ある平和国家の愉快な日常

萩原 優

「ある平和国家の愉快な日常」

 人は、火を前にすると見入ってしまう習性があると言う。


 火は文化そのものだ。

 冷えて固まった獣肉を脂がのった御馳走へ。

 毛皮にくるまって凍えていた苦難の夜を、酒を酌み交わす饗宴の夕べへ。

 そして暗い夜を照らし、学びの時間を。


 だが困ったことに、誰かが思いついてしまった。


 「これで人間を燃やしたらどうなるだろうか?」と。


 そして文化は灰となり、獣の時代は蘇る――。




 条約歴820年、どこかの王国。もとい、王国のお話。皆が平和に暮らす、争いの無い国――。


 親切で愉快な来訪者達は、実に奥ゆかしい。遠慮はするな、中で待たせてもらう。不在を告げる者にそう告げた。

 わざわざ10名一個分隊の従軍経験者がフル装備で訪問したのも、彼と話すのが楽しみで仕方なかったからだ。

 なのに、対応した女性は小さく悲鳴をあげていた。


「校長先生! 逃げてください!」


 客人の一人が女性を落ち着かせる蹴り倒す。どうやら主人は居留守を使おうとしているらしい。彼らは一斉に階段を駆け上がって行く。


 恥ずかしがり屋の校長は部屋に籠っておられる様子。教室から子供達が泣き叫ぶ声が聞こえる。きっと目の前で成されるであろう正義に胸躍らせて、感涙にむせび泣いているにちがいない。


 校長室の鍵は随分と頑丈そうだった。

 泥棒対策とでも言いたいのだろうが、この平和な国・・・・でならず物などいるわけがない。きっと資金を不正に流用しているのだろう。悪い事はちゃんと指摘してあげるべきだ。


 校長はまだ出てこない。謙虚も行き過ぎては不遜。そう教えて差し上げる為、隊長は部下に斧を用意させた。




 老人は帳簿を淡々とめくっていた。穴だらけのドアを開いて蹴破って入室した客人達を迎える。白髪で背中の曲がった老人。ページをめくる爪は煙草のやにで汚れていたが、机には様々な本や教材が積み上げられており、それだけで彼が仕事熱心な教師であると伺えた。

 だが人は時として間違いを犯すものである。


 客人達はあいさつ文を懐から取り出す。サプライズをふいにされた不機嫌さを若干匂わせつつ。


「校長、貴殿は社会の模範たる立場でありながら、子供達に反平和的な歌を歌わせ反平和的教育を行おうとした。この事実から、当局は平和教育研修を受けて頂く必要があると判断した。ご同行願おう」


 老人はあご髭をそっと撫でる。そして、机から葉巻を取り出した。


「捕まえるのはいつでもできる。まあ、煙草でもどうかね?」

「捕まえるのではない! 研修施設に”ご案内”するのだ!」


 親切に訂正する副官にも、校長は興味がなさそうだ。名残惜しそうに葉巻をくゆらせている。


「ふむ、すまんね。学が足りないものでね」


 副官がむっと唇を曲げる。人を食った老人だ。校長になるにはそれなりの教育が必要。学が無いわけが無いのだ。

 そんな客人達に向け、校長は肩をすくめた。積み上げられた本から器用に辞書を抜き出し、「ironyアイロニー」と言う単語に印をつけ、放り出した。

 訝し気に本をのぞき込んだ副官は、更に険しい顔になる。


「普通の辞書ではないか!」


 正当かつ疑う余地のない怒りをぶつけられ、今度こそ平和的精神に目覚めるだろう。そう思いきや、老人が吐き出したのは謝罪ではなく溜息。忍耐には限度があるというのに。たとえ心優しい客人達でも。


「それで、私が子供達に王政時代の国家を歌わせたことを知ったのは、誰かの密告かね? それとも証拠の捏造かね? 誰かを傷つけるような歌詞だとは思えんが?」

「今我が国は革命政府によって安定した時代を迎えている! 前時代的な旧政権から解放され、国民は幸福を甘受していると言うのに!」

「私は子供達が好きな歌を歌わせただけですので。皆が幸福を甘受しているなら、子供達が歌を取り上げられることはないし、あなた達だってもっと休暇が取れるはずだ」

「さっきから何を言っているのだ!」


 老人は何の反応も示さず、葉巻を灰皿に押し付けた。そしておもむろに立ち上がり、安物のジャケットを羽織る。


「まあ、良いでしょう。その収容所・・・にうかがいます。恐らく帰っては来られんでしょうが、教師生活の幕引きとしては悪くない。最後の最後で子供達に”大切な事”を教えられるのですから」


 老人の礼を失した態度に憤ったのか、副官が連れ出される校長を呼び止める。


「君は誤解しているようだが、我が国は密告などと言う陰湿な制度はない。あるのは社会悪を告発する『カミングアウト法』だ。今回はそれすら使われておらんよ。父兄――保護者の手紙を検閲したら君の話が出ただけだ」


 言葉の誤用を指摘された老人は黙り込み、ほんのわずかだけ鼻を鳴らした。


「天に向けて吐き出した唾が、君の顔に降りかからんよう祈っておるよ」


 招待を受けた元校長はふと立ち止まる。教室のドアから顔をのぞかせる子供達と目が合ったからだ。皆感涙で顔をくしゃくしゃにしている。

 彼は静かに笑うと、親しんだ学校を後にした。研修を受けてより良い自分になる為に。


 罪人、もとい研修者を見送った副官は苛立たし気に机から葉巻を取り出した。彼が去った先で、子供達のうれし泣きが伝播してゆく。

 たかが研修を受けに行くだけだと言うのに。いずれ平和を愛し専制主義から解放された恩師と再会できると言うのに。


「まったく! 汚らわしい反動が!」


 だが、彼が葉巻を楽しむことは叶わなかった。

 今咥えられようとした葉巻を取り上げたのは、上官。先程まで沈黙を守っていた男性だ。


「どうやら君も平和教育研修を受けてもらう事になりそうだ」

「……えっ?」


 言葉を失ったのはサプライズを受けたせいであろうか。今ひとつ喜びを実感できない部下に語り掛ける。肩に手を置き、やさしく丁寧に。


「君は今、我が国が”検閲”を行う反動的独裁国家であるかのようなデマを広め市民の人権を蹂躙した。我が国が行っているのは『思想的貧困者の調査』である!」


 栄誉を賜った副官は、嬉しさのあまり崩れ落ちた。


「連れて行け!」


 客人達は喜びで動けない副官を抱きかかえ、施設にご案内・・・する。彼はきっと今まで以上に素晴らしい副官になって帰って来るだろう。

 だが、少々時間がかかるかもしれない。平和教育研修とは相当に大変らしく、先に受けに行った者達もなかなか戻ってこないのだ。それまで自分達が平和と人権を守らねばならない。


 上官は目の前の困難な、だが栄光ある戦いに興奮を抑えきれず、取り上げた葉巻を咥えた。


「ふん、気を抜くとすぐに思想的貧困に毒される者が出てくる。たるんでおるな」


 彼は葉巻を一口だけ吸い、投げ捨てた。

 部屋を去って行く彼はあずかり知らない。葉巻は仕事机に置かれた本の上に落ち、表紙が燃え始める。


 本のタイトルは、


『すばらしい憲法のはなし』


 だった。


 元王国の生活は、かくも愉快なものなのだ。隣国の人々は失礼にも関心を持ってくれなかったが、彼らは気の毒なお隣さんにも、この素晴らしい日々を教えてあげたいと常々思っているのである。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




後日談、もしくはひとつの前日談


 一週間後の隣国。ある地下室


 脱国者たちは手紙を閉じた。捨ててきた祖国の惨状を伝え聞き、呆れたようにつぶやいた。


「やっぱりこうなっちゃったか」


 青年は回し読みされた手紙を受け取ると、器用にも片手で紙飛行機を折り始める。おもむろに放たれたそれは、あかあかと燃える暖炉に飛び込んだ。もし誰かに見つかったら、何故隣国の情報を持っているかと突っ込まれる。それだけかの国の検閲は酷いのだ。


「自由が万雷の拍手で消えてなくなるなんて嘘っぱちだ。自由と言うものはね、いつの間にか無く・・・・・・・・なっているもの・・・・・・・なんだよ」


 放たれた軽口には、怒気が宿っていた。3人の仲間たちも、誰も彼の発言に異を唱えない。彼らがかつて・・・愛した祖国は崩壊した。その様を見せつけられた若者たちである。


「御託はええ。どうするんや?」

「放っておくと、この国も王国みたいになっちゃうわねぇ」


 焦れた仲間たちが、苦言を言ってくる。青年は不敵に笑い、宣言した。


「準備を急ごう。立つ時は近い」


 半年後、4人の反逆者リベリオンが立ち上がる。故郷を燃やした灰の中から。その戦いは、死と抑圧に苦しむ元王国の子供たちに、わずかながらの勇気とユーモアを与えたのだった。


「さあ、ブレイブ・ラビッツのおでましだよ」



be continuous with 『ブレイブ・ラビッツ ~我ら最強ナード怪盗団、表現規制にざまぁする~』

https://kakuyomu.jp/works/16817330647901253728

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ある平和国家の愉快な日常 萩原 優 @hagiwara-royal

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