第五幕 飛翔

 新暦1036年2月22日。目覚めは一面の銀世界。


 廊下での待ちぼうけにリゼの精神的疲労も高まってきたところで、会議室の扉が開かれた。現れたのは、茫然とした表情のフェリ。普段の天真爛漫さはすっかり鳴りを潜め、鴇色の瞳は伏しがちで暗く見える。

 虚空を見詰めながら歩き去ろうとするその憔悴しきった様子に、声を掛けるのも躊躇われた。

 結局、立ち去るフェリを尻目にして、リゼは会議室の開け放たれた扉をノックしてから部屋の中へと足を踏み入れた。

 中には、頭を抱えて座り込むアナの姿があった。

 「アナ……?」

 「……リゼちゃん」

 「……何が、あったの?」

 リゼの方を向いたアナの表情は酷く弱弱しく、今にも泣きそうに見えた。

 「私、やっちゃった……」

 リゼは、アナの隣に椅子を並べて腰を下ろし、その背をさすってやった。その温もりが原因か、アナは身を震わせ、ゆっくりと先刻までのフェリとの会話の内容を話し始めた。


 アナが全てを話し終わったのは夜の帳が下り、室内に月光が射し込むようになった頃だった。柔らかな月の光を背にして話し終えたアナの姿は神々しささえ感じられ、薄暗い室内に涙を湛えた紫晶の瞳の輝きが揺れる。

 「……まずは、ありがとう。あたしにも、話してくれて」

 「ううん、ずっと、心配して待っててくれたんだもん」

 「アナは、後悔してるの? フェリと揉めちゃったこと」

 「うん。けど、私が言った言葉は取り消せないし、そのつもりもないんだ。それは確かに私が感じている本心だから。でも……。はぁ、最初から分かってはいたつもりだったんだけどなぁ、フェリちゃんは力を純粋に追い求めているだけなんだろう、って」

 アナは大きく息をつき、机に突っ伏した。アナの言う通り、フェリはまだ戦場の底知れぬ醜さを知らないだけなのだろう。しかし、それでもこの問題はアナにとって譲れない一線だった。

 リゼもまた、実際に戦地に赴いたことなどありはしない。彼女が言う戦場の悍ましさなど知る由もない。だが、アナの言い分はあくまで空想の範囲内ではあるが、理解はできる。

 フェリとてそこに考えが至らない程愚かではあるまい。だとすれば、フェリにも何かあるのではないだろうか。力を追求する理由、力を誇示することを厭うアナを嫌う理由が。

 「アナ、今の言葉、ちゃんとフェリに伝えてあげなよ。フェリも、このまま仲違いしたままなのは嫌だって思ってるはずだって」

 アナはただこくりと頷いた。


 4日後。翌日に一〇七小隊初任務の為のブリーフィングが行われることが各メンバーに通達された。

 午後の訓練は再び共和国軍軍事演習場にて行われていた。正規軍の一個小隊を相手にした模擬戦。<天使>の力の前にほぼ全壊状態となってはいたが、大陸でグウェネに次いで長い歴史を誇るグリッグズ共和国の抱える軍隊は決して弱小というわけではなかった。寧ろよく訓練を重ね、こと人間の国相手であれば負けることはほぼない程の強さだ。

 その正規軍を相手にする一〇七小隊の五人。戦況は圧倒的に彼女らの優勢だった。

 「ちっ、これが<生体人形バイオ・パペット>の力かよ。滅茶苦茶じゃねぇか」

 「こんなバケモン相手にどうやったって勝てやしねぇよ」

 「とっととこいつら量産して終わらせてくれねぇかな」

 二人乗りの戦車の中で兵がそうぼやき合っていた。通信を切っての会話で誰にも届いていないと油断していたのだろうか、<生体人形バイオ・パペット>へと吐かれた暴言の数々。

 これが、共和国軍兵士の――恐らくは、共和国一般市民ほとんどの声だった。

 「ったく、好き放題言ってくれちゃってるわね」

 彼らの声はセラの“探知強化”によって全てリゼたちに伝えられていた。

 「あれが、の人の本音です。もっとも、それがどのような声であろうと私たちには関係ありません。私たちが為すべきことはカイム様の手足となりあのお方の掲げる理想の実現を目指すこと。ただその一点に尽きます」

 いつもよりやや饒舌なセラ。彼女にとっても思うところがあるのだろう、心にさざ波が立っているのが伝わってくる。それでもその様子をおくびにも出さないのは流石と言わざるを得ない。

 「……キノ、もういいですよ。それが最後の戦車です。停止させてください」

 「承知」

 短い返事の後、戦車の中からは先程まで会話を聞いていた二人の悲鳴が聞こえてきた。キノが“隠密”によって操縦席にまで移動し、彼らを制圧したのだ。

 「これにて戦闘終了。皆さん、お疲れ様でした」

 セラの呼びかけに応じ、リゼたちは臨戦態勢を解いたのだった。


 「皆、ご苦労だった。セラ、リゼ、キノ。お前たちについては特に作戦遂行にあたり問題なさそうだな」

 先の模擬戦を見物していたカイムが演習場端の軍テントに一〇七小隊を呼び集めて講評をしていた。

 「ありがとうございます。しかし、残る2名が思うような結果を残せなかったのは管理を徹底しきれなかった私の落ち度です。申し訳ございませんでした」

 そう言って深々と頭を下げるセラをリゼが慌てて制した。

 「ちょっとちょっと、セラはこれ以上ないほど頑張ってたでしょ。うまくいかなかったのは、フェリとアナの二人の問題」

 「その通りだ。フェリ、アナ。お前たち二人はもっとうまく連携が取れると思っていたのだがな」

 テント内の隅の方で二人並んでいたフェリとアナに全員の視線が集まる。

 先の模擬戦では二人の活躍は今一つだった。決して足を引っ張ることはなかったのだが、二人の連携に決定的な綻びが見られた。アナが銃火器で敵歩兵の足止めを図るとフェリは銃剣でもっての突貫と衝突してしまった。フェリが“空気振動”で敵装甲車を切り裂こうとすればそこにアナの“裁きの光”が降り注いだ。

 そういったことが続いていたのだ。実際のところ、戦場において戦闘員が味方全員の動きを把握するのは難しい。しかし、そのためにセラのようなサポートが存在するし、人間はコミュニケーションをとることもできる。つまるところ、フェリとアナには明確なコミュニケーション欠陥が見られたのだ。

 「すみませんでした、作戦本番ではちゃんとやりますから」

 そう言うアナの目は下を見つめているし、フェリの方は押し黙ったままでいる。

 ――なんか、日に日にぎこちなくなっていってるんだけど。

 そうリゼが思うのも無理はなかった。

 重苦しい空気が流れる中、カイムはゆっくりと全員を見渡し、一つ大きく息を吐いた。そうして告げられたのは、リゼが覚醒後初めて見る<生体人形バイオ・パペット>に対する<人形師パペッティア>の命令だった。

 「……お前たちだけで解決してくれればよかったのだが、ここまで来れば致し方あるまい。フェリ、アナ。お前たち二人に命じる。全力で戦い合え」

 「……っ!? ちょっと、大統領! どういうこと!? なんでフェリちゃんがアナぽんと戦わなきゃならないの?」

 「そうです、全く必要性が感じられません。説明を求めます」

 口々に反論する二人だが、身体が動かない。二人の身体はカレイサスの花の蜜とカイムの血が混じり合った夕陽色に淡く輝き、それが強制力のある命令であることを示す。抵抗することなどできるはずもなく、二人はテントの出口へと足を向けた。

 「ねぇ、あたしたちにも説明してほしいんだけど」

 「少々荒療治となるが、フェリとアナの問題を解決する。もっとも、最後はあの二人自身が変わらねばならないだろうがな」


 既に日は沈み、演習場は大統領府に僅かに残る明りに照らされるだけで闇が支配する領域と化していた。その端の方に立つ人影が4つ。この時間からの決闘を命じたカイムとこれを見守るセラ、リゼ、キノである。

 「……夜戦、か」

 闇に紛れている分、普段よりも喋りやすいのだろうか、キノが一番先に口を開いた。

 一〇七小隊は結成後、午前午後に訓練をしてきたが、夜間に実戦形式の経験を積んだことはない。特に覚醒したてのリゼにとっては完全に初めての経験だった。

 「貧民街や裏路地で暗いのには慣れてるけど、<天使>と戦うことを想定すると、夜ってだけでご免被りたいわね」

 「はい、実際、夜間に防衛線を強いられた場合、被害は昼間の数倍にも及びます。人間やそれをもとにした<生体人形バイオ・パペット>にとって陽の光の届かない場所での戦闘は困難を極めますが、<天使>にとっては全くの無関係ですから」

 そう語るセラの情報にリゼは身震いした。セラの言葉は、こうして数値比較されるだけのデータサンプルが既にあるということを意味していた。つまり、それだけ夜の戦いで犠牲となった人がいるということを。

 そして、演習場の中央には二つの人影。これから決闘をするよう命じられたフェリとアナである。

 「……フェリちゃん、ごめんね。本当はこんなことやりたくないんだけど、大統領が命じたことだから」

 申し訳なさそうに謝罪するアナだったが、その態度こそがかえってフェリの機嫌を逆撫でた。

 「それって、自分の方が私より強いから、ってこと? 普段は力を隠そう隠そうとするくせに、こういう時はひけらかすんだね。ほんっとに、嫌い」

 「……っ。私は、フェリちゃんを傷つけたくなくて――」

 「またそうやって! 私は、私はそれが気に喰わないって言ってるの!」

 口論の激化に伴って二人の身体が淡く夕陽色に輝き出す。カイムの命令の強制力が働き出した証拠だ。しかし、その光が輝きの頂点に達するよりも先に、フェリがアナに向かって飛び掛かった。

 「兵装変換コンバート!」

 掛け声とともに、袖を捲ったフェリの右腕の表皮が黒く、そして硬質化する。みるみるうちに硬化した肉体は腕から魚の鱗のように剥がれ落ち、そして落ちたそばから集結しフェリの意志のもとに思い描いた形を作り出す。フェリがアナに肉薄するまでにそれらは銃剣の形となっていた。

 獲物を捕らえる豹の如く素早いその動きから繰り出される銃剣の刃は容赦なくアナの喉元へと吸い込まれていく。しかし、それが実際に彼女の肉を斬り裂くことはなく、後方へ退ったアナの目の前を横薙いだだけとなった。

 アナは、自らの背中の肉を二枚の大きな翼へと兵装変換コンバートしていたのだ。大鷲を思わせるその翼はアナの身体を空へと導く。先ほどのフェリが見せたような俊敏さこそないものの、戦場において3次元軸を手に入れたことの意味は余りにも大きい。空中を自在に飛び回るアナに向けて銃を乱射するフェリだが、それらは一発たりとも命中することはなかった。

 「空を飛ぶ相手にその戦闘方法では無理があるでしょう、フェリちゃん。かといって、同じように翼を兵装変換コンバートしても、経験値の違うフェリちゃんじゃ私ほど上手くは飛べない。どうするのかな?」

 優雅に舞いながら訊ねるアナは、自身の優位性を確信しているような自信に満ちた声音だ。またしても、否、今度は物理的にも見下ろされる形となったフェリは、当然のようにこれに激昂した。

 「絶対に、地面に叩き落とす! そうやっていつまでも嘗めてかかっていればいいよ。 ――“空気振動”発動」

 固有能力発動の宣言に続いて、戦域の大気が揺れた。演習場全体の空気の高高度に至るまで全てに大きな波を与えたフェリ。それは翼によって気流を読むことで飛翔していたアナから空を奪うには十分だった。

 「っ!!」

 短く声を漏らしたアナだったが、冷静さを欠いてはおらず、そのまま翼を畳み急降下。“空気振動”の影響を最小限に抑えつつ、地上に着陸することに成功してみせた。

 「言ったでしょ、私はもう長いことこうして空を飛んできたの。こんな風にイレギュラーが起こることだって沢山あった。全部対応してきて今があるんだよ」

 尚も余裕を見せるアナだったが、内心彼女は焦っていた。今しがたフェリが見せた“空気振動”。演習場の戦闘領域全体を覆い尽くすほどの規模で行使された力はアナの予想を凌いでいたのだ。

 このまま接近戦に持ち込まれて“空気振動”によって大幅に強化された斬撃を繰り出されれば防御に徹するほかなくなる。ゆえに、アナもまた力を使うしかなかった。

 「もらったよ!!」

 これが好機とばかりに突撃してくるフェリ。――これは、アナの予想通りだった。

 「……光よ、落ちて」

 アナは後方へ跳躍しながら両の掌を合わせてフェリを視界に捉えた。

 しまった、とフェリが思う間もなくフェリの身体はアナの“裁きの光”に包まれた。


 アナの光の直撃を食らったフェリは地面に寝そべったまま起き上がれなかった。アナはそんなフェリのもとに歩み寄り声を掛ける。

 「フェリちゃん」

 「……あーあ、負けちゃった。フェリちゃんなんかがアナぽんに敵うわけないのにね。アナぽんが言ってること、全部理解しているのに、それなのに歯向かってさ。バカみたい」

 出会った当初のように可愛らしい声でけらけらと笑うフェリに流石のアナも目を丸くした。

 「えっと、どうしちゃったのかな? 私のこと、嫌いだって……」

 「うん、嫌いだよ。ものすごく嫌い」

 フェリは漸く身体を起こし、そしてアナの方に向き直った。その面持ちはいつになく真剣で、それでいて先日の会議室で見せたような憎々しげなものでもなかった。

 「フェリちゃんはね、本当の名前はモルフェリオっていうんだ。どういう意味か知ってる?」

 <生体人形バイオ・パペット>は全員本名を名乗らない。それは彼女らが覚醒前とは別の存在だと自分自身に認めさせるためにある習わしだった。

 だから、フェリが本名を教えたことにアナは心底驚いていた。

 その本名の意味を尋ねるフェリにアナは首を振る。

 「フェリちゃんはムレーゼ人の血を引いているらしいんだけどね、モルフェリオってのは古いムレーゼの言葉で弱きを守る者って意味なんだって。人形狩りに遭うまで育ててくれてた孤児院の先生が付けてくれたんだ。あなたは強い子だから、他の小さい子たちをその力で守ってあげなさい、って。当時から身体は逞しかったから、フェリちゃんもそれが自分の使命なんだって張り切ってたんだ」

 「とても素敵だね。でも、どうしてそれを私に?」

 「孤児院ではフェリちゃんは一番強かった。けど、それでもそれは所詮子供の力。他の子たちを守り切ることなんてできなかったんだ。病気や飢えで死んでいく子、悪い大人に捕まってしまう子……。身体の丈夫さと狡賢さだけで一人生き残っていくことに、段々罪悪感を抱くようになっていった」

 それは先日アナがフェリに対して話した彼女の西部戦線での悩みと通ずるものだった。アナもそれに気づき、神妙な面持ちで頷きを返す。

 「私と、同じ……」

 「ううん、アナぽんが経験した苦しみに比べればまだまだだよ。でも、当時のフェリちゃんには耐えられなかった。だから、人形狩りが孤児院に来たとき、自分から<生体人形バイオ・パペット>になることを志願したんだ。あの子たちを守るには、もっと力をつけて、それを正しく使わなきゃいけないって思って」

 「そんなことが……。……ごめんね、フェリちゃん。きっと、戦場から心を逃がしていた私のこと、嫌いだったよね。本当に、ごめんなさい」

 そう言って深々と頭を下げるアナだったが、フェリは慌てて首を振る。

 「やめてよ。アナぽんが言うこともその通りだとは思うから。これまでのは単なる八つ当たりだって分かってるよ」

 「フェリちゃん。私、決めたよ」

 「……え?」

 「私、もう諦めない。戦地に死に場所は求めない。この小隊のみんなと一緒に戦って、そしてみんな守り切る。もう、誰も失くしたくないから」

 「アナぽん……。フェリちゃんの方こそ、他人に頼ってばかりいない。今度こそ、この小隊で最強を名乗れるように、いつかはアナぽんも追い抜かせるように、頑張るから。……だから、これから改めて、よろしく」


 暗闇の中、堅く握手を交わす二人をカイムは満足げに眺めていた。

 「ねぇ、こうなること、分かってたの?」

 隣のリゼが事の結末を見てそう尋ねてきた。

 「いや、細かなことまでは流石に分からんさ。だが、あの二人ならば必ず問題を解決してくれると信じていた。戦場において命令で強制的に言うことを聞かせるなど、やりたくはないからな」

 一〇七小隊のメンバーの選出には慎重に慎重を重ねたつもりだった。これからの<生体人形バイオ・パペット>の在り方を変えていくための先陣となってもらわなければならないからだ。

 「さあ、お前達。もういいだろう、行ってやれ」

 固唾を飲んで決闘を見守っていたリゼたちに声をかけ、和解したフェリとアナのもとへと行かせる。そして口々に喜びを言い合う彼女らに背を向け、カイムは歩み去って行く。

 「……まずは、次の作戦。何としても達成してもらうぞ」

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