第144話


「入るぞ、トウリ少尉」

「おや」


 翌朝。


 自分のテントに入って来たガヴェル曹長は、呆れた顔をしていました。


「ガヴェル曹長、おはようございます」

「……ああ。メイヴから昨日の件を聞いたぞ、お前は馬鹿なのか」


 彼は開口一番、お説教を始めました。


 昨日の件、というのは自分が殴られた事でしょうか。


「アルギィへの指導の件ですか」

「ああ。お前が殴られてどーする」

「まぁ、ああいうやり方もあるという事です」


 軍隊において連帯責任というのは、珍しい罰ではありません。


 こうする事で仲間同士で『悪いことはするな』という共通認識が芽生え、注意し合うようになるからです。


 そして看護兵であるアルギィの直属の上司は、自分でしょう。


 だから自分も共に罰を受けるのは、間違った事ではないと思われますが……。


「中隊長がタコ殴りで立たされてたら、格好がつかんだろう」

「アルギィに罰を与えつつ、不満を抱かせないようにするには最善であると判断しました」

「……お前だって痛みは感じるんだろう?」

「まぁ、多少は」

「だったら……」


 自分の弁明を聞き、ガヴェル曹長は何かを言いたそうに口をもごもごとさせました。


 しかし結局、諦めたような顔で溜息を吐くのみでした。


「アルギィは自分直属の部下ですから、痛みを分かち合う関係でありたいのです」

「その理屈でいくと、俺の部下がやらかしたら俺もタコ殴りにされるじゃねーか」

「あー、まぁそうなりますか?」

「厄介な前例を作りやがって、いい迷惑だ」


 ガヴェル曹長はそうボヤいた後、ぶっきらぼうな態度で椅子に座り仕事を始めました。


 少し気まずい思いで自分も席に着くと、


「お前がいたぶられてる姿は、こう胸に悪いんだよ」

「胸に、ですか」

「罪悪感が凄い。出来ればもう、やめてくれ」


 正面に座ったガヴェル曹長は、小さくそう呟きました。




 結局、彼は自分を心配してくれていたのでしょう。


 自分が体罰慣れしすぎているだけで、普通はブン殴られたら傷つきますし。


「おや?」

「何かキャンプが騒がしいな」


 午前中はそのまま、ガヴェル曹長と書類仕事をこなしました。


 連日の頑張りで書類の半分以上は捌け、残り数日で終わるくらいに減りました。


「楽器の音、聞こえないか」

「聞こえますね」


 昼食時、少し休憩をしようと背伸びをしたら。


 兵士キャンプの方から、弦楽器の演奏音が聞こえる事に気付きました。


「ちょっと様子を見に行くか。トウリ中隊長殿も顔を出せ」

「自分もですか」

「見回りだよ。こっそり酒を持ちだすアホが見つかったばかりじゃねえか」


 ガヴェル曹長はそう言うと、立ち上がって肩をコキコキと鳴らしました。


 仕事の気分転換も兼ねているのでしょう。


「そうですね、行きましょうか」

「兵士の誰かがはしゃいでるだけとは思うが」


 彼は軽く苦笑して、テントを出ていきました。


 休憩中であれば、戦場で楽器を弾くことは別に禁止されていません。


 むしろ、音楽は戦意高揚に有効と認められています。


 楽器演奏を行うための『軍楽隊』という部隊すらあるそうです。 


「お、あそこの木に兵士が集まってるな」

「誰かが演奏会を開いているのですかね」


 外に出ると、美しい弦楽器の音がより鮮明に聞こえてきました。


 物静かで晴れやかな、不思議な音色でした。


「ギターだな。誰かがギターを弾いてるんだ」


 その音色に吸い寄せられるように、自分達は歩いて行きました。


 中々に上手いものです。ちょっと聞かせていただくとしましょう。






「人間は痛みを感じる生き物さ。誰もが痛み、苦しみから逃れようと足掻くワケ」

「ほうほう」

「だけどオジサンは、痛みを全く感じない少年に出会った事がある」


 その木の中心には、帽子を深くかぶった男が葉っぱを咥えて弾き語りをしていました。


「無痛症ってヤツだ。強すぎるストレスに晒されると、人間の感覚は鈍くなる」

「ほぉー」

「厳密には痛みは感じてるらしいんだけど、『痛みに対する忌避感』が無くなっちゃうんだとさ」


 男を近くで見ると、口ひげに白髪が交じり、独特の渋い声をした中年の男性でした。


 彼は何やら周囲の兵士たちと会話をしながら、ニヒルな笑みを浮かべていました。


「さて、そろそろオジサンの弾き語りを始めよう。10年以上前だったかな、東西戦争が始まる前の辺境の村でのお話」ポロロン

「いいぞいいぞ」

「貧困街の路地裏で、オジサンは無痛症の少年と出会った。彼は全身に火傷や刺し傷の痕があり、頬に大きなネジを突き刺されたまま、道端で平伏して乞食をしていた────」


 その中年男性はギターを弾き語りながら、目を閉じて。


 そんな彼を、多くの兵士が物珍しそうに囲んでいました。



「……えっ。誰ですか、彼は」

「さ、さあ」


 大変です。不審者です。


 見覚えのない人が自分の部隊のキャンプに入り込んで、演奏会を開いていました。


 自分は部下の顔を一通り覚えていますが、このおじさんは見たことが有りません。


「ある日、少年は捕まった。窃盗の容疑をかけられたのさ。彼はずっと道路で物乞いをしていただけなのに」

「ふむ」

「彼は『乞食だから、物も盗むに違いない』と問答無用で刑罰に処された。体は痛みを感じねど、人の心は痛みゆく。少年の意地や本性は、かくしてどうなったか……」

「あ、あの……」


 別に悪いことはしていなさそうですが、見知らぬ人にキャンプにいられたら困ります。


 軍の関係者にしろ出稼ぎの民間人にしろ、身分を明らかにする必要があります。


 スパイかもしれませんし。


「……おや?」

「えっと。すみません、当キャンプを管理するトウリ・ロウ少尉と申します。貴方はどちら様でしょうか」

「ああ、貴女が! お騒がせして申し訳ない、怪しい者じゃあないんですよ」


 自分が恐る恐る声をかけると、その中年男性はニッコリと笑いました。


 そしてその場で立ち上がって敬礼してくださり、


「お初にお目にかかります、トウリ少尉殿。当方は工作兵のナウマンです、本日付で配属になりました」

「……おお」


 そう、自己紹介しました。


「ナウマン工作兵長殿ですか。確かにその名には聞き覚えがあります」

「ええ、そのナウマンです。早く着いちまったので、未来の戦友と戯れていたんですよ」


 自分はその名前を知っていました。


 ナウマンさんは本日の午後、面談を行う予定の工作兵でした。


 早く来てしまったから、キャンプで待機していたのですね。


「少尉殿どうです、よければ聞いていかれますか」

「ああ、えっと。では、お願いします」

「はい、どうぞ。是非楽しんでいってください」


 このナウマン氏は、工作兵としてはかなりのベテランだそうです。


 与えられた仕事は何でもそれなりにこなす、優秀な方なのだとか。


「……」


 手が空いていたのでナウマン氏の演奏に付き合ってみましたが、中々どうして楽しい時間でした。


 随分と歌い慣れていらっしゃるようで、活舌もよく聞き取りやすい歌でした。


 自分の芸人としての血が騒ぎましたが、乱入出来る空気じゃなかったので大人しく見物しました。


「上手いものですね」

「ナウマン兵長は、軍楽隊に所属した経験もあるらしい」

「へえ」

「メイヴ兵長より軍歴が長い、超ベテランだ。申請が通ってくれて、ガッツポーズしたぞ」


 演奏の最中、ガヴェル曹長はそっと自分に耳打ちしました。


 今やオースティンでは貴重な、超ベテランの工作兵……ですか。


「今回補充できた人員では、一番の当たりだ。大事にしろよ」

「わかりました」


 ぱっと見た感じ、ただの白髪交じりのヒョロっとした方ですが……。


 ガヴェル曹長が言うには、自分の部下には勿体ないくらいの凄い人らしいです。


「……ってな具合で、今回の話はここまで。ご清聴ありがとうございました」

「面白かったぞー」

「どうも、どうも」


 ヘコヘコと愛想よく頭を下げて回るナウマンさんからは、その優秀さは想像もつきません。


 自分の目には、気の良い謙虚なオジサンにしか映りませんでした。


「実に素晴らしかった、一緒に飯を食おうぜオッチャン」

「誘ってくれるのはうれしいんだけどなぁ。オジサンはこれから、少尉殿にご挨拶に行かねばならんのでな」

「そこにいるじゃねぇか少尉殿は。今の歌が挨拶代わりで良いんじゃねぇの」

「流石に、ちゃんと面談は受けなけりゃダメでしょうよ」


 ナウマンさんは苦笑いして、自分に小さくウインクしました。


 ガヴェル曹長曰く『一番の当たり』との男、ナウマン兵長。


「ご配慮ありがとうございます、ナウマン兵長殿。では、自分のテントに来ていただけますか」

「はいよ、了解であります中隊長殿」


 少なくとも人当たりの良さそうなので、やりやすくは感じますね。


 自分が不愛想な部類なので、補ってもらえる感じです。


「じゃあな、オッチャン!」

「あいあい、また後でな」


 配属初日で、既に部隊に溶け込み始めている男ナウマン。


 さて、一体どんな方なのでしょうか。








「あははは、そんなに過大評価されても困りますよ。当方はただの、非力で臆病なオッサンです」

「……」

「トウリ少尉の素晴らしいご活躍こそ、聞き及んでおります。いやあ、貴女の下で戦えるなど運が良い。一生の自慢になりますよ」


 面と向かって話してみても、ナウマン氏はなかなかつかみどころのない人物でした。


 失礼じゃない程度に軽い冗談を飛ばしつつ、こちらを立てて丁寧な受け答えをしてくださいました。


「ナウマン氏には、工作小隊を率いてもらいます」

「はい、了解です。微力ながら力になりますよ」


 ガヴェル曹長は、ナウマン氏以外にも数名の工作兵を申請してくれていました。


 遂行できる作戦に幅を持たせるため、ある程度の工作兵の数が必要だと考えたからです。


 残念ながらその殆どは新人だそうで、主力はナウマン氏になるのだとか。


「ああそうだガヴェル曹長殿。我らが副中隊長殿」

「どうした、ナウマン兵長」

「よければ今夜、酒保に遊びに行きませんか? 他の兵士も誘うつもりです、親睦を深めましょうや」


 去り際、ナウマン兵長は気さくな顔でガヴェル曹長へ声を掛けました。


 ぴくり、とガヴェル曹長の眉が動きました。


「わかった、空けておく。だが、我らが中隊長殿は誘わなくていいのか?」

「少尉殿は、まぁ……ちょっと」

「ほら見ろ、少尉殿がちょっと拗ねた顔になられたぞ」

「拗ねてませんが」


 酒保というのは、要は物販や飲み会の場です。


 そういう場に、上官である自分が赴けば酒がまずくなるのは必定。


 なので誘われない事に、不満などあるはずがありません。


「あっはは、申し訳ない。トウリ少尉を除け者にしたわけじゃないので、誤解めされるな」

「いえ大丈夫です、ガヴェル曹長は存分に楽しんできてください」

「拗ねないでくださいってば。ただ今の酒保は……ちと、ねぇ?」


 ナウマン氏は申し訳なさそうな顔で、言いにくそうに弁明を始めました。


 酒保に問題があると言うと、どういう事でしょうか。


「酒保に、何かあるのでしょうか」

「あー、まぁ大体想像していただければわかると思うのですが。嗜好品が減ってる状況で、主な『商品』は何になるかを」

「……ああ、女か」

「兵士達にもソレを買うヤツがいるでしょうな。そんな場にトウリ少尉を連れて行ったら、空気が凍っちまいます」


 成程。


 酒保はもともと物販メインの施設ですが、今は売る商品が殆どない。


 となると、何が行われているかは想定しておくべきでした。


「お、俺はそう言うのは……」

「当方は普通に食事を楽しむつもりですよ、妻も居ますしね。戦友と旨い飯を食うのは大事な儀式です」

「むぅ」

「女買う奴は好きにさせればいい。一丁、語り合いましょうや」


 ナウマン氏はニヒルな笑みを浮かべ、ガヴェル曹長に手を差し出しました。


 一瞬迷ったそぶりを見せつつも、ガヴェル曹長はその手を取りました。


「いってらっしゃい、ガヴェル曹長」

「女は興味ないけどな、別に。付き合いで行くだけだからな」

「はあ」


 恥ずかしいのか、ガヴェル曹長は目を逸らして言い訳を始めました。


 頼りになるので忘れていましたが、そういえばガヴェル曹長は年下でしたっけ。


「もしかしてそう言う経験はないんですか?」

「お前は何を聞いてるんだ」

「いえ、妙に反応が初々しかったので」

「うるさいな、突っつくな」


 悪戯心で少しからかったら、顔を真っ赤にしてそっぽを向かれました。


 まだまだこの辺は、年齢相当なのでしょう。


「忠告しておきますと、迂闊に全裸になって突撃しないほうが良いですよ」

「は?」

「時折いるんです。新米を騙して、全裸で男色部屋に突撃させるような人が」

「なんだそれは。恐ろしすぎるだろ」


 グレー先輩の様な人がいないとも限らないので、ガヴェル曹長に忠告しておきました。


 こういうノリは懐かしいですね。前線部隊に戻ってきたんだという実感がわいてきました。


 ……夢と下心を膨らませて全裸で突っ込んだ先が男色部屋とか、とんでもない悪戯です。


「ここ数日、ずっと仕事詰めでしたから。今夜くらいは羽を伸ばしてください、ガヴェル曹長」

「ああ。いやその、付き合いで行くだけだけど」

「付き合いだろうと楽しんだ方が得ですよ」


 そろそろ疲れも溜まっているでしょうし、ガヴェル曹長には休んでいただきましょう。


 残った書類仕事も、自分一人で出来る内容っぽいですし。


「……じゃあ行ってくる」

「お気をつけて」


 少しでも彼のリフレッシュに繋がってくれれば幸いです。






「おや、おかえりなさいガヴェル曹長」

「……」


 と、思っていたのですが。


「随分とお早いですね」

「……うるさい」


 ガヴェル曹長は1時間もしないうちに、顔を真っ赤にしてテントに戻ってきました。


 何やら、トラブルでもあったのでしょうか。


「もしかして本当に、男色部屋にでも連れ込まれましたか」

「そんなんじゃない」


 彼は顔を真っ赤にしたまま、不愛想に寝袋を広げたあと。


 自分の方を見向きもせずに、横になって寝入り始めました。


「……?」




 後で聞いた話によると、ガヴェル曹長は色事が初めてだったようで。


 ナウマン氏に連れられて行った先が想像以上にピンクだった為、耐えきれず逃げ出してきたのだとか。


 士官学校を卒業して間もない彼は、まだまだ穢れを知らないお年頃だったようです。


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