第175話
「……秘書官さん。今日の予定は、どうなっていますか」
「はい、トウリ少佐。本日は前線視察の予定です」
少佐として司令部で仕事を始めて、はや一週間が経ちました。
仕事の大半を秘書官さんに投げているのに、自分の疲労はピークに達していました。
「視察、ですか」
「前線の状況を、チェックします。ケネル大尉の担当している東B5からB13地区から向かいましょう」
「……はい、了解です」
前線から送られてくる、戦闘詳報。
戦場に送られた直後の若者が命を散らし、その家族に戦死通知書を作成する。
その心労に、心が抉られる気分になるのです。
「……」
戦場で新兵が死ぬなんて、当たり前の事です。
西部戦線の時に、何度も見てきました。
だからショックを受ける理由なんて、どこにも無いはずなのに。
「……トウリ少佐? もしかして、体調がすぐれないのですか?」
「いえ、そんなことは」
「顔が青いですよ? 風邪を引いたのかもしれません、視察は延期しますか?」
「いえ。……これでも衛生兵です、自分の体調くらいわかります」
自分の身体は鉛のように重く、寝覚めも最悪でした。
……部下を危険な死地に追いやって、自分だけ安全な部屋にいる。
その後ろめたさが、心に重くのしかかっていました。
「少し、気疲れしているだけです。視察は問題ありません」
「……はあ。では、案内いたします」
今までは自分も危険な場所にいたことで、逆に救われていたのです。
安全圏から若者を死地に赴かせる立場は、まだ自分には重すぎました。
「今から向かいますと、ケネル大尉に連絡しておいてください」
「分かりました」
自分は重い体に鞭打って立ち上がり、前線の方角へ歩きました。
エンゲイ市内の司令部から、最前線までは歩いて1時間。走れば40分ほどの距離です。
「向こうから返信が返ってきました、視察の準備は整っているそうです」
「了解しました、では向かいましょう」
護衛の兵士を数名つけていただいて、秘書官さんに案内してもらい。
自分はケネル大尉の待つ、暗く狭い塹壕へと向かいました。
自分達が視察する塹壕は、最前線ではありません。
区画指揮官であるケネル大尉のいる、防衛ラインの最後尾だけです。
「おう、よう来てくださいましたなぁトウリ少佐」
塹壕に着くとケネル大尉は、にこやかな笑顔で迎えてくれました。
今日は戦闘が起こっていないので、兵士たちは半裸で塹壕を掘り続けていました。
「ほらみんな集まり、有名な『幸運運び』さんやで」
「ど、どうも。トウリ・ロウです」
「はい、一同敬礼!」
「「はい!」」
ケネル大尉の声掛けで兵士は集合し、スコップを片手に敬礼をしました。
作業中に呼び出されたせいか、表情は硬く無言のままでした。
「お集まり頂き、ありがとうございます。どうぞお気になさらず、作業にお戻りください」
「「はい、少佐殿!」」
なので敬礼を返したあと、気にせず作業に戻るようにお願いしました。
なるべく、お仕事の邪魔はしたくないです。
「今日は視察日でしたな。どうです、見ての通り塹壕は掘り進めとりますよ」
「ありがとうございます、ケネル大尉」
「ここからは私が案内しましょ。少佐は、兵士に声をかけてやってくだせぇ」
ケネル大尉はそう言って案内を代わり、自分を各所に連れて行ってくれました。
書類通りの部隊配置がされているか、装備はきちんと点検されているか、連絡系統に不備がないかなど、入念にチェックを行っていきます。
彼の担当区域はだいたい視察しましたが、どこも問題はなさそうでした。
「当大隊に、何かございますかね」
「いえ、大丈夫のようです」
視察に行った先の兵士たちは、みんな緊張していました。
自分のような若造でも、上官に仕事をチェックされるのは緊張するのでしょう。
「正直に言ってください、トウリ少佐。本当に、含むところは何もないので?」
「ええ、よく勤務していただいていると思います」
丁寧に視察したつもりですが、問題点は見つかりませんでした。
予定した通りに塹壕を掘り進めていますし、物資の在庫も一致しています。
抜き打ちで兵士の装備もチェックしましたが、みんな点検が行き届いていました。
問題はない、と査定していいでしょう。
「……あのですね、トウリ少佐」
「はい、何でしょう」
「問題が無いなら、もうちょっと笑顔を見せてくれませんと。ウチの部下共、何を説教されるのかと不安がってましたよ」
視察を終えて、ケネル大尉に別れを告げようとすると。
彼はちょっと困った顔で、自分に苦言を呈しました。
「そないな暗い顔で視察されたら、士気に関わりますやん。ちょっとは、愛想をくださいな」
「暗い顔、ですか」
「少佐が滅茶苦茶に不機嫌そうだったもんで、私も緊張してしまいましたわ」
ケネル大尉は額に汗を浮かべ、困り顔でそう言いました。
……そんなに不機嫌そうな顔、でしたか。
「それは、気付きませんでした。すみません」
「不機嫌な上官ほど、兵士にとって恐ろしいものはないんです」
確かに自分は今、あまり良いコンディションとは言えません。
戦闘詳報で、戦死した兵士のリストを見るたびに気分が悪くなってしまいます。
彼らの死をありありと、自分のせいだと突きつけられているような錯覚に陥るのです。
「……もしかして。何か悩んでるんでっか、トウリ少佐は」
「ええ、まぁ」
歯切れの悪い態度をとったからか、ケネル大尉は自分が悩んでいるのを察したようで。
一呼吸置いた後、自分に改めて話しかけてきました。
「なるほど、トウリ少佐もそういう感じですか」
「ケネル大尉?」
「トウリ少佐、まだお時間ありますかい? ちょっと私のテントにでも寄って行きませんか」
彼は薄くなった毛を手で整えつつ、気さくに自分をテントへ手招きしました。
「大したものは出せませんがね」
時間に余裕はあったので、自分は誘われるがまま彼のテントに入りました。
ケネル大尉のテントは意外にも、色とりどりの花が添えられていました。
「私は花が好きなんですわ。フラメールの花は香りがちょっとキツイですけど、それでもないよりは落ち着くんです」
「……なるほど」
ケネル大尉の机には、所々ポップで可愛らしい小物も置いてあります。
意外と少女趣味……なのでしょうか?
「さて、トウリ少佐。どうぞお座りになってください」
「ありがとう、ございます」
「いえいえ遠慮なさらず。お困りごとがあるなら、いつでも、このケネルにご相談ください」
ケネル大尉は、ニコニコと笑みを崩さず自分に語り掛けました。
小太りで目つきも怖い人なので、正直ちょっと怖いのですが……。
「……では、一つお伺いしたいのですが」
「ええ、何でしょ」
この人は、自分の知る限り最年長の指揮官です。
若い兵士を戦地に送る、その罪悪感と今までどう向き合ってきたのか。
それを相談する相手としては、相応しいように感じました。
「ケネル大尉は、その。戦死した兵士とどのように向き合っていますか」
「ほう?」
自分はケネル大尉に、今悩んでいる事を打ち明けました。
いきなり少佐と言う立場になって、まだ困惑している事。
安全圏から命令を出して、部下の兵士が死んでいく報告に重圧を感じている事。
どうすれば、彼等の死と向き合えるのかが分からない事。
「軍人なら、人が死ぬことの意味なんぞ考えちゃいかんでしょうや」
そんな自分の悩みを、ケネル大尉は呆れたような顔で聞いていました。
「あー、ソコを悩まれてたんですなぁ。トウリ少佐は、士官学校で何を教えられたので?」
「……自分は、民間からの募兵組です」
「ああ、成程! そうでしたか、それで……」
自分が民間出と聞いて、ケネル大尉は納得した声を出し。
その後、ハァと大きなため息をつきました。
「私はてっきり、トウリ少佐も『やっかみ』買って、嫌がらせされてるのかと」
「嫌がらせ、ですか」
「ヴェルディ中佐も、なかなかキツい嫌がらせを受けたみたいでしてね。若い将校にはよくあるんですよ」
どうやらケネル大尉は、自分が嫌がらせを受けて悩んでいると考えていたようです。
そう言えば昇進した直後のヴェルディさんは、かなり顔が青かったですね。
身内びいきなレンヴェル派の人は、特に対象にされやすいようです。
「私は、それなりに知り合いが多くてね。トウリ少佐も同じ悩みを抱えてらっしゃったなら、手を回すつもりだったのですが」
「いえ、そういうのは今はないです」
幸いにしてまだ、自分はイジメの対象にはされていません。
今のところは、司令部の他の将校から遠巻きに見られている感じです。
やっかみを買っている可能性はありますので、気を付けておくとしましょう。
「ま、であれば。トウリ少佐の悩みは大変失礼ながら、しょうもないですわ」
「……しょうもない、ですか」
「ええ。ソコを気にして、オースティンに何の利益がありますのん」
ケネル大尉は自分の悩みを聞いて、そう一刀両断しました。
かなり悩んでいるのですが、しょうもないと一蹴されるとは。
「トウリ少佐、あんたは司令部の人間でしょう。だったら軍の利益にならない事を、悩んじゃいけません。時間と労力の無駄ですわ」
「……」
「死んだ兵士に想いを馳せている暇があるのなら、もっと軍に有益な事をして欲しいですなぁ」
ケネル大尉はそうキッパリ、自分に駄目だししました。
……まぁ確かに、彼の言う事は正しいのですけど。
「トウリ少佐と言えば、アルガリアで大層立派な戦果を挙げられたじゃないですか。あの勝利の秘訣は何だったんですかい」
「え、えっとそれは、幸運が大いに絡んでいまして。秘訣とかそう言うのは……」
「駄目です。全然ダメ。運で片づけたら、ソレで話が終わるでしょう。どういう部分が良かったから戦果に繋がったを考えてください。そして、他のシチュエーションでも生かせないか研究するのが司令部の仕事です。民間出のトウリ少佐には難しい問題かもしれませんが、どうせ悩むならソッチで悩みなさい」
そのケネル大尉からのお説教に、自分はパチクリと目を開くのみでした。
……アルガリアの勝利は、ただ運が良かったからだと片付けるべきではない。
指揮官として分析して、次に生かすべきだ。
その言葉には、確かにその通りです。
「敵を撃ち殺した、味方が何人死んだ。その辺を悲しむのは前線の兵士だけで十分ですわ。少佐が悲しまなくても、戦友の死を悲しんでくれる人はぎょうさん居るんです」
「……」
「むしろ少佐は、兵士の死を喜んでください。よくぞお国に尽くしたと、褒めてやってください」
「喜ぶ、ですか」
「死んだ兵士かて、会ったことない少佐殿に悲しまれても仕方ないですわ。アンタらの命令通りに戦った功績を喜んで、称えてやってください。それが上官の仕事ですやろ」
「……」
「死んだことを悲しまれるだけより、喜び称える人もいる方がすっきりします。少佐の仕事は、褒め称える事や」
ケネル大尉のご意見は、完璧に『軍人』のものでした。
そしてそれは、自分が身に付けなければいけない価値観でした。
「トウリ少佐が指揮して余計な被害が出たなら、たっぷり悩んでもらわな困りますが。アンタ、前線業務を私らに丸投げしてるでしょう」
「……はい」
「だったら、何を悩んでいるのか分かりませんわ。少佐は関係ありませんがな」
彼の言う通り、現在の指揮はケネル大尉とジーヴェ大尉に丸投げしています。
自分がその被害を気に病むのは筋違い、という意見も尤もです。
「はっきり言うでトウリ少佐。アンタ、前線で何の役にも立ってません。私らが提出した書類を眺めて、ヘイコラしてるだけのごく潰しや。そんなヤツが何を一丁前に、被害気にしてますねん」
「……う」
「それに正直、私は少佐の手腕を当てにしてません。私の方が、経験の浅いトウリ少佐より指揮が上手い自信がありますわ」
「……」
「私が少佐に求めとるんは、モチベーターの役割です。だからわざわざ視察の時に、兵士を集めて声掛けして貰いましてん。可愛い上官殿や、応援されたら兵士もやる気出ますやろ」
ケネル大尉はキッパリ、そしてズケズケとものを言ってくれました。
完全に自分を『客寄せパンダ』と思っていることまで、包み隠さずに。
ちょっとびっくりしました。
「そもそも少佐は、なんで軍に志願しましたの」
「回復魔法の適性があったので、ほぼ無理やりに。元々は衛生兵で、誰かの助けになれればなと」
「あー……。それでよく、今まで生き残ってきましたなぁ」
しかし、今のケネル大尉の言葉はきっと本心なのでしょう。
いきなり小娘が上官になって、ウジウジとくだらない事で悩んでいる。
前線で命を預かって指揮しているケネル大尉からしたら、腹立たしいことかもしれません。
「トウリ少佐、大事な質問です。アンタ、敵を殺すのは好きですかい?」
「え?」
いきなり、ケネル大尉はそう自分に問いました。
その急な質問に、自分は少し戸惑った後。
「好きではない、と思います」
「じゃあ目の前に敵兵が居たら、見逃しますか?」
「いえ、その。戦場であれば、覚悟を決めて撃ちます」
そう素直に応えました。
「何をカマトトぶってますん?」
そんな自分の返答を、ケネル大尉は冷たい目で切り捨てました。
「私は敵の頭撃ち抜いたら、手を叩いて大喜びしますぜ。そのあと、間抜けな敵を大笑いしてやるんや」
「それは」
「兵士が敵を殺す罪悪感を持って、何の得がありますのん? 引き金を引く指が鈍るだけでっしゃろ。一秒でも早く引き金を引ける兵士の方が、戦場では強い」
ケネル大尉は、どこまでもリアリストでした。
戦場で生き抜くための精神性が、倫理観と乖離していることをよく理解していました。
「戦場では、一瞬の躊躇が命取りになるんです。トウリ少佐の高尚な精神が兵士に伝染して、引き金を引くのが遅れ死んだらどう責任取りますの」
「……」
「あんたはまだ、戦争に参加してるんじゃない。巻き込まれてるって意識なんでしょうよ」
そして、彼は恐ろしいほど正確に。
自分の中の甘えた部分を、言葉にしました。
「私らの上官やって言うなら、敵を撃ち殺した兵士を満面の笑みで称えてくださいよ。こっちはアンタの命令で、人を殺してるんですよ!? なんで自分は関係ない、みたいな態度とっとるんですか!」
「……」
「トウリ少佐のご命令で、私達は命懸けで戦ってんです。そこを理解せず、勝手に死を悼まれても迷惑です」
……確かに。
ケネル大尉の言う通り、自分はどこか『戦争に巻き込まれている』という気持ちがありました。
「……ったく、アルガリアの噂は誇張やったんですな。嗤いながら敵兵を撃ち殺す、冷徹無比の女軍人って聞いてたんですけど」
「それは……」
「上官としてやってきたのが、まさかこんな街で人形遊びしてそうな女の子とは」
末端の兵士だった頃はそれで良いのかもしれませんが、今の自分は司令部の少佐です。
戦争に巻き込まれているのではなく、若者を『戦争に巻き込む立場』。
それを自覚し、覚悟せずに仕事に当たるのは不謹慎でした。
「くだらんことを悩む暇があったらば、軍に有益な仕事をしてください。トウリ少佐ならそれこそ、ご自身の知名度を使って貴族から寄付を募るだとか、前線兵士を鼓舞して回るだとか、色々あるでしょ」
「……はい」
「私から言いたい事は以上です。部下の立場からあれこれと、差し出がましい事を言うてすみませんでした」
ケネル大尉からのお説教は、納得できる部分が多くありました。
かなり厳しい言われようでしたが、これが『軍人』の考え方なのでしょう。
くだらないことで悩む暇があれば、軍にとって有益なことをしろ。
……このお説教は、返す言葉も無いほどに正論でした。
「ま、色々言わせてもらいましたけど、私はトウリ少佐を嫌いやないですよ。自信過剰に、あれこれ変な命令してきませんからな」
「自信過剰、ですか」
「若い奴が大手柄上げてしもうたら、そりゃあもう増長しますのよ。変な自信持ってしまって、こっちがいかにまともな提案しても全て蹴られちまう。そんなヤツより百倍はマシですわ」
ケネル大尉のお小言にシュンとしていると、流石にバツが悪かったのか。
彼は最後に、フォローするようにそう言いました。
「……ま、今後も分からんことや悩まれている事があれば、このケネルをお頼りください。この通り口は悪いですが、真摯にお答えいたしますよ」
「ありがとう、ございます」
……今の自分に出来る事。
士官学校も出ていない自分が、戦術論を研究するなど難しいですけど。
せめて笑顔で、兵士達を鼓舞するくらいは出来る筈です。
「それでは、また。トウリ少佐」
「ええ、今日はありがとうございました、ケネル大尉」
こうして自分は心機一転、戦争を主導する立場になった事を自覚して。
「……次は、ジーヴェ大尉の担当地区の視察ですね」
「はい、伺いましょう」
人を殺す命令を出している立場として、少しでも兵士達の罪悪感を和らげるよう。
なるべく笑顔を意識して、次の視察に向かいました。
「……ジーヴェ大尉?」
「御意」
その後。
頑張ってニコニコしながら、ジーヴァ大尉の下に伺うと。
「あのー」
「ぎょ御意」
ジーヴェ大尉は自分の笑顔を前に、極度に緊張してカチコチになってしまいました。
「……」
「……」
ジーヴェ大尉に、女性の笑顔はまだ早かったようです。
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