第168話
楽しくも穏やかだった2週間の休暇が終わり、サバト経済特区を去った後。
自分は気持ちを切り替え、覚悟も新たに首都ウィンへと戻りました。
「お久しぶりです、ガヴェル曹長」
「おお、無事に戻ってきたか」
ウィンに着いたら、まず自分はガヴェル曹長に挨拶に行きました。
軍部で彼の所在を聞くと、日中は士官学校の図書館で勉強をしているとの事です。
「安心したよ。前みたいに人買いに捕まって、干物になってたらどうしようかと」
「最初に会った時のことですか」
「あの時は、ただの痩せた孤児と思ってたが……。まさか俺よりお偉いヤツだとはな」
彼は休暇中も、少しでも良い指揮官になろうと努力していました。
その高い向上心は、見習っていきたいところです。
「トウリはこの後、どこに泊まるつもりだ?」
「士官学校の宿舎を借りられる手筈になっています」
「ん、何だ。お前、ここに寝泊まりする気か」
ウィンに戻った後も、自分の休暇は数日ほど残っていました。
この間、自分は士官学校の宿舎を借りられるよう申請していました。
ここには訓練施設があるので、体を鍛え直す良い機会だとおもったのです。
……ところがガヴェル曹長は、
「滞在先がないなら、ウチに泊まれよ」
「ガヴェル曹長のご自宅ですか」
「士官学校のベッドは臭ぇし汚ぇぞ? せっかくの休暇なんだから、良い場所で寝ろよ」
ガヴェル曹長は、自分の家に泊まらないかと誘ってくれました。
「ご迷惑ではないですか」
「部屋も余ってるし大丈夫。そもそもお前、爺ちゃんが後見人になってんだから」
「それは、ありがたい話です」
「遠慮はいらん、自分の家くらいの気持ちで泊まりに来い」
考えてみればガヴェル曹長は、レンヴェルさんの孫です。
そう考えれば、彼の家にも挨拶をしておくべきかもしれません。
「母さんも歓迎してくれるさ」
「では、ご迷惑でないのであれば」
せっかくのお誘いですし、断る理由もありません。
ありがたい話なので、お受けすることにしました。
「じゃあ、ついてきな」
「ありがとうございます」
こうして自分は、残りの休暇をガヴェル曹長のご実家で過ごす事になりました。
「トウリ・ロウ歩兵少尉殿。この度はお会いできて光栄です」
「ど、どうも。お初にお目にかかります」
ガヴェル曹長についていくと、自分は荘厳な鉄柵に囲まれた邸宅へ通されました。
首都の一等地にある、立派なお屋敷です。
「お帰りなさいませ。後ろの方は客人でしょうか」
「ああ、噂の英雄様だ」
「左様でございましたか」
門には老齢の男が立っていて、自分達を笑顔で出迎えてくれました。
背の低く腰の曲がった、優しいお爺ちゃんといった風貌でした。
「お会いできて光栄です、トウリ様。私はこの家で執事をやっております」
「執事さん、ですか」
「困ったことがあれば、お声かけください」
どうやら彼は、ガヴェル曹長の家で雇っている執事さんの様です。
本物の執事さんを見て、内心テンションが上がりました。
「執事が珍しいですかな?」
「孤児院の出身でして、今まで縁がありませんでした」
「そうでしたか。小間遣いのようなものとお思いください」
この時代は、格式高い家は執事を雇っていたようです。
特に軍人一家は男手が足りないので、執事が必須だったのだとか。
「私の他に、使用人が数名おります。何なりとお申し付けください、トウリ様」
「それは、ご丁寧にありがとうございます」
ガヴェル曹長の一族は、名門の武家です。
レンヴェル中佐を始め、たくさんの高級軍人を輩出しています。
つまり、彼は執事を雇える上流階級の人間なのです。
「……」
「何をキョロキョロしてる?」
「あ、いえ」
自分は「執事が居るなら、メイドさんもいるのかな?」とキョロキョロしました。
しかしスーツや農夫服を着た人が数名いるだけで、メイドさんはいません。
「あそこで庭掃除をしてるのは、ウチの使用人。あと厨房にいるのがシェフな」
「おお、そうなのですか」
珍しがっていると思われたのか、ガヴェル曹長は苦笑しながら屋敷の人を紹介してくれました。
あまり家をジロジロ見回すのは失礼と思ったので、それ以上は探さないでおきました。
「トウリ様は、こういったお屋敷に来るのは初めてでしょうか」
「はい、恥ずかしながら」
「そっか、お前孤児院出身だもんな。あんまりキョロキョロしてると、からかわれるぞ」
「すみません」
後で知ったのですが、当時のメイドは性奴隷のような存在だそうです。
自分のような孤児が人買いに捕まり、売り飛ばされるとメイドになるそうです。
つまり
そういう知識を、当時の自分は全く持っておりませんでした。
「では、部屋へとご案内させていただきますね」
「ありがとうございます、執事さん」
自分が、寡黙な性質で良かったです。
もし「この家にメイドさんはいないのか」と聞いていたら、相当な失礼でした。
「国家の英雄と、食卓を囲めて光栄ですわ」
その日のディナー自分の歓迎で、パーティを開いて頂きました。
ドレスを着飾ったガヴェル曹長のお母さまに迎えられ、おっかなびっくり席に着きました。
……儀礼用の軍服を持っていて助かりました、私服だと間違いなく浮いていました。
「あまり緊張なさらず、楽に過ごしてください」
「ど、どうも」
出された料理は、戦時中とは思えない程に豪華でした。
ただ自分はフォークやナイフの扱いが拙く、食べるのに苦労しました。
横目でガヴェル曹長の動きを真似て、それっぽく振舞っている状況です。
……忘れそうになりますが、彼も上流階級のお坊ちゃんなんですよね。
「お噂はかねがね聞いていますよ、トウリ少尉。奇跡を何度も実現し、オースティンを救った女傑」
「過分な評価、痛み入ります」
ガヴェル曹長のお母さまは、威厳たっぷりの女性でした。
細身でありながら目つきは鋭く、底知れぬ雰囲気の方でした。
「ウチの息子が大変世話になったとか。感謝の至りですわ」
「いえ、むしろガヴェル曹長には助けられてばかりで……」
「アレで良ければ、ご自由にお使いください。国家の為、命を投げ打つ覚悟を持たせていますので」
しばらく話していると、ふとガヴェル曹長のお母さまはアリアさんと似ていると感じました。
厳しそうで真面目な感じの、『女傑』という言葉が似合う女性。
アリアさんが成熟したらこうなるのかなという、そんな雰囲気の人でした。
「これから戦いは厳しくなるでしょう。貴女のような指揮官がオースティンにいて、誠に幸運です」
「ありがとうございます」
「今宵はこの幸運に、乾杯を致しましょう」
それもそのはず。彼女は、アリアさんの3つ年上の実姉だそうです。
彼女も元軍人で、今は退役して家庭を守っているのだとか。
そして旦那さん……ガヴェル曹長のお父さんは、今も前線指揮官をしているそうです。
「トウリさんは今の戦況をどうお考えですか」
「えっと、その。自分は一介の前線兵であり、大局については詳しくなく」
「雑談です。誰もが知っている事でよろしいですよ」
この夕食会で、彼女は様々な事を自分に語ってくれました。
「トウリさん、今のオースティンの弱点は何でしょうか」
「そうですね。やはり、兵数が足りていないのかなと」
「ええ、その通り。そればかりはどうしようもありません」
彼女のお父さんは、最高司令官のレンヴェル中佐です。
恐らくその伝手で、色々な機密も知っていたのだと思います。
「今年、徴兵した兵士の大半は15歳になったばかり。戦場に出るには、少し頼りない年齢です」
「はい」
「若い芽を摘み続けると、やがて生産人口は枯渇し、国家が崩壊するでしょう」
彼女はわざわざ、自分に言い聞かせるように。
普通の人は知らない話を、さも当然のように振ってきました。
「仮に、ですが。兵士不足をすぐ解決する方法があるとすれば、何がありますか」
「……援軍ですね。同盟国サバト連邦に、援軍を要請するしかないかと」
「確かに。それも一つでしょう」
お母さんは自分の答えを聞いて、少しだけ笑いました。
「同盟国が援軍を派遣してくれれば、兵力不足は解消できます」
「はい」
「この近辺で援軍を出せるような大国は、フラメール、エイリス、サバトの3つだけですね。小国も点在していますが、戦力にはなりません」
現在この4か国が、オースティン周辺での主な軍事大国です。
隙間に小さな国家も点在してはいますが、いずれも無視できる程度の軍事力でしょう。
「ですが、もし。オースティンからの技術供与を餌に、小国と軍事同盟を打診すればどうでしょう」
「点在する、周辺国家とですか?」
「ええ。兵を出してもらう代わり、領土や技術を譲渡する。これは、上手く行くと思いますか」
確かに、それならば小国の兵士でも役に立ちます。
彼等が戦力にならないのは、未だに剣や槍で戦っているからです。
もし彼らに銃の扱いを教えれば、戦力になるのは間違いありません。
しかし、
「……彼らには、戦う理由があるのでしょうか」
「なくはないと思いますよ」
「そう、でしょうか」
周辺国家の大半は、この戦争に『中立』を宣言していました。
戦線は一進一退が続き、どちらが勝つか読めない状況でした。
下手に参戦して、地獄に付き合いたくなかったのでしょう。
「フラメールもまた、恨みを買っている国だという事です」
ガヴェル曹長のお母さまは、そう言うと不敵な笑みを浮かべました。
確かに周辺の小国には、フラメールに怨恨を持っている国もあるでしょう。
政府はそうした国に技術供与の約束を行い、参戦を促していている……ということでしょうか?
「そうなってくれないと、オースティンに未来はない」
彼女の言う通り、周辺の小勢力を抱き込まないとオースティンは勝てません。
恐らくオースティン政府は、必死で外交戦略を行っているところでしょう。
「サバト軍が参戦してくれれば、一番戦力になりますが」
「そちらは現実的ではないですね。まだ、わだかまりもありますし」
「その通り。……サバトとは利害の一致で同盟しているだけです」
正直なところ、サバトからの援軍は期待できません。
レミさんは親オースティン派とはいえ、彼らにとって対フラメール・エイリス戦線は対岸の火事です。
一応オースティンを支援してくれるでしょうが、必死になる理由もありません。
「……平和な国を、戦争に巻き込むことになりますね」
「彼ら自身が選ぶ道です」
なので、オースティンにとって一番現実的な援軍は、周辺の小国家でした。
しかし、もしその外交戦略がうまくいけば、また多くの罪なき命を戦場に送り込むことになります。
……果たしてそれが、正しい事なのでしょうか。
「ベルン・ヴァロウ参謀少佐が下手を打たなければ、他国に恩を売られることも無かったのですがね」
「お母様は、ベルン少佐を知ってらっしゃるのですか」
「ええ。夫の出世の邪魔をする、目の仇ですわ」
彼女は冗談っぽくそう言って、それきり戦線の話を打ち切りました。
「食事がまずくなる話は、ここまでにしましょうか。トウリ少尉、当家自慢のスープはいかがですか」
「ありがとうございます、頂きます」
今の雑談の中に、だいぶ軍事機密が混じっていた気がしますが、気にしない事にしました。
おそらく彼女なりのご厚意で、自分に情報を漏らしてくれたのでしょうね。
こうして自分は、ガヴェル曹長のご実家で寝泊まりする事になりました。
案内された客間は豪華で、申し訳ないくらいに広々としています。
自分が2~3人ほど横になれるベッドが置かれ、高級そうな家具と何故か中央にピアノが置かれていました。
……国賓とかVIP用の部屋ですよね、これ。
「おいトウリ、起きてるか」
「はい。おはようございます、ガヴェル曹長」
恐縮半分でそのお部屋を使わせてもらいましたが、実に快適でした。
ベッドの寝心地も素晴らしく、自分が使うのが申し訳ないくらいフカフカでした。
ここまで良い環境で寝たのは生まれて初めてで、文句なく素晴らしい朝の目覚めでした。
「トウリ。お前に、招集命令が来た」
「招集ですか?」
しかしその翌朝、素晴らしい寝覚めも吹き飛ぶ出来事が起こります。
緊急の招集命令が、自分宛に届けられたのです。
「何かあったのでしょうか」
「分からん」
押されている印鑑は参謀本部の正規品でした。
いくら休暇中とはいえ、招集がかかったら出頭せねばなりません。
まぁ、必要な事であれば呼び出していただいて構わないのですが……。
「ただ、その、招集者の名前が」
「……げっ」
軍人にとって、上官命令は絶対。
逆らうことは許されず、私情も挟まず完遂するのみ。
それは、よく理解していますけど。
「ベルン・ヴァロウ参謀少佐……?」
その命令の差出人の名前を見て、自分は思わず天を仰ぎました。
そこにはこの世でただ一人といっていい、毛嫌いしている人物の名が書かれていたのです。
「どうしてベルン少佐が、ウィンの参謀本部に?」
「どうやら療養のため、戻ってきているらしい」
「うええ……」
その召集状の背で、醜悪な笑みを浮かべるベルン・ヴァロウを想起しました。
寒気が背筋を走り、鳥肌が立ちました。
「……ガヴェル曹長は、その」
「すまん、俺には招集がかかっていない」
「そんな」
テカテカと金色に輝く、ベルン参謀少佐のサイン。
その書類を前に、自分は頬を引きつらせることしか出来ませんでした。
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