第184話
決戦を目前にして。
首都ウィンに吹く風は冷たく、工場の排煙が立ち上り、暗い雲に覆われていました。
「一人も殺せず死ねば恥」
街行く人の目が殺意に染まり、殴り合いがそこかしこで勃発し、通りは異様な雰囲気に包まれています。
それは政府が次の戦いで、戦争が決着すると宣伝していたからでしょう。
「二人殺して死なば誉」
オースティン政府は決戦に向けて、生き残った国民を総動員しました。
健康な男はみな徴兵され、負傷者や女子供は軍事工場で強制労働に就かされました。
……そんなことをすれば、普通は不満が噴き出すものです。
「十人殺して死ねたら英雄」
だから政府は『最後の戦い』と銘打って、国民を限界まで焚きつけました。
オースティンの首相フォッグマンjrは演説で、冷徹で効率的に国民を洗脳しました。
生きるか死ぬか、滅ぶか残るか。
攻めてくる連合軍を追い返さねば、オースティンの未来はない。
「命を惜しむな、誇りを惜しめ────」
……そう世論を操作し、不満を漏らす者は『反逆者』『裏切者』として弾圧して。
国民の意識を、無理やり一つにしたのです。
そんな、息が詰まりそうな空気が漂う中。
「アルギィ、貴女は最後まで変わりませんね」
「ぷくぷくぷく……」
ガヴェル中隊の『酒飲み妖怪』アルギィ看護兵長は、相変わらずでした。
彼女は今日も訓練をサボり、薄めたヴォック酒を飲んでご満悦の様です。
「ああ、サボりを咎めに来たわけではないですよ。アルギィ」
「ぷく?」
「ちょっと、お願いがありまして。自分に化粧を教えてくれませんか」
「ぷくぷー」
いくら叱っても変わらぬアルギィに、ガヴェル曹長は匙を投げたみたいです。
酒さえ飲ませておけば働くので、今や放置されているのだとか。
「どうせ暇でしょう、アルギィは」
「ぷー」
「だったら、今何か仕事をしているのですか」
「ぷ、ぷく……」
つまり、彼女は暇なのです。
レイリィさんを筆頭に、知り合いの女性はとても忙しいご様子。
暇そうにしている女性なんて、アルギィしかいませんでした。
「ぷっぷく、ぷくぷく」
「化粧するなんて自分らしくない、ですか? ……自分は、皆の神輿ですからね」
「ぷっく?」
「ええ。自分の化粧くらいで士気が上がるなら、いくらでも着飾りますよ」
確かに、自分は今まで着飾ることに興味はありませんでした。
自分は『ベルン・ヴァロウの妹』という触れ込みで、全軍を纏める立場です。
そして今回の作戦において、自分の『見た目のイメージ』がとても大切になるのです。
「……」
「どうかしましたか、アルギィ」
化粧が作戦の成功率に関わるなら、習得は必須です。
そう思って恥を忍び、アルギィに頭を下げたのですが。
「……私。人前、苦手で。化粧、したことない」
「アルギィ……」
残念ながらアルギィも、化粧をしたことがないようでした。
ノエル孤児院は、化粧なんて出来るような財政ではありませんでした。
衛生部に所属してからは処置の邪魔になるので、基本的に化粧は禁止でした。
そんな訳で、自分は今まで化粧をしたことがなかったのです。
「……見よう見まねで、化粧、やってみる?」
「やめておきましょう。きっとロクなことになりません」
女子力が低いこの二人で、いちから化粧を習得するなど無謀です。
「……アルギィの知り合いに、化粧が得意そうな人っていますか」
「ぷくぷくぷく……」
「ですよね」
アルギィに、化粧を教えてくれそうな当てはないようです。
お忙しいレイリィさんを、化粧を教わる為だけに呼び出すわけにはいきません。
こうなれば、通りすがりの人に協力を要請するしかないでしょうか。
「お時間を取り、すみませんでした。他を当たってみます」
「……ごめん、なさい。私は、昔から、人と話すの、苦手で」
アルギィはシュンと、そう呟きました。
彼女は昔から人見知りが強い性格で、友達も少なかったようです。
なので、見た目に気を遣うことは殆どなかったのだとか。
「トウリ隊長。お願いがある……んだけど」
「何ですか、アルギィさん」
諦めて、他に化粧が出来そうな人を探しに行こうとしたら。
アルギィが、自分の軍服の裾を掴み、上目遣いで見てきました。
「お酒なら、持ってませんよ」
「そうじゃなくて」
彼女はそう言うと、意を決したように目を瞑り、
「仕事、辞めたいの」
「……はあ」
この国家存亡の危機に、働きたくない宣言をしたのでした。
「自分は、その。アルギィの処置の腕は素晴らしいと、思っていまして」
「ううん。私は、駄目な、人。昔から、ずっと、そう」
アルギィほどの看護兵にやめられては困ります。
自分は彼女に向き直って、説得をしようとしました。
「私が看護兵になった時の先輩、……全員、圧が強くて」
「たしかに看護兵さんは、アクティブな人が多いですね」
「あの陽の気に耐えきれない」
4年前、アルギィが看護兵になった頃、彼女は周囲となじめず苦労したそうです。
話しかけられたらビクッと逃げてしまい、コミュニケーションが出来なかったのだとか。
「そんな私を見かねて、レイリィ衛生部長に『派遣看護兵、やってみる?』って言われて」
「はい」
「派遣看護兵は良かった。テントも一人で使えて、天国みたいな状況だった……」
そんな状況をみかね、レイリィさんはアルギィを中隊へ派遣しました。
遊撃中隊の看護兵は、基本的に一人で部隊全員の健康を管理せねばなりません。
仕事の内容が非常に多く、普通の人にとっては貧乏くじなのですが……。
「めっちゃ、チヤホヤ、してもらえた……!」
「……はあ」
アルギィにとっては派遣看護兵が性に合ったようで。
彼女にしては珍しく、目を輝かせて話してくれました。
「私なんかに、みんな、話しかけてきてくれて」
普段は衛生部で目立たない彼女ですが……。
部隊で唯一の女性兵士となれば、モテて仕方なかったのです。
「可愛いね、一杯どう? って色んな人がワインを飲ませてくれて」
「……」
「全員の、視線を、一人占め……。毎週のように、告白も、された」
アルギィにとって、派遣看護兵の仕事は『我が世の春』だったようです。
彼女は仕事だけをする分には優秀で、忙しいのはあまり苦ではなく。
アルギィは派遣看護兵としての生活を、かなり楽しんでいたようです。
……だが、しかし。
「当時の中隊長が、その。風紀を乱した罰則とか言って、無理やり迫ってきて」
「……おや」
いろんな人に思わせぶりな態度を取っていたのが災いしたのか。
アルギィを巡って、中隊内でトラブルが多発していたそうです。
その状況を見た中隊長は、罰則と称してセクハラしてきたらしく。
「服を脱がされて、鞭打ち、とか。冗談交じりに胸を揉みしだかれて。本当に、悔しかった」
「不愉快な兵士も、いるのですね」
その時のことを思い出したのか、アルギィは心底嫌な顔をしました。
そう言えば、レイリィさんが言ってましたっけ。
男性兵士には、大義名分を作って女性兵士に欲望をぶつける人が居ると。
もしかしてその話は、アルギィのことだったのでしょうか。
「……それである日。鞭打ちされた後に部屋で休んでたら、中隊長が入ってきたの。……それで、襲われそうになった」
「なっ。そ、それで」
「ムカついたから、中隊長のを蹴飛ばして、思い切り踏み潰してやった」
「……」
踏み潰しちゃったのですか。
「上官に対する反逆だって、軍法会議に掛けられた。けど、レィターリュ衛生部長が私を庇ってくれた。正当防衛だ、無理やり行為を迫られる女性兵士の気持ちが分かるかと」
「レイリィさん……」
「そのあと1年くらい、また天国だった。衛生部長の庇護下で、ぐーたらお酒ライフ」
そこでぐーたら出来るのが、アルギィの凄いところですね。
「庇ってくれたレイリィさんに恩を感じるなら、働きましょうよ」
「……でもね。その時には、私、もう看護兵として働けなくなってたの」
「……」
アルギィはそう言って、その場で三角座りをすると。
黙って、自分に両手を差し出しました。
「アルギィ?」
「震えてる、でしょ」
彼女が卑屈そうな表情で、差し出したその両手は。
ガクガクと、大きく震えていました。
「お酒が切れると、こうなる」
「……この症状。アルコール依存、ですか」
「こんな手で処置をしたら、ミスをするでしょ。きっと、誰かを殺しちゃう」
そうか、成程。
アルギィがお酒を飲んだ時しか働かないのは、指の震えのせいだったのですか。
「襲われた時の顔とか、裸で叩かれた時とか、思い出したら死にたくなって。怖くて、恐ろしくて。私はお酒を浴びて、酩酊に逃げた」
「……」
「そしたら、こんなになっちゃった」
アルギィはそう言った後、腰元から金属の水筒を取り出して。クポクポと透明な液体を喉の奥へと流し込みました。
ツンと、薄めたヴォック酒の香りが漂ってきました。
「飲んでないと手が震えて、処置が出来ない。……でも、飲んだ状態でまともに働けるはずがない」
「……」
「こんな状態じゃ、看護兵としてやっていけない。それで辞表を出したんだけど、レイリィ衛生部長に却下されちゃった」
「却下、ですか」
「今は休んでいいから、いつか立ち直って頂戴って。私も、必要な戦力だからって」
「それで、どうしたんです」
「だから私は、無理やりクビになろうと思ったの。……もう、立ち直れるワケないし」
アルコール依存になったアルギィは、仕事を辞めようと決意したそうです。
しかし、人手不足の衛生部。アルギィほどの腕の看護兵を、解雇する余裕はありません。
レイリィさんも何とかして、彼女を引き留めようとしたみたいです。
「……それで?」
「煽るつもりでプクプクしてたら、トウリ中隊に飛ばされた」
「あれ、煽ってたんですか」
なのでアルギィはクビになるべく、尊大な態度を取るようになりました。
つまりアルギィは仕事を辞めたくて、プクプクしていたのです。
「だけどプクプクが『襲われたショックで上手く話せなくなった』みたいに解釈されて。皆から、優しくされた。誤算だった」
「……」
「でも話さなくていいの、楽だった。だからプクプクし続けた」
アルギィは、心を閉ざしていたわけではなく。
仕事を辞めたい、話したくないという感情の表出が、ふてぶてしい『ぷくぷく』だったのです。
「私、いやだよ。もう、兵士として働くの、いや」
「……」
「男の人は怖い、し。私の手で誰かを傷つけるかもしれない、し。それに」
アルギィは俯いたまま、ポロポロと罪を告白するようにそう呟きました。
「お酒が切れると、不安で仕方がないの。人のお酒でも、飲まないとやってられない。そんな、そんな自分が嫌」
「アルギィ……」
「戻りたい。お酒に溺れる前の私に、戻りたい」
きっとそれが、彼女の本心だったのでしょう。
彼女自身、お酒を飲まないと行動が出来ないことに苦しんでいて。
「もう、お酒の海に、プクプク沈むのはイヤ」
そんな自分が嫌いだから、周囲に心を閉ざしていたのです。
「私なんか、役に立たないよ。トウリ隊長」
「……」
「だからもう、辞めさせて、ほしい」
「……では。看護兵をやめて、どう生きるのですか」
……アルギィの状況を考えると、仕事を辞めて休ませてもいいと思いました。
今みたいにお酒浸りにさせて仕事を続けさせたら、そのうち体を壊すでしょう。
彼女の人生は、彼女のものです。軍に縛り付けるのは良くないです。
「収入が無くなりますよ」
「今までの貯金、あるし」
「恐らく、強制就労もさせられます」
「……それでも」
自分は『アルギィが望むなら、辞めさせてあげよう』と考えを改めました。
彼女が仕事を辞めアルコール依存と向き合って、健康を取り戻したいというのであれば協力すべきです。
そう、思ったのですが。
「好きな時間にいつでもお酒が飲める生活がしたい」
「だめです。働きましょう」
仕事をさせない方が身体を壊しそうだったので、退役希望は却下しました。
……もしかして仕事を辞めたら、好きなだけぐーたらできると思ってます?
「ぷえええええ……」
「だめです」
「ありがとうございます、ナウマンさんと奥様」
「いえいえ、こんなことで良ければいつでも仰ってください」
ちなみにお化粧の仕方は、ナウマンさんの奥さんに教えてもらえました。
「私もお化粧したいー」
「こらこら、やめなさいアンナ」
参謀本部での仕事が終わったあと。
週に数回、自分はナウマンさんの家にお邪魔しメイクの仕方を教わりました。
……引かれない程度に、自然なメイクが出来るようになった気がします。
「うーん、これじゃ少し怖い感じに見えるかも……」
「それでいいのです、怖い感じが欲しいです」
「まあ」
ナウマンさんの奥さんはとても優しい人でした。
アイシャドウの塗り方や眉毛の描き方など、丁寧に教えてくれました。
おっとりとした美人さん、という印象です。
「分かった、今度化粧品を買ってくるよ。それで良いかいアンナ」
「約束だよ、パパ」
こうして自分は良い感じのメイクを身に付けることが出来ました。
最初から既婚者に頼めばよかったですね。
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