第167話


「最近来たオースの娘は、とんでもねぇVIPらしい」


 ヴァーニャで役人さん達とお話をした、その翌日。


 役人さんは『下手なナンパのお詫び』として、お菓子の詰め合わせをくださいました。


「役人どもがヘコヘコと、卑屈に頭を下げてたぞ」

「実は貴族のお嬢様なのかも」


 セドル君が涎を垂らしていたので、そのお菓子を受け取ったのですが……。


 役人が顔を青くして頭を下げる様子を、村落のサバト人に見られていたようで。


「いや、どうやら彼女は凄い軍人なんだとさ」

「何でもたった一人で、二万人を血祭りにあげたそうだ」

「役人の連中、あの娘を怒らせてボコボコにされたらしいぞ」

「……あの見た目で?」


 それが、自分は役人さんより目上の存在と映ったのでしょう。


 実際は、平民上がりの自分よりお役人さんの方が偉いのですが……。

 

「ヴァーニャでナンパされたあの娘が激怒して、役人どもを一喝したって話だ」

「あまりの迫力に、役人は泡吹いて倒れたんだと」

「おっかねぇ……。うちのカミさんより怖い女が居るとは思わなんだ」


 やがて『自分は何者なんだ』と村で話題になり。


 根も葉もない噂が、瞬く間に飛び交ってしまいました。





「トウリ、あんた何やったんだい。村中で噂になってるよ」

「それはその、国家的な印象操作プロパガンダの結果と言いますか」


 当然、その噂はアニータさんの耳にも入ってきていました。


 どうやら自分は戦場で2万人を殺した最強の兵士で、役人にナンパされて激昂し、全員を一瞬で叩きのめしたのだとか。


 何者なんですか、自分は。


「どうやら先日の功績が、過大に宣伝されたようでして」

「本当に、二万人も殺したのかい」

「出来るはずないでしょう、そんなこと」


 田舎の人はゴシップが好きですが、まさかここまで広がってしまうとは。


 大半は冗談と思ってそうですが、一部信じてる人もいてそうでした。


 勘弁してください。


「エイリス兵士二万人を相手に、時間を稼いだだけですよ」

「ほう?」

「実際は、ボロボロの無茶苦茶です。敗走する寸前でした」


 自分達は塹壕に籠り、時間稼ぎに徹したので、あまり敵に被害は出ていない筈です。


 ……その結果として多くの味方兵士を守れたから、表彰されただけです。


「でもギリギリ持ちこたえまして、そのご褒美として1カ月の休暇を貰えたのです」

「なるほどね。変だと思ったんだ、衛生兵がいきなり長期休暇貰えるなんて」


 アニータさんは自分の話を聞いて、納得してくれたようでした。


 ……なるべく、戦争で活躍したことをセドル君に知られたくなかったのですが。


「その戦果がプロパガンダに用いられ、新聞に載っちゃったのです」

「なる程。それで、アンタの名前を新聞で読んでた役人どもは、あの態度になったと」

「そんな所だと思います」

「いい気味だ。前から昼のヴァーニャに陣取って、イヤらしい目してたんだよ」

「それは……迷惑ですね」

「トウリのお説教で、少し懲りてくれればいいんだけど」


 役人さんたちは割と、村で嫌厭されていたようでした。


 恐らくヴァーニャの文化を勘違いしていたのでしょうね。


 裸で入る風習は『隠し事せず腹を割って話そう』という意識から来ています。


 裸の付き合いになる以上、なるべく紳士に振舞うのがマナーです。


「誤解は解いておきましたので、もう大丈夫とは思います。まだ目に余るなら、自分から再び説明しに行きます」

「そりゃあいいね、助かるよ」


 オースティンの役人さん達も、悪人と言う感じではなさそうでした。


 方法は間違ってましたが、サバトの移民と向き合おうという姿勢は持っていそうです。


 文化のすれ違いを正してあげれば、良い関係になるのも不可能ではないでしょう。


「なのでアニータさんには、自分に対する村人の誤解を解いていただけると」

「……あー」

「歩いているだけで、露骨に避けられるのはつらいです」


 そしてそれは、自分にも言える話で。


 『二万人殺し』なる荒唐無稽な話が信じられてしまうのは、結構困ります。


 一緒にいるセドル君に迷惑がかかるかもしれません。


「……分かった分かった。アタシも協力するよ」

「ありがとうございます」


 誤解や風評は、トラブルの種になります。


 自分は戦争が終わったら、この村でセドル君と共に暮らす予定です。


 今のうちに、一人ずつ話し合って誤解を解いていきましょう。







「……と、いう訳なのですヨザックさん」

「はー、なるほどな」


 と、いう訳で。


 物騒な誤解を解くべく、自分は色んな人に話しかけました。


「オースちゃんに恐ろしい噂が立ってるから、どういうことかと混乱してたんだ」

「ほぼ事実無根なので、信じないで頂けると助かります」

「分かった分かった。ま、オレも君がそんな真似できるとは思わないし」


 この村にはヨザックさんを始め、サバト時代からの知人が何人かいます。


 その方々を中心に、自分は釈明をして回りました。


「トゥーちゃん。お話、終わった?」

「はい。良い子で待ってくれました、セドル君」

「えへへへ」


 毎日セドル君に村中を連れまわされるので、村人と話す機会には困りませんでした。


 彼はあまり人見知りせず、色んな人に話しかけに行くのです。


 自分は内気な性格なので、セドル君の行動力には大いに助けられました。


「じゃあ次、おイモをくれるオバちゃんのところに行こう」

「そんな方がいるんですね」

「おっきいオババだよ」


 働ける年代は工場に出稼ぎに行っているので、村には老齢の方しかいません。


 きっとアニータさんが診療している時は、村のお年寄りが彼の遊び相手をしてくれていたのでしょう。


「突然訪ねて大丈夫でしょうか」

「オババは『いつ来てもいいよ』って言ってるよ」

「お礼を言わないといけませんね」




 そんなこんなで。


 自分のサバト経済特区での二週間は、とても平和で楽しい日々でした。


 セドル君とつきっきりで、1日中遊び相手をして。


 時にヴァーニャに入って、村の人と交流し。


 たまに、お役人さんと村人の間の諍いを仲裁したり。


 それはアルガリアで散った戦友に申し訳ないような、平穏な日々でした。


「トゥーちゃん、明日はどこに行こうかな」

「……ごめんなさいね、セドル君」


 この2週間、自分は後悔しないように精一杯遊びました。


 今生の別れになっても良いように、セドル君との思い出をたくさん作りました。


 一緒に川で遊び、泥団子を作り、虫を取って、床に入りました。


 ……もし自分が命を散らす時、走馬灯が美しい思い出で満たされるように。


「自分はそろそろ、お仕事に戻らねばなりません」

「……え-!」

「いつまでも、楽しい日々は続かないのです」


 楽しい時は、一瞬で過ぎ去っていきます。


 こんな幸せな日々がずっと続いたら、どれほど良かったでしょうか。


 ……ですが戦火は消えることなく、今もボウボウと燃え滾っているのです。


「トゥーちゃん、また行っちゃうの」

「ごめんなさい、セドル君」


 自分は幼いセドル君を、膝をついて抱きしめました。


 泥だらけになった服の裾を、思い切り握りしめて。


「自分がいなくなっても、お野菜を残してはいけませんよ」

「……」

「危ない事もしちゃだめです。一人で川に入っちゃ、絶対にいけません」

「……うん」

「困ったことが有ったら、大声で助けを呼んでください。きっと、村の誰かが駆けつけてくれるはずです」


 セドル君の体温を胸いっぱいに感じ、仄かに汗と土の匂いが香ります。


 彼は自分がゴムージ夫妻から預かった、大切な宝物です。


「きっと、もうすぐ戦争は終わります。平和な世界がやってきます」

「そうなの?」

「ええ。そうなったら、ずっと一緒に暮らしましょう」


 口ではそう言って、セドル君を宥めてはいましたが。


 自分も内心では、ここから離れたくない気持ちでいっぱいでした。


 軍人をやめることが出来れば、自分は彼と平穏な日々を過ごせるのです。


 ……それは麻薬のような、甘い誘惑の妄想でした。


「だからそれまで、セドル君は良い子で過ごしていてくださいね」

「……うん、分かった」


 ですが、そんな甘えた願望を抱けば抱くほど。


 心の中で冷たい声が、自分を咎めました。



 ────お前は今まで、何人の敵を殺してきた?



 生き残るため。祖国のため。


 そんな建前で、自分は沢山の人を殺めてきました。


 自分が撃ち殺した兵士にも、こんな平穏を過ごした家族がいるのです。


 それは自分が今抱きしめている、セドル君のように。


 愛されて成長した、誰かにとって大切な命。


「また、戻ってきますから」

「やくそくだよ」


 誰かにとっての大切セドルを奪っておきながら、自分だけのうのうと幸せを享受する?


 そんな事が許されるのでしょうか。


「聞きわけが良くなりましたね、セドル君。良い子、良い子」

「トゥーちゃんを困らせちゃダメって、言われたもん」

「……ありがとうございます」


 セドル君と過ごす時間が楽しくて幸せである程、自責の念が強まりました。


 自分は、誰かの大切な人の命を奪って生きています。


 どれだけ取り繕っても、その事実は変わりません。


「……」


 本当に自分は、ここに帰ってきていいのでしょうか。


 いつか報いを受けて、戦場で命を散らすべきなのではないでしょうか。


 自分みたいな人殺しが近くにいると、セドル君の教育にもよくないのでは────



「ああ、なるほど。ゴルスキィさん、貴方の気持ちが少しわかりました」

「トゥーちゃん?」


 オセロの村で、ゴルスキィさんは平和に暮らしていたのに。


 シルフの誘いに乗って、再び戦場に戻って槍を取った理由。


「……平和って、こんなにも尊くて。眩しいものだったんですね」


 マシュデールで不意打ちして殺した敵兵。


 サバト革命のときに撃ち殺した少年兵。


 アルガリアで罠に嵌めて殺したエイリス兵。


 そんな、今まで何気なく奪ってきた『命』の重みを、突き付けられるような感覚。


 自分が撃たなければ、彼らもこんな平穏の中で笑っていたかもしれない。


 そう思い至ったら、吐きそうになりました。


「たった三年だけの自分ですら、気分が悪くなるんですから。ゴルスキィさんは、どれほどの思いだったんでしょうね」


 戦場に居る時は、感覚が麻痺していましたけど。


 平穏な日々に戻ってしまえば、改めて命の重さを思い知らされるのです。


 これが、兵士の抱える悩み。


「トゥーちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」

「大丈夫です。セドル君と別れるのが、寂しくなっちゃったのです」

「そっかー」


 セドル君を強く抱きしめるほど、より命の重みを突き付けられ。


 『お前は戦場で死ぬべきだ』という呪いのような声が、強まってくるのでした。











「オースティンの英雄、トウリ少尉! 御武運をお祈りいたします」

「……ええ、見送り感謝いたします」


 そして休暇が終わり、戦場に戻る日。


 自分はオースティンのお役人さんたちが勢ぞろいで敬礼する中、村を出る事になりました。


「ばいばい、トゥーちゃん」

「ええ、またねセドル君」


 こんなに仰々しい見送りは勘弁願いたいのですが。


 役人さんたちは善意と敬意でやっているので、苦笑いするしかありませんでした。


「ま、セドルのことは心配せず戦いな。アタシがちゃんと見といてやるから」

「ありがとうございます、アニータさん」

「じゃあなオースちゃん。……また元気な顔が見られることを祈ってるよ」

「はい、ヨザックさん」


 アニータさんや顔見知りの人も数名、見送ってくださいました。


 これでいよいよ、楽しかった休暇もおしまいです。


「また、戦争が終わったらこの村に戻ってきます。いつか、その日まで」


 自分に向けて手を振るセドル君の様子を忘れぬよう、目に焼き付けて。


 未練を振り切るように、悪魔に誘われるように、自分は再び前線へと旅立ったのでした。

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