10章 史上最悪の愚将

第183話


 漆黒の、ミニスカート。


 階級章や国旗で彩られたタイトスーツのような、礼服。


 それがこの国の女性将校としての、正装でした。


イリス・・・様が、到着されました」


 自分は大勢の護衛に囲まれて、首都参謀本部の戸を叩き。


 トウリではなく、『イリス・ヴァロウ参謀長官』として、参謀会議に参加しました。


「え、トウリ、ちゃ……」

「自分のことはイリスと呼んでください、ヴェルディ中佐」


 ─────肌が白く見える化粧を塗り、全身黒づくめの服を纏い、無表情に前を向く。


 自分は今までのように、柔和な出で立ちではなく。


 冷徹でシックな将校服で、会議に出席したのです。



 これは、自分なりの決意の表れでした。


 戦争に、正義なんてありません。


 しかし自分は、戦争で勝つことでしか大切な人を守れないのです。


 つまり自分は戦争に巻き込まれた人間ではなく、『市民を戦争に巻き込む立場』。


 あの、憎らしく優秀だった『怪物』ベルン・ヴァロウのように、悪人であらねばならないのです。


「今は、イリス・ヴァロウと名乗っています」

「その名は……」

「ロドリー君の姓を、汚したくないですから」

「……」


 ベルンが背負い続け、そして自分に託した『悪意』。


 彼の策を継ぐと決めたその日、自分は悪を背負う決意をしました。


 敵兵だろうと民間人・・・だろうと、オースティンの国益のためなら容赦なく殺す。


 自分の悪事で救われる味方がいるのなら、後世で墓に唾を吐き捨てられても構わない。


 ……だけど彼の血縁に、そんな人物の名を連ねたくはない。


 だから自分は、トウリ・ロウの名を捨てました。




「参謀長官、イリス・ヴァロウ様。ご着席ください」

「どうも」


 会議室に入ると、ヴェルディさんも、レンヴェル大佐も別人のように真剣なひとごろしの顔になりました。


 ここにいる全員で、『どうやって人を殺すか』を議論するのです。


「定刻になりましたので、会議を始めます」


 自分は士官教育を受けておらず、まともな作戦立案をしたことがない、ただの素人の小娘です。


 本来、自分がこんな会議に参加できる筈もありません。


「それではまず、現状の再確認から行わせていただきます────」


 ですが、今は国家の非常事態で。


 自分はこの戦況を打開しうる『策』を、引き継いでいます。


「サバトからの援軍到着は、早くとも五月ごろ。あと二か月ほどかかるそうです」

「はい」

「連合側のウィン到達は、あと三か月ほどと想定されています」

「決戦には、ギリギリ間に合うのか」


 全てを妹である自分に託し、死んでしまった怪物ベルン・ヴァロウ。


 彼の遺書に書かれた『策』の詳細を知るのは、自分とベルンだけ。


「では、イリス様。ご説明をいただけるでしょうか」

「はい」


 そして自分はベルンに代わり、悪を代行する。


「本作戦────ウィン防衛戦の作戦内容プランを」


 狭い参謀本部の、会議室の中。


 レンヴェル大佐やヴェルディ中佐など、『軍の中枢』である人物だけを集めたこの場所で。


「この度、参謀長官となりましたイリス・ヴァロウです。ただいまより、作戦の概要を説明させていただきます」


 自分が指導者として、会議が行われるのです。







「……ん。俺たちとしても、前半の作戦に異論はない」

「ご理解いただけて幸いです、レンヴェル大佐殿」


 といっても、自分が戦略論で現役の参謀将校と議論できるはずもなく。


 自分は原稿を読み上げるだけで、具体的な進行は『ベルンの腹心』クルーリィ参謀次長がやってくれました。


「だが後半のウィンの防衛プランに関しては、詰めが甘い部分がある」

「それはどのような部分でしょうか」

「サバト軍の配置だ。ウィン東区域をサバト軍だけで防衛しようとしているが、これはよくない」

「どうしてでしょう」

「ヤツらには命を賭けて戦う理由がない。不利になれば逃げだすだろう。ヤツらは一か所に固めず、分断して配置すべきだ」


 会議室でレンヴェル大佐は、ビリビリと威圧感を放っていました。


 司令部のブリーフィングの時は、ここまで威圧的ではないのですが……。


「無論、レンヴェル大佐のご指摘も分かります。ですがこのサバト軍の配置には、意図があってのこと」

「では、その意図を聞こうか」

「お答えしかねますな。……本作戦の『キモ』に当たりますので」

「また、それか!」


 クルーリィ少佐の返答を聞き、レンヴェル大佐は不機嫌そうに舌打ちをしました。


 会議室に一触即発のビリっとした空気が流れました。


「貴様ら、アンリ大佐が死んでも秘密主義が変わらんのだな」

「本作戦が漏洩したら、オースティンの勝ち目がなくなりますゆえに」

「前線で指揮を執る俺にまで、作戦を伝えない気か!?」

「無論、時が来ればお伝えします。ですが今は……」

「だったらこの会議に何の意味がある! 意図も分からぬ布陣を見せつけられ、反論も許されず、ただその通りに組めと?」

「ええ。それが英雄ベルン様の、ご遺志です」

「何がベルンだ、ばかばかしい!」


 実はこの軍には、レンヴェル派とアンリ派の二つの派閥があり。


 派閥間で方針がぶつかって、よく言い合いになっていたようです。


「クルーリィ、今すぐ作戦全容を説明せい。それが、命を賭ける俺たちに対する礼儀だぞ」

「失礼ながら説明しないほうが、作戦の成功率が上がります」

「それが不義理だと言っている! 作戦も知らずにどう指揮をとれというのだ、お前たちの勝手な判断で軍を動かすな」

「その我々の勝手な判断により、今までオースティンの勝利があったのです」

「首都攻略に失敗しておいて、何を偉そうに」


 もともとアンリ大佐とレンヴェルさんは、犬猿の仲だそうで。


 クルーリィ少佐は、『アンリ大佐派』だった兵士を纏める人物だったのです。


 そしてクルーリィさんの口車に乗ってしまった自分は今、完全に『アンリ大佐派』です。


「それで。おい、イリス参謀長官とやら」

「は、はい」

「貴様はどうだ。作戦の全容、説明する気はないのか」


 レンヴェル大佐はそう言うと、鋭い目つきで自分を睨みつけました。


 それは射殺すような、怒りの混じった視線でした。


「あ、えっと、その」

「イリス様は会議に不慣れですので、今日は私、クルーリィが代わって回答いたします」

「ふん。……随分と『派手な』神輿を用意してきたもんだ」


 レンヴェルさんには、自分が裏切ってアンリ大佐側についたように見えるのでしょう。


 今の今まで会議の準備で忙しくて、レンヴェルさんにコンタクトをとれなかったのも不幸でした。


「そもそもベルンの遺策、とやらは本当に役立つのか? 戦場は刻一刻と状況が変わっていく。実際に前線に立たずに、後方の病室で考えた策など有効には思えんが」

「有効です。有効だからこそ、あのサバト連邦を動かしたのですよ」


 レンヴェル大佐の目が『裏切者』を見るような目で、自分を睨み続けていました。


 彼から見れば自分はアンリ派について昇進し、黒づくめの衣装で着飾ってイキっている形です。


 どこかで誤解を解かないと……。


「少なくとも俺は、作戦内容の開示を要求する。そうでなくては議論が進まん」

「了解しました。では陛下と大将殿に、申請をいたします」

「一応だが、そこのイリスとやらは作戦の全容を知っているのだろうな」

「無論。彼女こそ、本作戦のカギとなる方ですので」


 レンヴェル大佐の顔が怖かったので、ヴェルディさんに視線で助けを求めると。


 彼は困ったような笑顔をした後、サっと目をそらしました。


 ……見捨てられた?


「ではイリスとやら。ちょっとこの後、メシでも食いに行かないかの」

「えっ、あ、はい」

「俺と彼女の個人的な食事だ。文句はないよなクルーリィ」

「ええ。是非、親睦を深めてください」


 レンヴェル大佐は、とっても怖い顔のまま自分を食事に誘い。


 クルーリィ少佐は笑顔で、そんな自分を差し出してしまいました。


「おう、では少しこの娘を借りるぞ」

「お食事、楽しんできてください。レンヴェル大佐」


 そして会議が終わると、有無を言わせぬまま。


 レンヴェルさんは正装の自分を見つめてニッコリ、恐ろしい笑顔を浮かべたのでした。








「何をしとるんだお前」

「ご、ごめんなさい」


 そんなこんなで、レンヴェルさんに拉致された自分は。


 首根っこを掴まれたまま、ヴェルディさんも交えた『会食』というていで、詰問を受けることになりました。


「自分も知らなかったのですが、どうやらベルン・ヴァロウは自分の実兄だったようで」

「ああ、聞いたわ。……ふん、それで向こうに鞍替えか」

「鞍替えといいますか、神輿にされたといいますか」


 レンヴェルさんは大層不機嫌に、自分を見下ろしていました。


 ヴェルディさんも困り顔で、ちょっと不満げな顔をしてます。


「叔父上、まずは事情を聴いてからにしましょう」

「ふん」


 ヴェルディさんは庇ってくれていますが、『どうして相談してくれなかったのか』と思っていそうな顔です。


 ……確かに、ヴェルディさんには相談すべきでしたね。


「まぁいい、血縁の相手に肩入れしたくなる気持ちは分かる」

「ど、どうも」

「そこは分かった。じゃあ、貴様の兄が遺した策とやらを俺に説明せい」


 レンヴェル大佐は、そこを一番気にしている様子でした。


 この偉丈夫の、国を思う気持ちは本物です。


 もしベルンの遺した作戦がどうしようもない出来だったらと、不安なのでしょう。


「では、自分が説明するより『彼』の遺書をお見せする方が早いかと」

「ベルン・ヴァロウの遺書があるのか?」

「ええ、自分宛の遺書です」


 今日レンヴェル大佐に詰問されるのは『予定通り』なので、自分は遺書を持ってきていました。


 この遺書を読めば、レンヴェル大佐も納得はしてくれるはずです。


「前半は、ベルンの無念を綴っていて。後半に、作戦の概要が書いてます、けど」

「……む」


 そして。自分が差し出した遺書に、書かれたベルンの遺策はといえば。




 ────策の詳細は、クルーリィに全て伝えてある。機密保持の観点から、お前には伝えることはできない。悪いな!


 ────お前にはしかるべき活躍の場を用意している。お前はお前が好きなように作戦を立案し、実行してくれればそれでいい。お前ならできるし、お前にしかできない。




 というフワフワした内容でした。


「何だこれは!! 馬鹿にしてるのか!」

「……どうやら詳しい作戦内容は、クルーリィ少佐にだけ伝達されているようです」

「あのクソ野郎! どうりでトウリをあっさり差し出したと思ったわ!!」


 レンヴェル大佐は手紙を読み、怒り狂いました。


 その勢いのまま手紙を破り捨てそうになり、「それはトウリちゃんの兄の形見ですよ」とヴェルディさんに宥められました。


「何が英雄だ、何が怪物だ! 戦争は個人でやるもんじゃないんだぞ!」

「……にしてもこれは、確かにひどい」


 二人とも、ベルンの遺策に頭を抱えているようです。


 ……自分もこの手紙を読んだ瞬間、肩透かしと落胆が凄かったのですが。


「要は自分は祭りの神輿であり、蚊帳の外なのですよ」

「あの布陣の意図なども聞かされておらんのか」

「ええ」


 ただ、これは自分とベルンの考え方が『近かった』からなのか。


 自分はこのベルンの遺策の『裏』に、気づいていました。


 それを、レンヴェル大佐に話す気はありませんけど。


「これ以上の説明を、自分はされていません」


 細い糸のような、大胆で繊細な博打。自分ならその策を上手く制御できるという、信頼あっての策。


 ……レンヴェルさんがその中身を知れば、きっと猛反対して騒ぎ倒すでしょう。


 そうしたら、策が漏れて失敗に終わる確率がグっと上がってしまいます。


「貴様は、何かもわからん策に乗ったのか」

「ベルン・ヴァロウが何度も逆境を覆してきたのも事実ですから」


 ベルンはきっと、自分なら裏の意図に気付けると信じてあんな書き方をしたのです。


 たとえ手紙を何者かに盗み見られても、問題がないように。


「自分は国を救えるのならと、遺策とやらの内容を聞かず、クルーリィ少佐の誘いに乗ったのです」

「はあ。お前はそういうヤツよな」


 自分の説明に、レンヴェル大佐は苦虫をかみつぶした顔で、納得してくれました。


 今の説明に、嘘はついていません。自分は策の詳細について何も聞かされていないのです。


 ─────自分が勝手に、その策の内容に当たりをつけているだけなのですから。


「まぁ良い。国を本当に救えるなら、俺は全力で支援する心づもりなのだ。作戦内容を隠すなと、それだけの話だ」

「その言葉、伝えておきます」

「あと、ヤツらが妙な企みをしていそうなら俺に教えろ。……連中は正直、信用ならん」

「ええ、了解です。……何かあれば、レンヴェル大佐にご相談させていただけると嬉しいです」

「いつでも来い、俺はお前の味方だトウリ」

「ありがとうございます」


 こうして、レンヴェル大佐への弁明は成功しました。この辺もベルンの思惑通りです。


 ベルン・ヴァロウもレンヴェル大佐の扱いに手を焼いていたらしく、最終決戦で反対されたらどうしようと不安を漏らしていたようで。


 だからこそ、ますます『レンヴェル派と仲が良い』自分を神輿にしたかったのでしょう。


「ではレンヴェル大佐、ヴェルディ中佐、自分はこれで失礼します」

「ああ、うまくやれ」


 こうして、自分はお飾りの『参謀長官』として


 この戦争を終わらせる準備を、整えていくことになりました。


「ああ、最後にトウリちゃ……、イリス参謀長」

「何でしょうか、ヴェルディ中佐」


 悪辣に、冷徹に。


 自分は悪を背負っているのだと、心のうちに決意を秘めて─────


「そのお化粧、あんまり似合ってないですよ」

「うむ。ちょっと、見栄えは悪いな」

「だれかに化粧を学んでみてはどうでしょうか」

「……善処します」


 自分が鏡と一時間ほど睨めっこして作った悪役メイクは、不評のようでした。

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