第124話


 リナリー・ロウと名乗ったその少女は、自分とあまり背丈の変わらない小柄な少女でした。


 その凛とした雰囲気は、一度手折れた草木のような痛々しさを孕んでいました。


「あ、では、貴女はロドリー君の」

「ええ。聞いていますよ、トウリ様は兄と同じ部隊だったそうですね」


 聞いてみるとリナリーは、やはりロドリー君の実の妹でした。


 動転して腕を握りしめましたが、彼女は表情ひとつ変えませんでした。


「積もる話もあるでしょうが、今は職務中ですので。いずれ、またお話ししましょう」

「え、ええ。ご苦労様です」


 自分が何か言葉を継げようとして、声に出すことができずにいると。


 リナリーは冷めた目で自分に一礼して、


「それでは、私はこれにて失礼します」


 淡々と別れを述べ、立ち去ってしまいました。


 






「……ロドリー君の、妹さん」


 リナリーと別れてから、しばらく自分はソワソワしていました。


 ピンと糸を張ったような、凛とした雰囲気の少女通信兵リナリー・ロウ。


 そんな彼女の無機質な瞳が、頭から離れなくなっていました。


「……」

「どうしたリトルボス、そんなぼーっとして」


 リナリーは、自分に興味がなさそうな態度でした。


 ヴェルディさんからの遣いであるなら、自分と彼の関係は聞いているはずです。


 ……彼女はロドリー君の従軍中の話を、聞きたくないのでしょうか。


「ケイルさん。実は、ロドリー君の妹さんに会いまして」

「ほう?」


 自分は叶うなら、リナリーとお話をしてみたいです。


 出来れば彼女とも仲良くなって、義理の姉妹になれればとても嬉しいです。


 だけどどうすべきか分からないので、ケイルさんに相談してみました。





「……と、いうわけでして」


 自分はロドリー君の最期の話と、リナリーと会った時の様子をケイルさんに伝えました。


 ロドリー君とは一応、婚姻を交わした仲です。自分はリナリーと戸籍上、義理の姉妹関係になります。


 彼女がその辺どう思っているのかも、是非伺いたいところです。


「リナリーちゃんの態度も仕方ないと思うけどね。そりゃ、いきなり初対面の人を義姉扱いできないだろう」

「それは、そうでしょうけど」

「そう扱ってほしいなら、リトルボスからアプローチしていかないと。向こうは2等兵なんだから、准尉相手にはお固い対応になっちゃうよ」

「そう言うものですか」


 それは確かに、そうかもしれません。


 同年代とはいえ、上官を相手に馴れ馴れしく出来ないのは当然です。


 自分から気を使うべきでしたね、そこは。


「それに、リトルボスも同じような雰囲気じゃないか。出会いたての頃は、僕と仲良くしたくないのかなと思ったもんさ」

「自分もそんな印象なのですか」

「不愛想とは言わないけど、表情が乏しく人と距離をとっているように見えるね。付き合いが長くなると、何考えているか分かってくるんだけど」


 ケイルさんにそう言われ、ロドリー君がかつて自分を「妹に雰囲気がそっくりだ」と言ったのを思い出しました。


 なるほど、自分は他から見るとああいった雰囲気に見えるのですか。


「もしかして自分も、話しかけにくい雰囲気なんですか」

「そこまでは言わないけど、フレンドリーかと言われたら疑問かな。作り笑いでもいいからさ、ちょっと笑う練習でもしてみたらどうだい」


 続けてケイルさんは、「笑顔はコミュニケーションの潤滑油だよ」と助言してくれました。


 そういえば確かに、最近笑う機会が減って自然な笑顔が作れないんですよね。


 リナリーが自分に話しかけにくいと感じても、仕方ないかもしれません。


「ありがとうございます、ケイルさん。少し練習してみます」

「そうするといい」


 レィターリュ衛生部長も笑顔の練習をして、快活な雰囲気を手に入れたと聞きます。


 あそこまでする必要はないでしょうが、患者さんに話しかけやすいと思われるよう笑顔を練習するのも悪くないかもしれません。


「……」

「そうだボス、その調子だ」


 ……こうしてこの日から日課に、鏡の前で笑顔の練習をするのが加わりました。


 我ながらぎこちない、ひきつった笑みでした。








 


 噂を聞くとリナリーは、冷静な態度とは裏腹に好戦的な通信兵みたいでした。


 彼女は通信兵なのに、常に怪我だらけで治療を受けに来るそうです。


 どうやら女性なのに前線を熱望し、過酷な訓練に臨んで負傷しているらしいです。


 そのおかしな通信兵の話は、衛生部でもちょっとした噂になっていました。



 女性でも前線で戦うことは可能です。軍規上は成人したら、本人が希望する場合アリアさんのように前線で戦えます。


 しかし特殊な才能が無い限り、女性で前線を希望する人は滅多にいません。敵に捕縛されたらどうなるか、容易に想像出来るからです。



 ヴェルディさんも戦友ロドリーの妹を、なるべく前線に立たせたくありませんでした。


 なので軍規を理由に、リナリーを通信兵の仕事に従事させていたみたいです。



 ……きっと、今のリナリー・ロウは。


 自分と初めて出会った頃の、復讐に取り憑かれ周囲が見えなくなっているロドリー君と同じかもしれません。


 周囲に無愛想な態度を取り、ひたすら敵を殺すことに熱意を燃やす、グレー先輩に諭される前の未熟なロドリー君。


 もし、そうであるならば。



「あの、リナリー2等通信兵」

「どうかしましたか、トウリ様」



 自分に、どこまでできるかはわかりませんが。


 かつてグレー先輩がしてくれたように、彼女を諭そうと思いました。


 煙たがられるかもしれませんが、それでも先達として失敗談を伝えることは重要です。


 ラキャさんの時のような悲しい事態は、避けねばなりません。


「貴女の兄ロドリー君の事などについて、お話ししたい事があります」

「はい」

「少し自分とお茶に付き合ってくれませんか」


 自分は腹を括って、拒絶されるのも覚悟の上で、リナリーをそう誘いました。


 





「本日はお招きいただきありがとうございます」


 自分の誘いを、リナリーはあっさり受けてくれました。


 上官からの誘いだったので、断れなかったのかもしれません。


「どうぞ、リナリー2等通信兵」

「お邪魔します」


 自分はケイルさんに許可をとり、衛生部の空いているテントを一つ借りました。


 そこでお茶菓子を用意し、リナリーをもてなしました。


「自分はトウリ・ロウ衛生准尉と申します。ご存じかもしれませんが、貴女の兄ロドリー軍曹とは旧知の間柄でして」

「ええ。貴官と兄の関係も、ヴェルディ少佐からお伺いしています」

「そうですか」


 リナリーは既に、自分とロドリー君の関係を知っていたようでした。


 しかしそこに何も思う所は無いようで、彼女は無表情に自分を見つめるのみでした。


「最初に断っておきます、トウリ衛生准尉殿。私は兄と、良好な関係ではありませんでした」

「そうなのですか?」

「はい、険悪と言っていい間柄でしょう。正直なところ、私はまだ兄に腹を据えかねています。家を飛び出して、軍に志願して、どれだけ母は悲しんだか」


 席に着いた彼女は淡々と、ロドリー君に対する愚痴を零しました。


 どうしたものか困っていると、リナリーは静かに溜息を吐いて、


「トウリ様には申し訳ありませんが、本音を申し上げると兄の事など思い出したくないのです」


 そう、言い切りました。



 どうやらロドリー君は、軍に志願する際に家族とかなり揉めたそうです。


 農作業は大変です。男手が一人抜けるだけで、とても大きな痛手になります。


 彼の両親は何度も、ロドリー君におとなしく家業を継ぐよう説得したそうです。


 だというのに、彼は「サバトの悪鬼を懲らしめないと気が済まない」と言い、反対を押し切って志願してしまったのだとか。


「ロド兄さんは見た事もない敵を殺すのに夢中になって、家族をないがしろにしました」

「それは、そんな事はありません。我々兵士が命を懸けるのは、常に背後の家族を守るためで」

「フラメールの連中が村に来た時。私の力では撃たれた父を背負えず、見捨てて逃げざるを得ませんでした」

「……」

「しかしもしあの時、体力のある兄が居たら。アイツが私達を見捨てて戦場に行かなかったら、皆逃げ延びれたかもしれません。……兄は家族の命より、敵を殺す事を選んだのです」


 リナリーがロドリー君を恨んでいる一番の理由は、そこの様でした。


 家族で唯一無傷で逃げ出せたリナリーは、弟と両親を見捨てただ一人逃げ続けました。


 兄さえ居てくれればという想いを胸に抱えながら、オースティン軍に保護されるまで走り続けました。


「軍に保護された後は、兄の伝手を頼るつもりでした。もう兄が、私に残された唯一の親族でしたので。アイツに会って父と母の最期を伝え、存分に詰ってやるつもりでした」

「それは」

「まさか、自分から囮部隊に志願して殉職していただなんて。兄には、ほとほと愛想が尽きました」


 リナリーはロドリー君の殉職を知らされ、怒りの余り彼の遺品のドッグタグを地面に叩きつけたそうです。


 そして彼女に残されたのは、フラメールという国への憎悪だけでした。


 兵士として一人でも多くのフラメール人を殺してやると、そう家族の墓に誓ったそうです。


「……ロドリー君は、貴女の事を気にかけていましたよ」

「知った事ではありません。ロド兄さんが送ってきた気持ち悪い人形も、すぐゴミ箱に放り込みました」


 リナリーは心底、ロドリー君を毛嫌いしているようでした。


 彼女の胸の奥には、ずっと「あの時ロドリー君がいてくれれば」という思いがくすぶっているのでしょう。


 ですが、自分は知っています。ロドリー君は、あの口の悪い少年は、妹の事を気にかけていました。


 自分はマシュデールで、妹を「可愛い奴だ」と言ってはにかんだ彼を見ました。


「あんな人は兄ではありません」


 だからリナリーのその言葉を聞いて、自分は酷く悲しい気持ちになりました。





「一応、貴女の事も兄から手紙で聞いていました。トウリ衛生准尉殿」

「そうでしたか」


 リナリーは、思い出したようにそう教えてくれました。


 ロドリー君は従軍後も、しばしば家族に手紙を送っていたようです。


 そしてリナリーは、兄の事を嫌いながらも手紙には目を通していたようです。


「彼は、自分の事をどのように言っていましたか」

「『俺に好き好き光線を向けてくるおチビ衛生兵』が居ると。てっきりモテない兄の虚言かと思っていましたが」

「ぐっ……」


 リナリーは半目でそう言って、溜息を吐きました。


 ……家族にどんな内容の手紙を送っていたのですか、ロドリーくんは。


「申し訳ありませんが、その内容は訂正をさせていただきたいです。別に自分は好き好き光線などという妙な光線を出した記憶はありませんし、ロドリー君だっていうほど背が高い人間ではありません。そもそも結婚だって、ロドリーくんの方がしたいというから仕方なく、ですね」

「後、その衛生兵は『結構な意地っ張り』とも書いていました。そして彼女が意地を張る時は、口早になると」

「……」

「なるほど、聞いていた通りです」


 ……。


 ロドリー君が生きていたら小一時間ほど、詰めてやりたい内容ですね。


「それとも、貴女以外にそんな女性がいたのでしょうか」

「リナリーさん。自分は貴女の事、結構嫌いかもしれないです」

「それは残念」


 リナリーは飄々とそう言って、眉をへの字に曲げました。


 この娘、第一印象はロドリー君と似ていると思いましたが、話してみると全然タイプが違いますね。


 彼はただ口が悪いだけですが、リナリーは皮肉屋な面が強いようです。


「私にお話しできる内容はこれ位でしょうか。他に何か聞きたい事はありますか」

「い、いえ。色々と教えていただきありがとうございました」

「そうですか。では、私はこれにて」


 一通り彼の話を聞いた後、リナリーは早々に席を立とうとしました。


 これ以上自分と話すことは無いとでも言いたげに。


「あ、その。リナリーさんは、自分からロドリー君の話などを聞きたくは無いのですか」

「興味もありません」


 彼女は、本当は自分と話などしたくないのでしょう。


 引き留めようと声をかけてみたのですが、彼女は面倒臭そうに首を振るだけでした。


「では、最後にその。リナリーさん、何か困ったことが有ったら自分を頼ってください」

「トウリ准尉殿を、ですか」

「自分はまだ若造ですが、きっとお力になれると思います。貴女は自分の義妹いもうとに当たる訳ですから、遠慮なく」

「……やめてください」


 それでも自分は諦めず、リナリーにそう申し出ました。


 彼女は、自分を何度も守ってくれたロドリー君の妹です。


 助けを求められれば、全力で力になるつもりでした。


「私はもう、彼を兄とは思っていません」

「……ですが」

「それに、貴女が本当に義姉であるかも疑わしい」


 しかし、自分に返ってきた返事は、


「私は貴女を必要としていません」


 これ以上無く明確な拒絶でした。



「義姉であるかも疑わしい、とは」

「私は、貴女と兄の婚姻が嘘である可能性もあると思っています。失礼ながら、貴女は兄の好みと対極の見た目をしているので」

「……」

「兄が死んだのをいいことに、片思いが高じて虚言を吐いているのではありませんか?」


 そのリナリーの言葉は、あまりにも無礼で攻撃的でした。


 仮にも自分は上官です。


 後ろ盾になると申し出られたら、適当に相槌を打って礼を言っておけばいいでしょうに。


「では、失礼します」


 そんな彼女の態度に対し、自分は怒るというより困るような感じでした。


 彼女の考えていることが、何となく分かったからです。


 周囲との交流を拒絶し、誰とも仲良くなりたくない。


 そんな風に考え周囲に喧嘩を売りまくっていた、心優しい少年をよく知っています。



 リナリーは家族を失った傷が癒えず、周りに敵意をむき出しにしているのでしょう。


 そんな彼女を見ても怒るより、憐憫の情が先に来てしまいました。


 ロドリー君に舐めた口を利かれていたグレー先輩も、こんな気分だったのでしょうか。


「今の発言は聞かなかったことにしておきます。貴女が信じようが信じまいが、彼との婚姻関係は事実ですので」

「そうですか」


 ……タイプは違えど、上官であろうと気にせず喧嘩を売るあたり本当に兄妹ですね。


「また、誘ってもいいですか」

「ええ、ご自由に」


 心を閉ざしている新米と向き合うのは、こんなにも難しいのですね。


 自分は、グレー先輩のありがたさを改めて実感しました。 


「……」


 残念ながら自分は、グレー先輩ではありません。


 自分は彼のように、頼りになって人を惹き付ける人間では無いのです。


 ……ならば自分は時間をかけて、ゆっくりリナリーの心を開いていくとしましょう。








「ケイルさんは、思春期くらいの女の子に好かれるコツとかご存じですか?」

「ん? ああ勿論さ、僕に任せなさい」


 グレー先輩はもういないので、とりあえず身近のチャラい人に相談コンサルタントしてみました。


「あの年頃の娘は大人に、幻想を見ている。だから、向こうの理想の大人を演じてやるのが口説くコツさ」

「ほう、成程」


 ケイルさんはスラスラと、年頃の娘の口説き方を教えてくださいました。


 ……別に口説くつもりはないのですが、それなりに参考になりそうです。


「流石、よく知っていますね」

「実は最近、思春期頃の娘さんが上官だったもので」


 ……。

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