷静にそれを観察していた。動きはない。敵と相対した時に感じる殺気や寒気も感じない。

 「活動を休止している? エネルギー補給か何かのため、とか?」

 幾つかの仮説を立ててみたが、どれもしっくりこない。そんな折、先日のカイムの言が再び蘇ってきた。

 ――幸い、ここの拠点にはまだ<大天使>は確認されていない。

 確かに、そう言っていた。まだ<大天使>はいない、と。情報は不確かではあっただろうが、あのカイムがこれほどまでに致命的な見落としをすることなどあるのだろうか。

 「だとすれば、考えられるのは……」

 ここで<大天使>が生み出されている。

 「もしそうなら、あれはまだ未完成の個体、ってこと……?」

 仮にそうであるならば。今ここで叩いておかなければ、あれは確実に障害となる。

 そう判断を下したリゼの行動は速かった。すぐさま<大天使>目掛けて全速力で飛び、手から火炎の渦を放った。

 しかし、事態を把握するために止まった一瞬が。撃滅の判断を脳が下して身体に命令を伝達したその刹那が。ごくごく僅かではあるが、しかし決定的な遅れを生んだ。その遅れは既に完成まで秒読みだった<大天使>の錬成を完遂させるには十分な時間だった。

 「燃えろっ!」

 リゼから放たれた猛火はぶら下がる<大天使>を襲い、飲み込んだ。だが、その炎が<大天使>の顔を覆うその瞬間、リゼは確かに見た。その口元が弓形に歪み、恐ろしげな微笑を浮かべるのを。

 「今の、まさか――」

 リゼが言い終えるよりも先に、繭から垂れていた糸が切れた。それは“発火”の炎によって燃えたといった感じではなく、その役目を果たしたと言わんばかりに自ずから千切れたように見えた。

 視線を落とす。そこにあるのは赤の塊。未だ激しく燃えるその炎の中で、<大天使>が何度か蠢く。その後、動かなくなったかと思ったのも束の間、それは開花した。通常の<天使>よりも二回りは大きい2枚の翼が身体を取り巻いていた炎を周囲に撒き散らしながら開いたのだ。

 舞い散る火の粉の中、輝く光輪を頭上に掲げ悠然と佇む<大天使>のその姿はどこか神々しさすら感じさせた。そしてそれと同等、いやそれ以上の悍ましさも。

 「あれが、<大天使>……」

 そう呟いた声に反応したのか、<大天使>はゆっくりとリゼの方を振り向いた。その顔がリゼという獲物を見つけた瞬間、恍惚とした表情を見せた。そして、準備はいい? とでも聞くように軽く首を傾げる。

 飛翔。リゼが身構える隙すら与えない程の速度で<大天使>は突っ込んできた。敵が差し出してきた手は通常の<天使>のように身体を引き裂きその身を喰らおうとするようなものではなく、拳を固めた、殺傷を目的としたものだった。

 真直ぐ繰り出されるその攻撃をリゼは身体を捻らせることで辛うじて回避した。

 「はやっ、てかこれ、当たったら終わりじゃ……」

 横を通り過ぎたその攻撃の風圧で、威力を感じ取ったリゼは恐怖した。一撃でももらえば、即死とはいかないにしてもただでは済むまい。

 一人では危ない。そう感じて下に戻ろうとしたリゼの判断は概ね正しい。だが、遅すぎた。獲物を見つけた<大天使>がせっかくの餌を逃がすはずがなかった。

 離れたリゼとの間の距離を再び一瞬にして詰めた<大天使>はその口を大きく開いていた。そして、周囲に響き渡るのは先刻繭への突入後に聞いた<天使>の叫喚。

 目の前でそれを発せられたリゼは思わず耳を塞ぐ。結果として両手が埋まってしまったリゼの身体へ向けて<大天使>は先程よりは幾らか穏やかなスピードで拳を振るった。

 「か、……はっ……!」

 腹に拳の直撃を受け手吹き飛ばされるリゼの身体。<大天使>はそれに添い寝するかのようにぴたりと張り付いたまま飛び、今度はその拳を振り下ろした。

 反射的に防御姿勢を取ったリゼだったが、その攻撃を防ぎきることなどとてもできず、今度は真下に向けて吹き飛ばされた。

 凄まじい風圧に体勢を立て直すどころか、翼を動かすことすらできずただただ落ちていく。<大天使>の姿は点になり、やがて見えなくなった。下層に近付くにつれ、<天使>の密度が高くなり、時折アナの“裁きの光”が見られるようになった。

 そして――。


 中層を離れたアナは“裁きの光”を駆使することで然程苦労することもなく最下層のフェリとキノに合流していた。

 「とりあえず、ここで耐えるしかないよね。セラちゃんとリゼちゃんも降りてくれば上に向かう<天使>は無視してもいいだろうし」

 「そうなったら、<天使>は全部こっちに向かってくるんじゃないかな?」

 「だとしても、全員で対処すればまだ何とかなるだろう。目的はここの制圧ではなく生存に変わっているのだから」

 アナが下りてきてから、下層での攻防の安定性は目に見えて向上していた。このままであれば、かなり長時間持ちこたえることも出来るに違いない。3体ともそう感じていた矢先だった。

 突如として上からとてつもない勢いで落下してきたものがあった。地面に衝突した鈍い音がする。

 「なっ、なに!?」

 「上層からの攻撃か?」

 「待って、キノさん! 今落ちてきたの……」

 叫ぶアナにつられ、フェリとキノも落下物に目を遣った。

 「リゼっち!」

 硬い繭の床に遥か上空から打ち付けられ、痛みに悶えるリゼがそこに横たわっていた。

 「っ、……か、は……」

 「何があった?」

 「う、……うえ、に……だ、だい……て、んし……が……」

 「上に<大天使>、だと……。っ! 全員気をつけろ、更に来るぞ――」

 キノの言葉が終わらぬうちに、全員の背後にはそれが現れていた。

 「まさか、あれが……」

 「<大天使>なの……?」

 降り立った<大天使>は不気味な微笑を湛えたまま健在の3体の生体人形バイオ・パペットたちに相対した。

 <大天使>はこちらを気にも留めていないのか、ただゆっくりと首を傾げる。そして、2枚の翼を大きくはためかせて再び僅かに宙に浮いた。

 更に上空に控える大勢の<天使>たちを背景に翼を大きく広げたその姿は見る者に恐怖と絶望を植え付けるには十分すぎる程悍ましく、また神々しかった。

 「何もさせないよ、私がすぐに消し去る!」

 アナが上げた大きな声に合わせて<大天使>めがけ“裁きの光”が降り注ぐ。通常の個体よりも大きな体ではあったが、光はその全身を包み込む。<天使>の身体を浄化し、敵を滅する光。これに触れたそばから<天使>は消え去っていくのだ。

 しかし、その“裁きの光”から白いかいなが現れた。

 「そんな!」

 短く漏れるアナの悲鳴。続いてフェリとキノの驚く声も辺りに木霊する。その間も腕は何かを求めるかのように光の外へ外へと伸ばされていく。そしてそんな腕の求めに応じるかのごとく上空から無数の<天使>たちが群がってきた。

 “裁きの光”に焼かれることを厭いもせず、まるで母を求める幼子のように敵は群れ集まっていく。そして腕に触れた個体は必死に“裁きの光”から引っ張り出そうとしているようだった。

 「もしかして、外に出そうとしてるのっ? そんなこと、させない!」

 フェリの力によって空気が震え、腕に群がる白い敵たちが次々に引き剝がされていく。しかし、敵の数に押されて徐々に腕が見えなくなる。そして次の瞬間――。

 眩い光が辺りに流星群のごとく飛び散り、“裁きの光”による光柱は弾け飛んだ。

 “裁きの光”から解放され、悠然とその場に佇立する<大天使>。その周囲には飛散した光の残滓に巻き込まれ身体の一部が欠損してしまった<天使>が溢れかえっていた。既に活動を停止したそれらは繭の床に融け込んで消えていく。その様子は、死んだ<天使>をもとに新たなる敵が作り出されていることを如実に物語っていた。

 「死した味方すら再利用とはな……。いや、奴らに敵味方の概念そのものが存在しない、か」 

 そうぼやいたキノの前にアナが歩み出た。

 「みんな、聞いて。さっきの私の攻撃なんだけど、間違いなく直撃していたんだ。手応えもあった。けど、<大天使>は今見て分かる通り無傷」

 「それって、どういうこと? 攻撃が効いている感触はあるのにダメージは与えられていない、ってこと?」

 フェリの質問にアナは小さく頷いてみせた。

 「多分、“裁きの光”で身体が消滅するより先に、再生しているんだと思う。だから、強引に光の中から出て来ることもできたんじゃないかな」

 “裁きの光”はその性質上、<天使>の身体の表面から徐々に滅していく。通常個体であればそれにかかる時間はごく僅かだが、<大天使>相手では一瞬でそれを済ませることはアナの力をもってしても不可能だった。そして、<大天使>はその滅却のペース以上の速度で再生しているに違いない、とアナは語った。

 「再生って、それじゃあ、あんなのどうやって倒せっていうの!?」

 フェリの悲痛な叫びに答える声はない。小隊の間には確かに絶望感が漂っていた。

 「っ! 来るぞっ!」

 キノの注意が響いた刹那、<大天使>は活動を再開した。まばたきする間にも敵はキノの懐に潜り込む。そうして、先刻リゼを上層から撃ち落した拳を再び振るってきた。

 身体を捻り、間一髪でそれを躱したキノはそのまま流れるような体捌きで距離を離す。そして、それを追撃しようと前を向いた<大天使>の眼前にキノの置き土産が舞っていた。それは、3本の指。兵装変換コンバートによって作り出された小型の高性能爆弾は同時に爆ぜた。

 「すぐに出てきます、気を付けて!」

 そのアナの叫びと同時に、爆炎を飛び抜けてきた<大天使>は、今度はフェリの方へと突っ込んできていた。

 「そっちへ行ったぞ、フェリ!」

 「分かってるって!」

 開いた両足を地につけ、フェリは両手を前に突き出す恰好をとっていた。繭の内部だというのに、烈風を呼び起こし身体を貫かんと<大天使>に襲い掛かったフェリ渾身の一撃は繭から生えてきた<天使>の雑兵という肉壁に阻まれ、<大天使>に届く前に虚しくも打ち消されてしまう。

 「そんな……」

 息を飲むフェリのもとに<大天使>の拳が迫る。思わず目を瞑るフェリだったが、<大天使>の身体はすんでのところで降り注いだ“裁きの光”に覆われていた。

 「フェリちゃん、一旦離れて!」

 アナの声にはっとしたフェリがすぐさま飛びのく。その一瞬の後には光から抜け出た敵がその場に突っ込み、地面に穴を穿っていた。

 「あっぶなかったー……。アナぽん、ありがと!」

 「余所見をするな、すぐに来るぞ!」

 敵は攻撃が当たらなかったことに納得がいっていないのか、首を傾げていた。そして、逃れたフェリの方を見ると突如としてその口を開き、吠えた。

 辺り一帯に響き渡る甲高い鳴き声は、聞く者が思わず耳を塞いで顔をしかめてしまうほどで、その一瞬の怯みは戦場においては致命傷へと繋ぎかねないものだった。そして、これまで突撃一辺倒だった<大天使>が広範囲に影響を及ぼす行為にはしったことは、その場の全員にとって予想外だった。

 その結果、生じるのは隙。そしてその隙に狙われたのは、先の攻撃を防ぐ契機を作ったアナだった。

 アナぽん――!!

 この時アナは自身の最期を悟っていた。だから、その叫びを知覚することもできていなければ、数瞬の後にも痛みが襲って来ないことに気づきもしなかった。時間にして一秒にも満たない程ではあったが、それでも戦場では長いと言わざるを得ないその時間を経て漸く、アナは目の前の状況を把握することができた。

 <大天使>の拳に貫かれた腹とそこから大量に漏れ出る血。そして、その上で苦痛に歪む顔を見せるフェリだった。

 「フェリちゃん!!」

 <大天使>の腕がフェリの身体から抜かれ、鮮血が噴き出す。フェリの身体はそのままアナに向かって頽れてきた。それを抱きかかえるアナは、その身体から生命の鼓動が、カレイサスの力が、急速に失われていっていることを感じた。もう、助けられないと、理解してしまった。

 「フェリちゃん、フェリちゃん! どうして、こんなことを……」

 「……ふ、ふぇ、りは……お、おと、を、むこ、うに……でき…る、から……」

 フェリは空気振動を使って<大天使>の叫喚を和らげていたのだろう、とフェリが動くことができた理由をアナは悟った。しかし、そんなことは、今のアナにとってはどうでもいいことであった。

 「どうして、私なんかのために……」

 涙が頬を伝い、フェリの顔に落ちていく。その刺激にフェリが反応することはなく、ただ同じ調子で言葉を紡いだ。

 「これから、さき……あな、ぽ、んは……ぜ、たい、ひ、ひつ……よ…だか…ら……」

 「それはフェリちゃんも同じでしょう!?」

 「う、ううん……。ひ、ひと……を、みちび、ける……の、は……あ、なぽん、だけ……。ふぇ、り、が……がんば、ろって…おもえ、た……の、も…あ、あな、ぽんの……おかげ、だから……」

 フェリは息も絶え絶えになりながら、手をアナへと向けて伸ばし、言葉を紡ぐ。

 「でも、それでも、こんな……」

 「ねぇ……。い、きて……」

 そして、アナへと向けられた手は遂に届くことなく地へと落ちていった。

 「フェリ、ちゃん……? いや……いや、いやあああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 頭を抱え、絶叫するアナ。

 しかし、ここは戦場だった。

 フェリとアナの2体が動けなくなっていたために、一対一の戦いを強いられていたキノだったが、健闘虚しくちょうどアナのすぐ傍に吹き飛ばされてきた。

 「くっ……、化け物め。……アナ、しっかりしろ。あれを倒さなければ、フェリの死すら無駄になるぞ! ……っ、しまった……」

 アナの方へ顔を向けたキノの注意は一瞬、<大天使>から逸らされてしまった。そしてその刹那の間隙を縫って敵はキノの目の前に移動してきていた。

 「くっそ……」

 歯がみするキノだったが、身体が言うことをきかないでいた。そして、敵の拳が振り上げられる――。

 「しゃきっと、しなさいっての!!」

 轟いたのは、未だ立ち上がることができないでいたリゼの声。そして、リゼは地に倒れ伏したまま力を行使していた。

 <大天使>を紅蓮の柱が覆い尽くす。“発火”の力を最大限に利用した攻撃は“裁きの光”による光柱以上の高火力でもって<大天使>を焼き始める。しかしそれでも敵の動きは止まらず、炎に包まれたまま動きを再開させる。

 だが、既にキノは再び動き始めるまでに落ち着きを取り戻していた。

 「これでも、くらえ!!」

 キノは自らの左腕をすべて兵装変換コンバートさせた。腕からは青白色の流体が細長い槍状の形をとって幾本も伸び、<大天使>の身体を貫いた。更に、流体は敵の身体の表面を駆け巡り、鎖のように敵を縛り上げる。流石の<大天使>もその動きを止め、逃れようともがき始めた。

 「アナ! なんでフェリがあんたを助けたと思ってんの。あんたを生かすため、あんたが<天使>を全部倒してくれるって信じてたからじゃないの?」

 「あれだけ衝突していたお前に託して逝ったその意味、お前に分からない筈がないだろう、アナ?」

 「リゼちゃん、キノさん……」

 両者からの叱咤を受け、漸く涙を止めたアナは、抱きかかえるフェリの顔を改めて見た。

 「フェリちゃん、なんて安らかな表情……。私に、任せて逝けた、から……?」

 「そうだ。だからこそ、お前はそれに応える義務がある。そうだろう?」

 「……はい。……ねぇ、フェリちゃん、私、絶対、全部の<天使>を倒すよ。だから、見ててね……」

 そう言って立ち上がったアナは、兵装変換コンバート、と短く呟いた。

 そして広がる2枚の翼。それは、これまで<生体人形バイオパペット>たちが見せてきた純白の翼とは異なり、眩しいほど鮮やかな朱に染まっていた。

 朱の翼をはためかせ、敵との距離をとったアナはその場にフェリの亡骸をそっと横たえた。

 「キノさん、その場から離れてください!」

 呼びかけられたキノは頷くと、敵の前から飛び退った。

 「私が、あれを倒します」

 そう言ったアナの手元に“裁きの光”が集まる。これまで光柱という形でしか顕現させられなかったその力を、アナは更に高みへと昇華させつつあった。

 手元に集まった光は徐々に細長く形をなし、数秒の後には光り輝く弓へと変化していた。アナが正射の構えをとると、弦と矢が同じく“裁きの光”によって形成される。

 「フェリちゃん。フェリちゃんの想いが、私に流れ込んできてるみたいだよ。私は、絶対に、負けない。……行くよ」

 その瞬間、辺りに光が満ち溢れた。それは天然の光。太陽の光。<天使>が築いた繭が破られたのだ。

 そして、アナは弓を引き絞り、未だ動きを封じられている<大天使>目掛けて光の矢を放った。

 矢は真直ぐな軌跡を描き、敵の頭へ向けて飛んでいき、そしてそれを貫いた。

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