第133話
日差しの強い森林内。
まだピカピカの新品銃を背負ったガヴェル小隊の兵士達は、不安を隠そうともせず銃声の鳴り響く方角へと走っていました。
「ガヴェル中隊長。何度通信しても、司令部が応答しません」
「……分かった。各員戦闘準備、偵察兵が先行し状況を報告せよ」
目指す司令部に近づくにつれ、銃声や悲鳴の音が大きくなってきました。
敵が近いと判断したガヴェル曹長は、部隊を止め偵察兵に先行させました。
かなり慎重ですね。
「前方1km程の森林地域で戦闘中みたいです。我がオースティン司令部は、もぬけの殻の様子」
「分かった。……敵に前線を突破されたのか? 何が起きてるんだ」
自分達は少しずつ、ソロリソロリと前進を続けました。
ガヴェル中隊は百人規模、まともな戦闘が出来る人数ではありません。
恐怖と焦燥を顔に浮かべながら、ガヴェル曹長は先行して部下である我々に指示を出し続けています。
「報告です。最前線の塹壕が制圧・突破されていることを確認しました」
「……何故だ。奴らに、我々の塹壕を突破できるほどの練度があるとは思えん」
「それが……」
30分もすると、偵察兵の一人が前線の様子を確認し戻ってきました。
敵は一体どうやって、ガスの焚かれた最前線を突破したのでしょうか。
その方法とは、
「奇妙な事に、直線的な黄緑色の煙が鉱山から塹壕へ何本も突き刺さっていました」
「……そうか、風銃か!」
歩兵であれば標準装備として渡される武器、風銃でした。
ガス兵器は、我々が考えている以上に弱点の多い作戦でした。
まずガス兵器は、風上でないと使えません。
なので攻撃地点が、容易に予想されてしまいます。
更にガス攻撃は銃火器に比べ、ゆっくりとした攻撃です。
目立つ黄緑色の煙が焚かれるので、攻撃を見落とすこともありません。
だからガス攻撃が始まったのを見て、山上に避難することが容易なのです。
現にフラメール兵はパニックを起こし山上へと撤退したため、死傷者は殆ど出ていませんでした。
山に陣取った敵にガスを使用したのは、オースティンの最大の失策でしょう。
そして問題はこれだけではありません。
この世界には前世と違って、ガス攻撃に致命的な弱点がありました。
それは手榴弾を撃ち落とす武装、通称『風銃』と呼ばれる魔法具でした。
風銃には本来殺傷力は在りません。ブワっと風が吹くだけの、防具に分類される兵器です。
しかしガス攻撃下で、この装備は凄まじい威力を発揮しました。
致死性の高い毒ガスを、敵に向けて逆噴射できるのですから。
まさに、ガス攻撃に対する明確な解答でした。
無論、オースティン側も風銃を使用されることを想定していなかったわけではありません。
フラメールやエイリスではまだ開発されていない兵器ですが、オースティンやサバト国内の賊から横流しされている事も想定してはいたそうです。
実際ヴェルディさんは、風銃による反撃を受けた時も落ち着いていて、「敵と同じようにガスを撃ち返す様に」と指示を出しました。
風銃が有るのはこちらも一緒。更に、風上はこちらです。
ガスマスクも用意していますので、撃ち合いになっても有利。
だから敵が風銃を持っていたことを、ヴェルディさんは意外だとは思いつつ脅威とは認識していなかったそうです。
問題は、それこそシルフ・ノーヴァの「想定通り」だったことでした。
『ヴェルディ少佐。敵が煙に紛れて突撃し、塹壕を制圧されました』
『何ですって!?』
シルフがガスを撃ち返した狙いは、視界を奪い気を引くことだけでした。
彼女の本命の作戦は、煙幕に紛れての突撃制圧だったのです。
『そこら中で、爆発が!』
『手榴弾だ、手榴弾が投げ込まれているぞ!』
ガスマスクを装備すると、非常に視界が悪くなります。
更に風銃をガスの撃ち返しに使ったせいで土煙が舞い上がり、視界がさらに悪くなってしまいました。
そのような状況で、上から落ちてくる手榴弾に対処できるはずもありません。
『今だ、風銃のお陰でガス濃度は薄まっている。塹壕内の敵を殺しマスクを奪え!』
『了解』
『敵の視界は悪い、今を措いて突撃するタイミングはない!』
高所に陣取っていたサバト兵は、オースティン側の塹壕位置を把握していました。
一方で、視界の悪いオースティン側はシルフ達の位置を正確に把握できません。
その結果、前線オースティン兵は手榴弾により大きな被害を受けてしまいました。
『蹂躙せよ! 我々の勝利は目前だ!』
シルフは我々の遺体からマスクを強奪し、塹壕を突破してしまいました。
そして運が悪いことに、ヴェルディさんはガスの二次被害を恐れ『なるべく少数でガス作戦を決行させろ』と命令を出しており。
少ない兵力ではサバト軍の突撃を止められず、後方司令部まで突破を許してしまったのです。
実に効果的で、電撃的な突撃でした。
ヴェルディさんはこんな展開を予想していなかったらしく、近くで銃声が鳴り響くまで奇襲を受けたことにすら気付いていなかったそうです。
この戦略の切れ味は、間違いなく彼女……シルフ・ノーヴァの指揮だったでしょう。
「ガヴェル曹長、司令部の様子を確認しました。……壊滅しています、人っ子一人いません」
「……。ヴェルディ少佐は!?」
「分かりません」
我々が司令部に到着した時には、多くの味方の遺体が転がっていました。
それは、中央司令部が敵軍により敗走したことを意味しました。
「ヴェルディ少佐のテント周囲に敵影はあるか?」
「自分が見る限り、確認できません」
「なら少佐のテントだけ確認しにいく。……あの人の生死の情報は、何より重要だ!」
壊滅した司令部を見て、ガヴェル曹長はまずテントの確認に向かいました。
ヴェルディさんの遺体が無いか、確かめる為です。
「ヴェルディ少佐! ヴェルディ少佐はおられますか!」
ガヴェル曹長は半狂乱になって、周囲の警戒もせずテントへ駈け込んでいきました。
そんな彼に追従し、我々もテント内に入りました。
血痕と鉄臭のこびりついた、かつてヴェルディさんと紅茶を頂いたテントに。
「……いない」
テントの中に、ヴェルディ少佐の遺体はありませんでした。
「恐らく逃げたのでは?」
「そうか。ならば良いんだが」
机は引き倒されており書類も散乱していますが、ヴェルディさんの姿は確認できません。
ただテントの中には、一本の旗が無造作に立てられていただけでした。
「これ、サバトの国旗か?」
「敵にサバト人がいるって事か?」
「ったく、ひでぇ事しやがる」
ここで自分達は、敵がフラメール人ではなくサバト軍だと気づきました。
何故なら司令部のあちこちに、同じようにサバト国旗が立てられていたからです。
戦場に自らの国旗を立てるという行為は、かつて戦場でよく見られた光景でした。
ここは自分達の国の領土だとアピールするのに、これ以上なく分かりやすいシンボルだったからです。
しかし銃が出現し塹壕戦が主体になってからは、いちいち旗を突き立てたりすることは無くなりました。
奪った領地をすぐ奪い返されるので、いちいち旗を立てるのはコストの無駄と判断されたのです。
しかしこの示威行為は、本拠地を失ったシルフ達にとって大きな意味がありました。
彼女は国民に、『サバト旧政府勢力は滅びていない』とアピールしなければならなかったからです。
また現サバトとオースティンの関係が悪化する事も、シルフにとっては大きなメリットになりました。
なのでシルフはわざわざ司令部に国旗を立てて、サバト軍の存在を世界に誇示しようとしたのです。
それは彼女なりの『足掻き』の一つだったのでしょう。
「……もういい、此処に用はない。俺達も退くぞ」
「何処へ撤退するんですかい」
「南軍の司令部だ。恐らくヴェルディ少佐が逃げるとすればそこだろう」
しかし旧サバト兵は、ただ地面に旗を立てるだけでは満足が出来なかったのでしょうか。
彼らはヨゼグラードや首都侵攻戦の経験から、残虐行為にすっかり慣れてしまった様で。
ヤツらはわざわざ殺した『オースティン兵の遺体』の顔面に、喉を貫通させ旗を突き立てていたのです。
苦悶の表情で。血の涙を流しながら。
旗を立たせる『台』にされたその兵士は、静かに事切れていました。
その残虐さに、ガヴェル曹長も思わず顔を背けていました。
「おいトウリ衛生曹。聞いていたか」
「……」
「退くぞ。もう、俺達が此処にいる理由は無い」
自分はふと、今朝の彼女とのやり取りを思い出していました。
リナリーは良く気が付く娘でした。
攻勢が始まって忙しそうだった自分に代わり、わざわざ書類をヴェルディさんの下へ運んでくれると申し出てくれました。
「……いっ」
「おい」
だから本当なら、自分がこうなっていた筈なのです。
忙しいからとリナリーの好意に甘えず、自ら書類を提出しにヴェルディさんの下へ訪れていたら。
「イひっ……」
「おいってば」
ああ。気付きたくはありませんでした。
そうであってほしく無いと、何度も何度もその遺体を見て。
自分は、その顔面に旗を突き立てられた少女が、
「何故、リナリー、が、いるんです……?」
「お、おい。トウリ?」
大事な大事な、自分の義妹であるという事に。
その瞳は見開いて。瞳孔は無様に開き切って。
彼女は口からサバト国旗を吐き、突き立てられて死んでいました。
「あ。この娘、まさかこないだ絡んできた……」
「……」
「……おいメイヴ、トウリを肩にかつげ。多分、暫く使い物にならん」
ぐるぐると、眩暈が全身の感覚を奪いました。
立っているのも難しいほどに、吐き気が込み上げてきました。
「トウリは多分、この哀れな味方の知り合いだ」
「ちっ、そりゃしょうがねえ。任せろ、しっかり運んでやるさ」
その衝撃に呆然としていると、自分は誰かに抱き上げられました。
そしてリナリーの旗を取ってやる事も出来ないまま、自分はテントの外に担ぎ出されました。
「よし、全員いるな。これより我々は南軍司令部を目指し撤退する」
「了解」
「余計な戦闘はするな。偵察兵、警戒を密にしろ」
自分のせいでしょうか。
彼女が、リナリーが、あんな目に遭ったのは自分のせいでしょうか。
「……ア、はァ」
暫く自分は大口を開けて、ボタボタ涙や涎を垂らし続けました。
冷たい雫が肩に当たっていただろうに、自分を抱えてくれた大男は一切何も言わずにいてくれました。
「よし、では出発だ。各員、冷静に行動しろ」
肩に抱かれながら自分は、何度もこの身の情けなさを呪いました。
ここは戦場です。今から皆命懸けで撤退しようというのに、ただ一人担がれて情けない。
大事な義妹も守れずに、今もなお皆に迷惑をかけて。
「10時方向で戦闘音です、迂回しますか中隊長」
「ああ、迂回だ」
どうしてサバト兵は、あんなことを?
何故リナリーが、殺されなければならなかった?
そういった疑問がグルグルして、もう何も考えられなくなって。
「なるべく戦闘は避ける。無事にオースティン本軍に合流する事が、今の俺たちの使命だ」
「了解」
─────違うだろ。
その時、誰かの冷徹な声が頭に響き。
スゥっと頭が冷え込んで、何かが切り替わる音がしました。
「……ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です、降ろしてください」
「お?」
涙は止まらないまま、自分は唐突に平静を取り戻しました。
氷の様に冷たい何かが、臓腑に落ちて広がっていく感覚で落ち着いていきます。
……いえ、違いますね。ゴルスキィさんの説だと『狂った』だけかもしれません。
「ガヴェル曹長。10時方向で戦闘音が有ったとの事ですが」
「……おい。お前、もう大丈夫なのか」
「ええ、大丈夫ですとも」
先ほどまでおぼつかなかった呼吸は、静かな吐息に変わり。
寝起きのようにスッキリとした、戦場を見渡す思考回路が戻ってきました。
まるで、大会でゲームをしている時のように。
「方針に対する提案があります。ガヴェル曹長」
「……あ?」
「敵の方へ向かい、我々も戦闘に参加するのは如何でしょうか」
そよ風のようにクリアな思考の中で、自分はガヴェル曹長にそう提案しました。
自分の中の『誰か』も、自分を導く『直感』も、そうすべきだと言っていました。
「お前、俺達は100人しかいないんだぞ!? 敵の数も分からないのに、許可も得ず戦闘って────」
「でも、勿体ないじゃないですか。せっかく
今の状況で、自分達が戦闘に参加しない理由は有りません。
我々は敵の進軍経路を、後ろから追いかけている状況だからです。
このまままっすぐ進むだけで、敵の背後から奇襲できます。
「敵は恐らく風銃を使って、司令部に奇襲を仕掛けてきたのでしょう?」
「まぁ状況的には、その可能性が高いだろう」
「だとすれば敵は、わざわざガスの焚かれた道を引き返して帰ると思いますか?」
それに、このまま敵を放置するのも戦略的にあまりよろしくありません。
何故なら敵はオースティン陣地内に潜りこんだことを利用し、更に悪辣な作戦を仕掛けてくると思われるからです。
「奴らはまだ、味方の陣地を襲おうとするはずです。奴ら自身の退路を確保するために」
自分はこの時点で、敵は『シルフ・ノーヴァ』だと確信していました。
リスクは有れど期待値が高ければ、常識にとらわれず博打策でも採用し。
そしてその奇想天外な作戦を、実行に移せるだけの計画性を併せ持つ。
そんな異常な指揮官を、自分はシルフ以外に知りません。
「司令部が壊滅した今、前線に命令は届きません。前線の兵士は逃げられないのです。敵はビュッフェでも楽しむように、好きな陣地を殲滅していくでしょう」
「……」
「そんな彼らを救えるのは我々しかいません。……奴らの後方を脅かし、味方を助ける事こそ我らの使命ではありませんか」
シルフ・ノーヴァを放置すればすさまじい被害が出るでしょう。
彼女は紛れもなく天才で、そしてオースティンの天敵です。
「決断してください、ガヴェル曹長。貴方は我が身を可愛がり、多くの味方を見殺しにするのですか」
「だが、それは」
「ヴェルディさんを目指す貴方が、本当にそんな方針を選ぶのですか」
そうガヴェル曹長に提案する、自分の声は震えていました。
しかし、それは恐怖からではありません。
何せ自分は、何の根拠もなくこの作戦が「上手く行く」と思い込んでいるのですから。
「き、危険が過ぎるじゃないか。上手く行く保証がどこにあって」
「上手くいくかは、貴方の指揮次第です。ご決断を」
ああ、涙が溢れて止まりません。
リナリーの残酷すぎる最期を見て、今にでも泣き叫びたくて仕方ありません。
なのに、口角が少しずつ、つり上がってしまうのです。
「む、無理だ! 悪いが俺は輸送部隊しか指揮していない、実戦は────」
「では提案です。今は午前11時14分。自分はまだ、
「……お前」
「確かに、曹長の実戦経験では不安が多いでしょう」
ガヴェル曹長は、まだ踏ん切りがつかないようでした。
彼はまだ実戦の指揮に自信がない様子です。
「どうか、この自分に指揮権を預けてください」
「トウリ、お前!」
「自分が
士官学校を卒業したばかりの士官に代わり、叩き上げが指揮を執るのは珍しい事ではありません。
自分は青ざめるガヴェル曹長をあやすように、そう言って笑いかけました。
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