第170話
ベルン少佐に呼び出されて以降は、休暇中に招集されることはなく。
自分はガヴェル曹長の家で、勉強したり訓練をして過ごしました。
「今日の訓練は、これくらいにするか」
「はい。ありがとうございます、ガヴェル曹長」
ガヴェル曹長の家には、小さな訓練所が設置されていました。
中には木製の腹筋台や、敵兵を模した人形、弓矢の的などが設置されていました。
ガヴェル曹長やその御兄弟はこの場所で、幼いころから母親の監督で訓練を受けてきたそうです。
「結構いい運動になるだろ。トウリはまだ腕が細い、上半身をもっと鍛えてもいいかもしれん」
「そう言えば、今まで体幹と足のトレーニングが中心でした」
「銃を撃つ必要がないなら、それで十分だけど」
自分はガヴェル曹長に教わって、弓も撃たせてもらいました。
思った通りに狙いが定まらず、的に当てるのに苦労しました。
実戦で弓を使うことは無いでしょうけど、良い経験になりました。
「あと二日で休暇が終わるな」
「そうですね」
そんなこんなで、なまった体を鍛えなおしていたら。
いよいよ、休暇の終わりも近づいてきました。
「トウリは、やり残したことはないか?」
「自分は……、無いと思います」
明後日の正午に自分達トウリ中隊は集結し、エンゲイを目指して旅立ちます。
そしてヴェルディさんの指揮下に戻ることになっています。
「セドル君に会えたので、満足な休暇でした。ガヴェル曹長の方こそ、心残りはないですか」
「俺はまぁ、あるっちゃあるけど……」
休暇が終わる話になると、ガヴェル曹長は浮かない顔をしました。
何となくチラチラと、自分を見ている気がします。
「ま、俺の事はいいんだ。うん」
「まだ休暇は残っていますし、やり残したことがあるなら……」
「だから、別にいいんだって」
心残りがあるならやればいいのに、と思ったのですが……。
彼が誤魔化すような態度をとったので、深く追求しないことにしました。
女性に言いにくい、『大人なお店に行く』系かもしれませんし。
「トウリは、落ち着いてるな」
「ええ。愛想がないと、よく言われます」
「そうじゃなくてさ」
ふと、ガヴェル曹長はそんなことを言いました。
自分は落ち着いているのではなく、ただ口下手で寡黙なだけです。
孤児院のころはむしろ、落ち着きがない子供と言われていました。
「もうすぐ戦場に戻るのに、いつもと変わらないからさ」
「ああ、そういう意味ですか」
ガヴェル曹長の質問は、戦場に戻るのが怖くないのかという意図の様でした。
無論、死ぬのが怖くないと言えば嘘になります。
……しかし自分はもう、たくさんの敵兵士を殺しています。
であれば自分も彼らと同様、冷たい土の中で血と泥にまみれ、無様に事切れるべきでしょう。
死臭がむせる塹壕に戻ることに、躊躇いはありません。
「俺は軍人だ。御国に殉じ笑って死すべしと育てられ、今もその気持ちは変わってない」
「はい」
「……でもさ。戦場に戻る日が近づくにつれ、怖くなってきたんだ」
そう答えた時の、ガヴェル曹長の横顔は。
今まで見たことがないほど、自信なさげで、心細い印象を受けました。
「戦うのが怖い、ですか」
「そんなことはない、俺は戦うことしか出来ない人間だ。闘いは俺の本分だ。生まれてから全ての時間を、軍人として大成する為に費やしてきた」
「……そうですか」
「でも戦場で、目の前で人が死ぬのを見て。自分も死んだらこうなるのかと思ったら……怖くなった」
彼は視線を逸らしながら、呻くようにそう呟きました。
「戦うのは怖くない、死ぬのが怖いんだ。何の栄誉も誇りもなく、野に骸を晒すのが辛いのだ」
「……」
「戦功を上げ、華々しく散るのが誉と教わって来たのに。……俺ぁこんなに弱虫だったのか」
それはきっと、彼が自分にようやく見せた『本心』なのでしょう。
……ガヴェル曹長の言っている気持ちは、自分にもよくわかります。
「そういうものですよ、ガヴェル曹長」
「どういうことだ」
「命を惜しまないのは、戦死が華々しいものと妄想している人です」
「……」
「ガヴェル曹長。……戦場で見た戦友達の、死に際は美しかったですか?」
戦場を知らぬものは、戦死と聞いて美しく勇敢な死に様を夢想するでしょう。
しかし現実の遺体は、殆どが土に塗れて体液を垂れ流し、薄汚く死んでいます。
顔面は踏まれ蹴飛ばされて醜く歪み、漏れ出た糞便の異臭が鼻を突きます。
更に最前線で命を散らしたとして、仲間すら気に留める余裕はありません。
────あ、死んだ。
────あそこから撃ってきたな、注意しよう。
戦場で撃ち抜かれた者は死を悼まれる暇なく、戦友たちは先の塹壕へ進んでいきます。
そんな事を気にして感傷に浸っていたら、自分まで死んでしまうからです。
戦場に、戦死の栄誉などありません。
「死ぬのが怖いなんて、当たり前です」
「だけど、そんなの臆病じゃないか」
「死を恐れないのは、勇敢なんかじゃありません。死を恐れた上で頑張るから、勇敢なんです」
そしてきっと指揮官は、この兵士の心情を理解していないといけません。
戦死を誉と考えている指揮官に、誰がついて行こうと思うでしょうか。
「……トウリも、同じなのか」
「ええ。自分だって、死ぬのは怖いです」
死を怖がる兵士の心を理解して、檄を飛ばし鼓舞できる指揮官の方が良い。
それは例えばヴェルディさんのような、優しく兵士に理解がある指揮官です。
「きっと、ヴェルディさんも。それを理解した上で、自分達に戦いを命じているんだと思いますよ」
「そっか」
……ガヴェル曹長は、きっと良い指揮官になるでしょう。
兵士だって死ぬのは怖い。そんな当たり前のことを、理解していない指揮官は多いのです。
「あー、トウリ。その」
「何でしょうか、ガヴェル曹長」
その、翌日。
長期休暇の最終日。
「お前、今日、暇か? 用事とかあるか」
「ええ、今日は出かけようと思います。帰るのは夜になりますね」
「えっ?」
自分はやり残したことが無いか改めて考えて、一つ思い出しました。
休暇が取れたら、いつかやってみようと思っていたことを。
「あー、何だ、用事あったのか」
「ええ、私用を思い出しました」
「そ、そうか」
自分の返答を聞いて、ガヴェル曹長は意外そうな顔でした。
心なしか、しょぼくれているようにも見えます。
「何をしにいくか、聞いても良い?」
「ええ、大したことではありませんよ」
自分は少し、大人な笑みを浮かべると。
紙幣の詰まった財布を手に、ガヴェル曹長に向き直りました。
「ある人と、お酒でも飲んでこようかと」
「えっ」
そう。
オースティンでは、十八歳からお酒が飲めます。
先日十八歳を迎えた自分は、大手を振ってお酒が飲めるのです。
「ガヴェル曹長は、まだ十六歳ですよね」
「……ああ」
「だから今日は、自分一人でおでかけです」
兵士にとって、お酒は貴重な娯楽です。人間関係の潤滑油にもなります。
しかしサバトでヴォック酒を飲んだ際、記憶が飛び醜態を晒しました。
なので休みのうちに、お酒に慣れておこうと思ったのです。
「そうか。トウリに、そんな相手がいたのか」
「ええ、古い知り合いです」
手に持った財布には、報奨金の残りが詰まっています。お金に困ることはないでしょう。
自分は少しばかり、期待で胸を膨らませながら。
護身用の拳銃を装備し、リュックを背負って立ち上がりました。
「あまり、遅くなるなよ」
「はい」
自分は前世も含め、お酒を楽しんだ事はありません。
なので、今日はほどほどの量に留めておくとしましょう。
「……」
「ガヴェル曹長?」
何故かガヴェル曹長は、放心していましたが。
「……」
自分がまず向かったのは、かつてロドリー君と立ち寄った酒店でした。
『軍人さん相手にアコギな商売が出来るか』と言って、割引してくれた店です。
しかしそのお店はもう潰れたのか、空き家が残るのみでした。
「安イヨ! 今デハ貴重ナ地酒アルヨ!」
そのすぐ近くにも、酒店はありました。
そこには訛りの有る声で、客引きをしている男が居ました。
「どこヨリも安く、高品質で、美味シイお酒はイカガですか!」
……そう言えば、最初ロドリー君と入ったのはあの店でしたっけ。
そしてそこで、ボッたくられそうになったのを覚えています。
「どうも、こんにちは」
「オオ、お嬢チャンお客カイ?」
「ええ」
懐かしい気持ちになったので、自分はその店へと入ってみました。
店の中には、様々なお酒が置いてありました。
前に来た時と棚の配置は変わっていますが、色とりどりのお酒が並んでいます。
「お金、持っテルカナ? チョット、ウチは値が張るヨ」
「ええ、まぁ、持ってはいますけど」
……今のオースティンでお酒は、なかなかに貴重なのは知っていますが。
その店に並んでいる酒は、ロドリー君と来た時と比べ10倍近い値段になってました。
流石に、この値段はぼったくりでは。
「このお酒、中身が半分くらいしか入ってなくないですか」
「気ノセイ。元々、ソンナ感じダヨ」
「……封が開いているような」
「ウルサイナ、気に入ラナイなら買ワナクテイイヨ」
気になることを指摘すると、店主はへそを曲げて不機嫌そうになりました。
相変わらず、ここは胡散臭いお店のようです。
この様子じゃ、中身を取り換えられているかもしれません。
「……あっ」
「今度ハ何ダヨ」
「いえ、探していた銘柄が有ったので」
しかし、こうも胡散臭いお店だからこそ。
今では貴重なオースティンのお酒が、そのまま残っていたのでしょう。
「封も開いていなさそう……ですね」
「ソレ、買ウノ? カナリ高いヨ」
「買います」
それは自分の掌に収まりそうなほど、小さい瓶に入った蒸留酒。
値札に書かれたお値段で、一月分の食料が賄えるでしょう。
「これで足りますね」
「……! 毎度、お客サン!」
値札通りの紙幣を取り出すと、店主は態度を変えて。
にこやかな笑顔で、自分にペコペコと頭を下げ始めました。
「コッチのお酒モ、旨いヨ」
「いえ、今日はこれだけで十分です」
「ソウ……」
欲しかったお酒を手に入れられて、ほっと一息つきました。
もし手に入らなかったらどうしようかと、悩んでいたところです。
「では、失礼しますね」
「マタ、キテネ」
自分は店主に会釈して、酒瓶を手に歩き始めました。
そのまま歩く事、半日ほど。
「どうも、トウリ・ロウ少尉です」
「お話は伺っています。どうぞお入りください」
自分は予定通り、目的地にたどり着くことが出来ました。
「我儘を言って、すみません」
「いえ。貴官にお会いできて光栄ですよ、少尉殿」
そこにいた数人の兵士が、自分を敬礼で出迎えてくれました。
自分もすかさず敬礼を返し、その建物の中へと入っていきます。
「石碑は、この奥です」
「ありがとうございます」
苔の生えた岩造りの、山の間を覆うように建築された砦。
かつては首都ウィンを守るべくサバト兵を押し留めた、最終防衛ライン。
「……お久しぶりです、ガーバック小隊長」
かつて、たった54人で無数のサバト兵を押し留めた英雄たちの眠る土地。
自分は約半日かけて、このムソン砦の墓標へ墓参りに出向いたのでした。
「ガーバック小隊長は、凄いですね」
自分は酒瓶の封を切ると、グラスを二つ用意して。
それぞれに、一杯ずつ酒を注ぎました。
「部下を指揮する立場になって、戦場の最前線を走る役目を負って、やっと貴方の凄さを理解出来た気がします」
……グラスから、懐かしい香りがしました。
西部戦線の時、酔ったガーバック小隊長から漂ってきた匂いです。
濃いアルコール分と、蜜のような甘味の混じった、独特の香り。
「貴方が死んでから、3年が経ちました。まだ、戦争は終わっていません」
自分はゆっくり、グラスの酒を呷りました。
舌が熱く、酒精に咽そうになりましたが、何とか堪えて飲み込みます。
「自分は十八歳になりました。お酒が飲める年齢になりました」
……とても濃いお酒でした。
それこそ、ヴォック酒に匹敵する様な濃さ。
これが、ガーバック小隊長が好んで飲んでいたお酒。
「それで最初に、お酒を酌み交わすのは誰がいいかなと考えたら。小隊長殿のお顔が、浮かんできました」
ロドリー君やアレンさんは、ドクポリに眠っています。
休暇のうちにお墓参りは、出来そうもありません。
しかし、ムソン砦に眠るガーバック小隊長なら、日帰りでお墓参りが出来ます。
……だからせっかくなので、彼の墓前にお酒を供えたかったのです。
「自分は、まだまだガーバック小隊長殿に届きません。自分の代わりに貴方が居たら、もっと上手くやっていたんだろうなと思います」
2杯目の酒を、グラスに注ぎながら。
自分は愚痴るように、石碑に語り掛けました。
「自分は弱いです。少しだけ、自分の愚痴を聞いていただけませんか」
そして自分はガーバック小隊長に注いだ美酒を、石碑に注ぎました。
咽るようなアルコール臭が、周囲に漂いました。
「また、前線に行くのが怖いのです。セドル君と会って、平穏な日々を過ごして、怖くなってしまいました。逃げ出したい気持ちで、いっぱいになりました」
そこまで言い切った後、自分は2杯目の酒を飲み干しました。
ズンと頭にくるような、酩酊感に包まれました。
「未だに、戦友の死に慣れません。言葉を交わした人間が死ぬと、いつもふさぎ込んでしまいます」
気付けばふらふら、と頭蓋が揺れていて。
唇から甘い雫が、涎のようにこぼれます。
「今戦っているフラメールには、知人がいます。もし彼と気付かず、戦場でアルノマさんを撃ってしまったら、立ち直れる自信がありません」
いけませんね。自分はガーバック小隊長に、何を言っているのでしょう。
もし目の前に彼がいたら、どうなっていたことか。
「ああ、自分は酔っていますね」
これ以上、お酒に飲まれるのはまずそうです。
自分はここで杯を置いて、残りの酒精を墓標に注ぎました。
「こんな、甘えた事を言ったのに。もう、貴方は自分を殴ってくださらないのですね」
そして、酒瓶を石碑に備えた後。
自分は地面に腰を下ろし、静かに涙を零しました。
「あの日々から、3年も経ったのですね……」
座って感じた、オースティンの土の冷たい感触は。
西部戦線の塹壕で寝起きした時と、何も変わりませんでした。
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