第185話




 ─────末期戦の空は濁っていて、泥沼のよう。


 ウィンの街路を歩きながら、自分はそんなことを考ていえました。


 いつから空は、こんなにくすんでしまったのでしょう。


 いつだったか、ロドリー君とデートをしたあの日は、もっと青々しい空だったと思います。


 ですが今は、ウィンに移設された武器工場の排煙が何本も立ち上ぼり。


 路傍では餓死した浮浪者の遺体が焼かれ、鼻を突く臭いを放ち、空を黒く染めています。


 気が付けば世界は、こんなにも暗くなっていました。


「次は大通りを歩く。……物乞いが多いから気を付けろ」

「分かりました、ガヴェル少尉」


 大通りには浮浪者の合間を縫うように、兵士が忙しなく歩き回っていました。


 ……自分達も、忙しい兵士の一人ですが。


「ああ兵隊さん、何か食べ物はないかい?」

「申し訳ないが持っていない、道を空けてくれ。仕事があるんだ」


 路肩には乞食が溢れていて、錆だらけの空き缶を置いて施しを待っていました。


 子を抱く親や戦災孤児、負傷した兵士など、さまざまな物乞いが行手を阻むように立ち塞がります。


「何もくれないのかい」

「……何もやれないんだ」


 このうちの一人でも施すと、僅かな食料を取り合いになってトラブルになります。


 なので司令部から、決して彼らに施さないよう警告されていました。


「……安酒くらいは、ないかい」

「悪いな」


 彼らは我々を、落ちくぼんだ目で見つめていました。


 


「次は、兵舎に向かいます」

「了解だ。おいお前ら、配置につけ」


 市民の、我々に対する反応は様々でした。


 卑屈な顔で、酒や食料を乞う人もいれば。


 熱狂的な声を上げ、兵隊万歳と叫ぶ人もいました。


「みな、悪いが道を空けてくれ」

「万歳! 万歳! オースティン万歳!」

「分かった、分かったから。いつもありがとう、市民の協力に感謝する」

「万歳! 万歳!」


 外を歩く時はいつもこのような感じで、閉塞感で息が詰まりそうになります。


 この国には『飢えで死にかけている人』と、『戦争で死にに行く人』しかいないのです。


「……安心してください。自分達が連合を打ち破りますから」

「うおおおおお! オースティンばんざーい!」


 戦争は沼です。何処までも沈んでいく、底なしの沼。


 勝っている時は利益を求めて戦争を続け、負けている時は滅ぼされないよう戦いをやめれない。


 この負の連鎖を終わらせるには、勝っている側が譲って講和するしかありません。


 ……つまり連合が攻めてくる以上、我々が勝たねばならないのです。


「おっさん、分かったから落ち着け。今から行くところがあるんだ」

「偉大なオースティン軍に敬礼! ばんざーい!」


 自分達に駆け寄って万歳と叫び続けた男は、片脚が欠けた中年でした。


 おそらく、退役した元兵士でしょう。


「……ふぅ、やっと行ったか」

「凄まじい熱量でしたね」


 銃火器が発明されて、戦争は変わりました。


 引き金を引くだけで、たくさんの人を殺せる時代になり。


 そして兵士は使い捨てられ、街に退役兵が浮浪者として溢れているのです。


「次からは近づかれないよう、銃で威圧してやろうか」

「それは駄目です。……きっと彼は、祖国の為に戦った先輩なのですから」

「勇敢に戦って生き延びた末が、さっきのおっさんってワケか」

「その勇気に、敬意を示しましょう」


 退役兵の末路は悲惨です。


 大きな怪我を負って満足に働けず、国が困窮してからはたいした補助も受けられません。


 やがて家族に疎まれて家を追い出され、乞食に身を落とす人もいるのだとか。


「……」


 先ほど自分達に万歳した人は、身なりが汚く異臭が漂っていました。


 ……おそらくは、浮浪者。年齢的に、東西戦争時代の退役兵でしょうか。


「開戦当初は、戦争なんて半年で終わるって思ってたらしい」

「半年、ですか」

「今までの戦争はそうだったからな。鎧を着て剣で切り合って、敗走した方の負け。村落や領土を一つ二つ失って、そこで講和になる。そんな予定だった」


 東西戦争……オースティンとサバトの戦争がはじまった直後は、誰もここまでの泥沼になると思っていませんでした。


 彼らは半年ほどで家に帰れると信じて、家族に「収穫祭でまた会おう」と約束し、戦場へ旅立ちました。


「オースティン軍司令部も、すぐ勝てると見込んでいた。小銃が発明された直後だからな」

「初めて投入された初期型の小銃は、最新のOST-3型と比べたら玩具のような性能ですが」

「マスケット銃と比べたら破格の性能だ」


 開戦当時の飛び道具といえば弓か、マスケット銃でした。


 弓では重装鎧を貫けず、マスケット銃の精度は粗悪でした。


 なので重騎兵に突撃をされると、どうしようもありません。


 重装騎兵こそが最強。それが、開戦前の戦術論でした。


 その重騎兵に一方的に勝てる小銃の発明は、画期的でした。


 弓より射程が長く、マスケット銃並の威力が出るので、重騎兵など良い的なのです。


 その威力を確かめたオースティン軍は、『これなら絶対に勝てる』と大興奮だったようです。


 ただ、一つ誤算があったのは。


 ほぼ同時期に、サバト連邦も小銃の開発に成功していたということでした。


「お互いに小銃を手に戦った結果、騎兵は過去の遺物になって、塹壕戦が生まれた」

「はい」

「今でも覚えてるよ。子供の頃、とても面白い叔父が居てな。馬術の天才で、若くして騎馬隊のエースだった。馬に一緒に乗せて貰ったこともあった」


 開戦直後はまだ、騎馬隊が戦争の主役でした。


 ガヴェル少尉の叔父さんは意気揚々と、騎馬兵として戦いに出たそうです。


「開戦して一週間も経たないうちに、叔父さんは遺体になって帰ってきたよ。死んだ愛馬の尻尾の毛と一緒に」

「……」

「時代の変化が急すぎたんだ」


 小銃はどんな鎧を着ていても、銃弾一発で致命傷を負ってしまいます。


 平地で向かい合っていると、いつ殺されるか分かりません。


 自然と兵士たちは穴を掘って隠れるようになり、やがて生まれたのが塹壕戦でした。


「塹壕戦になってから、戦線は硬直した。……十メートル単位での距離の奪い合いで、沢山の命が犠牲になった」

「新しい時代に、適応しきれなかったのでしょう」

「……ああ。そんで俺達は、まだ適応できていない」


 ガヴェル少尉はそう言って、手に持った銃を見つめました。


「これからきっと、戦争しちゃいけない世界になる。銃を人に向けて撃つことが重罪になるような世界が」

「……そうですね。いつか、来ると思います」

「そして銃を持って戦う人間がいなくなった時、俺達はやっと次の時代に進むんだ」


 銃を持って戦う人間が、いない世界。


 ……ガヴェル少尉は、そんな世界が来ると予想しました。


「そんな時代を作ろうぜ、トウリ。俺達の手で」

「……ええ」


 自分は、知っています。この戦争を終わらせたとしても、銃のない時代など来ないのだという事を。


 兵器開発はどんどん進み、武力により均衡を保つ方向で世界は動いていくことを。


「そんな、平和な世界になるといいですね」


 ですが自分はガヴェル少尉の意見を否定せず、曖昧に肯定しました。


 ────そうあってほしいと願う彼の気持ちは、痛いほどよくわかるからです。


「戦争は俺達で終わらせる。次の世代の子供には、土の中で銃弾に怯えて寝泊まりさせたくない」

「はい」


 その為には、我々が勝たねばなりません。


 きっと連合側は被害を補填するため、我々を滅ぼしても、植民地を求め他国に『侵攻』していくでしょう。


 ……もはや彼らに対抗できる勢力など、存在しないのですから。


「あと少しだけ、力を貸してください。ガヴェル少尉」

「ああ」

「全てを、終わらせますので」


 この世界の国々はまだ『戦争の終わり方』を知りません。


 惨劇を止められるのは、恐らく自分しかいない。


 ……そのためならば、どんな悪事にも手を染めてやる。


「……着いたぞ」

「では、お話ししてきます。部屋の外を固めていてください、ガヴェル少尉」

「おう」







 そんな覚悟を決めた自分が、向かった先は。


「本日はお時間を頂き、ありがとうございます。ジーヴェ大尉」

「……うす」


 兵舎にある、ジーヴェ大尉の個室でした。


「……たいした、おもてなしも出来ず」

「お構いなく」


 自分は彼の部屋に入ると、盗み聞きされないようガヴェル少尉に周囲を警戒させました。


 そしてジーヴェ大尉と向かい合い、なるべく感情を殺して話をしました。


「時間がないので、いきなり本題に入らせて貰います。自分は、貴官を高く評価しています。判断力や勇敢さ、どれをとっても一級品でしょう」

「ありがとうございます」


 ジーヴェ大尉は現在、兵舎で大隊の訓練教導を行って貰っています。


 数多の新兵を使い物になるよう、鍛え上げるプランを練って貰っていました。


「そこで自分は次のウィン防衛戦にて、貴大隊に重要な作戦を任せようと思っています」

「光栄、です」

「その作戦に当たってですが」


 そんな忙しいジーヴェ大尉のアポイントを取ってまで会いに来た理由。


 ……それは、


「ジーヴェ大尉。貴官にはオースティンのため、命を捨てていただきたい」

「……」


 彼に、死を宣告する為でした。


「私の持ち場は、助からぬということですか」

「そう捉えていただいて構いません。……嫌なら拒否してください。敵前逃亡されるくらいなら、別の方にお願いします」


 自分の宣告を聞いても、ジーヴェ大尉は表情を変えませんでした。


 ジっと視線を、自分に向けるだけです。


「ジーヴェ大尉。貴官は祖国のために、死ぬと分かっていて最期まで勇敢に戦えますか」

「……ええ、無論」

「ありがとう、ございます」


 彼は、兵士でした。自分の死んでくれという要請に、二つ返事で頷いてくれました。


「……。…………。その」

「何でしょうか」

「俺をお役目に選んでいただいた理由を、伺っても良いですか」

「ええ」


 ジーヴェ大尉は表情を凍り付かせたまま、零れるように言葉を続けました。


「ジーヴェ大尉、貴官は優秀な軍人です」

「……どうも」

「オースティンの将来を担う人材といっても過言ではない。極限状況における貴官の判断力を評価しました」


 ……ジーヴェ大尉は、凄く優秀な将校です。彼の年齢で大尉になるなど、なかなか出来る事ではありません。


 ですが、その優秀さはジーヴェ大尉の『将来性』を含めた話であり。


 現時点の能力を同じ大尉階級の、例えばケネル大尉などと比較した場合、それほど優秀とは言えません。


「そしてあなたはレンヴェル大佐の御一族です。……彼の一族は皆、命を投げうって任務を全うし続けてきました」

「……」

「だからこそ。命惜しさに逃げ出したりはしないという信頼を持って、貴方を選びました」

「そうでしたか」


 自分はケネル大尉とジーヴェ大尉に、次の闘いで一人は死地に、一人は後方援護について貰うプランを立てました。


 後方援護は経験と判断力が重要。ケネル大尉の能力は、十分に信用できるのですが……。


 ジーヴェ大尉には、まだ『若さ』ゆえの不安定さを感じました。


 なので自分は、ケネル大尉を後方に選んだのです。


「そう、言われたら。断れないですね」

「……」


 ジーヴェ大尉は自分の言葉に、はにかむように笑いました。


 指揮能力を天秤にかけて捨て駒に選んだと告げず、ただレンヴェルさんのご一族だという点を信用したと伝えて。


「嫁を娶らないでいてよかった。誰にも寂しい思いをさせずに済む」

「……」

「私の女嫌いが、初めて役に立った」


 ジーヴェ大尉は落ち着いた表情で、涙すら流さず、そう嘆息しました。


 ……チクリ、と胸の奥が痛みました。


「この話は、他言無用でお願いします。……まだ、公表していない布陣の情報ですので」

「ええ、了解しました」

「それでは自分はこれで失礼します。まだ、解決すべき問題が山積みなので」


 そう言うと自分は、彼の机の上に。


 今や貴重品となった、オースティン産の蒸留酒を一本置きました。


「これは?」

「自分個人からの贈り物です。自分が尊敬している人が、好んでいた銘柄の酒です」

「……はあ」

「貴官に、ご武運がありますように」


 そして自分はジーヴェ大尉に敬礼した後。


 なるべく表情を変えず、席を立って退出しました。


「それでは」


 ジーヴェ大尉は、自分が渡した酒瓶を。


 無表情に、見つめ続けていました。








「……くしゅん」


 こうして決戦の時は、迫ってきました。


 既に、侵攻してきた連合軍がオースティン南部領土の八割を占領したと報告が入っています。


 オースティン南部領土は豊かな穀倉地帯で、国の生産の要でした。


 これでさらに、食糧事情はひっ迫するでしょう。


「どうしたトウリ、風邪か」

「そのようですね。……くしゅん」


 ただし南部領土には、侵攻に備え妨害工作も施してあります。


 例えば井戸や泉には毒を放って、あらゆる水源を汚染しています。


 道には設置魔法陣など罠を所々に設置し、橋や舗装路などインフラは全て破壊しました。


 終戦後のことなど考えず、なるべく兵站線の構築に時間がかかるようにしたのです。


 ……一日でも、連合軍の到着を遅らせるために。 


「次はどこに行く?」

「参謀本部へ。クルーリィ少佐とアポイントがあります」


 国土のインフラを破壊するのは苦肉の策です。


 しかし、そうでもして時間を稼がないといけない理由がありました。


「となると俺達は、また外で待機か」

「すみません」


 ────実は先日、サバト軍の到着が遅れるという情報が届いていたのです。


 どうやら出征する際にサバト国民が激しく反対し、軍部とひと悶着あったのだとか。


 そのいざこざのせいで、サバト軍が間に合わない可能性が出てきたのです。


 その件について、自分はクルーリィ少佐に呼び出されていたのです。


「……時間が、欲しい」

「トウリ?」


 更に連合軍は、かなりの速度で侵攻してきていました。


 早く戦争を終わらせたいのか、侵攻の速度が想定より遥かに早い。


 このままウィンに到達されれば、ベルンの策を実行する暇もなく踏みつぶされるでしょう。


「ガヴェル少尉。ちょっとだけ、無茶な作戦を実行する事になるかもしれません」

「……それは、俺らが?」

「いえ」


 無論、敵が想定通りに動いてくれないことなど承知の上です。


 ベルンも彼らの侵攻が想像より早い場合に備え、遅延作戦もいくつか用意していました。


「自分だけ、です」

「あ?」


 そのうちの一つがまた悪辣で、そして効果的でした。


 もし悪い方に転んだとしても、自分が死ぬ・・だけで済みます。


 ……そして自分が殺されても、それはそれで十分な状況になるのです。


 妹の命をなんだと思っているのでしょうね。


「……何だか、悪い顔をしているなトウリ」

「まぁ、どっかの兄の血筋でしょうね」


 サバト軍が間に合わなければ、ベルンの遺策も絵に描いた餅。


 いろいろなリスクを背負ってでも、時間を稼がねばなりません。


「ちょっとだけ、悪いことをしなければならないのです」


 ……いよいよ悪人としての、最初のお仕事です。

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