第174話
「入室の許可を求める。任務の報告に来た、トウリ」
「お久しぶりです。入ってください、ガヴェル少尉」
少佐の仕事は、前線勤務に比べると楽でした。
命の危険はなく、肉体労働もさせられません。
孤児院にいた頃よりも、裕福な暮らしと言えました。
「中隊長になった気分はどうですか」
「やりがいはある。……だがなぁ、プクプクしたのが言うことを聞かなくて」
「アルギィは相変わらずですか」
ベッド付きの個室暮らしで、洗濯や掃除などもしてもらえて、温かい食事が出てきます。
申請すれば嗜好品も購入できますし、水浴びもできます。
砲撃音に叩き起こされたり、戦友のいびきに悩まされる事もありません。
「……お前、痩せたか?」
「少し、痩せたかもしれません」
そんな快適な環境にいるというのに。
自分は何故か、日に日に弱っていきました。
「何というか……不健康な痩せ方に見えるぞ」
「運動する時間が減ったから、ですかね?」
ガヴェル少尉には誤魔化しましたが、理由は分かっています。
……毎晩のように悪夢を見て、眠れていないからでしょう。
「自分は大丈夫です。では、仕事の話に入りましょうガヴェル少尉」
「あ、ああ」
戦闘詳報が送られてくる度、塹壕でどんな兵士が、どのように死んだかを突きつけられます。
死亡通知書を書くたびに、死んだ兵士の顔写真を見て胸が痛みます。
……そして夜になると、塹壕で死ぬ兵士の夢を見るのです。
「では最初に、兵士の補充についてですけど。ガヴェル中隊には、35名の新兵が配属されることになりました」
「分かった、感謝する。時期はいつ頃になる?」
「ガヴェル中隊には4日後に、首都ウィンまでの物資輸送任務に就いていただきます。その後、ウィンの士官学校で訓練兵と合流してください」
「了解した」
ガヴェル遊撃中隊には、危険な任務を与えていません。
士気を保つため、壊滅させないよう指示されていたからです。
しかし指示されたのは『部隊を存続させる事』だけでした。
……「ガヴェル中隊」さえ無事なら、構成兵士がまるごと入れ替わったとしても、問題はないそうです。
「新兵がどれだけ生き残るかは、練度で決まります。よく訓練してあげてください」
「分かった。任せておけ」
ガヴェル少尉はそう言うと、自分に向け敬礼して。
「お前も、ちゃんと休めよ」
「……お気遣い、ありがとうございました」
最後にそう言って、部屋から立ち去りました。
自分は十分に休んでいます。
休憩時間も取れていますし、夜もベッドで眠っています。
だというのに、衛生部で徹夜で働いていた時よりも、体が重いのは何故でしょうか。
「ケネル大尉から報告です、敵の攻勢のようです」
「……戦況は、どうですか」
「敵の勢いは強く、やや不利だそうです。応援を求む、と」
「分かりました。ジーヴェ大尉に連絡し、遊撃部隊を援護に当たらせてください」
数日おきに、機関銃に突撃してくるフラメール兵士。
彼らを追い返す音頭をとるのが、自分の仕事です。
「敵の攻勢範囲が広いですね」
「ガヴェル遊撃中隊と、ドロール遊撃中隊がエンゲイに滞在中です。彼等にも出撃して貰いますか」
「……ええ。では、そのように」
自分は現場の将校から、報告を受けて。
どの部隊をどこに配置するか、その判断をするだけ。
……本音を言えば知り合いがたくさん居るガヴェル中隊を、前線に出したくありません。
しかし、中隊を一つ遊ばせておく余裕などあるはずがなく。
戦友を危険な場所に派遣してでも、陣地を守らねばならないのです。
「……戦闘報告の、続報はまだですか」
「現在も交戦中の様です」
自分は司令部の私室で、ひりつくような焦燥を感じながら、報告を待ちました。
ガヴェル少尉が、あの中隊のみんなが、塹壕に籠って敵と交戦している。
だというのに、自分は何をしてるのでしょうか。
「トウリ少佐。ヴェルディ中佐から、追加の書類です。作戦指示書に、記名ミスがあるそうです」
「分かりました、確認します」
しかし戦闘中であっても、書類仕事はこなさねばなりません。
戦争を滞らせないために、処理していく必要があるのです。
今は秘書さんの力を借りていますが、いずれは自分一人でも処理できるようにならないと。
「……ケネル大尉から戦闘報告です。塹壕を1層放棄するも、敵の撃退に成功したとのことです」
「分かりました、ありがとうございます」
結局、その戦闘が終わったのは翌日になってからでした。
かなり力の入った攻勢だったようで、我々は塹壕を一つ放棄する結果となりました。
「敵の被害は1000以上と推定されます。味方の死者は112名、負傷者887名、行方不明141名で────」
この攻勢は、なかなか激しかったようで。
貴重なオースティン兵が100名以上も戦死し、野戦病院は凄まじい数の負傷者で溢れかえりました。
「ガヴェル遊撃中隊の犠牲者は、2人……」
戦死者のリストに、顔見知りの兵士が居ました。
ガヴェル曹長と川遊びをしていた、背の低い男。
アルガリアでは一番多くの魚を獲っていた、元漁師の人。
どちらも、言葉を交わした事がある人物です。
「こちらは死因別のリストです。消費弾薬の補充申請書も来ています」
「……確認します」
2人が死んだ原因は自分です。
自分が、ガヴェル遊撃中隊を防衛に当たらせる判断をしたから。
ですが防衛戦略上、動員しない理由がありませんでした。
『遊撃中隊』とは本来、こういう場合に動く部隊だからです。
「衛生部から派遣看護兵を、病院に招集する許可を求めています」
「許可します」
そして衛生部からは、アルギィのような派遣看護兵を招集させろと依頼が来ていました。
900人近い負傷者が出たので、人手が足りなくなったのでしょう。
「……すみません、秘書さん。少し病院を見てきます」
「分かりました」
自分は、魔力が満タンの衛生兵です。
病院に行けば、出来る事があるかもしれません。
今日の仕事は、そんなに多く残っていません。
そう考えて、自分は病院へと飛び出していきました。
「……司令部付き、トウリ少佐です」
「少佐殿!? 衛生部に何か御用でしょうか」
「レィターリュ衛生部長のいる場所を教えてください」
それは、きっと自己満足でした。
「レイリィさん、お久しぶりです。手伝いに来ました」
「トウリちゃん!? じゃなかった、少佐殿……」
「敬語などは結構です、それより指示をお願いします」
「……分かったわ。とりあえず、
自分はレイリィさんを訪ねた後。
彼女の指示に従い、比較的軽傷な兵士の治療に回りました。
「トウリ少佐も仕事があるでしょう。適当なところで切り上げてね」
「ご配慮、ありがとうございます」
数か月ぶりに再会したレイリィさんは、相変わらず忙しそうで。
再会の挨拶を交わす暇もなく、別れて仕事に没頭しました。
「衛生兵さん、俺、大丈夫かな」
「大丈夫、助かりますよ。安心してください」
「うぅ……、動悸が止まんねえ、どうなっちまうんだ俺」
「む。看護兵さん、彼に点滴の準備を。顔色が悪そうです」
……衛生兵としての仕事は、心が落ち着きました。
大怪我で苦しんでいる人に何かをしてあげられるというのが、とても嬉しかったのです。
「【癒】。はい、貴方はもう大丈夫です。念のため、今日は安静にしていてください」
「ありがとう、衛生兵さん」
休む暇がない、医療現場で。
次から次へと、負傷者の処置をこなしながら。
「秘薬はありますか」
「あまり在庫は有りませんが」
「……では、節約しないとですね」
秘薬をキメて回復魔法を行使し、助かる命を助けていく。
そのことの、何と素晴らしい事でしょう。
「は、はは、は……」
「ど、どうした? 何を笑ってるんだ、この衛生兵ちゃん」
「いえ、これです。自分は、これがしたかったんですよ」
自分は、司令部の仕事をほったらかしにして。
夜が明けるまで、ずっと野戦病院で治療を続けていました。
「あの、君、少佐の階級章付けてるんだけど」
「お気になさらず。そういう事もあります」
「そう、なのか?」
生きているという実感が、野戦病院にはありました。
徹夜での病院勤務は、眠たくて、辛くて、しんどくて。
だけど誰かの助けになっているという感触を、確かに感じたのです。
「トウリ少佐」
「秘書官さん」
しかし、これは自分の仕事ではありませんでした。
帰ってこない自分を心配し、明け方に秘書官さんが衛生部にやって来てました。
「ブリーフィングまでに、作成すべき資料が残っています。そろそろ、戻られては」
「……はい」
秘書官さんは、蔑むような目で自分を見て。
兵士の血と汗で汚れた自分を、司令部へと連れて帰りました。
いったい何が辛いのか、わかりません。
ですが自分の中の何かが、限界に達しつつありました。
「トウリ少佐、戦闘報告書です」
「ありがとうございます。確認します」
個室を貰って、ベッドと温かい食事が提供され。
山のような書類仕事も、秘書官さんに教えて貰いながらこなし。
自分は現状に、何の不満も無いはずなのです。
「今回の戦闘でも、それなりに被害が出たようです」
「……前線に、補充できる人員はありますか」
「そうですね、今人員に余裕があるのはガヴェル中隊でしょうか」
今までの自分は、命を選別される側でした。
上官の命令に従い、危険な戦地に赴いて、命を懸けて仕事をする。
そうあるべきだと、教え込まれました。
「アルガリアの生き残りとなれば、引く手数多でしょう。トウリ少佐から見て優秀な者を、前線に送りましょう」
「はい……」
ですが、今の自分の仕事は違います。
自分は、命を選別する側の人間になりました。
「この、キャレルは二等兵にしては優秀でした」
「では、この人も前線送りでいいですね。他には────」
動悸が、少しづつ激しくなっていきます。
自分に告白してきた兵士、一緒に川で遊んだ兵士など、ガヴェル中隊には顔見知りが沢山います。
「……この人、は」
ふと、リストを流し見て。
かつて自分に「逃亡癖」を自慢した、トラブルメイカーな兵士を見つけました。
「……」
どうせ前線に送るのであれば、彼のような人からで良いのでは?
アルガリアでも決戦前に「俺は逃げる、お前らも逃げよう」と騒ぎ、士気を下げたのは記憶に新しいです。
命を選別することが出来るなら、どうせならこう言う人から────
「っ!」
「トウリ少佐?」
ダン、と。自分は思い切り、拳を机に叩きつけました。
唇を強く噛み過ぎて、血の味が口に広まりました。
「どうか、されましたか」
「いえ、何でもありません。……失礼しました」
我に返った、瞬間。
自己嫌悪の余り、自分の顔を思い切り殴りつけたくなりました。
────今、自分は私情で命を選別しようとしました。
軍人として考えるなら、逃亡癖のある兵士を前線に出すなどもってのほか。
間違いなく、彼は『前線勤務するに足る兵士』ではありません。
彼の態度を矯正しないまま前線に出せば、きっと悪い影響を及ぼします。
むしろ前線に出ない限り、逃亡癖で迷惑をかけることがないでしょう。
だというのに、自分は一瞬、この人を前線リストに入れようとしました。
……そこにあったのは、兵士としての合理性ではありません。
コイツだったら死んでも良いやという、この上なく劣悪な感情。
「トウリ少佐が指揮した中隊ですからね。そこまで気に病まれるなら、他の隊から補充を依頼しましょうか」
「……あ、それは、その」
秘書官は困った様な笑顔を浮かべ、自分にそう提案しました。
他の部隊から補充する、それが許されるならどれだけ良いでしょうか。
自分と生死を共にし、アルガリアで戦い抜いた戦友を守れるのですから。
「トウリ少佐には、その人事決定権がありますよ」
「……」
自分の知人達を、戦火から守れる。
それも、自分に許された権限の範囲で。
そうです、ガヴェル中隊の皆は英雄として祭り上げられた存在。
その命を優先する判断をして、何が悪いのでしょうか。
「────いえ」
しばらく、逡巡した後。
「予定通り、ガヴェル中隊から補充しましょう」
「良いのですか」
「はい。補充兵はキャレル二等兵、ルッドマン二等兵、クーデル伍長……」
結局自分はガヴェル中隊の面々を、前線送りにする決定を下しました。
感情で、兵士の配置を決めるべきではありません。
塹壕戦に適切な人材を選び、配置するべきです。
「……了解しました。では、そのように手配いたします」
「お願いします」
そうです、これがあるべき姿です。
自分は兵士の人事において、個人的感情を排除すべきなのです。
その結果、誰が死んでどうなろうと、それは天命。
────それでいいと思うぜ。
そう、心のうちで決心した瞬間。
────そうすれば、お前は傷つかずに済むからな。
自分が追い詰められた時に聞こえる、心の中の声が。
よくできましたと、皮肉げに嗤いました。
「ルッドマン二等兵、参上しました」
「キャレル二等兵、参上しました」
「クーデル伍長、参上しました────」
自分はガヴェル中隊から12名の兵士を選び、前線行きの辞令を渡しました。
「俺を選んでくれてありがとうございます、トウリ少佐」
「……キャレル二等兵」
「トウリ少佐のご期待に応え、活躍して見せますよ」
新兵は意気揚々と、命令書を受け取りました。
前線は怖いだろうに、本当は嫌だろうに、それを感じさせない態度で。
「御武運を、お祈りしています」
「アルガリアの戦に比べたら、屁でもないですよ」
自分は、塹壕戦がどんなものか知っています。
前線に配置された新兵は、大半が半年以内に死亡することも理解しています。
ここに呼び出した兵士の殆どは、半年後には居なくなっているでしょう。
「勲章が一つだけじゃ、ちと物足りなかったんです。また、大手柄を立ててきます」
「トウリ少佐、どうかお元気で」
彼らは、それを知っているはずなのに。
どうしてそんなに、眩しい笑顔で笑えるのでしょうか。
「貴方達の勇気に、感謝を……」
自分は前線に赴かず、後方で指揮をする立場なのに。
この場で手が震えているのは、自分だけでした。
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