第145話


 兵士補充を申請してから、1週間が過ぎたころ。


 とうとうトウリ遊撃中隊に、百名の新入隊員が配属されました。


「……はい、健康ですね。問題なしです」

「ぷくぷくー」


 この日は朝から、ピカピカの軍服を着た男達が自分のテントの前に列をなしていました。


 これは健康診断の列です。新入隊員には、指揮官の責任で健康診断を行う必要があるのです。


 本来なら派遣看護兵であるアルギィに振っていい仕事ですが、彼女は男性恐怖症で業務を行えないとのこと。


 なので仕方なく、衛生兵である自分が行う事になりました。


「体調面は問題ありませんが、古傷が目立ちますね」

「ぷーくぷーく」

「えっと、この銃創はいつ頃の傷でしょうか」

「ぷーくすくす」


 因みにアルギィは自分の背後で、カルテ係に徹してもらいました。


 健康診断は出来ずとも、記録なら何とかなるでしょう。


「えーっと、問題なしですね」

「ぷく!」


 幸いにも健康で問題がありそうな兵士はいませんでした。


 唯一問題がありそうなのは、隣でプクプク言ってる不審な看護兵アルギィくらいです。



「あの。ちゃんと、普通に話してもらえませんかアルギィさん」

「ぷくー(声出すのだるい)」



 ……最近、何となくアルギィの言葉が分かるようになりました。


 短い会話であれば、問題なく通じつつあります。


 これも、面談の成果でしょうか。中隊長として一歩前進ですね。







 健康診断の後は、夕方から入隊式を行う予定になっていました。


 自分がスピーチしたあと辞令を読み上げ国歌斉唱し、各小隊長格に挨拶をしていただく段取りです。


 退屈な時間ですが、大事な式典なのでやらない訳にはいきません。


 自分も入隊式で長々と話を聞かされましたが、話をする側になるとは思いませんでした。


「夜は歓迎会だ、酒と当ても準備してある」

「ぷくー♪」

「よく支給してもらえましたね」

「部隊結成時は、だいたい嗜好品の許可が下りる」


 入隊式の後は、楽しい宴会です。トウリ遊撃中隊の結成記念パーティです。


 それぞれ全員に1本ずつワインとビスケット、乾燥肉がふるまわれます。


 宴会は、各小隊ごとに勝手にやってもらう形にしました。


 苦楽を共にする仲間と飲んだ方が、兵士達も楽しめるでしょう。


「この為にワインを用意してたんですね」

「ああ。どっかのアホがワインを盗んでたら延期になってた所だ」

「ぷっくぷく」


 新たな部隊が結成される際は、お酒がふるまわれることが多いそうです。


 アルコールで部隊の結束を高め、士気を上げるのだとか。


「準備は俺に任せて、顔見せがてらキャンプを回ったらどうだトウリ中隊長」

「顔見せ、ですか」

「いきなりチンマイのが演説をし始めたらびっくりするだろ。自分が中隊長だぞってアピールしてこい」

「ぷーくすくす」


 ガヴェル曹長はそう言うと顔をしかめ、


「兵は、自分より若い奴に従いたくねぇもんだ。俺の時も、結構不満げだった」

「そうでしたか」

「お前、見てくれは悪くないんだから適当に好感度を稼いで来い」


 そう言って自分をテントから追い払いました。






 ガヴェル曹長の助言通りに、自分は兵士キャンプに顔を見せに行くことにしました。


 何事も、先達にしたがっておくのが無難です。


「どうも、こんにちは」

「あ、健康診断の時の衛生兵」


 キャンプでは兵士がシャベルで土を掘ったり、木の板を地面に打ち付けたりしていました。


 兵士は座り寝をすることが多く、その方が寝やすい人は土や木で背もたれを作るのです。


 輜重兵さんもよく、荷台にもたれ寝ている姿を見ます。


「どうした、アンタもここに泊まるのか。衛生兵はテントだろう? 設営、手伝ってやろうか?」

「いえ、もうテントを用意して貰っています。ここには様子を見に伺っただけです」

「そうか」


 歩兵には歩兵の生活があります。


 兵士は決して、ただ命令のままに動く駒ではありません。


 その一人一人に個性があり、生きざまがあり、信念があるのです。


 歩兵としての景観が厳しいからこそ、コミュニケーションを取るべきでしょう。


「貴方たちは、新しく中隊に所属した方々ですね」

「そうだ、よろしく頼む。俺達の命は預けるぞ、衛生兵」

「はい。精一杯、お勤めさせていただきます」


 小隊長っぽい兵士に声をかけてみたら、にこやかに応対して貰えました。


 顔の彫りは深いですが、気さくな雰囲気の人でした。


「アンタずいぶん若いな、ウィンで徴兵されたクチか?」

「いえ、自分は西部戦線時代から従軍しています」

「おっ、じゃあアンタもあの地獄を生き延びたのか」

「はい」

「そりゃあ運が良かったな」


 その男は笑いながら、快活に自分の肩を叩きました。


 やや荒っぽいですが、親しみを込めてくれているのは分かります。


「実は俺も、西部戦線からの生き残りでな」

「そうでしたか」

「俺は南寄りの、ウィン正面の塹壕に籠ってた。戦線を破られた時はもう、死んだと思ったね」

「大変でしたね」

「ああ、同じ部隊の連中は皆死んじまった。生き残ったのは俺だけだ」

「それは。……お辛かったでしょう」


 今や、西部戦線から生き残っている兵士は希少です。


 上官に気さく過ぎますが、あの地獄を経験した戦友に会えて興奮しているのかもしれません。


 そう考えて気にせず、彼の話を聞いていたら。


「いや、ウチの小隊長が大馬鹿でな。俺以外の兵士は、アイツのせいで死んだのよ」

「大馬鹿、ですか?」

「ああ。アイツ敵に囲まれてんのに、律儀に上層部の命令を待って動かねえんだ」

「はあ」

「その時は情報が錯綜して、上層部は命令を出せる状況じゃなかったらしい。俺はそれを察し、一人で逃げ出したけど」

「……」

「そしたらあのクソ小隊長、俺に向けて発砲しやがったんだぜ? 信じられるか、仲間を撃ったんだぞ?」


 その兵士はドヤ顔で、命令違反を自慢し始めました。


 敵前逃亡は重罪なので、そんな話を聞かされたら罪に問わないといけないのですが。


「それは、命令違反ですし」

「勿論、そりゃあ命令違反だろうさ。だけど、命令を守って逃げなかった連中は全滅だ。小隊長も死んじまったらしく、ウィンには戻ってこなかった」

「……」

「俺が真面目に命令を順守していたら、この場にはいなかっただろうな。いざって時は上官の命令なんかより、自分の命を優先すべきだと思うね」

「それは兵士として、どうなのでしょうか」

「ヌルい! そんなんじゃこの先、生き延びれないぜお嬢ちゃん!」


 彼はそう言うと、少し周囲を見回してから小声で自分に耳打ちしました。


「上官が常に正しいとは限らんって話だ。話に聞く限り、ここの中隊長はまだガキらしい。士官学校あがり立ての15歳のコネボンボン野郎だとか」

「はあ。そうなの、ですか?」

「あれ? 17歳だったかな。まあどっちにしろ、コネで抜擢された若造中隊長だって話よ」

「はあ、それは確かに」


 どうやらこの兵士は、自分がその中隊長だと気付いていないようです。


 自分の肩にある階級章が、見えてないのですね。


 衛生兵服を着ているから、見落とされたのでしょうか。


「戦場のイロハも知らない若造に、アホな命令されたらたまらねぇよ」

「アホな命令……」

「間違いなく俺の方が、ガキよりマシな判断が出来るだろうさ」


 恐らく、コネで抜擢された若造中隊長とは自分の事でしょうね。


 ガヴェル曹長の噂と混ざったのか、情報が錯綜しているっぽいですが。


「死ぬって思った時は、素直に逃げた方がいい。何せ自分の命はたった一つしかねぇんだ」

「はあ……」

「俺は実際、そうやって生き延びた」


 別にお嬢ちゃん呼ばわりや、コネ呼ばわりは気にならないのですが……。


 上官の命令に従うつもりがないって発言は、かなり気になりますね。


 いざという時に言う事を聞いてもらえないと困ります。


 どう注意したものかと、頭を悩ませていたら……。


「そこまでにしろ、この阿呆たれが!」

「────痛ェ!?」


 唐突に割り込んできた男が、兵士を殴り飛ばしてしまいました。


 自慢していた兵士の歯が飛んで、土に血飛沫が散ります。


「な、な、な。何しやがる!」

「黙って聞いていれば、何たる臆病者か!」

「よくもやりやがったな!」

「命が惜しいなら今すぐ失せろ、邪魔だ!」


 殴り掛かってきたのは30代の、顔の怖い軍人さんでした。


 どことなくガーバック小隊長を思い出す風貌の男です。


「いきなり殴りかかってきてなんたる言い草だ!」

「民の期待を背負って軍に属する人間が、自己を優先するな鼠根そこん者!」

「ンだとぉ!」


 殴られた兵士は、顔を真っ赤にして起き上がりました。


 しかし怖い軍人さんの方も、引く気配はありません。


「お前に言われる筋合いはねぇよ!」

「貴様のような男が居たら士気が下がるわ!」


 激高した二人は取っ組み合い、喧嘩を始めてしまいました。


 自分は突然の事態に、口を挟むタイミングを失ってしまいました。


「死ぬのが分かってて命令守るヤツは勇敢かもしれねぇが。同時にアホだよ、脳みそのないアホ!」

「お国が窮地に陥っているというのに、命を惜しむとは何たる惰弱! 情けなさ過ぎる、教育してやる!」

「お前がアホなのは知ったこっちゃないが、俺を巻き込むんじゃねぇ」


 さて、どうしたものでしょうか。


 周りの兵士は興味がなさそうだったり、野次馬を決め込んでいたりです。


 喧嘩を止められるのは自分だけ、ですか。


「おい、マジで殴り合ってるぞ。誰か中隊長呼んで来い」

「そうだな。そこの衛生兵、中隊長殿に報告をお願いできるか。この先のテントにいらっしゃるはずだ」

「はあ」


 自分は野次馬の一人に、中隊長を呼んで来いと命令されました。


 つまり、中隊長が収めねばならない案件ということ。


「あの。落ち着いてください二人とも」

「嬢ちゃんは引っ込んでろ!」

「痛っ」


 恐る恐る二人の間に入ろうとしたら、巻き込まれて肘鉄を貰いました。


 自分の体格で、喧嘩に割って入るのは無謀でしたね。


「大丈夫か、衛生兵。迂闊に近づくから」

「すみません」


 しかし、無いものをねだっても仕方ありません。


 自分のフィジカルで場を収められないなら、部下に任せればいいのです。


「どなたかメイヴさんを呼んできてくれますか。彼なら喧嘩を止めてくれそうです」

「いや、だから中隊長を呼んだ方が良い。小隊長同士の喧嘩だし、上の立場の人に収めて貰わないと」

「自分が中隊長ですので、それには及びません」


 自分は野次馬の一人に階級章を突き出し、上官アピールしました。


 えっ、と兵士の顔が硬直しました。


 あとで聞くと、少尉の階級章が赤十字腕章の陰になって、見えにくかったみたいですね。


「おい二人とも、今突き飛ばしたの少尉殿だ!」

「はぁ?」


 その兵士の叫びを聞いて、二人は喧嘩を止めました。


 自分は無表情のまま、階級章を引っ張って見せつけます。


 成る程。最初から上官アピールすればよかったのですか。


「中隊長殿を見ろ、殴られてちょっと涙目だぞ!」

「結構、痛そうな顔だったぞ」

「別に泣いてませんが」


 涙嚢付近を殴られたから、生理的な反応として涙液が出ただけです。


 泣いたわけではありません。


「えっ。その娘、この中隊の派遣衛生兵じゃねぇの??」

「何かのジョークか?」

「確かに中隊長はかなり若いって聞いたが……女の子?」

「流石に幼くないか? 大丈夫か?」


 ざわざわ、と周囲に動揺が広がりました。


 階級章を見せてなお、自分が中隊長なのか半信半疑の様です。


「本当に、貴殿が中隊長殿であられますか」

「はい」

「女がどうやって中隊長に……?」

「まぁ、その色々とありまして」


 二人は喧嘩を止め、自分を凝視しています。


 ……それは、あまり好意的な反応には見えません。


 戸惑いと不信を感じます。


「間違いなく、自分は中隊長ですよ」

「ええ……」

「喧嘩の処分に関しては追って行います。お二方は入隊式の後、自分のテントへ出頭してください」

「りょ、了解した」


 自分はそう伝えながら、右頬に手を当てて治療しました。


 この、命令違反を自己申告した兵士はどう処分しましょうか。


 軍規に照らすと……敵前逃亡で死刑なんですが。


 西部戦線からの生き残りである彼を処刑する余裕が、オースティンにあるとは思えません。


 今日のところは厳重注意にとどめ、上の判断を仰ぐとしましょう。


「【癒】」

「お、お。やっぱり衛生兵、なんですか?」

「はい、以前は衛生兵として働いておりました。とある事情で、皆様を指揮する立場に配属された次第です」

「衛生兵が歩兵指揮官に? 妙ですな……」


 顔が怖そうな小隊長は敬礼を崩さぬまま、疑うように自分を凝視し続けます。


 普通に考えてあり得ない人事ですしね。


「先日、たまたま戦功を挙げまして。信賞必罰の精神に則り、昇進致しました」

「ほう、少尉殿はどのような戦功を? 宜しければお聞かせ願えますか」

「ええ。奇襲してきた敵の背後に居ましたので、脅かしたのですよ。『幸運』だっただけです」

「幸運?」


 自分は運良く戦果を挙げただけ。


 そう、自分が中隊長になった経緯を説明したところ。


「……あっ!! もしかして少尉殿は、かつてヴェルディ少佐の部隊にいたという衛生兵でしょうか」

「へ? ええ、まぁ、確かに以前はヴェルディ中隊に所属しておりました」

「あのヴェルディマジックの時も、ですか?」

「ええ、まぁ」


 野次馬の一人が興奮して、自分に詰め寄ってきました。


 何事かと目を白黒させていたら、


「やっぱり!! 貴女はもしや『幸運運びラッキーキャリー』では!?」

「本当だ、幸運運びだ」

「実在したんだ!」

「話に聞いた通りの、お人形さんみたいな衛生兵だ」


 にわかに周囲が色めき立って。


 『幸運運び』の名を謡い、割れんばかりの大歓声が上がりました。










「で、トウリ少尉。お前何やってんの?」

「握手会、です」


 これは、想定外でした。


 まさか『幸運運びラッキーキャリー』の噂が、ここまで広まっていたとは。


「少尉! こっちに目線ください!」

「はあ」


 自分が『幸運運び』であると分かった瞬間、兵士が殺到して潰されそうになりました。


 そんなに人気だったんですか、幸運運び。


「ありがとうございます!」

「次の方、どうぞ」

「よろしくお願いします、中隊長殿! 恐縮ではありますが、御頭を撫でさせて頂けないでしょうか!」

「はあ」


 誰も彼も詰めよって、自分の体を触ったり髪の毛を抜こうとしたりと大変な事態になりました。


 このままだと圧殺されそうだったので、順番通り並ぶよう命令しました。


 そしたら、長蛇の列が出来ました。


「トウリ少尉殿。お守りに入れたいので、髪の毛を1本貰えないでしょうか」

「あの、そう言うのはちょっと」

「トウリ中隊長、抱きつきハグする許可を頂けませんか」

「すみませんが、ハグNGです」


 まるでアイドルの握手会です。


 いうほど自分にご利益はないと思うのですが。


「これがお前の思う指揮官の姿か?」

「そうは思いませんが……」


 ガヴェル曹長は自分と列に並ぶ兵士を呆れて眺めていました。


 まぁ挨拶回りにいった中隊長が握手会を開いていたら、そんな反応にもなりますか。


 ただ、


「こんなに縁起の良い中隊長はいねぇぜ」

「幸運の女神に率いられるなら、やる気が出るってもんだ」

「可愛らしい中隊長殿に万歳」


 想定とは違う方向ですが、部隊の士気は高まっていました。


 なのでもう、この方向で行ってしまおうかなと思いました。


「俺達は幸運中隊だ」

「彼女に率いてもらえたら安心だ」


 兵士たちの狂信っぷりが、宗教みを感じて少し不安ですけど。


 年下の若造と侮られ言うことを聞いて貰えないよりは、遥かにマシな状況でしょう。


「何で俺より統率できてるんだ……?」

「……」


 そんな兵士たちを見て、ガヴェル曹長はげんなりしていました。

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