第182話
無念だ。
俺は無念で仕方がない。
この忸怩たる心中を書き連ねるには、遺書が百枚あっても足りない。
だが俺に残された時間は少ない。
なので端的に、伝えるべき事だけを、短くまとめてお前に託す。
トウリ・ロウ参謀少佐。……我が愛しき妹、イリス・ヴァロウよ。
お前の力があれば、オースティンはこの苦難を乗り越えられるだろう。
そして忌々しいあの女に、後悔と苦悩で血反吐を吐かせてやれる。
レミには全てを、伝えている。
アイツは鼻が利く女だ、きっとお前に協力してくれるだろう。
お前が俺を、嫌っていることは知っている。
だから俺の無念を晴らしてくれ、とは言わない。
だが、お前に家族の情があるのなら。
伝える事は出来なかった、この兄の気持ちを汲んで、オースティンを救ってくれ────
「何ですかこの、ふざけた内容は!」
自分はベルンの手紙を読み進め、思わず絶叫しました。
あの男は、死を前にして妄想に取りつかれたのか。
はたまた自分と兄妹関係を捏造する事で、何かアイツに得でもあるのか。
自分は、混乱の極致に叩き落されました。
「クルーリィ参謀長! これを、この手紙の内容を、自分には理解できません! 自分は孤児です、ノエル孤児院で育った、天涯孤独の平民です。なのに、この手紙は、支離滅裂で意味がよく────」
「落ち着いてください、トウリ少佐」
「これが落ち着いていられますか!」
「貴女がどう思われようと、トウリ少佐とベルン様の血縁関係は事実です」
自分が激高する事を、予想していたのでしょう。
「……ベルン様は裏は取った上で、その遺書を書いておられます」
クルーリィ参謀長は落ち着いた態度で、諭すように話を続けました。
「いつのまに、そんな調査なんて」
「一昨年です。ベルン様は、トウリ様の出自を調査しろと私に命じました」
「どうして……」
「貴女を部下に勧誘する交渉札として利用する為……。と、仰っていましたね」
彼が言うには2年前、ベルンが自分に部下にならないかと勧誘をした時。
ヤツは交渉材料として、自分の血縁情報を用意しようとしたのだそうです。
『お前の本当の家族を知りたくないか』と、自分に迫るために。
「……それで?」
「こちらが貴女が孤児院に届けられた当時の、ノエル村付近の戸籍と、行方不明者のリストです」
クルーリィ参謀長官はその命令に従って、マシュデールの役所から戸籍の写しを取り寄せて。
そこでようやく、自分とベルンの血縁関係に気が付いたのだといいます。
「トウリ様がノエル孤児院に届けられた1か月以内に、マシュデール周辺で行方不明になった女児は八名でした。そのうち遺体の特定が出来ていないだけで、ほぼ死亡が確認されている女児を除くと三名。さらにこの中で、ノエル村周辺で行方不明になったのは一人だけ」
「……一人」
「ええ。おそらくその女児が、トウリ様である可能性が非常に高い」
自分は呻くように、その戸籍資料に記された名を読みました。
もしかしたら、それは自分の『本当の』名前かも知れなくて。
────
「くしくもそれは、被災していたベルン様の実妹『イリス・ヴァロウ』様だったのです」
『はあああ!?!?』
ベルンもまさか、
クルーリィ少佐から報告を受け、声を上げて驚いたのだそうです。
『クルーリィ、さてはからかってやがるな? そんな偶然があってたまるか』
『……確かに証拠はございませんが。ベルン少佐の出身地は、確か』
『待て。そうか、確かにイリスが生きていたとしたら。一番近いのはノエル孤児院か────』
彼は何度も、自分が届けられた日付と、周辺の行方不明情報をにらめっこした後。
頭を抱えて、その場に蹲ったのだそうです。
『あーあ、こりゃ最悪だ』
『最悪、ですか』
『アイツ、絶対に信じねぇぞコレ。よりによって俺かよ、ちくしょうめ』
ベルンはこの情報を聞いて、むしろ頭を抱えました。
自分がベルンを酷く嫌っている事は、誰の眼にも明白だったからです。
『お前の生き別れの兄が生きていた。それは何と俺だった! そう、トウリに告げることになるのか』
『そうなりますね』
『あっはははは!! こいつは、こいつは傑作だ!』
最初はしょんぼりとした顔になった後。
『蹴とばされておしまいじゃねぇか!』
やがて、堰を切ったように大爆笑したのだとか。
「それが、貴女がベルン様の妹だと判明した経緯です」
「……嘘です」
その話を聞いてなお、自分は半信半疑でした。
その話では、たまたま自分が孤児院に預けられた時期に、ベルンの妹が行方不明になっただけ。
確かに自分がベルンの妹である可能性はありますが、証拠はなにもないはずです。
「イリス・ヴァロウが自分という証拠はないでしょう?」
「状況証拠ならございます」
「……、聞いても良いですか」
「ええ」
そう思って、何とかヤツとの血縁を否定しようとしたら。
クルーリィ少佐は、含み顔で二枚の紙切れを机に置きました。
「17年前、村を追われたベルン・ヴァロウ様がマシュデールで保護された日付です。それはトウリ少佐が、ノエル孤児院に届けられた日の僅か3日後でした」
「……」
「日付的に、トウリ少佐がイリス・ヴァロウとしか考えられません」
……17年前、自分がまだ三歳のころ。
当時オースティンとサバトは戦争状態ではないものの、小競り合いが頻発していました。
『正規軍ではなく賊の行動』という建前で、お互いの領地に襲撃しあっていたのです。
そして夏ごろに、サバト側の『賊』がノエル付近で大暴れした事件がありました。
自分はその事件で親を失って、ノエル孤児院に送られたのだと聞いています。
しかし……ベルン・ヴァロウもその時期、家族と共にノエル近郊の村落に住んでいたそうです。
そしてヤツが畑作業に従事している最中に、突然サバト兵が襲撃してきました。
家族と合流している時間はないと判断し、一人でマシュデールまで逃げ、衛兵に保護を求めたのだとか。
「その後ベルン様は、軍に志願しました。少年兵として軍に従事し、その才能を認められました。そして後見人を得て士官学校に入学し、参謀将校にまで出世を果たしたのです。その後の戦歴は知っての通り、素晴らしい戦果を挙げ続けました」
「……」
しかしこの襲撃事件以降、彼は性癖が大きく歪んでしまい。
虐殺される人を見て興奮する、悪魔の様な感性を自覚してしまったのだといいます。
「ベルン様はもう家族を失ったものと割り切っていました。だからこそ、突然妹が生きていたと知って、どう接すればいいのか分からなかったのでしょう」
「そんな。ベルンは、そんなタマでは」
「私から見て。ベルン様は存外に、繊細な男でしたよ」
クルーリィ参謀長が自分を見る目には、憧憬が色濃く滲んでいました。
まるでベルン・ヴァロウの生まれ変わりでも見る様な、そんな目です。
「嘘です、信じません。だって、ベルンならその血縁を利用して、もっとうまく自分を言いくるめたでしょう。アイツに家族の情なんてない、利用できるものは何でも利用する、そんな男で」
「トウリに伝えたら絶対に、俺を拒絶されるだろうと言って。ベルン様は、寂しそうに笑っていました」
「……そんな、ばかな」
「私もそう思いましたよ。恐らく、以前の貴女にこの事実を告げても、良い反応は返ってこなかったでしょう」
……自分はこの時、どんな顔をしていいか分かりませんでした。
いきなり実の兄が生きていたという事実を突き付けられ。
その男は、この世で最も嫌っていると言っても過言ではないベルン・ヴァロウで。
そしてその男は、つい最近にこの世を去ったというのです。
「……馬鹿じゃないですか」
クルーリィ参謀長に渡された戸籍資料には、確かに自分の名が記されていました。
トウリ・ノエルがノエル孤児院に入った日付。
ベルン・ヴァロウがマシュデールで保護された日付。
ベルンの妹であるイリス・ヴァロウが、行方不明になった日付。
それらは、自分が高い確率で『イリス・ヴァロウ』である事を示していました。
「今になって。こんなタイミングで。そんな、出生の事を聞かされても」
「ベルン様も、隠しておきたかったのでしょうけどね」
クルーリィ参謀長は、眼鏡をクイっと上げて。
「トウリ様がウィン防衛戦の指揮をとるとなれば、これを公表しないと皆納得しないのです」
「……自分が、指揮を?」
「ええ」
まるで神様でも拝むような、気持ち悪い笑みを浮かべて自分に平伏しました。
「ベルン様の実妹であらせられる、トウリ様。今まで数々の奇跡を成し遂げた、オースティンの誇る英雄!」
「え、あ、その」
「このオースティンの窮地を救うのは貴女しかいない。貴女にしか出来ないのです」
「えっと」
「どうかお願いですトウリ少佐、我々を導いてください!」
それは、盲信。
この男は、参謀長のクルーリィは、ベルン・ヴァロウの狂信者でした。
だからベルンの遺策を問答無用で信じ、彼の『実妹』だという自分すら崇拝しているのです。
「そんな、自分には、無理です」
「できますとも、いやトウリ様以外に出来ない。お願いです、我々を見捨てないでください。オースティンを守ってください」
「ですから、自分にそんな手腕、は」
「大丈夫です、偉大なる兄君がとっておきの策を残してくださっているのです。ですからどうか、お導きを」
自分は、その男に恐怖を感じました。
その剣幕は、自分を見ているようで見ていません。
自分の後ろにベルン・ヴァロウの姿を、幻視しているのです。
「そうだ、まだベルン様の策をお読みでなかったですね」
「いえ、その」
「私はしばし席を外します。ベルン様の遺書をお読みになってから、改めて話しましょう」
彼はそう言うと、優雅に一礼して参謀長室から立ち去りました。
部屋には、自分がぽつんと一人残されました。
「……」
混迷と、嫌悪と、当惑。
嫌悪感と共に浮かび上がる、病床で笑みを浮かべて自分を見つめるベルンの横顔。
様々な感情に押しつぶされそうになりながら、自分はその手紙をゆっくりと読み進めました。
先に。
あらかじめ、言っておきます。
当時の自分を混乱の極致に陥らせた、このベルン・ヴァロウとの血縁関係ですが。
────この血縁関係は、まるごと捏造でした。
当時の自分は信じ込んで、真面目にベルンを想い黙祷したり。
このあとサバトに行って、わざわざ墓参りまでしたというのに。
それは戦後に、ふと『そういえば実の両親の墓参りをしてみようかな』と、自分の戸籍を再確認しようとしたところ。
戸籍管理部によれば、『ノエル村付近の戸籍はすべて焼失しているので確認不可』とのことでした。
じゃあ自分とベルンの血縁を示していた、あの戸籍資料は何なのだとクルーリィ少佐に詰め寄った結果……。
それはベルンが命じて作らせた、真っ赤な偽書類だと白状しました。
そう。先ほどのクルーリィ少佐の話は全て、クルーリィ少佐に宛てられた『ベルンの遺言で』指示された内容で。
彼はベルン・ヴァロウの遺言通り、自分を実妹に仕立て上げるため、公文書偽造に手を染めたのです。
なるほど、良い手です。自分は混乱の極致で、嘘を見抜けず信じ込み。
ベルンにまんまと乗せられ、悪意の片棒を担がされたのですから。
兄弟関係の捏造を聞いた後、自分は速攻でベルンの墓を蹴飛ばしにサバトへ向かいました。
何が実妹ですか。何が、家族の情ですか。
人の気持ちを弄ぶのもいい加減にしてください。
……結局、自分の出生のルーツは明らかになっていません。
一応、ベルン・ヴァロウがノエル付近に住んでいて、『イリス・ヴァロウ』という妹が居たことは事実だそうです。
だからヤツが言うように、自分が実妹であるという『可能性』はありました。
きっと彼はソレに気付き、利用したのでしょう。
ベルン・ヴァロウの名は有名です。オースティン軍では、軍神のようにあがめられています。
だから『軍神の実妹』として自分に箔をつけ、自分が指揮を執ることを受け入れさせると同時に、自分を逃げられなくしたのです。
幼いころ、戦火に巻き込まれ行方不明となった実妹すら利用する。
本当に、あの男のやることは徹頭徹尾、終わっています。
「は、はは」
そして、参謀長室でひとりっきり。
ベルン・ヴァロウの遺策を読まされた自分は、
「ばーっかじゃないですか、あの男」
そのあまりのくだらなさと愚かしさに、乾いた笑いしか起きませんでした。
本当に、何度思い返しても、あの男は終わっています。
「……」
正直、すぐ断ろうと思いました。
自分には荷が重すぎて、出来るわけがない。
そもそも自分は、頭が良い人間ではありません。
それは1年間、少佐として後方勤務を行ってはっきり気付いていました。
「……ああ」
ですが、ベルンの遺書を破り捨てようとしたその直前。
自分は本当に、うっかりとその遺策に隠された『意図』に気づきました。
「そういう事ですか、ちくしょう」
その策に込められたベルンの悪意。
そしてベルン・ヴァロウがわざわざ『自分』を総指揮に抜擢したその理由。
「……何が必勝の策ですか。大博打も良いところじゃないですか」
確かにベルンは、オースティンに勝ち筋を用意していました。
悪意と憎悪にまみれた、か細い糸のような勝ち筋です。
そして、その勝ち筋をオースティンで最も『うまく辿れる』のは自分でした。
「……自分、は」
去年までの自分であれば、断っていたでしょう。
自分の指揮で、多くの命を奪うことに耐えられなかったからです。
また、自分が勝ち筋をうまく辿れるかでオースティンの命運が変わります。
戦争に『巻き込まれていた』だけの
─────そんなに『自分が悪人だ』と、認めたくないのかお前は。
─────人に良い顔がしたいからって、才能隠して楽をしてんじゃねぇ!
これはかつて、自分がベルンに言われた言葉です。
これは彼が自分を説得する為に、心にもない文句を並べただけの戯言です。
……ですが、その言葉が自分の甘えを『明確に』言語化していたのは確かです。
早く平和にならないかな。戦争が終わってくれないかな。
そんな人ごとのような願望を口にして、いい子ちゃんのままいても何も変わりません。
ですが例え、自分の指揮で多くの犠牲が出るとしても。
より多くの命が、奪われる結果になったのだとしても。
自分は敵の命より、セドル君たちを守りたい。
セドル君たちが平和に、静かに暮らせる未来を手に入れたい。
そのためならベルン・ヴァロウの力を借りて、悪行を実行してやる。
今、戦争を主導しているのは自分です。
悪魔とののしられようと、自国の欲望を最優先に、敵の命を無感情に奪っていく。
────それが、戦争なのです。
……こうして自分は数時間、たっぷり悩んだ末。
ベルンの策の片棒を担ぐことを、受け入れました。
「決戦は、おそらく3か月後」
そして、戦争の舞台はオースティンの首都ウィンに移ります。
クルーリィ少佐がベルン・ヴァロウの遺言を公表し、自分へ参謀長官の役職を譲り。
自分が21歳になった夏、とうとう第二次ウィン防衛戦が勃発しました。
「それまでに全国民で、再び大規模な防衛ラインを築き上げるんだ」
連合側は、エイリス・フラメール・旧サバト政府軍の3か国が主体となって編成され。
当時のフラメールやエイリスの植民地であった小国からの動員も合わせると、総数は30万人に達しました。
この兵数は、本戦争においても最大規模の動員であり。
完膚なきまでに、オースティンを滅ぼすという決意を感じる兵士数でした。
一方でオースティン側は正規軍が2万人ほどで、未訓練の女子供を入れても3万人ほどでした。
それに加え、サバトからの援軍が約3万人が小分けに送られてきます。
たった3万人と思うかもしれませんが、当時のサバトの情勢を考えれば、限界いっぱいだと思います。
さらにフォッグマン首相の外交政策で、フラメールに恨みを持っている小国を取り込んでいました。
それら『周辺小国からの援軍』がオースティン側に、1万5千人ほどくるようです。
オースティン側の総戦力は、これで7万5千人。連合軍の兵力差は、およそ4倍ほどでした。
ですが、決して、絶望的な雰囲気ではなく。
ベルンの遺言の影響もあってか、『十分に勝てる見込みがある』と士気は十分だったようです。
このウィン防衛戦は、この戦争における最大の戦闘となり。
そして、この戦争の決着をつける『最終決戦』となりました。
オースティンを踏み台に、祖国を救おうと奮闘するシルフ・ノーヴァ。
欲望のままに戦争に巻き込まれ、失意のうちに逝った怪物ベルン・ヴァロウ。
『物語の主人公』として、シルフに英雄へ作り替えられたアルノマ・ディスケンス。
その因縁の結末を見届ける役目に選ばれたのが、自分だったという話です。
「……トウリ? どうしたんだ、そんなに暗い顔をして」
「ガヴェル少尉」
自分はクルーリィ少佐に、『ベルンの遺策を引き継ぎます』と伝えた後。
決戦ムードになっている首都ウィンを、ガヴェル少尉と共に歩きました。
「とても、嫌な役目を仰せつかりまして」
「何をやらせられることになったら、そんな顔になるんだ」
彼は自分の護衛として、ついてくれています。
自分はもう少佐なので、護衛なく街を歩けないのです。
「国家機密なので、話せないんですけど」
「あー、お前も苦労するな」
とんでもない事を引き受け、消耗しきっていた折に。
気軽なガヴェル少尉との会話は、ちょっとした癒しでした。
国への責任とか、ベルンの遺策とか、セドル君の安全とか、考える事が多すぎてパニックになりそうでしたから。
「ぷくぷくぷくぷくぷく」
「アルギィは、元気そうですね」
「酒さえあればコイツは元気だ。気楽な生き方だぜ、まったく」
自分は、自らの意思でベルンの策を引き継ぐと決めました。
エゴだと言われても、誰かを殺すことになっても、自分の周囲にいる人を守りたいと思いました。
「そういえば、ナウマンさんがいませんね」
「ああ。ウィンに家族がいるやつは、特別休暇を許してるんだ」
戦争をしている以上、奇麗事なんてありません。
戦場は『俺は死にたくないから、お前が死ね』というエゴの押し付けあいです。
だから前線兵士は、敵兵を撃ち殺したあとに手を打って笑いますし。
後方指揮官は、戦死者の数を見て前線兵士を褒めたたえます。
「今日は、家族とデートだって言ってたな。ナウマン」
「……それは、素晴らしい」
こうして自分は『戦争に巻き込まれた兵士』ではなく、『戦争に志願した兵士』になり。
世紀の大悪党ベルン・ヴァロウの遺策の、実行役となりました。
「ガヴェル少尉。恐らく、次の戦いが最後になります」
「お、そんなこと俺が聞いていいのか」
「ええ。明日の新聞でこのウィン防衛戦が決戦だと、デカデカ報じる予定ですから」
ウィンの街には、まだ活気が残っていました。
若い男は減り、通りには女性と老人しか目に入りませんけれど。
自分たちが勝つと信じて、命がけで働いている民が残っていました。
「勝ちますよ、決戦に」
「ああ、もちろん」
自分には、守らねばならない人がたくさんいます。
セドル君やアニータさん、サバト経済特区で仲良くした人たち。
衛生部で眠れぬ夜を共に過ごした、レイリィさんやケイルさん。
ガヴェル曹長やナウマンさんなど、共に戦ってきた戦友。
今まで自分を指揮し、導いてくれたヴェルディさんやレンヴェルさん。
「彼らには、平穏な戦後を迎えてほしいですから」
そう言って、自分は目を閉じた後。
次に、今まで散っていった戦友を思い浮かべ、祈りを捧げました。
「……自分に力を貸してください」
初めての戦友、サルサ君。
共に西部戦線を生き抜いた、ロドリー君やグレー先輩、アレンさんにガーバック小隊長。
衛生部で色々な事を教えてくれた、ゲールさんたち先輩衛生兵。
うっかり屋のラキャさん、優しかったアリアさん、可愛かったリナリー、ひょうきんだったゴムージ。
ちょっと怖かったメイヴさん、とても勇敢だったキャレル二等兵。
そして、当時は兄と信じていた稀代の怪雄ベルン・ヴァロウ。
「どうか、未熟な自分を見守っていてください」
今まで自分を、守ってくれた人たちがいる。
そして今から、守らなければならない人たちがいる。
いろいろな人の想いを背負って、自分は此処に立っている。
……そう決意も新たに、自分はウィンの街並みを見据えました。
これも、ベルン・ヴァロウの思惑通りだったのでしょうか。
「ん、あれナウマンじゃね」
「ん?」
ただ、一つだけ。今も理由が分からず、気になっていることがあります。
自分が実妹でないのなら、何故ベルン・ヴァロウが自分に固執したかということです。
「あ、アンナさんにキスしようとして拒否されましたね」
「……娘さんに脛を蹴られてないか、あの人」
自分を本気で手駒にしたかったなら、もっと良いアプローチがたくさんあったはずです。
嫌われることが分かっているのに、ああも馴れ馴れしく自分に構ってくる必要はありません。
「ったく。せっかく休暇をやったのに、娘に嫌われてちゃあ世話ないぜ」
「……」
しかし、彼の自分へのアプローチは度を越していました。
それこそ彼が自分のことを、妹だと思い込んでいないと違和感があるように。
「馬鹿なおっちゃんだ。年頃の娘にベタベタしたら、そうなるだろ……」
「……ええ」
────思春期ごろの少女は、血がつながった異性に、生理的な嫌悪感を抱くことがある。
「ま、その辺りは自分達の管轄外です。ナウマンさんに任せましょう」
「そうだな」
そんなナウマン一家の微笑ましい日常を見て、微笑み。
自分とガヴェル少尉は、並んで司令部へと戻りました。
……結局、自分にはベルンの考えなど分かりません。
彼について確実な情報は、『イリス・ヴァロウ』という妹が居たことと。
幼いころノエル付近に住んでいて、蒲公英茶が好物だったこと。
そして幼少期にサバト軍の手で家族を殺され、一人マシュデールに逃げ延びたこと。
これくらいです。
「……トウリ?」
「いえ」
自分は幼少期、『同じ村の住人』と名乗る男にノエル孤児院に届けられました。
その男は何故か名前を告げず、どこぞに消えたそうです。
幼い自分を、孤児院に届けてそれっきり。
もし、ベルンが自分を実妹と確信していたとしたら。
戸籍も焼失し、何の情報も残っていない自分を、妹を確信できる人がいるとすれば。
それは、自分を『ノエル孤児院』に届けた人物しかいません。
────さよならだ、イリス。
────やだ!
それは、妄想かもしれない記憶。
若いベルンのような誰かが、自分の頭をなでて、ノエル孤児院の入り口に手を引いていく記憶。
行かないで────
自分は大泣きして、立ち去る
「少し。ぼーっと、していました」
「しっかりしてくれよ」
ふと、我に返り。
ありもしない記憶だと、忘れることにしました。
……まさか、ね。
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