第六幕 拠点

 新暦1036年2月25日。それでも世界は歩みを止めませんでした。


 フェリとアナが和解を果たした翌日、一〇七小隊は大統領府横に建設された共和国軍総本部内の会議室に集められていた。

 照明を落とした室内にはスクリーンが設置されており、そこには共和国内の地図が映し出されている。地図には幾つかの赤い点が表示されており、そこに<天使>の拠点が存在していることを示している。

 スクリーン正面に居並ぶ小隊の面々をカイムはじっと見つめる。

 ――この顔ぶりならば問題はない、と信じたいものだが。

 期待と不安が入り混じった表情をする。そんなカイムの顔を見てアイゼンヴォルフは内心驚いていた。遂しばらく前までは<生体人形バイオ・パペット>への後ろめたさから落ち込んだ表情ばかりだったからだ。

 しばらくの後、カイムから目配せを受け、次の発話者が自分であることに思い至り、アイゼンヴォルフは軽く咳ばらいをしてから続ける。

 「というわけで、これらが現状判明している<天使>の拠点だ。これらのうちほとんどにおいて、<大天使>までの存在が確認されている。帝国に近い場所に関しては観測の精度も悪くなるため、規模等の情報に関しては参考程度に留めておくように。……リゼか、どうした?」

 そこまでの話を聞いて手を挙げたリゼを認めてアイゼンヴォルフが発言を促す。

 「えっと、その<大天使>っての、あたし知らないんだけど、それって何なの?」

 覚醒直後から小隊結成などでばたばたしていたせいもあり、まだリゼに<天使>についての詳細を教えていなかったことを思い出し、カイムは呆れた顔を隠しきれなかったアイゼンヴォルフを手で制して会話を引き継いだ。

 「すまない、お前にはまだ説明していなかったな。<大天使>。それは<天使>が進化した、と思われる存在だ。通常、<天使>は光輪と翼をもった人と同じ程度のサイズをした純白の幼児の外見をとる。しかし、一部そこから外れた存在が確認されている。それが<大天使>だ。奴らは2mから3m程の大きさで、<天使>同様純白、成人女性のような見た目をしている」

 「それって、見た目以外に何が違うの?」

 「一言で言えば、強い。動きのパターンなどが通常と異なることはないのだが、初めて<大天使>が確認された日、防衛線にあたっていた正規軍の戦車が4台お釈迦にされた。」

 初めて<大天使>が観測された際のことを思い出す。結局、放棄する羽目になったあの戦域は未だ奴らの支配圏の中になる。部隊はほぼ全滅させられたが、辛うじて生き残った帰還者から入手した記録映像は今思い出すだけでも吐き気を催す。

 突如として戦場に現れた<大天使>は目にもとまらぬ速さで戦車に近付き、まるで卵の殻を割るかの如く戦車の装甲を引き裂き、中の操縦士二人を喰らい尽くしてしまったのだ。

 「それで、アイゼンヴォルフ中将。我々小隊に課せられる任務の具体的内容は?」

 小さな会議室によく響くセラの理知的な声。それとは対照的な野太い声でアイゼンヴォルフが答える。

 「お前たちにやってもらうのは、拠点δの制圧だ」

 地図上の点のうちの一つが点滅する。場所はハイロープの北へ約60km。拠点δは<天使>が跋扈する被支配域のほぼ南端に位置していた。

 「ここを制圧することができれば、そこを我々の拠点として防衛線を築き直すことも可能だろう。人類の反撃の嚆矢とするのだ」

 無論、そこまでうまくいくことは難しいであろうことは当のアイゼンヴォルフは勿論、カイムも理解していることだ。しかし、この作戦が勝利のために必要であることもまた事実だ。

 「幸い、ここの拠点にはまだ<大天使>は確認されていない。通常の<天使>の数も対応可能であると判断し、今回の作戦立案に踏み切ったというわけだ」

 「戦域の地形等の情報はありますか」

 「ああ、拠点δは盆地に形成されている。周囲は全方位を急勾配の岩肌に囲まれているが、盆地の中には低木がいくらか生えているだけでほとんどは乾いた大地が広がっている。まあ、戦場としては比較的戦いやすい地形だろう」

 「なるほど、承知しました。それも踏まえ、具体的な方針を考えましょう」

 流石に歴戦ともなるセラがいると話がとんとん拍子に進む。彼女のこういった能力の高さはカイムのみならず、アイゼンヴォルフも認めるところだ。やはり、彼女を隊長として任命して正解だったなとカイムは安堵したのだった。


 「大統領閣下。今回の作戦、うまくいくとお思いですか」

 ブリーフィングを終え、一〇七小隊の面々が退室したあと、ややあってからアイゼンヴォルフが尋ねてきた。

 「というと? 俺にはあの子たちはうまくやれそうだと、そう思えるが?」

 結局、後半はセラを中心として彼女たちはスムーズに作戦を練り上げていた。昨日のフェリとアナの件もあってか、小隊メンバー間の連携は円滑に進みそうだ。拠点δの制圧任務も滞りなく始められることだろう。ただ一つ、問題があるとすれば――。

 「戦争というものは、往々にして順調にことが運んでいる時にこそ隙が生じ、痛い目を見るものです。何も起きなければいいのですが……」

 懸念は、ある。それは拠点δの異質さ、ともいうべきものだった。まず第一に、この拠点だけが南に突出して作られていた。盆地を利用するためだったといえばそれまでだが、空を飛ぶこともできる<天使>が人類の生存圏に近付いてまでこの場所に拠点を作る根拠がやや乏しい。

 そして、それほど前線に作られた拠点だというのに、<大天使>が一体も確認されていないというのも不審といえば不審だった。

 違和感のどれもが微々たるものであり、普通ならば気にも留めないようなものなのだが、それらがこの大事な任務の時に重なると不安に思えてくるのだ。

 「まあ、今はあの子たちを信じよう。堕ちた我々には、それしかできないのだから……」


 作戦会議から2日後。一〇七小隊の面々は共和国軍の紫紺の軍服を身に纏い、首都ハイロープの北門に集結していた。

 「いよいよ初任務、か……」

 「あっれー、リゼっち。もしかして緊張してる?」

 「えっ!? そ、そりゃ、多少はね。けど、絶対に成功するって自信もあるから」

 「そうだよね、私たちならきっと大丈夫。みんなで帰ってこようね」

 3人の声には緊張もあるが、リゼの言葉通り揺るぎない自信と信念も感じられる。やや離れたところで待機するキノもいつも通りのすまし顔だ。

 そんな様子を少し微笑ましく感じつつ眺めていたカイムの前に小隊長たるセラがやってきた。

 「それでは、出発します」

 「ああ。……無茶はするな。だが、任務の成功は可能な限り優先しろ。いいな」

 やや突き放したような言い方になってしまったが、セラは何も言わずただ頷くだけだった。

 ――死ぬな、とは言わない。

 これがカイムが決めたことだった。彼女らの死は悲しいし、できることならば避けたい。だが、共和国を守るため、<生体人形バイオ・パペット>という犠牲を敷くことを選んだ自分たちは、それを選ぶ覚悟も必要だ。

 つくづく残酷な悪魔に成り果てたものだ、とカイムは内心自嘲した。

 「一〇七小隊の皆さん、行きますよ」

 そのセラの号令とともにたった5体の<生体人形バイオ・パペット>たちは兵装変換コンバートによって背中の表皮を変質させた純白の翼を広げ、飛び立っていった。

 残されたカイムは一人、朝焼けに横顔を照らされながら北へと向かう5つの影をもう見えなくなるまで眺め続けたのだった。


 太陽が南中するころ、一〇七小隊は盆地の前までは特に問題もなく行軍することができていた。

 緑のほとんどない荒野の中に、蟻地獄のようにその口を開ける盆地は自然が作り出した不思議な光景だった。情報通りの急斜面には時折低木が岩肌の隙間から生えてはいるが、大きくは成長できないようでその数も少ない。

 しかし底まで目をやればそこには草原が広がっているという、これもまた不可思議な景色である。そこまで下りていく野生動物も滅多といないか、いたとしても再び上まで上ることができないのだろう、斜面から吹き下ろす風に揺れる草は伸び伸びとしているように見受けられる。

 そして、半径5kmはあろうかというほどの広大な土地のその中央にそれはあった。。まさにそう形容するのが相応しく思われる白い紡錘形の物体は、首都にある地上30階建ての電波塔ほどの高さがあり、その規模の大きさに圧倒される。

 「さて、こっからが本番、って感じよね」

 「はい。しかし作戦は練ってありますから、まずはその通りに行動するだけです」

 そう言ってセラが目配せをすると、キノは短く頷き姿を消した。キノの固有能力、“隠密”である。

 「まずは、キノさんに拠点δ、あの繭に接近してもらい情報を取集する。その後、私たちもそこまで誘導してもらい、中に突入、そのまま<天使>を駆逐する。この作戦、うまくいくといいんですが」

 「だいじょーぶだって、アナぽんは心配性なんだから。あんまりガチガチに作戦固めたって、頭を固くしちゃうだけだよ?」

 「うん、そう、だよね。中がどうなっているかまでは分からないんだから、臨機応変に行動しないとね」

 こうして姿を潜めている間にも、数多の<天使>があの繭を出入りしている様子が確認されていた。実際に間近で<天使>を初めて見たリゼはいよいよ緊張が高まってきていた。

 「落ち着け、大丈夫だ、あたし」

 そう自らに言い聞かせて心の安定を図る。他の面々は流石に戦場自体には慣れてはいるようであるが、それでも皆それぞれに気持ちを切り替えているようだ。

 あれだけの決闘をやってのけたフェリやアナも自分と同じようにナーバスになっていることを感じ取り、リゼは少しリラックスするのを感じられた。

 「さあ、キノさんからの合図が来ましたよ。行きましょうか」

 繭に到達したキノが決められたパターンで地面を叩く。それを“探知強化”によって研ぎ澄まされた感覚を持つセラが受け取り、彼女が辿った道を追う。当初の予定は順調に進んでいるようだった。

 結局、キノの通った道を辿り、セラを先頭に4体の<生体人形バイオ・パペット>たちは繭へと無事に辿り着くことが出来た。

 間近で見る繭は石膏を思わせるような無機質な質感で、それは<天使>の身体と同じもののようであった。まるで繭が巨大な<天使>のように感じられ、空恐ろしくなってくる。

 「周囲を探ってみたが、入口のようなものは見当たらなかった。恐らく、<天使>にしか通ることはできないのだろう。どうする?」

 他のメンバーが到着するまでに仕事を果たしていたキノがそう報告する。

 「やはり、簡単に内部に突入することはできませんか。致し方ありません。壁を破壊しましょう」

 これも想定の範囲内だった。無論、無茶な作戦であることは間違いないのだが、ここまで来ているのだから多少の無理は通すべきだという結論に至ったのだ。

 そして、繭を破壊する仕事を任されたのは、一点における瞬間火力が最も高いリゼだ。

 「よし、それじゃああたしの炎で穴をこじ開けますか」

 言って立ち上がったリゼが拳を鳴らす。そして目を瞑り全神経を掌に集中させる。

 「――燃えろ!」

 その直後、リゼの掌からは深紅の炎が上がった。矢を思わせる細く鋭い炎は真直ぐに繭へと向かっていき、そしていとも簡単にその壁を打ち抜いた。

 炎に包まれていく繭。それを見て即座にフェリとアナが手榴弾を投げ込む。爆音とともに壁はリゼが空けた穴から崩れ落ち、即席の入口を作り上げることに成功したのだった。

 「カイム様、このまま突入します。共感覚をもってしても連絡が途絶える可能性があるのでご承知おきください」

 カイムの了承を取ったセラは他の面々に視線で合図。5体はそのまま兵装変換コンバートで翼を展開、炎の隙間を縫って穴から中に侵入した。

 「っ!」

 その声にもならない叫びを上げたのは誰であったのか、ともかく全員が息を飲んだ光景がそこには広がっていた。

 壁に埋め込まれているのは無数の<天使>。首や腕や脚や胴や、とにかく身体の一部が欠けていたり、溶けていたりする<天使>が繭の壁を形作っていた。そして、入口近くの壁を作っていた一体の頭上に光輪が浮かび上がる。刹那、その一体は壁を離れ、地面に落下した。

 この繭は、奴らの増殖プラントだ――。

 その光景を目にした五体はその事実を悟る。しかしそれは、今や些事と成り果てていた。

 純白の壁から純白の地面に降りたった純白の敵。その頭がぐるりと回転し、先頭に立っていたリゼを睨めつけた。

 「っ!」

 恐怖。産まれたての<天使>の視線一つで、背筋がぞっとする。それほどまでに、奴らの姿は悍ましく、それゆえに行動への対処が遅れた。

 耳を劈くような叫喚。<天使>は大きな口を開き、可聴域ギリギリの高音を辺りに散らかした。

 「警告アラートか!」

 最も早く気付いたキノが声を上げると同時に槍へと兵装変換コンバートした左腕で<天使>の光輪をその頭ごと打ち砕いた。

 敵の絶叫はぴたりと止んだ。が、時既に遅し。闖入者の存在は瞬く間に繭全体に知らしめられることとなっていた。

 小隊の面々はここで初めて繭の内部の全容を見る。侵入したのは繭の中層。奴らは地面を穿ち、広大な下層を作っていたのだ。下層はさして深くはないようだが、光の射さない内部ではその底を見ることは叶わない。一方上層へは繭が細く尖っていっており、容積自体はさほど大きくないように見える。

 上層から中層、そして下層へと繭の外縁に沿って緩やかな傾斜をもった回廊がなされており、まるで通り道のようになっている。無論、空を飛ぶ<天使>たちにそんなものは必要ないのだが。

 「……来るよ」

 そのフェリの呟きが繭の壁に反響する。声に籠る恐怖と不安がいつまでも残響として耳に張り付く。そしてその声が飲み込まれていく下層から、立ち上っていく上層から、敵は来た。

 どこにこれだけの数が控えていたのだろうか、頭上と眼下を覆い尽くさんばかりの純白の幼児が侵入者に向かってくる。

 “探知強化”によって状況の把握に努めようとしていたセラでさえ、敵の数を数えることを已めた。それに意味のないことを、それどころか戦意を喪失しかねないことを直感的に悟ったからである。

 一旦離脱するべきだと判断したセラは、後ろを振り返り驚愕した。

 「壁が……」

 つられて全員が振り向く。それと同時に、小隊に絶望の空気が流れる。

 繭は、その穴を塞いでいた。穴を塞ぐのはまだ生まれる前の<天使>。どろどろに溶けたその身体で有機的な障壁を形成していた。五体は閉じ込められてしまったのだ。

 すぐさま、リゼが壁に向けて再び炎を放つ。しかし、<天使>の自己再生は速く、穴を開けるには至らない。

 「……これ、生きて帰れるの?」

 「当り前だよ、リゼっちの初任務、これを最後になんか絶対しない!」

 「……まずは私ができるだけ落とすよ。構造体内部だからあまり派手なことはできないけど、討ち漏らした分はみんな、お願い」

 「私はアナさんの側で全員のサポートを行います。フェリさん、リゼさん、キノさんは遊撃を」

 「りょーかい!」

 「やってやろうじゃないの!」

 「承知」

 こうして、隔絶された繭の中で、一〇七小隊の生き残りをかけた死闘が幕を開けた――。

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