第169話

「この先は参謀本部です。ご用件をお伺いしてよろしいでしょうか」


 自分は召集命令書と数分ほど睨めっこした後、諦めて参謀本部へ出頭しました。


 今度はベルンに何を言われるのか、想像するだけで気が滅入りそうでした。


「……トウリ・ロウ少尉です。参謀本部の招集命令に応じ、出頭いたしました」

「確認いたしました。お入りください少尉殿」


 ウィンの参謀本部は、基地の奥に設置された古めかしい建物でした。


 受付の兵士も金ぴかの軍服を着ていて、たっぷり貴族髭を蓄えているのが印象的でした。


 そう言えば、首都の参謀本部は貴族様しかいないのでしたっけ。


 建物内にも大理石の彫刻など置かれていて、軍事施設と言うより美術館のようでした。


「ベルン・ヴァロウ少佐がお待ちです。奥の医務室にお進みください」

「了解いたしました」


 ベルン・ヴァロウは現在、参謀本部の医務室で寝泊まりしているようです。


 怪我にかこつけて、何かしらのセクハラを求めてくるかもしれません。


 今から心の準備をしておき、できるだけ平静に、機械的に対応しましょう。


「トウリ・ロウ少尉です。入室の許可を願います」

「入れ」


 数回深呼吸して、何を言われても良いよう心を良く落ち着かせた後。


 自分はベルンの待つ病室のドアをノックし、開きました。




 ────死臭。




「よく来たな」


 ドアを開けた瞬間、刺すような腐臭が鼻を突きました。


 それは戦場で嗅ぎ慣れた、肉が腐る臭い。


「どうした、入室を許可する。さっさと、俺の前に来い」

「……はい」


 病室の奥から、悪魔ベルンの声がしました。


 その声は枯れてくぐもり、言葉には粘着質な痰が絡んでいます。


「久しぶりだな、トウリ・ロウ」


 自分は男に言われるがまま、カツカツと歩きました。


 ベルン・ヴァロウが横たわる、そのベッドの前に。


「─────っ!」

「はは、何だその顔」



 ─────そこには骸骨のようなベルン・ヴァロウが、血と包帯だらけで寝かされていました。 



 ……彼の足は壊死しており、先が切り落とされています。


 シーツは赤黒く、糸を引いた黄色の漿液が付着し。


 唇は紫色で、ひび割れて乾ききっていていました。


「……お久しぶりです、ベルン少佐。随分と、おやつれになりましたね」

「ああ、やつれたさ。体重なんて、半分になっちまったよ」


 顔の右半分は火傷で覆われ、目は落ち窪んでいました。


 体中に褥瘡と紫斑が出来ていて、脇腹のあたりは化膿していました。


 頬はこけ、筋肉も痩せ細っています。


 ────こんな状況で、どうして生きているのか分からない。


「この怪我じゃ、参謀を続けるのは厳しくてな」

「そうでしょうね」


 成程、これは首都で療養を言い渡されるのも納得です。


 ……本当に、生死の縁をさまよっていたようです。


「3発も、銃弾を貰っちまった。そんで、手榴弾で火炙りさ。レイターリュ少尉曰く、生きているのが不思議な状況だとよ」

「……自分の眼にも、そう見えます」

「はっはっは、本当してやられたぜ」


 彼は力なく、黒くなった自分の脚を見て笑いました。


 この状態では治っても、もう二度と歩く事は出来ないでしょう。


「なぁ、トウリ・ロウ。お前、旧サバトの連中は憎いか?」

「え? 旧サバト、ですか」

「ああ。旧サバト政府軍、お前と殺しを楽しんでた連中だよ。その親玉シルフ・ノーヴァは憎いか?」

「そ、それはもう」


 ベルンは笑みを崩さぬまま、自分にそんな問いかけをしました。


 シルフが憎いか、と聞かれれば。間違いなく自分は、憎いと言い切れます。


 ……彼女には、大切なものを奪われ続けました。


 自分は躊躇いなく、シルフを殺さないといけないのです。


「俺もだッ!」

「っ!?」


 なので、ベルンにそう相槌を打った瞬間。


 彼は額に血管を浮かべ、激高して叫びました。


「ムカつく、腹が立つ、ウザったらしい面倒くせぇ憎たらしい! もう負け戦だったんだから足掻くんじゃねぇ、本当に小癪だ!」

「あ、あの、ベルン少佐?」

「何なんだあのクソ女は! そんなに俺の邪魔をしたいのか、何でもう破綻していることに気づかない! 戦闘勘だけ鋭いアホほど、タチの悪いものはない!」


 そのあまりの剣幕に、呆然としていると。


「エーッホ! エッホ! エッホ!!」

「あ、ちょっと、ベルン少佐!?」

「うっぐっ、が」

「げ。看護兵さん、気管吸引の準備を!」


 やがてベルンは噎せこんで、顔を真っ青にして倒れ込みました。


 窒息しかけていたので自分はベルンを抱き込み、腹を締め上げて吐物を吐き出させました。


「ゲッホ、げっほ! あー、死ぬ、かと、思った」

「ベルン少佐、癇癪起こして死にかけないでください! 自分の責任が問われるでしょう!?」

「おお、お前が叫んでいるの初めて見たな。はっはっは」

「急に元のテンションに戻らないでください……」


 その後、ドタドタと看護兵さんが慌てて部屋に入ってきました。


 そのまま彼の処置を任せ、自分は呆れたまま息を吐きました。


「ま、そういう訳だ。初めて、俺達の気持ちが一致したな」

「……そうですね」

「そこでだ、トウリ少尉。いや、オースティンの新たな救世主! いよっ、英雄!」

「そのノリ、やめていただけますか。気持ち悪いです」


 一通り叫んで落ち着いたのか、ベルンはいつも通りの軽いノリに戻りました。


 ……多分、この性格は彼の『仮面』なんでしょうね。


 先ほど怒鳴った時こそが、彼の素な気がします。


「それで、自分を呼び出した理由を伺って宜しいですか」

「ん、ああソレな」


 容体が落ち着いて、一安心したあと。


 自分は改めて、彼に用件を聞いてみました。


「ま、ちょっと雑談でもしようかと思ってさ」

「雑談、ですか?」


 自分の問いに、ベルンは胡散臭い笑顔を返すのみでした。


 下心があるのか、暇つぶしに呼びつけただけなのか、まるで分りませんでした。


「……自分のようなつまらない人間を呼びつけて、何を話そうというのです」

「んー、まずは近況とか?」


 ただ、一つだけ分かるのは。


 ベルンの両目が見据えているのは、自分ではない遠くの『何か』だということだけでした。


「一ヶ月も休暇貰ったらしいじゃん。どうだ、楽しかったか?」

「……そうですね、急な呼び出しがなければ最高の休暇でしたね」

「はっはっは。非常召集で休みを潰されるのは、軍人の運命ってヤツだ」


 何でもない会話のようですが、あのベルン・ヴァロウの事です。


 どんな裏があるか、警戒するに越したことはないでしょう。


「じゃあ次は、そうだな。お前ってどんな銃が好きとかある?」

「……自分はサバト銃が、手に馴染んでいて好きですね」

「ほー。結構居るらしいな、サバト銃の方が良いって兵士。オースティン銃の方が、頑丈なんだがなぁ」


 ベルンは楽しそうに、自分と会話を続けました。


 見た目が重傷なので、ホラーにしか見えません。


「そうだ。お前、宴会芸が得意って聞いたぞ。病床で暇なんだ、何か見せてくれよ」

「……。こんこん、狐さんです。にゃーにゃー、ねこさんです」

「腹話術か、上手いじゃねーか」


 ただ、自分の目には……。


 ベルン・ヴァロウは純粋に、話を楽しんでいるようにしか見えませんでした。


「ご満足頂けましたか」

「ああ。ついでに今の猫なで声で、俺を『お兄ちゃん♪』とでも呼んでくれないか」

「……お暇しても良いですか」

「冗談だよ」


 世間話に付き合ってみましたが、どうでもいい話が続くのみです。


 もしかしたら本当に、暇つぶしで自分を呼びつけたのかもしれません。


「恐縮ですが自分は、ベルン少佐殿と歓談する間柄ではないと認識しています。失礼ながら、そろそろ」

「分かった、分かった。……ったく、怪我人の暇潰しに付き合ってくれても良いじゃねぇかよ」


 自分が本気で帰ろうとしていることに気付いたのか。


 彼は不貞腐れた顔になり、頭を掻いて本題に入りました。


「見ての通り、俺は重傷だ。再び戦場に立てるか分かんねぇ」

「……首都の医療技術であれば、きっと快復できます」

「そうかもな」


 ベルン・ヴァロウはそう言うと、寂しそうに窓の外を見つめました。


 それはまるで、大事な玩具を誰かに託すような、寂しい顔でした。


「トウリ・ロウ少尉。今から話すのは、あくまで俺の推測だが」

「はい」

「オースティンは負けるよ」


 彼はそう、何の感情も込めずに言い切りました。


 分かり切ったことを確認するような、そんな言い草でした。


「大一番でヘマをした俺のせいで、オースティンは負けるんだ」

「……参謀少佐は、そうお考えですか」

「ああ。数年以内に負けて、蹂躙されて、植民地になる」


 ベルンはいつも口から、嘘と謀略しか吐かない悪魔のような男ですが。


 その言葉だけは、本心から言っているように感じました。


「生産力は、もう限界。人手も足りず、銃弾もない。俺達がまともに戦えるのは、あと一年だろう」

「……」

「刑の執行を待つ死刑囚なのさ、オースティンは」


 それは、どんな窮地であっても『勝利』を諦めなかったベルンにとって。


 恐らく初めての『ギブアップ宣言』でした。


「珍しいですね。貴方は、弱音を吐かないタイプだと思っていました」

「弱音じゃない。事実だ」


 実際、彼の言う通り。


 当時のオースティンに、勝ち目はなかったでしょう。


 食料物資の残量、生産力などの資料を見たら、誰もが同じ結論に達したと思います。


「俺は軍を退役して、サバトに避難しようと思ってる」

「それは……!」

「ただでさえ不利なのに、俺が戦線離脱してんだ。まだオースティンに勝ち目があると思うか?」

「……」

「今までだって、俺が居なけりゃ勝ててないだろ」


 そんな、危機的な状況で。


 ベルン・ヴァロウですら諦めた、戦争の行く末を。


「でもお前なら、ワンチャン起こせるのかなぁって」

「……はぁ」


 この男は、自分にブン投げようとしてきたのでした。


「何で、自分ですか?」

「他にいないじゃん。勝てそうなの」


 そのあまりにも適当な物言いに、言葉が出てきませんでした。


 まるで、負けそうになってゲームを投げた子供のような言動です。


「俺は負けたくない。シルフとかいうクソガキに、思い知らせねば腹が収まらん」

「……はあ」

「でも俺がこのザマじゃ、どう足掻いても勝ちの目を拾えん。そんな時『俺でも想像できない』戦果を挙げ続けてる指揮官がいたら、どうすると思う?」


 ベルンはそう言うと、おどけて舌を出しました。


 相変わらず、人をからかっているような物言いです。


「アルガリアの一件、聞いたぜ。お前は訳が分かんねぇ」

「はあ」

「もうこの戦争、普通に考えたら無理だ。でも、お前なら何か出来るのかなって思ってさ」


 ですが、恐ろしい事に。


 今日の彼の発言には、『嘘』の気配が全くなくて。


「断るなら、断っていい。どうだ、俺の後任として……参謀長やってみるか」


 彼は心の底から、自分に全てを託すつもりでそう言っていたのです。


「……お断りします」

「やっぱ、無理か」

「自分は、平民あがりの募兵組ですよ。何で参謀将校が出来ると思ったんですか」

「お前が参謀将校でも出来ない事を、平気でこなしてきてるから」


 ベルンはそう言うと、ケラケラと笑いました。


 そこに、敗戦の悲壮感はありません。


「よし分かった、じゃあ別のヤツを推薦するよ。時間を取って悪かったな、トウリ・ロウ少尉」

「……いえ」


 ベルンはそう言ったきり、この話題を打ちきってしまいました。



 こうして、自分とベルンの面談は終わりました。


 今日の彼は、終始おどけているようにも、不貞腐れているように見えました。


「……ったく、旧サバトの連中はしょーもねぇ。はー」


 自分は、このベルンの態度に見覚えがありました。


 それは格上に叩き潰され、萎えているゲーマーの姿。


「ん? もう行っていいぞ、お前」

「……」


 ……そう思い至った瞬間、自分はこの男を見下しました。


 オースティン兵士は故郷を守るため、家族を守るために命懸けで戦ってきたというのに。


 この男にとっては敗戦も、『ゲームに負けた』程度の認識でしかなかったのです。


 だから情勢が決したら『捨てゲー』して、他のプレイヤーに手綱を投げる。


 今までベルンの指揮で戦い、散っていった味方を何だと思っているのでしょう。


 こんな男に頼って戦争してしまったのが間違いでした。



「ベルン少佐は、サバトで何をするつもりですか?」

「ああ、俺?」


 負けるにせよ、せめて最後まで貴方が指揮をすべきだ。それが、ベルン・ヴァロウの取るべき責任だ。


 自分はその言葉を、何とか飲み込みました。


 ここでベルン・ヴァロウを詰ったところで何も変わりません。


「内緒♪」

「……そう、ですか」


 今はまだ、この男は上官です。


 そして、現在オースティン軍における最高権力者の一人。


 彼を罵倒したら、自分の立場が悪くなるだけ。これ以上、この男に感情を乱されるな。


 そう考えて、自分は彼の言葉を何とか聞き流しました。


「お話は以上ですね? では、自分はこれで失礼します」

「あー、そんな怖い目で睨まないでよトウリ少尉。可愛いお顔が台無しだよ」

「……」


 これ以上、この男と話すことは無い。


 自分は上官への義理として、退室前に彼に敬礼をしました。


 彼の言葉が本当なら、まもなくこの男は軍を辞します。


 であれば二度と、この男の顔を見ることは無いでしょう。


「まぁ、任せとけって」


 そう思って自分が病室のドアを開け、廊下に出ようとした直後。


「こっちでもやれることは、やっとくからよ」


 ドアが閉まる直前の、ベルン・ヴァロウの楽し気な声が耳に残りました。







 今、思えば。


 ベルン・ヴァロウが『勝負を投げた』というのは、自分の大きな勘違いでした。


 あの男の性根はどうあれ、オースティンを勝たせることをあきらめていなかったのです。


 確かにこの後、彼は前線を退いてサバトに移住し、療養を始めました。


 しかしベルンの『悪意』は、衰えていません。


 『そうしないとオースティンに勝ち目がなかった』から、前線を退いただけです。


 こうしてオースティン軍はベルン・ヴァロウを欠いたまま、戦争は最終局面に入るのでした。

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