第127話
「じゃあ、今日はトウリちゃんの復帰祝いよ! みんなワインは持ったかしら!」
「はーい」
「あ、トウリちゃんはジュースね」
「飲めないのは自分だけですか」
「気にしなーい」
ガヴェル曹長と微笑ましいやり取りの後。
数日ほど経って、自分は衛生部長レィターリュさんから宴席に招待されました。
「エルマさん、お久しぶりです。ケイルさんと働く病床が違うんですね」
「……アイツと同じ場所で働きたくなかったの」
その宴席には、見覚えのある看護兵さんが集められていました。
それはエルマ看護長を筆頭に、かつて「トウリ衛生小隊」に所属していた看護兵さん達です。
「皆さんご無事で何よりです」
「本当、みんなよくあの戦いを生き延びたわ!」
久しぶりに出会った彼女たちは、顔つきも体格も凛々しくなっている様に感じました。
出会った頃は厚化粧の我儘な人だらけで心配でしたが、今の皆にはフワフワした雰囲気は微塵もありません。
命懸けの戦場を幾つも越えてきた彼女達は、今や衛生部の主力として大活躍しているようです。
「……これだけ集まったのに、ケイルは不参加なのね」
「彼は病床主任ですから、病床を空けるわけにはいかないのでしょう」
「……どうせ逃げたんでしょ」
ただ残念ながらケイルさんだけは、仕事が忙しいので不参加となりました。
自分が北部決戦で離脱した後、彼が部隊を率いてくれたそうなので是非参加してほしかったのですが……。
ケイルさんは「病床主任が仕事を投げ出すわけにはいかない、リトルボスは楽しんできてくれ」とさわやかな笑顔で、自分を送り出してくださいました。
「懲りもせずまた、複数に手を出そうとしたんですよケイル小隊長」
「同時並行で口説いただけで、付き合う前だから浮気じゃないと言ってたけど」
「……後でお説教しておきます」
どうやらケイルさん、本当に逃げたっぽいですね。
頭が良い人なのに、何故学習しないのでしょうか……。
「初めて小隊長を見た時は『こんな小さい子が隊長で大丈夫か』と思ったけど、なかなかどうして頼りになった」
「ありがとうございます、ブチャさん」
「……年齢の割にしっかりしているわ、トウリ小隊長は。どっかのバカに見習ってほしい」
「ケイルさんも、頼りになる方ですよ」
「駄目よ、あの男を信頼なんてしちゃ。間違っても身体なんか許しちゃだめよ」
「そっち方面は信用していませんので、ご安心ください」
戦友と卓を囲む食事会は、とても楽しいものでした。
「トウリちゃん、これ美味しいわよ! パンの表面にチーズを塗って炙ったの」
「ありがとうございます、とても美味しいです」
レイリィさんは様々な料理を用意してくださっていました。
チーズやパン、ベーコンなど戦場では貴重な食糧ばかりです。
彼女のポケットマネーで用意して頂いたそうで、感謝せねばなりません。
「サバトに行って一番驚いたのは入浴文化で、ヴァーニャと言うのですが……」
「えー! そんな素晴らしい施設があるのね! 食べ放題じゃない」
「神聖なヴァーニャで不埒な事をしたら、出入り禁止になりますよ」
自分が今までサバトで何をしていたか根掘り葉掘り聞かれ、この日はずっと喋り通しでした。
サバトでの暮らし、セドル君を引き取った事、革命に参加した事。
皆、自分の話を飽きもせず聞いてくれました。
こんなに誰かに話をし続けるのは、生まれて初めてかもしれません。
自分の話を終えた後、次は衛生小隊の皆さんが今どうしているかを聞いてみました。
ウィン防衛戦を境に衛生小隊は解散となり、それぞれ地位を得ていろんな病棟に飛ばされたのだそうです。
戦場での経験を、ウィンで募った新人に伝えていくために。
「エルマさんはもう、看護兵長なのですね」
「……ここにいる皆は大体、上等兵以上になってるわ。募兵組の中では出世頭」
なんとエルマさんは、階級的にはケイルさんと同格の看護兵長になっていました。
前線の病棟師長を任されている様で、今も大活躍しているそうです。
「私の方が偉いわよ~!」
「レイリィさんより偉い人は衛生部に居ませんよ」
「だから上官命令! 男はみんな、上半身裸になりなさい! トウリちゃんに品定めの仕方を教えてあげるわ」
「……衛生部長、それは教育に悪い」
「痛いわ!」
エルマさんだけではなく、ここにいる皆はいろんな部署で衛生部の屋台骨として支えているようです。
レイリィさんが上手くスケジュールを調整してくださらないと、こうして集まる事は難しかったでしょう。
なので、彼女が悪い酔い方をしているのはご愛敬としておきましょう。
「……トウリ小隊長。衛生部長の醜態はいつもの事だから気にしないで」
「大丈夫です、可愛いものです。自分はもっと激しい席を経験したことがあります」
「レイリィ部長より酒癖悪い人は、滅多にいないと思うけど」
サバトだとそろそろヴォック鉄帽したり、全裸で雪原にダイブして冷たくなる人が出始める頃合いです。
男を襲いだすだけのレイリィさんなんて、可愛いものです。
「あはははー! 良い男ー!」
「うわ、衛生部長が来た! 逃げろ!」
……少し自分の感覚は、麻痺しているのでしょうか?
「そういや小隊長は、色恋沙汰には興味ないのかい?」
「はあ」
「こーんなに、可愛いのに」
宴会の途中、ほろ酔いの男性看護兵が自分の頭を撫でながら色恋の話題を出しました。
どう答えたものかと一瞬口ごもると、
「えっと、まぁ自分は既婚ですので」
「あっ、ご、ごめん。……痛っ!」
即座にテーブルの下で、エルマさんが彼の足を踏みつけました。
男性看護兵も酔いがさめたらしく、顔を真っ青にして謝ってきました。
「別に、そう腫物を触るようにしなくていいですよ。話を振られたら、適当に惚気させていただきますから」
「……」
楽しかった宴席の空気が凍ってしまいました。自分とロドリー君の話は知られていたようですね。
自分なりにジョークで場を和ませようとしましたが、スルーされてしまいました。
「あー、その。自分は本当に気にしていませんので」
「そ、そう。じゃあ、代わりに私が恋バナでもしようかしら! じゃあ最近食べた、ケイル君の話でも」
「……それは、私が聞きたくないのでやめてください」
「えー」
気を使われる側と言うのも、なかなか面倒なものです。
こういう時は、軽く流して頂けると助かるのですが。
「では、恋バナという訳ではないのですが。最近、人間関係で悩んでいる事がありまして」
「お? 何、お悩み事かしら? お姉さんが相談に乗ってあげるわ」
「ありがとうございます、実はですね……」
仕方が無いので、自分は適当に思い付いた話題を振ってみました。
せっかくの楽しい食事会。この凍りついた空気を、さっさと払拭したかったのです。
「ツンツンな義理の妹を口説こうとしたら、憧れの先輩を取り合って男から宣戦布告を受けたのね」
「……はい」
「ぶっちゃけ面白いわ!」
と、言うわけで。
リナリーとガヴェル曹長の件を相談してみたら、レイリィさんが大興奮し始めました。
何が面白いのでしょうか。
「その義妹のリナリーって、あの銃持って走り回ってる通信兵の女の子よね? 先週も怪我して衛生部に来てたけど」
「何で女の通信兵が訓練してんだって、話題になってたよね」
リナリーのことは、旧小隊の人々も良く知っているみたいでした。
よく負傷するので、顔を覚えられていた様です。
「女の子なのに、傷が残るような怪我ばっかりしてくるのよ。治すのが大変なんだから」
「でも心配して話しかけても、『余計な話をせず治療してください』の一点張りでさ。ちょっと態度悪いよね」
「何であそこまで必死で訓練をしてるのだか」
リナリーは治療を受ける際も不愛想で、殆ど会話に応じないそうです。
どこが痛いのかとか、そんな最低限の情報しか口に出しません。
手際が悪いと「その様な腕で良く衛生兵をやれますね」と皮肉を飛ばしてくることもあるようです。
「とりあえずあの娘は、訓練内容を考え直して貰うべきね。流石に怪我が多すぎるわ」
「訓練の負傷を迷惑だとは言いたくないけど……仕事増やされるのは良い気しないよね。早く治せ、みたいな態度もどうかと思うし」
「トウリ小隊長から上手いこと、諭してやれない?」
と、リナリーに対する話題は尽きることはありませんでした。
生意気な態度と負傷の多さから、悪い意味で有名な様です。
……本当に、兄妹ですね。
「で、もう一人のガヴェル曹長? は知らないわ。ごめんなさい」
「……誰、それ」
「曹長クラスなら、顔を見れば思い出すと思うんだけどねぇ」
ちなみに、もう一人の悩みの種であるガヴェル曹長を知っている人は1人も居ませんでした。
よく考えればガヴェル曹長は輸送部隊なので、基本的に前線にいません。
そりゃあ誰も知らないはずです。
自分の復帰祝いの会は、日が暮れるまで続けられました。
この日の宴席は、本当に楽しい時間でした。
「さて衛生部長、そろそろ解散しないと仕事が……」
「嫌よ、今日はこのまま気持ちよく潰れて寝るわ」
「今夜中に仕上げるべき書類がたっぷり待っています」
レイリィさんは食事会が終わると、すぐ部下に連行されてしまいました。
……今から徹夜で書類仕事だそうです。申し訳ない気持ちになりますね。
「……じゃあ、またね小隊長。困ったことがあったら相談して頂戴。力になるわ」
「ありがとうございます」
エルマさん達はそれぞれ自分に挨拶して、帰路につきました。
自分も彼らも、明日からまた仕事です。頑張りましょう。
「……夜」
ケイルさんの管理する病床は、ここから数㎞ほど離れた場所でした。
辺りを見渡すと、既に夜闇が周囲を覆い、草むらから羽虫の鳴き声がまばらに聞こえていました。
もう季節の変わり目なのか、蒸し暑い夏の空気の中で涼やかな風が吹き始めていました。
走れば、30分ほどで自分のテントに帰ることが出来るでしょう。
しかし自分は感傷を踏みしめたくて、ゆっくり歩いて帰ることにしました。
懐かしく、優しい人たちに再会できたその感傷を。
「ぐ、ぅ……」
「っ!」
ところが10分ほど歩いた道すがら、自分は路傍から苦しげな呻き声を聞きました。
自分はすぐさま息を殺し、周囲の警戒を強めました。
「……っ、……っ」
近くで誰かが、息を荒く何かをしているみたいです。
────戦闘、でしょうか?
ここはオースティンの勢力圏ですが、敵の敗残兵が隠れていないとは限りません。
自分は草木の中に伏せて姿を隠し、ゆっくりと声が聞こえてきた方向へ忍び寄りました。
「まだ、……足り、ない」
自分が進んだ先には、1人の少女が居ました。
彼女は上半身に汚れたタンクトップシャツを身に纏い、肩や腕からダラダラと血を流し立っていました。
「……ぜっ! ハッ!」
少女は目を閉じると真っすぐ、木の幹に拳を振るいました。
ドスンと鈍い肉の音が夜闇に響き、木の皮と血飛沫が舞いました。
「ハアっ! はァ! ……はああァぁっ!!」
……それは、鬼気迫る表情でした。
彼女は瞳に黒い影を纏い、痛みを押し殺すようなダミ声をあげて何度も木の幹に拳を振るっていました。
「……リナリー」
復讐に取り憑かれた少女リナリー・ロウは────誰も居ない空間で一人、傷だらけになって木を殴り続けていました。
あんな訓練を、自分は知りません。恐らく、歩兵の近接戦闘プログラムだとは思いますが……。
今の時代に拳をメインに据えた、近接戦闘訓練を行うものでしょうか。
まず先に、ナイフや銃の扱いをマスターすべきだと思うのですが。
「……っ!! ……っ!」
リナリーは上着を脱ぎ捨て、タンクトップシャツに軍用ズボンというラフな格好で訓練を続けました。
体に傷が出来ることなど気にも留めず、拳や肘鉄、蹴りにタックルとあらゆる技で木にぶつかり続けました。
全身に、傷を作りながら。
「……やあ」
次に彼女は、ボロボロの腕を使って木に登り始めました。
クライミングで体幹トレーニングをしているのかと思いきや、彼女はそのまま木から飛び降りて受け身を取る練習を始めました。
「────ひぐっ! 痛ぅ……」
リナリーは嫌な音を立てて右肩から着地し、暫く激痛に悶えた後。
再び立ち上がって、右肩を庇ったまま木登りを再開しました。
……恐らく、骨が折れていますね。肩が上がらなくなっていて、木を登るのに苦労しています。
よく見れば彼女が着地した場所の周囲は土が抉れ、赤黒い血痕のついた草木が押し潰されていました。
彼女はきっとその訓練を、何度も何度も続けていたのでしょう。
リナリーの行っている訓練は、お世辞にも効率的なものとは言えません。
仮に近接戦闘の訓練をするにしろ、相方がいないと効率が悪いでしょう。
受け身を取る練習にしても、複数人でやるべきです。
一人で骨を折って動けなくなったら、誰かに見つけて貰うまでそのままです。
頸椎をやられたら、息が止まって死ぬこともあります。
「……」
そんな危険極まりない訓練を、リナリーは一人でこなしていました。
誰に見張られるでもなく、誰に命令されるでもなく、一人で黙々と。
獣のような目でフラメールの方角を眺めながら、歯を食いしばって訓練をしていました。
「も、もうす、ぐ」
リナリーは幼さの残る顔を泥で汚し、再び右肩から地面に着地して呻き声を上げました。
ミシリ、と嫌な音を立てて右肩が赤黒く腫れあがりました。
「会いに、行き、ます」
彼女の綺麗だった黒髪は、土と脂汗でバラバラにかき乱されていました。
落ちていた石に肩の肉を大きく抉られたみたいで、ギョッとするほどの血を垂れ流し始めました。
彼女はそんな右肩を押さえ、声にならない悲鳴を上げて────
「
再び、自分が飛び降りた木に登り始めようとしました。
その黒く霞のかかった瞳の先に、『死』を見据えて。
「……駄目です」
違う。あれはロドリー君と似ているようで、全く違います。
ロドリー君は、ただ仲間の敵討ちがしたかっただけです。
周囲の仲間に敵意を振りまいていたのは、仲良くなった人が死ぬのが辛かったから。
彼は自ら、死を求めてなどいませんでした。
「それは駄目です、リナリーさん」
ですが、彼女は違いました。
リナリーは、天涯孤独となった少女は、あの無表情な仮面の下に────
「そうなるにはまだ、早すぎます……」
湧き上がってくる自殺願望を、フラメール兵への殺意で塗りつぶしていたのです。
14歳の少女が、家族を失って寂しくないハズがありません。
今まで平和に暮らしていた女の子が、天涯孤独になって平然としていられる訳がありません。
だからリナリーは、両親や兄に会いたくて。
死んだ先に家族が待っていると信じて、過酷な訓練を続けていたのです。
「……」
それが彼女が、前線を希望する理由でした。
彼女が周囲を遠ざけている理由は、もうすぐ前線で死ぬ予定だから。
明らかに無茶な訓練をこなしているのは、訓練中に死んでしまったとしても構わないから────
「リナリー2等通信兵!」
「……おや」
……そう思い至った瞬間、たまらず自分は彼女に詰め寄っていました。
このまま放っておけば、リナリーは間違いなく死ぬでしょう。
彼女は命を蔑ろにして訓練中に事故死するか、敵陣に突っ込んで死ぬに決まっています。
「これはトウリ衛生准尉殿、私に何か御用でしょうか」
「その訓練プログラムは、誰に課されたものですか。危険で非効率的で、無茶が過ぎます」
「自主訓練ですよ。全て自己責任で行っているので、ご心配なく」
放置しておくわけにはいきません。
大事な戦友の忘れ形見が自殺するのを、見過ごすことなんて出来ません。
「駄目です。そんな非効率的で無意味な訓練をして、死んだらどうするのですか」
「貴女には関係ないでしょう」
しかしリナリーは、頑固な娘でした。
自分が何かを言って説得しようとしても、馬耳東風に聞き流されてしまうだけでした。
彼女は既に死を選んでいるので、誰が何を言っても心に響かないのです。
「私の選んだ道です。どうか関わらないでください」
「いえ、自分が言いたいのはそうではなくて─────」
リナリーにとって自分は、見知らぬ他人です。
少なくとも今、彼女にどんな言葉を掛けようと。
自分ではリナリーの生き方を変えることなど出来ないでしょう。
「随分とヌルい訓練をしていますね、と。嗤いたかったのですよリナリー」
「……っ!」
だから自分は、必死で考えました。
リナリーに自分の言葉を届ける、その方法を。
「衛生兵の貴女が、何を知っているのです」
「こう見えて自分は、突撃部隊あがりですよ。『
恐らく正攻法では、何を言っても聞き入れてもらえません。
彼女が興味を持ってくれるとしたら、それは……。
「……私は訓練を妥協しているつもりなんてありません。何が足りないというのですか」
「男性に体格で劣る女性兵士が、近接戦を学んで何になります? そんな暇があれば1秒でも長く走ってください」
「え?」
彼女が歩兵を志すなら、行うべき訓練内容の話でしょう。
「歩兵は走るのが仕事です。飛び降りたり殴りあったりする前に、走って目的地に行かないといけないのです」
と、いう訳で。
自分は日課のランニングを、リナリーと共に再開することにしました。
「実戦では銃を構えて戦闘になるまでに、ひたすらマラソンをし続ける事になります。体力が無いと、銃すら構えられなくなります」
「……は、はあ。そう、です、か」
「もし歩兵になりたいならば。あんなに馬鹿みたいに傷を作って飛び跳ねてないで、走ってください」
まず自分は、彼女が勝手にやっていた訓練内容を是正する事から始めました。
肩の傷を治した時に、今の訓練内容は誰に指示されたか聞きましたが……。
なんとリナリーは、軍人だった祖父から聞いた訓練内容を勝手に再現していたみたいです。
彼女の祖父が軍人だったのは、銃火器が出現する前の時代です。半世紀も前の訓練なので、あんなに非効率的だったのですね。
「何ですかその銃の持ち方は。ここは警戒区域だと仮定したでしょう。銃は左肩に掛けて、左手でグリップを握ったまま保持です」
「……はい、すみ、ません」
「敵を見つけた瞬間に構えられるよう、意識してください。自分が合図を出した瞬間、指定の方向へ銃を構えるのですよ」
あんな訓練をしていたら、いつ半身不随になるか分かりません。
今の時代の歩兵は近接戦の練習をする前に、まず走り込みです。
ついでに小銃の正しい構え方も指導しておきましょう。
「3時方向、敵影! その場で構え!」
「えっ」
「遅いです。反応が遅れれば死ぬと思って、もう一回やりましょう」
自分の話の大半を聞き流していたリナリーも、歩兵訓練の内容なら素直に聞いてくれました。
どうやら彼女自身、ちゃんとした訓練プログラムを知りたかったみたいです。
「1時方向、敵影! その場で屈んで、膝撃ちの構え」
「ひ、膝撃ち?」
「こうです。片膝をついて、股を直角に開いてください。遮蔽物などがあれば隠れながら応戦できます」
この辺はガーバック小隊長は教えてくれなかったので、ザーフクァさんの訓練で学んだ内容です。
指示への反応が一番遅かった人が罰ゲームをやらされるので、みんな必死でした。
「3時方向、敵影! すぐ迎撃態勢!」
「……はいっ! はぁ、はぁ」
「何ですか、もう息が切れたのですか。歩兵を目指すのではなかったのですか」
「こんなに、歩兵が、走る事なんて、あるの、ですか」
「何なら行軍中はずっと走ってますよ。もっと重たい荷物を背負って」
「ぐ、う、うっ……」
この訓練内容なら、リナリーが頑張っても怪我をすることは少ないでしょう。
少なくとも今までの、木から飛び降りるような蛮行よりはよっぽど有用な訓練内容です。
熱中症を起こさないよう、水と塩は備えておく必要がありますが。
「2時方向、敵影。屈んで迎撃態勢!」
「……はい!」
「む、よろしいでしょう。良い時間ですし、そろそろランニングは終わりますか」
夜間の歩兵訓練は、2時間ほど続けられました。
訓練が終わるころには、流石のリナリーもへとへとでした。今までは危ないだけで、体力のつく訓練をしてこなかったみたいですね。
ランニングに勝る訓練はないというのに。勿体ない事です。
「お、終わっ、た……」
「ほら、何を寝ているのですか。まだランニングが終わっただけですよ」
「え」
しかし、ランニングだけでは不足です。
歩兵には塀の飛び越えや悪路の山中行軍など、筋力が必要となる状況も多々あります。
ランニングと筋トレは1セット。筋トレは場所も取りませんし、歩兵を志すならやらない手はありません。
「ただいまから、体幹のトレーニングを行います。まずは腹筋から行きましょう。100回」
「え……?」
「これは一般的な歩兵訓練の、ウォーミングアップの内容です。これすらついてこれないなら、歩兵なんか無理でしょうね」
「……」
今は亡きガーバック小隊長殿は、新兵だった自分にひたすら筋トレと走り込みを課しました。
あの人の性格は無茶苦茶ですが、やる事は理にかなっているので参考になります。
「おや、限界ですか。諦めて今日はここで終わりにします?」
「……なっ! やり、ます。やります!」
「そうですか」
リナリー・ロウは中々に頑固な少女でした。
新兵には少しハードな内容でしたが、彼女は自分の訓練についてきました。
「ぜぇっ!! ぜぇっ……!」
「頑張ってくださいー」
彼女より小柄な自分が、涼しい顔で訓練をこなしているのが刺激になったのかもしれません。
スポーツ少女だったラキャさんが初日で逃げ出した訓練内容を、リナリーは見事やり遂げたのでした。
「お疲れ様です、訓練は終了です。出来れば毎日、この訓練内容を継続してください」
「……」
「あー、大丈夫です?」
「……」
しかしリナリーはどうやら、気力だけでやり切ったみたいで。
訓練が終わった直後、彼女は汗だくで気を失ってしまいました。
「よい、しょっと。とりあえず、運びますか」
放っておくわけにもいかないので、その晩はとりあえず自分のテントに運んでやりました。
どこか適当な場所で水浴びがしたいですね。今日の所は水道を借りて、明日以降は水場の近くで訓練するようにしましょう。
……やはり、適切なトレーニングは気持ち良いです。今後も空いた日は、リナリーを誘って訓練するとしましょう。
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