第128話
「リトルボス。最近、夜に抜け出してないか?」
「おや、気づかれましたか」
あの日から自分とリナリーの、深夜の歩兵訓練が始まりました。
リナリーも聞き齧っただけの訓練内容では不安だったようで、自分の指導を拒まず聞き入れてくれました。
「申し訳ありません、私用で抜けさせてもらっていました」
「何をしてるんだ? 悪い遊びとか覚えちゃったなら僕泣いちゃうぞ」
「覚えていませんよ……」
仕事を放り出して、昼間から訓練する訳にはいきません。
なので自分は、夜勤の無い日に抜け出してリナリーに会いに行っていました。
「僕は心配なんだ。リトルボスみたいなタイプは、簡単に男に騙されて食われちゃうから」
「成る程。つまりケイルさんは、自分など簡単に騙して食えると」
「……まあ、やろうと思えば出来るかな?」
「失敬な」
しかし非番とは言え、やはり勝手に夜に抜け出すのは良くないでしょう。
たとえ目の前の
「申し訳ありません。自分は義妹と一緒にトレーニングするため、抜け出していました」
「ふーん? 義妹って、君の旦那の妹かい?」
「ええ、リナリーという通信兵の娘です。少し生意気な所はありますが、素直な良い娘です」
「そうだったのか」
なので自分は素直に謝って、何をしているか白状しました。
買春に比べれば、やましい事ではない筈……です。
「帰ってくるの、かなり遅いみたいだけど。トレーニングって何してるんだ?」
「えーっと、走り込みを2時間、筋力トレーニングを2時間ですね」
「4時間もぶっ通しで?」
リナリーとの訓練は、まだ体力トレーニングが主でした。
彼女はまだ、兵士として前線まで行軍出来る身体能力を持っていません。
歩兵になりたいなら、まずは体力と筋力を手に入れないと話にならないのです。
「それって僕らも、出征前にやらされたヤツ?」
「はい、あれをちょっとだけ改良した内容です」
「……そんなキツい訓練内容なら、リナリーちゃん普段の業務に支障出ない?」
「出るかもしれませんね」
確かに14歳の女子には厳しい内容ですが、歩兵になるために必要な最低限の訓練でもあります。
正式な訓練は、たった4時間で終わりません。
あの程度で動けなくなるなら、元より歩兵になる資格はないのです。
「……ですが。今のトレーニングすら耐えられないのであれば、歩兵は諦めて貰うつもりです」
「スパルタだね」
……本物の歩兵訓練は、今やっている体力訓練に加えて実戦訓練も行われます。
24時間ぶっ通しの訓練なんて当たり前の、成人男性ですら音をあげる内容です。
14歳の女の子がこなすのはキツいでしょう。
しかし、歩兵に男女の区別なんて無いのです。
殺し合いの場で『女の子だから、14歳だから』と忖度してもらえる事はありません。
必要な訓練を積まず戦場に立ったなら、死あるのみです。
「自分は彼女に、歩兵の現実を知ってもらいたいのです。例えば戦闘する機会より、穴を掘る機会の方が遥かに多い事」
「まあそうだね。……前線兵の話を聞く限り、命の危険がある土木業者と例えるのが最適だ」
「そしてストレスで気が立っている屈強な男たちの中に、リナリーみたいな可愛い娘を放り込んだらどうなるか。……恐らく、彼女が男性不信になる様な事が起きるでしょうね」
そして、前線に女性兵士が居ない理由の一つは、性暴行の対象になる可能性が高いからです。
明日死ぬかもしれない恐怖に震えている状況で、隣に女が寝ていたら手を出してしまいたくなるのでしょう。
「同意の上でも軍規違反の筈だけど、やっぱりそういうのは多いのかい?」
「ええ。……よく聞く話です」
ストレスの多い前線では、兵士も理性のタガが外れやすいのです。
だからこそ、前線では売春買春が盛んに行われるのでしょう。
女性を買う事で、自らの心を落ち着かせ淫欲を律するのです。
あの堅物のヴェルディさんですら、そういう場所を利用していたくらいですし。
「関係が築けたら、その辺もリナリーとしっかり話すつもりです。それまで、夜に抜け出すのをご了承ください」
「そっか。そう言うことなら、まぁ咎めないでおくよ」
そもそも非番の夜に抜け出しているのは自分だけではありません。
衛生兵にも色々と溜まるモノが有って、そういう場所に行っているみたいです。
「ま、ほどほどに頑張るといいさ」
これで病床主任の許可ももらえたので、大手を振ってリナリーに会いに行けます。
また、新たな訓練メニューを考えておきましょう。
「今日も、訓練を行いますか」
「お願いします、トウリ衛生准尉」
そんなリナリーとの訓練は、1週間ほど続けられました。
彼女は息も絶え絶えながら、しっかりと訓練についてきました。
「ほら、銃を構える時に利き手が震えていますよ。それで狙いを定めているつもりですか」
「ご指導ありがとうございます」
訓練中のリナリーは、とても真面目な態度でした。
今までの反抗的な物言いは何処にいったのか、素直に自分の言うことを聞いてくれます。
「トウリ衛生准尉。……背後を向くときの足運びは、どのようにすればいいでしょう」
「ああ、それはまず踵を引いて……」
質問も積極的に飛んできますし、自分が来れない日もサボらず訓練を続けているようです。
……根はきっと、真っすぐな娘なのでしょう。
「リナリーは振り向き様に引き金を引く癖がありますね。狙いを定める一瞬の溜めを作った方がいいですよ」
「敵の存在に気付いたら、なるべく早く撃ちたくて」
「気持ちは分かりますが、敵を発見したらまず上官に報告してくださいね?」
「どうしてですか?」
しかし彼女が言葉を聞いてくれるのは、訓練の内容に関してのみでした。
それ以外の事、特に軍隊のルールなどに関しての理解はあまりよろしくありませんでした。
「撃つべきかどうか判断するのは、上官の仕事だからです」
「その間に撃たれたらどうするのです?」
「敵の射線上であるなら、身を避けるくらいは許されます」
軍隊において、上官の命令は絶対です。
しかしリナリーは、命令より自らの憎悪を優先していました。
「報告している間に撃ち殺せるとしてもですか」
「先に報告してください」
「既に敵に撃たれている場合は、流石に撃ち返しても良いんですよね?」
「駄目です。往々にしてそう言う場合、すぐに上官が適切な指示を飛ばすでしょう」
彼女はまだ、『兵士』にすらなれていません。
市井の感覚のまま、歩兵になろうとしています。
「敵を撃ち殺す事で、不利益が生じるとは思いません。撃てるならすぐ、撃つべきじゃないのですか」
「敵を撃つのが目的ではないのです、リナリー。軍人が敵を撃つ時には必ず理由があります」
「……はあ」
自分の言葉にリナリーはピンと来ていないようでした。
……恐らく彼女は、手段と目的を取り違えているのでしょう。
戦争に勝利するために敵を殺すのではなく、敵を殺すために戦争に参加しているのです。
「自分もかつて、人を撃ったことがあります。しかし、人を撃つ事を目的にした事はありません」
「どうして、ですか」
「人を殺す事を目的にしたならば、最早それは『殺人鬼』だからです」
「殺人鬼ですか」
「ええ。それはきっと、よくないことです」
軍人の中には人を殺すのを目的にし、殺人に快楽を見出す者も確かにいます。
憎い敵を蹂躙する事で、自らの征服欲を満たしているのです。
往々にしてそう言う兵士は、とても頼りになります。
なので、そういった兵の存在を否定する気はありません。
────ただ自分がリナリーに、そんな人になって欲しくないだけです。
「私は何の理由もなく、面白半分に家族を奪われました」
「……」
「だけどそれを敵にやり返してはいけないと、そう仰るのですか」
「はい」
その自分の言葉にカチンときたのか、珍しくリナリーは自分に食って掛かりました。
もちろん彼女の心情も分かりますし、こんな綺麗事でリナリーが納得するとも思っていません。
「勘違いしてはいけません。自分達が戦争しているのは仕返しが目的ではありません」
「……」
「オースティン国民に被害が出ないよう、悲劇を繰り返させないように戦っているのです」
きっと自分はリナリーに、ロドリー君の影を重ねていたのでしょう。
優しく仲間思いだった彼に、虐殺をしてほしくなかった。
そんな自分勝手な理想を、リナリーに押し付けていたのです。
「リナリー2等通信兵。戦争は生きている人間の為にするものです。死んでいる人間の為ではありません」
「……貴女の言っていることは、よくわかりません」
「そうですか」
自分はリナリーに、少しでも思い直してほしかったのですが。
彼女は、人形のように無感情な瞳で自分を睨みつけるだけでした。
「今日の訓練はここまでにしましょう」
「はい、ありがとうございました」
結局のところ自分の押し付けは、リナリーにほぼ聞き流されてしまいました。
「命令と言うのはすごく大切です。それはかつて、自分が新米だった時の話ですが─────」
「はあ」
死に場所を欲しているリナリーに、命の大切さを説いても伝わるはずがありません。
彼女は自分の薄っぺらい説得になど、微塵も興味がなかったのです。
「指揮官の言う事に逆らうと、軍隊として成り立たなくなります」
「そうですね」
「なので、面倒かもしれませんが部下から意見があるときは提案という形で……」
リナリーは、自分を見ていたのではありません。
自分の過去に積み上がっていた、殺人の経験を知りたかっただけでした。
「それを蔑ろにした自分は、顔の形が変わるまで当時の上官に殴られたものです」
「……そうですか」
彼女にとっての最優先は、フラメール兵の命を奪うこと。次の目的は、華々しく散って死ぬことです。
このまま戦場に出たら、リナリーは命令違反を犯して戦死するでしょう。
新米兵士を無駄死させないために、指揮官は様々な努力をしています。
ガーバック小隊長は、血反吐が出るまで殴って言い聞かせていました。
アレンさんは気さくで部下に慕われ、話をよく聞かせていました。
ゴルスキィさんは、戦場では獅子の様なカリスマで部下を従えていました。
「ところでトウリ衛生准尉。その話は、訓練と何か関係があるのでしょうか」
「ええ」
自分には、そのどれも真似する事は出来ません。
リナリーが歩兵になるのであれば、彼女の上官にお任せすべきことなのでしょう。
ですが、
「貴女が歩兵になるならば知っておいて欲しい事です」
「……分かりました」
少なくとも自分には、リナリーを変える力が無い。
それを実感して、哀しい気持ちになりました。
きっと自分は、思い上がっていたのです。
ロドリー君の妹と聞いて、自分は勝手に親近感を感じていました。
しかし彼女にとって自分は、義姉を自称する赤の他人です。
「最後に伺います。リナリー、貴女にとって死とは何ですか?」
「……死、ですか?」
リナリーは、死んだ先に本物の家族が待っていると思っているのです。
紛い物の義姉妹である自分なんて、最初から眼中に在りませんでした。
「死とは、ゴールでしょう。全ての人間の帰る場所です」
「……」
だからリナリーは今も、死人のような瞳で自分を見つめていたのでしょう。
────その言葉には聞き覚えがありました。
自分にとって大切な、かけがえのない先輩だった人のセリフです。
そして、リナリーにだけは言ってほしくない言葉でした。
「死は、ゴールですか」
「ええ。なので、私は死を恐れません」
「……とても格好よくて、それでいて優しい人も同じことを言っていました」
「はあ、そうですか」
グレー先輩。自分が戦争に参加したての頃、色々なことを教えてくれた自分の恩人。
あまりに優しくて、逝った戦友が救われていると思わないと正気を保てなかった人です。
「リナリーさん。……貴女が死をゴールと捉えることを否定する気はありません」
「ええ、どうも」
「ですが、そう簡単にゴールを目指されては困ります。……貴女はまだ、何も成してはいません」
グレー先輩もかつて「死はゴールで、歩兵に許された救いなのだ」と言いました。
その言葉だけ見れば同じ意味ですが、込められた思いは全く違います。
彼は、自殺願望なんて持っていませんでした。
何度も戦い、何度も戦友を失い、そして終わりの無い戦場に絶望してそう言ったのです。
グレー先輩は自分とロドリー君に進むべき道を指し示し、最期まで生きる為に足掻き続けていました。
彼は死にたくないと思いつつも、死の恐怖に打ち勝っていたのです。
「それは、もっと命を大切に思っている人が言うべき台詞です」
リナリーに先輩と同じ言葉を口にされ、少しだけカチンときていました。
目の前の死にたがりの少女は、死の恐怖に打ち勝ったわけではありません。
……ただ、自らの命をないがしろにしているだけです。
「リナリーは、自分のご両親を敵に殺された時にどのように思いましたか」
「……いきなり何ですか」
「答えてください。大事な事です」
気付けば自分は未熟にも、リナリーに対し怒気をはらんで詰め寄ってしまいました。
グレー先輩の覚悟を侮辱された気がして、少し平静さを失ってしまったのです。
「何を、って。そんなの、は」
「貴女の故郷にフラメール兵が現れた時。……貴女はどうしていましたか」
リナリーは何故、自分が突然こんな態度を取ったのか理解できなかったでしょう。
自分の剣幕にたじろいだ彼女は。
「あの日、は」
少し怯えたような声で、ポツポツとその日の事を話しだしました。
農家の娘だったリナリーはその日、ドクポリという村の畑で煙を焚いて害虫駆除を行っていました。
収穫を終えて見晴らしの良くなった田んぼの中で、来期の為の土づくりをしていたそうです。
当時は北部決戦が始まって間もないころで、オースティン南部は平和でした。
戦争なんて遠い場所で行われている他人事のような、そんな感覚だったそうです。
……そんな平穏だった彼女の暮らしは、突然に壊されました。
まず、村に銃声が響いたのが異変の始まりでした。
ぱぁん、と乾いた音が田んぼの裏から聞こえてきたのです。
平和ボケをしていたリナリーは、猟師が銃を暴発させたんだろうと気にも留めていませんでした。
次の発砲音で父親が、田んぼに倒れ伏すまでは。
「父さん!?」
リナリーは急いで父の下に駆け寄りました。
彼は、撃たれた胸を押さえて息苦しそうに口をパクパクと動かしました。
「父さん、どうしたのですか。その胸は一体」
「……、ぉ」
父は何かをしゃべろうとしているみたいですが、良く聞こえません。
リナリーは父の首元まで顔を近づけ、そして─────
「に、げ、ろ─────」
その父の遥か後方に、銃を構えた重装備の敵が悠然と立っているのに気づきました。
銃兵はリナリーを見つけるや否や、ガチャガチャと重々しい音を立てて近づいてきました。
走りながらもゆっくり、次弾を装填しています。
「ひ、ひぃっ」
リナリーは慌てて、父を背負おうとしました。
しかし、年端のいかぬ少女が成人男性を抱えて逃げることなどできません。
やがて二発目の準備を終えた敵兵は、走りながらリナリーに向けて銃を構えました。
「早ういけェー!、リナリー!」
「おばあちゃん!」
あわや撃たれるかという瞬間、近くで農作業をしていたリナリーの祖母が敵兵にタックルをしました。
老婆は兵士の右脚にしがみ付いて、地面へ押し倒しました。
「坊を連れて、村の外へ逃げェ! 隣町へ行け、追いかけるけェ!」
「わ、分かりました」
「
そこまで叫んだ直後、鉄の籠手が老婆の顔面を砕きます。
転かされた兵士は苛立たしそうにリナリーの祖母に馬乗りして、何度も顔面を殴り続けました。
「おばあちゃ……」
「行けェ─────」
血反吐を吐きながらも絶叫する祖母の声に押され、リナリーは母屋に向かって走りました。
自分の家の中にいる、幼い弟を避難させるために。
「ああ、ああ」
辿り着いたリナリーの母屋の扉は、破壊されていました。
彼女の弟は悪ふざけの様に庭の洗濯棒に括り付けられ、絞首されていました。
家の中からは、母の苦痛に呻く声が響いていました。
「母さん!」
「駄目、来ては駄目、リナリー!」
家に飛び込んだリナリーの目に映ったのは、二人の屈強な男が薄ら笑いを浮かべて母の首を折るところでした。
「逃げて、逃げ……」
まるで面白半分に、リナリーの母は首根っこを掴まれて。
金属鎧の重量で、その首をねじり曲げられました。
「あぁァ─────」
少女は、すぐさま走りました。
騎馬隊の蹄音や轟く銃声に怯えながら、村の裏にある森林に飛び込みました。
「はっ、はっ、はっ……」
母の死を見せつけられたリナリーは、唇を噛んで走り続けました。
パニックになった頭の中で、ただ両親の言葉だけが反芻されていました。
逃げろ。
逃げろ。
その言葉を呪詛のように呟いて、リナリーはただ一人、フラメール兵の跋扈するドクポリ村から逃げ出したのでした。
その後リナリーは、昼夜問わずうわごとのように両親の遺言を繰り返しながら、フラメールの侵攻線より先へと脱出しました。
彼女は首都ウィンから展開してきたオ-スティン軍に保護されるまで、涙と汗を噛み締めながら走り続けたそうです。
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