第四幕 確執
新暦1036年2月18日。飛び立つための羽根は、もう燃え尽きていました。
一〇七小隊結成から1週間が経過したこの日、小隊には午後半日の休暇が与えられることとなっていた。
今は小隊メンバーは大統領府横にある共和国軍基地の食堂で、昼食を摂っていた。本日の献立はコンビーフ風の合成食料に茸ソースをかけたもの。お世辞にも美味しいとは言えないが、前線で支給される味のないレーションに比べれば幾分かマシという代物だ。
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「そういえばさ、みんなは、午後は何して過ごすの?」
1週間の訓練で随分と打ち解けてきた様子のリゼが尋ねる。話題を振るのは決まってリゼかフェリ。最初にそれに乗っかるのはそこにアナを加えた3体だった。
「私は、部屋で本でも読んでいようかな。小隊結成後はずっと訓練ばっかりだったから、ゆっくりしたいな。セラさんは?」
「私は、カイム様の所で雑事をこなします。何分小隊結成が急だったので秘書業務の引継がまだ完全には終わっていませんから」
「休みにまで仕事、って。ホント、ご立派だこと」
実際、セラは訓練の後も例の引継作業やら訓練の報告書作成やらで忙しくしているようだった。一度アナが手伝おうか打診していたが、これは自分が好きでやっている仕事だから、とにべもなく断られていたのを見たことがある。
「で、キノはどうすんの?」
やはり沈黙を貫いているキノに身体を向ける。
「……部屋の掃除と、マフラーの洗濯、修繕」
「へぇー、意外。なんか女子って感じじゃん。そういえば、そのマフラー、ずっと着けてるわよね。そりゃ今は寒い季節だけど、室内でもずっと着けっぱなしなのはどうして?」
「…………」
「まぁ、いつか教えてくれればいいわよ」
こうしてキノも寡黙なことに変わりはないが、必要最低限のコミュニケーションはとってくれるようになっていた。セラとの事務的な会話を除けば、特にリゼとの会話が一番多い。それもあってか、リゼには彼女が本当に話したくなくて押し黙っている時とそうでない時との区別が何となくだが付くようになってきた。
そんなリゼだからこそ、先程のマフラーの話題はキノが本当に触れたくないものであることを察することができた。何か、大切なものなのだろうか。
「そ、そういえば、フェリちゃんは、お休みはどうするんですか?」
キノが口を開くこと以上に珍しくずっと押し黙ったままだったフェリのことを思い出したかのように話しかけるアナ。当のフェリは虚空を見詰めたままだ。下を見れば食事もほとんど進んでいないようだ。普段はあれだけ食事内容に文句を言いながらも必ず全て綺麗に平らげるというのに。
「……ねぇ、アナぽん」
遂にフォークを机に置き、かつてない程重たい声を発したフェリ。その声は小さいながらも食堂中の人間に聞こえるのではないかと思わせるほど鋭く、そして冷たかった。
「……何かな、フェリちゃん」
「……わたしと、お話してくれないかな」
基地会議室の一室にてフェリとアナは相対していた。廊下には心配そうな面持ちのリゼ。引継という仕事があるためセラは後ろ髪を引かれる思いで先程去って行き、キノは気づいたらどこかへ行ってしまっていた。
「ったく、最初の訓練の日から何かおかしいとは思ってたけど、フェリ、一体どうしたってのよ」
リゼは壁に背を預けながら不穏な空気を漂わせながら二人が入って行った会議室の扉をじっと眺める。フェリはともかくとして、アナがいれば滅多なことにはならないだろうが、それでも心配は尽きない。
そういえば、サーニャがヘマをして貧民街の大人たちに叱られているのを丁度こんな風に待っていたことがあったな、と昔日の光景に思いを馳せる。当時のサーニャはひどく内気で生きる為に強いられていた盗みもよく失敗していたのだ。
「懐かしい……」
思わずそうひとりごちてしまった声は誰もいない廊下に吸われていった。
「えっと、それで話って何かな、フェリちゃん」
会議室に入ってからフェリは険しい表情のままだ。髪よりも薄みがかった鴇色の双眸は中空をぼんやりと眺めており、アナに向けられることはない。ただ壁に掛けられた螺子巻き時計の秒針の動く音だけが静寂に包まれた部屋内に響く。室内は机と椅子が数セット並べられただけの殺風景な造りで、コンクリートの壁と床がどこか寒々しい。
この静寂に耐えかねて発せられたアナの言葉は既に沈黙の闇の底に沈み切ってしまっていた。そうして、実際よりも長く感じられる息が詰まるような時間の末、フェリは尚も虚空を見詰めたままアナに問うた。
「ねぇ、アナ。どうして、力を隠すの?」
普段の愛称ではなく名前だけでアナのことを呼んだフェリの声は重い空気の質量をより増加させるようなものだった。
「力を隠す? 私、そんなつもりは……」
「誤魔化さないでよ。“裁きの光”を見せてくれた訓練の日、思い出したんだ。西部戦線の殺戮人形。アナのことでしょ? セラと、それに多分だけどキノも知ってたっぽいけど」
「殺戮人形、か……。うん、確かに、私のことをそんな風に言ってる人もいるよ。けど、私はそう呼ばれるのはあんまり好きじゃないかな」
そう言ってアナがフェリから視線を外した瞬間、フェリは感情を爆発させた。
「どうして! あんたはそうやって飄々としているのがかっこいいって思ってるのかも知れないけど、わたしはあんたのそういう態度が……大っ嫌い」
その言葉は普段の可愛らしいフェリから発せられたとはとても思えない程憎々しげで、アナの心を攻撃しようという意志に満ち満ちていた。
「フェリちゃん……」
「なんで、<
矢継ぎ早な非難がアナに向けられる。
フェリはここまでの言葉を吐露してやや冷静さを取り戻したのか、肩で息をするばかりである。
再び、部屋には時計の針が時を刻む音だけが木霊する。その静寂を破ったのは今度はアナの方だった。
「私はね、フェリちゃん。フェリちゃんのことが、少し羨ましい」
口にしたのはフェリへの憧れだった。その言葉はフェリにとって予想外のものだったらしく、少し驚いたように顔を見上げ、アナに相対した。
「フェリちゃんは、前いた部隊では最強だって最初の訓練の時に言っていたけど、あれって嘘、だよね?」
そう指摘され、フェリが息を飲む。
「ど、どうして、そう思うの?」
「さっきフェリちゃんの言った通り、私が西部戦線で一番強かったから。そして、部隊で一番強い<
そう言ってアナは手近な椅子に腰を下ろした。これから長い話をするから、と言ってフェリにも席に着くよう目線で促す。フェリも素直に従い、簡素な会議室の丸椅子に腰かける。
椅子は冷たく、先程までの激しさを更に冷ましていくかのように感じられた。
「それじゃあ、ちょっと付き合ってね」
私は、去年の年末にハイロープの裏通りで大統領の人形狩りに遭って<
フェリちゃんも知っているとは思うけど、当時の西部戦線は<天使>の侵攻が激しさを増していたんだよね。政府は私を戦線に投入することで少しでも戦況の巻き返しを図ろうとしたんだと思う。その企み自体は成功したよ。私が<天使>を沢山倒すことによってね。
けど、当然支払った犠牲も多かった。配属された時に生き残っていた<
私、自分の心が壊れていくのを感じてた。私が戦わないとみんながやられてしまう、けれど私が戦って<天使>を倒せばその分また新たな敵がやってきて次の戦いが始まる。ずっと、ずっとその繰り返し。
――もう、嫌になっちゃったんだ。だから、私は心を殺してただ只管に<天使>を倒すことだけを考えるようにした。みんなのためにじゃない。私自身がただ生き残るために。……ううん、きっとそうじゃない。きっと、死に場所を求めていたんだと思う。戦闘の果てに、私の抵抗なんか踏み潰して誰かが殺してくれるのを待ってるんだと思う。
でもね、私は強かったんだ。こうやってもう一度首都に呼び戻されてより危険なことをさせられるくらいには。
きっとフェリちゃんは、<天使>を倒したくて進んで<
この小隊はね、大統領が直々に呼び集めたメンバーで作られているらしいんだ。だからきっと、全員揃って死んでしまうような、そんな任務を任せられるはず。私は、それを待っているんだ。
ねえ、フェリちゃん。私はフェリちゃんが羨ましい。力を求めるあなたは、まだその先にある絶望を知らない。今なら引き返せるんだよ。
――戦場で死ねる、今なら。
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