第166話

「よく、こっちに帰ってこられたね。衛生兵ってのは、休みがないと聞いていたが」

「ちょっと手柄を立てまして、そのご褒美だそうです」


 家に入ると、アニータさんが驚いた顔で出迎えてくれました。


 自分はセドル君を抱っこしたまま、居間に通されました。


「順調そうで何よりだ。ただ、帰ってくるなら手紙を寄越してくれればいいのにさ」

「すみません。送る時間が取れなかったので」


 まずは彼女に、急な訪問になってしまったことを詫びました。


 サバト経済特区は僻地なので、手早い連絡手段がなかったのです。


「遠慮なく過ごしなよ、ここはあんたの家みたいなもんだ」

「……ありがとうございます」


 急な訪問だったのに、アニータさんは温かく出迎えてくれました。


 本当に、優しい人です。


「セドル君のこと、貴女に任せきりですみません」

「気にしなさんな。ゴムージは古い友人だ、アンタがいなかったら私がセドルを引き取ってたよ」


 アニータさんは優秀な癒者で、しかもお金も多くとりません。


 彼女の噂を聞いて、わざわざ他の村落から診療を受けに来る人も居たのだとか。


「オースには見て貰いたくねぇって移民が、私の所に来るのよ。近くの村にも癒者は居るだろうに」

「大変ですね」

「お陰で休む暇がなくてね」


 アニータさんは自分からの仕送りがあるので、診療報酬を安く設定しているそうです。


 貧しい移民たちにとって彼女は、とてもありがたい存在でしょう。


「トウリのお陰で、診療費が安くなってるんだ。もっとデカい面して良いんだよアンタは」

「いえ、それはアニータさんがしていることです」

「そもそもアンタ、あんなに仕送りして大丈夫なの? セドルのため、無理しすぎてないかい」

「それは、大丈夫です。……色々あって、給与が凄い事になっていて、その」


 ちなみに仕送り額は自分の給与の半分で、アニータさんの口座に振り込まれるよう手続きをしています。


 今の治安だとお金は輸送中で奪われる可能性があるので、銀行を介して送金しているのです。


「もう少し給料は上がるかもしれませんよ。また昇進するらしいので」

「……トウリ、何やったのさ。さっき功績を上げたっていったけど」

「戦友の力を借り、勝利を挙げただけですよ」


 アニータさんは、まだアルガリアの記事を読んでないようでした。


 おそらく経済特区には、新聞が届かないのでしょう。


「まぁいい。それより、明日は暇なんだろ? セドルの相手、してやってくれ」

「ええ、勿論」

「あの子、ずっと『トゥーちゃんいつ帰ってくる? 明日?』って煩かったんだ」


 アニータさんはチラりと、自分の腕の内のセドル君に目を向けました。


 既に陽は沈む時刻、セドル君は船を漕ぎ始めていました。


「休暇は、たった2週間なんだろ? トウリも、悔いがないように過ごしなさいな」

「はい」

「それでいい」


 この平穏が欲しくて、自分は戦ってきたのです。


 少しだけ、この平和を前借りさせてもらいましょう。


「自分も長旅で、少し疲れているようです。そろそろ休ませていただきます」

「ああ、おやすみ」


 自分はそう言って、ベッドにセドルくんを横にしたあと。


 同じベッドに身を預け、一晩ぐっすりと眠りました。







「トゥーちゃん! 川に行こ、川!!」

「はい、はい」


 次の日、朝からセドル君は絶好調でした。


「あのねー、あのねー! あそこの岩のとこに、おっきいカエルさんいたの。このまえ捕まえた、本当におっきかった」

「そうなんですね。どれくらい大きかったのですか」

「このくらい!」


 セドル君はこの村の面白スポットを、たくさん紹介してくれました。


 朝一番から休みもせず、ずっと歩き通しでした。


 小さな子の元気には、舌を巻きます。


「あそこの家のおっちゃん、たまに木の実をくれるの」

「優しいんですね」

「あそこの家のオババは、前にヴァーニャで会った!」

「オババなんていっちゃだめですよ」

「でも自分で、オババでいいって言ってたよ」


 セドル君は、村ぐるみで育てて貰っているようで。


 通りすがり、セドル君に手を振ってくれるお爺さんお婆さんが結構いました。


 良い環境で育ってくれている様で、何よりです。


「ちょっと疲れた、汗かいてきた」

「いったん、家に戻りますか」

「いや! ヴァーニャ行きたい」

「ああ、ヴァーニャですか」


 午前中、ずっとセドル君と遊び倒した後。


 彼は、ヴァーニャに行きたいと言い出しました。


「確かに、久々に自分もヴァーニャしたいですね」

「行こ、行こ!」


 ちょうど自分も、久々にヴァーニャを浴びたい気分でした。


 平日の昼間は男性が少なく、女性にも入りやすい時間帯。


 入るなら、今がベストでしょう。


「こっちのヴァーニャはおっきいよ!」

「へえ」


 村の人と話が出来て、仲良くなれればなおいいです。


 ヨザックさんは、オースティンに攻撃的な人もいると言っていました。


 トラブルになる前に、村人と親交を深めておくとしましょう。







「きゃはー……!」

「セドル君、走っちゃ危ないですよ」


 この村のヴァーニャは、オセロ村より少し大きいものでした。


 新築のため更衣室も綺麗で、良い感じです。


「他の人もいるので、騒いじゃ駄目ですよ」

「はーい」


 中に入ると、炉の近くに数人ほど男が居ました。


 若い男の集団が、中央に陣取って談笑しています。


 平日昼間は、男性が少ない時間のはずですが……。


 珍しいですね。


「おお、新しい人が来たな。女の子か、珍しい」

「見ない顔だな。初めまして、お嬢ちゃん」

「自分ですか? はい、初めまして」


 絡まれたらどうしようと警戒していたら、思ったより好意的な反応でした。


 少し安心しました。


「弟を連れているのかな? 弟の面倒見るなんて、勤勉な娘だね」

「いえ、兄弟ではないのですが……。まぁ家族です」

「そっかそっか」


 話しかけてきた男性は三十台前後でしょうか。


 ヴァーニャのマナーとして、会話になるべく応じていくべきなのですが……。


 少しだけ、気になる点がありました。


「えっと、オースティンの方ですか?」

「ああそうだよ。何か問題でもあるかい?」

「いえ」


 それは彼らが、流暢なオースティン語を話していることです。


 この人たちは、村の人……?


「サバトの文化で、このヴァーニャってのは実に良いね」

「若い娘も入って来てくれるし、眼福だ」

「あ、その……。自分はトウリと言いまして、この村の診療所に滞在している者ですが。あなた方が誰なのか聞いてもいいでしょうか」

「ああ、失敬」


 ここはサバト経済特区なので、オースティン人は住んでいない筈です。


 だというのに、何故オースティン人がヴァーニャにいるのでしょうか。


「我々はこの地区を管理している、役人だよ。君達が安全に暮らすサポートをするのが、我々の仕事さ」

「……おお、成程。そうでしたか」


 不思議に思って尋ねたら、彼等はお役人のようです。


 この村に出入りできるのは、村人か役人だけ。


 一瞬、噂の『賊』なのかと警戒してしまいました。


「いや、可愛らしいね君。どうだい、この後に少し食事でも」

「あー、その……。そう言うのは、少し」

「良いじゃないか、その男の子にも、良いものを食べさせてあげられるよ」

「いや、その」


 賊じゃなかったのは良かったのですが……。


 彼らのうち一人が、熱心にナンパして来たのには困りました。


 ヴァーニャには『出会いの場』という面もあるんでしたっけ。


「まぁとりあえず、こっちに来て。近くに座りたまえよ」

「あー、えっと。自分は小さな子の面倒も見ないといけないので、ご迷惑かと」

「大人しい子じゃないか、大丈夫さ」

「いえ、知らない人に話しかけられて怖がってるみたいです」


 先程から、セドル君は自分にしがみついて男を睨みつけていました。


 警戒心マックス、という感じです。


「トゥーちゃんにちかづかないで! だめ!」

「おいおい、ご挨拶だな」

「いやなの! トゥーちゃんは、僕のなの!」

「変な事をしようって訳じゃない。ちょっと仲良く話をするだけさ」

「……お誘いは嬉しいですが、申し訳ありません。彼が、お怒りのようなので」


 ただセドル君が警戒するのもそのはず、というか。


 見ないようにしていましたが、誘ってくる男のアレがモッコリしてます。


 ヴァーニャでは、何も隠し事が出来ないのです。


「その辺にしときましょうよチーフ、嫌がってそうですよ」

「お話ししようってだけじゃん。ヴァーニャってそういう場所だろ」

「……確かにそう聞いていますが」


 グルルル、と唸っているセドル君を宥めていると。


 自分が困ってるのを察し、彼の仲間が仲裁しようとしてくれたのですが……。


 このナンパ男が偉い人なのか、遠回しに諌めるに留まりました。


「もういいよ。俺達がオースティン人だから、そんな態度なんだろ?」

「あ、いえ。そういう訳ではなく」

「サバトの文化に合わせ、こっちも腹を割ってやったのに」

「そのー……」


 やがて役人はへそを曲げて、不機嫌になってしまいました。


 ですが下心マックスで話しかけてきたら、大概の女性は会話を断ると思います。


 サバト人はヴァーニャを神聖なものと見ているので、下心は隠すのです。


「そういう言い方したら、またトラブルになりますよ」

「でもさぁ。こっちもギリギリで物資のやりくりしてるのに、食料が少ないだの仕事が多いだの文句ばっかり」

「そうですけど、チーフ……」

「こっちが下手に出てもこれだろ? 何でもオースが悪いって決めつけられたら、愛想つかしたくなるよ」


 オースティンの役人も、中々にストレスを溜めている様で。


 苛立たし気に歯ぎしりし、ブツクサと文句を言い始めました。


「こっちはちゃんとサバト人に向き合おうとしてるってのに!」

「まあまあ」


 彼らの言い分から、何となく普段の役人と村人の関係が分かってきました。


 一応、役人さんなりに移民と向き合おうとしているみたいですが……。


 高圧的と言うか、『向き合ってやっている』という上から目線も感じますね。


 この辺が、軋轢の原因でしょうか。


「その、一つ誤解がありまして」

「んだよ嬢ちゃん」

「自分は、サバト人ではありません。この村の知己を訪ねてきただけの、オースティン人です」

「え、そうなの? 確かに、オースティン語がうまいとは思ってたけど」


 このまま放置してトラブルになっても嫌なので、とりあえず誤解は解いておくことにしました。


 オースティン人同士でナンパ失敗しただけであり、サバトの文化云々は関係ありません。


「ヴァーニャのルールに則って服を脱いでますが、このまま裸の男性に近寄るのは抵抗があり……」

「いや分かった、そう言う事だったらしょうがない。そりゃあ当然だ、申し訳ない」


 自分がオースティン人だと知ると、役人は態度を一変させて謝ってきました。


 誤解が解けたようで何よりです。


「それと、言いにくいのですが。下心を全開にして迫って来られると、サバト人女性でも怖いと思いますよ」

「うっ」

「ヴァーニャでは隠し事は出来ませんからね。高圧的な印象も受けましたし、ちょっと怖かったです。誘いとしては0点です」

「チーフ、年下の娘に正論言われてますよ」

「う、うるさいな」


 ついでに、あのナンパの仕方はトラブルになりそうなので注意しておきました。


 サバト人ではなく、オースティン人の自分からダメ出しされたら、多少は聞いてくれるかもしれません。


「最後に、昼は子供も利用する時間帯ですので。出会いをご所望でしたら、夜の方がよろしいかと」

「え、そんなルールがあるのか?」

「男女の話は夜にするもの、それはサバトでも共通認識なんですよ。暗黙の了解という奴です」

「そうか、そうだったのか」

「あと、自分は既婚者です。なので夜に出会っても、自分は誘わないでくださいね」

「既婚者!?」


 あと、円満に断る為に既婚者アピールもしておきましょう。


 こう言っておけば、これ以上文句も出ないでしょう。


「はぁ……いや、知らなかったよ。色々すまなかったな、お嬢ちゃん。……えっと、トウリちゃんだっけ」

「はい。ご理解いただけで何よりです」


 誤解が解け、男性は素直な態度になってくれました。


 こうやって話せばわかり合えるのも、ヴァーニャの良い所です。


「にしてもトウリちゃん、か。その名前、最近何処かで聞いたな。人形のように可愛らしい、小柄な女の子……」

「人形、ですか?」

「あ、いや、失礼。いやちょっと、引っかかってな」


 ナンパ男はふと、目線を下げて何かを考え始めました。


 どうやら、これで会話は終わりのようですね。


「トゥーちゃ、こしょ、こしょばい。あはははは!」

「こちょこちょ、ですよー」

「あはははは」


 そろそろ、セドル君に構ってあげようと。


 抱きついてくる彼のわき腹を、適当にこねくり回していたら。


「あの……トウリさん? 失礼ですが、ご年齢は」

「もうすぐ、18歳になります」

「え、18歳?」


 役人さんは顔を青くして、改めて自分に話しかけてきました。


 自分の見た目、18歳には見えませんしね。


 お嬢ちゃん扱いは、失礼だったと気付いたのでしょうか。


「いや、えっと。トウリさん、貴女のご職業は?」

「職業ですか? 自分は、オースティン軍所属の兵士です」


 セドル君はなすがまま、痙攣するように笑っています。


 ついでに、彼の汗を拭いてやるとしましょうか。


 にしても、子どもはくすぐられるのが好きですね────


「……あの。もしかしてですけど」

「はい、何でしょう」

「貴官は、トウリ・ロウ少尉殿だったりしますか」

「へ? ええ、そうです」


 いきなり男にフルネームを言い当てられ、驚いて向き直ると。


 男は額から滝のように汗を噴き出し、目を見開いて震えていました。


「た……」

「た?」

「大変、失礼いたしました!!!」


 その後、彼ら全員立ち上がって直立不動の体勢になり。


 ポカンとする自分とセドル君を前に、敬礼して叫んだのでした。


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