第123話


 レンヴェルさんの悪癖で、自分の階級がとんでもないことになっている事を知った後。


「……あー、トウリは准尉殿、だったんだな、ですね」

「そうみたいですね」


 ガヴェル曹長は態度を一変させ、慣れぬ様子で敬語を使うようになりました。


 さっきまでと立場が逆転し、微妙な空気になりました。


「えー、この先が、衛生部、です」

「ありがとうございます、ガヴェル曹長殿」


 衛生部は、司令部のすぐ近くの平原に設置されていました。


 沢山の白い軍用テントが並ぶ、見慣れた光景がそこにありました。


「あー。トウリ准尉殿は随分と、その、ヴェルディ少佐に気に入られていました、ね」

「光栄な話ですが、ヴェルディさんには自分が新兵の時から、目を掛けていただいていまして」

「それは羨ましいな……です」


 この時のガヴェル曹長の顔は、少し納得がいってなさそうと言う感じでした。


 ……もしかしたら、嫉妬でしょうか。


「お待たせしました、ここが衛生部です。あー、それじゃあ、俺はこれで」

「分かりました。案内ありがとうございました、ガヴェル曹長殿」


 ガヴェル曹長は短くそう告げると、一応敬礼してそそくさ立ち去ってしまいました。


 後で何かしら、フォローしておいた方が良いかもしれません。

 

「……」


 久しぶりに見た衛生部のテントは、西部戦線の頃とまったく同じでした。


 忙しそうに血がこびり付いた看護兵が走り回り、呻き声をあげる兵士が茣蓙の上に寝かされていました。


 ツンと香る消毒液の匂い、草木の茂った土の香り、それに混じる血と肉の腐った臭い。


 戦場に戻ってきた事を、改めて実感しました。



「ドールマン衛生曹長は、現在重要な会議中でして。少しお待ちいただけますか」

「はい」


 近くの人に身分を告げドールマン氏への面会を申請すると、大きなテントに案内されました。


 そのテントの床には旧式のOST-1小銃が転がって、いくつもの勲章が飾られていました。


 ドールマン氏のテントでしょうか。


「にしてもドールマン氏は衛生曹長になられたのですか」

「はい」


 ドールマン氏は、衛生曹長に出世しておられました。


 以前のままならドールマン氏が衛生副部長で、レィターリュさんに次ぐ立場の筈です。


「あの。今の衛生部長は、誰なのでしょうか?」

「レイターリュ衛生少尉殿です」

「ありがとうございます、了解です」


 そして衛生部長は、レイリィさんのままみたいでした。


 以前は衛生准尉だった筈ですが、もう少尉になられたみたいですね。


「では、しばしお待ちくださいトウリ様」

「了解いたしました」


 因みに衛生部長の階級は、大体少尉~中尉くらいが妥当だそうです。ゲールさんも少尉でした。


 その前例があるので、レイリィさんも昨年少尉に昇進させられたそうです。


 衛生部の人間はあまり、昇進を喜びません。


 階級が上がると書類の量がもっさり増え、自由が減るからです。


 男好きなレイリィさんは、昇進の知らせを聞いて悲嘆にくれたそうです。


「ドールマン氏は、あと数十分で戻られます」

「了解です」


 ドールマン氏は、自分を見てどのような反応を示すでしょうか。


 彼と一緒に仕事をしたのは、ほんの2~3か月だけでした。


 流石に忘れられてはいないと思いますが、感極まって抱き着かれたりもしないでしょう。


 淡々と、事務的な再会になりそうです。







「トウリちゃん!! 生きていたのね!! お姉さん嬉しい!!」

「ぐぇ」


 感極まって抱き着かれました。


「こんな傷だらけになって! サバトは過酷だったでしょう、よく生き延びたわ!」

「お、お久しぶりです、レィターリュさん」

「貴女が囮部隊に志願したって聞いて、どれだけ悲しかったか!! もう二度とあんな事しちゃだめよ!」


 ドールマン氏を待つこと数十分。


 ようやくテントの入り口に人影が見え、いよいよドールマン氏とご対面かと思ったら、豊満な肉体の不審者が乱入してきました。


 現在、衛生部で一番えろい人と噂のレィターリュさんです。


「おう、良く帰ったな」

「ドールマン衛生曹長殿も、どうもお久しぶりです」

「久しぶりに痛快な話が聞けたわ。あの状況を生き延びるとは、恐れ入った」


 先程までドールマンさんが会議していた相手が、レィターリュさんだったらしく。


 自分が生還したという報告を聞いたレィターリュさんは、大興奮で付いて来てくれたようです。


「トウリ。ヴェルディ少佐の書類によると、階級はお前の方が上だが、中央の衛生部は引き続き儂が仕切ってくれとさ」

「はい、是非お願いします」

「お前は、なるべく普通の衛生兵として扱ってやってくれとお達しだ。……その方が、お前にとっても良いだろう」


 自分は階級こそ上がりましたが、結局ドールマン氏の下で働くことになるそうでした。


 余計な仕事を振られずに済んでホッとしました。


「これからもよろしくご指導をお願いします」

「あいよ、衛生准尉殿」


 自分は、レンヴェルさんの悪い癖で階級が盛られただけです。


 別に衛生兵として、偉くなるようなことは何もしておりません。


 これからも謙虚に、衛生部の皆さんから色々と学ばせていただきましょう。


「おお、それともう一人会わせたい人がおる」

「人、ですか」

「おい、タクマ殿」


 ドールマン氏はテントの外に声をかけると、しばらくしてヌッと髭面の大男が入ってきました。


 その優しそうで、クマみたいな愛嬌を持っている男を自分はよく知っていました。


「僕を覚えているかい、小さな英雄ちゃん」

「クマさん、ですか。お久しぶりです」

「ああ、久しぶり」


 それはマシュデールの撤退戦の時、街に残って衛生部を組織してくださったオースティン医学界の生き字引。


 多くの癒者の信奉を集めている生きる伝説、タクマ氏でした。


「またお会いできるとは思いませんでした、どうして前線に?」

「ま、ちょっとした野暮用で呼ばれてね。うん、君も元気そうで何よりだ」


 タクマ氏は見た感じ、前より少し痩せている様に見えました。


 以前は丸々と太った恰幅の良い男性だったのですが、今の彼は少し小太りというだけの感じです。


「戦争はあと少しで終わるだろう。あと少し、僕達に力を貸してくれ」

「無論、身を粉にして働きます」


 にしてもオースティン軍衛生部の大物3人が、わざわざ自分の生還を祝いに来てくださるとは。


 凄い面子ですが、この3人で重要な話し合いをしていたのでしょうか。


「さて、と。僕はもう少し話す相手がいるからここで失礼するよ」

「はい、お疲れ様です」

「レィターリュ君も、ドールマン君も、例の件はよろしくね」

「……ああ、委細承知した」


 クマさんは自分と握手を交わした後、意味深な言葉を残して立ち去りました。


 そんな彼をドールマンさんは無言で、レィターリュさんは手を振って見送りました。


 ……おや。


「……レイリィさん、どうかしたんですか?」

「え、私?」

「いえ、その。今、クマさんを睨んでいませんでしたか?」

「い、いやいやいや。そんな事ないわよ、何言ってるのトウリちゃん!」


 しかしクマさんを見るレィターリュさんの目が、少しだけ怖かったのが気になりました。


 何か、トラブルでもあったのでしょうか。


「もー、変な事を言う子ね。抱きしめてしまおうかしら」

「レイリィ、貴様もそろそろ持ち場に戻れ。儂はトウリを皆に紹介せねばならん」

「……はーい。じゃ、またねトウリちゃん」


 そのレイリィさんの態度が気になりましたが、深入りするつもりはなく。


 自分はその場で一礼して、レイリィさんとも別れたのでした。









「おい、皆、新しい衛生兵を紹介する。見覚えがあるものも多いだろうが……、おい、挨拶せい」

「どうも、皆さま。お久しぶりです。ご紹介に与りました、トウリ・ロウ衛生准尉と申します」


 野戦病院のテントに入ると、相変わらずどの病床も修羅場になっていました。


 今にも死にそうな患者がズラリと並べられ、そこかしこで集中治療が行われています。


 自分の挨拶を聞いていそうな人は、殆どいません。


「何ぃ、新人衛生兵か! 腕は? 経験は何年だ」

「従軍して2年ほど。【癒】の連続使用は7回です」

「良いじゃねーか! こっち手伝え!」


 とりあえず近くの衛生兵から介助要請が出たので、ドールマン氏に確認を取った後すぐに処置に入りました。


 この癒者は見覚えありませんね、自分が離脱してから招集された人でしょうか。


「俺ぁ咽頭の処置で手一杯だ、腹の縫合頼む。内臓はそんなに傷ついてないから、破れたところを切って洗浄するだけでいい」

「……腸が破裂してますが」

「そんなもん軽傷だろうが。お前にゃ無理か?」

「いえ、出来ます」


 この言葉が荒い感じ、懐かしいですね。徹夜が続くと、大体の人は口が悪くなってきます。


 きっとこの人も寝ていないのでしょう。


「処置が丁寧だが遅い! スピード勝負だ、雑で良いからちゃっちゃと仕上げろ」

「はい、了解です」


 いきなりこの有様では、次に自分が寝られるのはいつになる事でしょうか。







「衛生准尉!? めっちゃ偉いな、お前。何でまた」

「まぁ、その。一言でいえばコネです」

「正直な奴だな」


 そのまま立て続けに3連続で手術に入らされた後、病床主任さんに挨拶に行く事になりました。


 どうやら今日は戦闘直後だったみたいで、緊急性の高い患者さんが多かったようです。


「自分の階級の事はお気になさらず、ただの若造衛生兵として扱ってください」

「お前がそう言うならそうさせてもらう。なんたって、上官命令だからな」

「そうですね」


 オースティンの衛生部の役割は非常に重要です。


 兵力の少ないオースティンは、一人でも多く戦線復帰させる事に大きな意味があります。


 その為に、レンヴェル少佐は国中から癒者を集め衛生部を立て直したのだとか。


 そのお陰で衛生部の規模は自分の知る頃より大きくなり、自分の知らない人も結構増えていました。


 今や衛生部の規模は、西部戦線時代に戻りつつあるそうです。


「あ、いた。おうい病床主任、新入りが来たぞ」

「え、新入り?」


 衛生部の規模が大きくなるのは良いことですが、自分は見知らぬ人の中で仕事をするのは少し不安でした。


 なので自分はドールマン氏に、のいる部署に配属して欲しいと希望を出していました。


 その彼とは、


「……。え、リトルボス?」

「どうも、お久しぶりですケイルさん」

「あ、どうも……」


 マシュデールからの知り合いで、衛生部でずっと一緒に働き続けた副官。


 恐らく自分が軍属してから最も長い時間を共に過ごした戦友、ケイルさんでした。


「……って、ええええ!?」





「どうもケイルさん、自分は本日付でこの病床に配属されました。お久しぶりです」

「ちょっと待って、理解が追い付かないから」


 久しぶりに会ったケイルさんは、病床主任を任されるまでに偉くなっていました。


 彼は自分の殉職(とみなされた)後、自分の衛生小隊を引き継いで従軍を続けたそうです。


 そしてフラメールと戦う際にも前線部隊に追従し、勇敢に味方を助けたのだとか。


 その功績が評価され、彼は衛生兵長として病床を任されるに至ったのだそうです。


「幻覚? 夢でも見てるか俺? 秘薬飲み過ぎた?」

「自分は本物ですよ。握手しますか」

「あ、ああ。……本人なのか、これ」


 そんなケイルさんは、自分を見てしばらく呆然としていました。


 幽霊でも見たかのような反応です。


「病床主任殿、知り合いだったんですかい」

「はい、ケイルさんとは昔からの戦友です」


 彼は呆然と、言葉を詰まらせて自分の両手を握りしめました。


 数秒ほど自分の顔を無言で見つめた後、声を震わせて膝を付き、


「……そうか、そっかぁ。生きていたか、ボス……」


 そう言い零して、クゥゥと鼻声の嗚咽を零しました。



 ────北部決戦の折、自分はケイルさんと別れの言葉を交わしていませんでした。


 彼には命を軽々しく扱うなと説教を受けていたのに、自分はそれを無視し囮部隊に志願しました。


 ケイルさんは、裏切られた気持ちになったに違いありません。


「ケイルさん。身勝手な行動をして命を粗末にして、すみませんでした」

「いや、生きててくれればそれでいいよ、リトルボス……。本当に、夢じゃねえよな?」


 自分が囮に志願した時は、きっと彼を苦しめたでしょう。


 あの時自分は、ケイルさんの上司という立場を捨て、ロドリー君と死ぬ事を選んだのです。


 随分と、悪い事をしてしまいました。



「ほー。……って事は、あれか。ケイル主任が口説きのネタにしてる『見殺しにしてしまった可哀想な少女衛生兵』ってのはアンタの事か、トウリ衛生准尉」

「口説きのネタって、何ですか」

「お、おい余計な事を言うお前!」


 そんな感じにケイルさんに謝っていたら、気になる話が青年癒者の口から出てきました。


 口説きのネタって何ですか。


「コイツ、酒飲むと決まってアンタの話してな。『俺にもう少し勇気があれば、あの健気な少女は死なずに済んだんだ……っ』っつって、陰のある自分を演出して女を口説く訳。中々に語りが上手いせいで、女の方も『慰めてあげるわ』って気持ちになるらしい」

「いや、口説きに使ってるんじゃなくて! 未だに心の傷だから、酔うたびに愚痴っちまうだけ!」

「でも、その手で何人も女食ったでしょう。キャッシーに、ベレネに、あー、レィターリュさんもだっけ?」

「あんな疫病神に自分から手を出すか! 他の女を口説いてたら勝手に乱入して来て、勝手に搾り取って帰ってっただけだ」


 ……。口説いてたんじゃないですか。


「違う、誤解だリトルボス。本当に、君をダシにしたとかそんなつもりは一切ない! 神に誓って言える!」

「はぁ。まあ、別に自分をどう使おうが気にしませんけど」

「俺ぁてっきり主任の作り話だと思ってたが、ちゃんと本物が居たんだな。主任の話によるとアンタ、恋人を追って決死の囮部隊に志願して、命を散らしたって事になってるぜ」


 まぁ、ケイルさんの性格を鑑みるに、本当に心の傷にはなっていたのでしょう。


 マシュデールで一人先に逃げた事を気にして、わざわざ先行部隊である自分の小隊に志願してくださったわけですし。


「恋人を追った訳ではありません。……夫です」

「お?」

「彼の死の間際、婚姻を交わしました。今は姓が変わって、トウリ・ロウと名乗っています。改めてよろしくお願いします」

「あー、そっか。こういう言い方は変かもしれないけど、良かったねリトルボス」

「……ええ」


 自分の話をネタに口説くくらいは気にしないであげましょう。


 思うところが無い訳では無いですが、ケイルさんが優しく頼りになる人間と言うのは知っていますし。


「……あ、その話はマジだったの?」

「本人の前ではやめてくれ、デリカシーに欠けるよ」

「あ、す、すまん。そっか、吹かしてたんじゃねぇんだな」


 こういう異性にだらしないところも含めて、ケイルさんという人間です。


 自分はようやく、オースティン軍の衛生部に戻ってきたんだなと改めて実感しました。






 こうして自分は、いち衛生兵としてオースティン軍に復帰しました。


 ただし小隊長など管理職を振られるのではなく、自分はヒラの衛生兵と扱われました。


 衛生部に十分な人員が補充された今、自分の様な若造を管理職に据える必要がなくなったのでしょう。



 これは他ならぬ、ヴェルディさんのご配慮でした。


 彼は自分に、余計な苦労を背負わせたくないと慮ってくれていたのです。


 特に理由もなく官位を下げる事が出来ないため、彼は自分の衛生准尉の地位を野戦任官という扱いにして、階級を戻してくれるそうです。


 野戦任官とは、要は「人材が不足しているので、戦争中だけ仮で階級を上げる」制度です。


 功績をあげれば、戦後もその階級は追認されることが多いようですが……、自分に与えられた衛生准尉という階級はちょっと高すぎました。


 手続きが済めば最終的に、衛生曹(歩兵でいう軍曹の地位)くらいに落ち着かせてくれるそうです。



 無論、自分はその降格に不満など無く。


 むしろまだ、高すぎるくらいだと感じておりました。



 自分は、2年目のぺーぺー衛生兵です。


 無駄な地位は軋轢を生みますし、人間関係にも悪い影響を及ぼします。


 自分より能力が下の人間に、敬語を使わせられるというのは良い感情になりません。


 だから自分は積極的に、ただの若造と扱ってくださいとお願いして回りました。



「まぁ降格しても、リトルボスは僕よりは階級上なんだけどね」

「それはまぁ……従軍期間の違いという事でご容赦ください」

「いや、不満なんて有るわけ無いさ。昔から君が僕の上官だった。これからも頼むよリトルボス」


 こうして自分は、今から始まるだろう悲惨な侵攻戦の後方で、ただの衛生兵として。


 オースティン軍の最後方で、殺し合いに関わらないまま戦争を過ごしていく事になりました。


 ……我々の手で繰り広げられるであろう悲劇から、目を逸らして。







「トウリ衛生准尉殿、ヴェルディ少佐からの遣いできました」

「はい、ご苦労様です」


 その日の夕方。


 聞いていた通りにヴェルディさんから連絡がありました。


 意外な事に遣いで来たのは、同年代の若い女の子でした。


「女性兵ですか」

「トウリ様は女性と伺ったので、私が遣いに選ばれました」

「成程」


 この時は『珍しいものを見た』と思ったのですが、どうやら最近は女性兵士はあまり珍しくないようで。


 人手不足で男女問わず徴兵されるようになった結果、前線の戦闘は男性に割り振られるので、通信兵などの裏方業務は女性が多いようです。


「こちらが復帰願い、こちらが殉職による口座凍結の解除依頼。そして貴女の階級に関する書類ですが────」


 その女性通信兵はテキパキと、自分に書類の説明をしてくれました。


 自分と同世代に見えるのに、随分としっかりしている印象です。


「以上、書類の説明に何か疑問はありませんか」

「いえ、分かりやすく説明していただきありがとうございます」

「それは何より」


 聞いた感じ、結構書類は多そうでした。ヴェルディさんは早めに仕上げろと言っていたので、今日から取り掛かってしまいましょう。


「要件は以上でしょうか」

「いえ、最後にこれをお受け取りください。ヴェルディ少佐が保管していた、貴女の遺品だそうです」

「自分の遺品、ですか? ……これは!」


 その通信兵さんは最後に、自分へ木箱を手渡してくれました。


 遺品と聞かされたので、ドッグタグでも入れられているのかと思いきや、



「……狐の、人形」



 それは、今は亡きロドリー君が自分に贈ってくれたプレゼント。


 マシュデールで買って頂いた、狐の人形なのでした。




「少し気持ち悪い、人形ですね」

「ええ、自分の宝物です」


 北部決戦の後、サバトに渡った自分はこの人形を失ったことを結構気にしていました。


 てっきり、戦火の中で失われたと思っていましたが……。


 まさか、ヴェルディさんが回収してくれているとは思いませんでした。


「ヴェルディさんに感謝をお伝えください。……心の底から喜んでいます、と」

「了解しました」


 自分は我も忘れてその人形を抱きしめて、静かに涙を零しました。


 心が折れそうだった時『この人形に抱き着いて寝ろ』と言ってくれた日を思い出します。


 口が悪くぶっきらぼうで、仲間想いなロドリー君の思い出がこの人形に詰まっていました。


「……随分と思い入れ深いのですね」

「それは、もう」


 いきなり人形に抱きついた自分を、女性通信兵は怪訝な目で見ていました。


 ……他人の目がある場所でやる行動ではなかったですね。


「自分の宝物を届けてくれてありがとうございます」

「いえ、職務ですので」


 誤魔化す様に自分は、その女性通信兵に礼を言いました。


 彼女は眉ひとつ動かさず、無表情に自分を見つめているだけでした。


「あの、通信兵さん」

「まだ何か?」

「少し考えを聞きたいのですが」


 ふと、自分は彼女に聞きたいことが浮かんできました。


 この女性通信兵は、非常に若く見えます。


 恐らくは徴兵されたばかりの、新兵だと思われました。


「自分達は今からフラメールに攻め込み、民家を攻撃するそうです」

「はい、私もそう聞いています」

「……そのことを、どう感じましたか?」


 彼女は今から、敵の市民を攻撃することをどう感じているのでしょうか。


 オースティン軍に嫌悪感を感じてはいないのでしょうか。


 それを彼女に、聞いてみたくなったのです。


 きっと自分はヨゼグラードでの経験から、虐殺行為にトラウマを持っていたのでしょう。


「どう感じたか、ですか」

「はい」

「質問の意図が分かりかねますが、一言で応えるなら────」


 ただの市民だった彼女なら、自分の求める答えを言ってくれる気がしていました。


 非戦闘員を殺す行為の残酷さに、共感してくれる気がしました。



「それは、やっとこの時が来たかという興奮ですね」



 その少女兵は自分の問いに対し、嬉しそうに唇の端を歪めて笑いました。


「奴らが侵攻を開始してから1年間。やっと、やっと思い知らせてやることが出来ます」

「……」

「笑いながら、嘲りながら、楽器でも叩くように。フラメール兵が家族をいたぶり殺した光景はいまだに忘れられません。兵隊さんにはあの時の屈辱を、家族が受けた苦しみを百倍にして、出来るだけ残酷にフラメール人を殺してほしいですね」


 ────これが、彼女から返ってきた答えでした。


 そしてこれこそ、殆どのオースティン兵が感じている気持ちでした。


 既にやられた・・・・側であるオースティン兵は、民間人であろうと敵を虐殺する事に何の躊躇いも感じていなかったのです。


「そう、ですか」

「そんな事が聞きたかったんですか?」

「ええ、まあ」


 政府の判断も、兵士の心情も、フラメール全土で虐殺する方向で一致していました。


 虐殺は良くないなんて考えている自分こそ、異端だったのです。


「ありがとうございます、その、通信兵さん」

「はい、どうも。そう言えば名乗っていませんでしたね」


 これが今のオースティン人にとって、当たり前の感情なのです。


 散々好き勝手に暴れておきながら、敗戦濃厚になって慌てて停戦を求めてこられても受けいれる筈がありません。


「私はリナリーと言います。ヴェルディ少佐から伝言があれば、また私がお伺いすると思います」

「あ、ええ、どうも。今後ともよろしくお願いします、リナリーさん」


 自分はその回答に失望しつつも、顔には出さず通信兵にお礼を言いました。


 その通信兵は無表情な顔に戻り、自分に敬礼を返しました。


「それでは、私はこれで」


 その時、どくんと。


 何かに気が付いて、胸の鼓動が高まりました。


「ちょ、ちょっと待ってくださいリナリー2等通信兵」

「まだ、何か」


 気づけば自分は、その少女を呼び止めていました。


 自分は先程の、瞳に殺意を燃え上がらせる激しい表情に、見覚えがある気がしたのです。


 敵を殺す事をいとわず、堂々と喜ぶその高い攻撃性。


 そして、大事な人が傷つけられる事を嫌う、激情の奥に隠された優しさ────



「……最後に、その。貴女のフルネームを聞いても良いですか」

「私ですか?」


 それは、本当に何となく。


 しかし、絶対に聞いておかねばならない気がして。


 自分は少女の肩を掴み、改めてその名を尋ねました。


「リナリー・ロウ」


 振り向いた彼女のその瞳は、


「私はリナリー・ロウ2等通信兵です。以後、お見知りおきを」


 西部戦線時代のロドリー君と、瓜二つでした。

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