第122話


「……また、貴女に会えるとは思っていませんでしたよ」


 ヴェルディさんは自分の顔を、感情を殺した表情で凝視しました。


 その後唇を噛み締め、耐えるような顔で一筋の涙を溢します。


 そんなヴェルディさんの態度に、ガヴェル曹長は目を丸にしていました。


「お久しぶりです、ヴェルディさん。今は少佐に昇進されたとお伺いしました」

「ええ、地位ばっかり偉くなってしまいました」


 1年ぶりに再会したヴェルディさんは、やつれて見えました。


 頬もこけていますし、目の下に隈も出来ています。


 きっと、苦労されていたのでしょう。


「トウリちゃんは、少し大きくなったかな」

「本当ですか、ヴェルディさん」

「身長は変わってなさそうですが、雰囲気が大人になりました」

「身長は変わってませんか」


 彼は自分の返答に苦笑すると、ようやく涙を拭っていつもの落ち着いた顔になり。


 そして自分に、テントの中に入るよう促しました。


 本人と認めて貰えたみたいです。


「ガヴェル曹長は、少し外で待っていてください。私は彼女と二人で話がしたい」

「は、はい。了解です」


 自分はガヴェル曹長に一礼した後、テント内へと足を踏み入れました。








 ヴェルディさんのテントは7~8畳ほどのスペースがあり、デスクやベッド等の家具が備え付けられていました。


 流石は少佐待遇です。


 ただテント内は支柱が建てられており、実際よりやや狭く感じました。


「まずは貴女の生還を祝いましょう、トウリちゃん。まさか生きているとは思いませんでした」

「自分も、生き残るとは思っていませんでした」


 ヴェルディさんはすっと、自分に紅茶を淹れてくださいました。


 お礼を述べて口に含むと、とても甘く美味しい味が広がりました。


「アレンさん達は確認出来たのですが、ロドリー上等兵と貴女だけ行方不明でした。もしや、彼も……」

「いえ。ロドリー君は亡くなりました」

「そうですか」


 アレンさんのご遺体は、確認されているようです。


 もしかしたら生きているかもと思っていたのですが……、やはり悲しいですね。


「それでは貴女はどうして生きているのですか。そして今まで、何処で何をしていたんですか」

「はい、お答えします」


 ヴェルディさんは真面目な顔で、自分にそう尋ねました。


 この様子ですと、自分の情報が届いていないみたいですね。


「自分はついこの間まで、サバトにおりました」

「サバトですか!?」

「はい。北部決戦のあと、河に身を投げサバトに流れ着いたのです」

「ではトウリちゃん、貴女はまさか去年……」


 レミさんは、自分の生存をオースティン軍に伝えたと言っていましたが。


 何か、手違いでもあったのでしょうか。


「はい、昨年自分はサバト革命に参加していました」

「……詳しく、話を聞かせてください」


 ここは最初から、すべて説明していきましょう。






 自分は、昨年の出来事をつまびらかに説明しました。


 ゴムージに命を救われ、半年ほどオセロ村で過ごした事。


 オセロが襲撃された後、サバト旧政府軍に保護されキャンプ生活をした事。


 冬には政府側の兵士として、ヨゼグラードの戦いに参加した事。



「そうですか。……随分、大変な経験をしましたね」



 ヴェルディさんは自分の報告を、うんうんと頷きながら聞いてくださいました。


 自分がサバト軍に参加したと聞いた時は少し顔を顰めていましたが、何も言わずに最後まで聞いてくれました。


「成程、それで同盟が成立するまでオースティンに帰れなかったのですね」

「はい。帰国が可能になってから、速やかに労働者議会を通じてオースティン政府に連絡を取ったのですが」

「……恐らく、政府側で軍籍の照合が済んでから連絡が来る手筈だったのでしょう。トウリちゃんがウィンを経由せず前線に来てしまったから、情報が止まっていたのです」

「ああ、成る程。自分の不手際でした、申し訳ありません」

「良いですよ、しょうがない」


 そう言えば、役人さんからまずウィンを目指すように言われていましたっけ。


 きっと、彼の言う通りにしていたらヴェルディさんにも連絡が行って、安全に最前線へ送っていただけたのでしょう。


「では、改めて。トウリちゃん、貴女の軍への復帰を認めましょう。またしばらく、衛生部を手伝ってください」

「はい、了解しました。ヴェルディ少佐殿」

「衛生部へはガヴェル曹長に案内させます。……少し書類を作るので待っていただけますか」

「分かりました」


 こうして自分は、オースティン軍への復帰を認めていただきました。


 所属はやはり衛生部。恐らく、ドールマン氏の下に戻る事になるのでしょう。


「これから、忙しくなるところでした。貴女の復帰は、きっと喜ばれますよ」

「……それは。間もなく敵が、たくさん攻めて来るという事ですか」

「いや、オースティンが近々大規模な攻勢を予定しているんです」


 ヴェルディさんは書類を作りながら、そんな事を教えてくれました。


 ……大規模な攻勢、って。それは、軍事機密では?


「それは、自分が聞いて大丈夫な話でしょうか」

「ええ、軍全体に宣言していますからね。詳細な日時は伏せていますが、もうすぐ敵の鉱山地域への攻勢を予定しています」

「……良いんですか? そんな作戦内容を広めてしまって」

「ええ。この作戦は敢えて漏洩させています。これ以上の情報は機密なので、あしからず」

「ああ。成程、了解しました」


 つまり、情報戦の一種ですか。


 ならば知りすぎない方が良さそうですね、これ以上聞かないでおきましょう。


「……にしても鉱山地域、ですか。それは、オースティン領土内じゃありませんよね」

「ええ、敵の領土です。幸いにもオースティンは奪われた領土の殆どを取り戻し、敵領に侵攻している状況なんです」

「なんと」


 ヴェルディさんの話によると、オースティンは大分勝勢な様子でした。


 我々の方が兵力が少ないはずですが、どうして優勢になっているんでしょうか。


 あの悪い人ベルンがまた何かやったのですかね。


「それはまぁ、単純に技術力の差でしょうね」

「技術力ですか」

「ええ、小銃一つとってもそうです。我々の銃は装弾数も、射程も、精密さも敵とは比べ物になりません。近々、新型のOST-4小銃が試験運用されるそうですし」

「ああ、成程」

「それに、トウリちゃんが知らないような新兵器もどんどん実戦投入されています。我々は敵国に、技術の点で大きく有利を取っているのです」


 戦力差のわりに優勢な事を不思議に思ったのでヴェルディさんに理由を問うてみると、そんな答えが返ってきました。


 エイリス・フラメールの銃火器技術は、東西戦争が開戦した直後のオースティンに毛が生えた程度だそうです。


 一方で我々は、10年にわたりサバトと技術競争を繰り広げてきた実績があります。


 たった1年やそこらで、その技術力の差が埋まる筈がないのです。


「では、まだ当面は有利に戦えそうなのですか」

「ええ、おそらく」


 それを聞いて自分は、少し安心しました。


 また、命の危機に瀕するような事態に巻き込まれる可能性が低そうだからです。


「さて、書類が出来ました。これを、衛生部のドールマン衛生曹長に渡してください」

「了解しました」

「きっとあと1年もしないうちに、戦争は終わるでしょう。あと少しの間、力を貸してください」

「はい。粉骨砕身いたします」


 ヴェルディさんも、あまり戦争は長期化しないと考えているようです。


 というのも実は半年ほど前、戦争の勝敗を分ける決戦『ウィン防衛戦』が行われ、オースティンの勝利で終わっていたのです。


 その勝利によりフラメール軍は大打撃を受け、もう殆ど戦争の勝敗は決したのだとか。


 今の状況は、ウィニングランのようなもの。


 少しでも良い条件で終戦するための、最後の一押しだそうです。


 そう聞いて自分は、思ったより早くセドル君に再会できそうだと喜びました。


「講和がなされたら、自分は軍を辞することが出来るのでしょうか」

「講和、ですか? 戦争さえ終われば軍を辞していただいても構いませんが……。トウリちゃんは軍に残っていた方が、有利だと思いますよ」

「戻って来てなんですが、自分はやはり争いごとは苦手でして」

「まあ、貴女がそう言うのであれば仕方ありませんが」


 この戦争が終わったら、ただの癒者としてセドル君の下に戻りましょう。


 アニータさんの診療所を手伝いながら、サバト経済特区の平民として一生を終えるのです。


 余裕があれば、戦争孤児を支援するような活動も始めたいですね。


 そんな、幸せな未来を頭に思い描いていると。


「ただ恐らく、終戦の形は講和では無いでしょう。我々がフラメールの首都を占領する形で、戦争が終わります」

「え、そんなに連合側は強情なのですか」

「連合側が強情、と言うかですね」


 ヴェルディさんは生徒の間違いを正す様な、微妙な顔で。


「我々が断固として、講和を受け入れるつもりが無いのです。ここ数ヵ月は、向こうから停戦要請が毎日のように来ていますよ」


 そう言った後、ヴェルディさんは困ったような笑みを浮かべました。





「それは、どういうことですか?」

「そのままの意味です」


 この時の自分は、大きく勘違いをしていました。


 オースティンという国が、何を考えているのか。


 この戦争の落し処を、一体どこに持っていく気なのか。


「……フラメールの全土を、制圧するつもりで?」

「流石に全土を攻めるのは効率が悪いので、主要都市を落とすだけになるでしょう」

 

 この世界の人間は、まだ世界大戦を知りません。


 戦争の後の怨恨や賠償が、新たなる戦争の火種を生むことなど想像だにしていなかったでしょう。


 だから、その場その場で『最適』と思われる方針を選ぶしかないのです。


「そんな事をしたら民間人に、凄まじい被害が出ます。オースティンの悪評が、世界に広まります……」

「仕掛けてきたのは連合側です、となれば非難は敵に向きますよ」


 その最適な方針を、オースティンの政府首脳や軍高官が話し合った結果。


 採択された『戦争の行く先』は、フラメールという国を亡ぼすまで攻撃し続けるというものでした。


 オースティンの勝利はもう確定しているのに、民間人に被害が出る事を厭わず、侵攻し続ける。


 いえ。むしろ我々は『民間人こそ狙って』、戦争を続けようとしていたのです。



「大丈夫、正義は我々に有ります」



 ……しかし。これはある程度、仕方がない事だったかもしれません。


 当時のオースティンは、あまりに周辺国家から虐げられすぎたのです。


 周囲の国を全く信頼できなくなっていたオースティンは、口先ではなく国力を下地にせねば外交が成り立たないと考えました。


「我々は大手を振って、敵国民を殲滅する事が出来るのです」


 そんなオースティン政府と軍部の出した結論は、────虐殺による勝利だったのでした。





「ど、どうして講和を行わないのですか」


 あの優しかったヴェルディさんが、当たり前の話をするように。


 民間人の虐殺を続ける事こそ、正解なのだと断言しました。


「も、もう戦わなくてよくなるのですよ。オースティン軍の兵士の命も守られますし、それにフラメールの民間人も死なずに済みます」

「……そのトウリちゃんの優しさは、平時であればこの上ない美徳なのでしょうね」


 その話を聞いて自分は立っていられず、グラリと立ち眩みを起こしました。


 戦争は終わるのです。オースティン首脳が、軍部がその気になったら何時でも終われるのです。


 今、この戦いは『オースティンが望んで』続けられているのです。


「先程、貴女はどうして我々が優勢に戦えているかを聞きましたね」

「は、はい」

「そう、我々は技術で大きく勝っているからですよ」


 オースティンは、戦争をやめる気がありません。


 フラメールという国を丸ごと滅ぼすその日まで、銃を手に取り続けるのです。


 そんな結論に至った理由とは、


「停戦して、敵に技術を研究する時間を与えたらどうなると思います?」

「……あ」


 それ以外に、オースティンという国家が生き延びる方法が無かったからです。


「我々は兵力で、フラメールに大きく劣ります。生産力も、資源も、雲泥の差です」

「……」

「ここで戦争をやめれば、我々が唯一持っているアドバンテージを捨てる事になります」


 オースティンがフラメールに優勢に戦えるのは、今この瞬間だけでした。


 大国であるフラメールは、人口も多く国土は肥沃です。


 消耗戦に持ち込まれれば、オースティンに勝ち目はありません。


「お互い、もう二度と、領土を侵犯しないような条約を結べば」

「果たして彼らは本当に約束を守るでしょうか? 技術が追い付き、我々に勝てる軍備を揃えてなお、不可侵を守ってくれるでしょうか?」

「……」


 政府首脳は、連合側の講和条件を信用など出来なかったのです。


 あんな不意打ちで侵攻してきたフラメールとエイリスが、「劣勢になったから停戦しよう、不可侵条約を結ぼう」などと言い出しても戯言にしか聞こえませんでした。


 ではオースティンは、どうすれば生き残れるのか。


「フラメールには、人口を減らして貰わねばなりません。技術が追い付こうと我々に勝てない程、悲惨で貧しい国になって貰わねばなりません」


 だから、オースティンは戦争を続けるのです。


 技術で優っているうちにフラメールを植民地として、資源を吸い上げてオースティン本土を立て直そうとしたのです。


 それが、今のオースティン政府の出した結論なのでした。


「フラメール人の、恨みを買いますよ」

「買うでしょうね」

「きっと、それは新たな戦争の火種になります」

「なるでしょう」


 それはこの上なく合理的な思考で。


「だから本作戦で、フラメール人は一人残さず殺すのが理想ですね」


 この上なく、愚かな結論なのでした。





 フラメール・エイリス連合との開戦当時、敵の総勢力は20万人と言われていました。


 この戦力は残存していたオースティン軍の5倍以上の兵力で、連合側は勝利を確信していたでしょう。



 しかし、いざ蓋を開けてみればオースティン側が圧倒的に優勢に戦争を進めていきました。


 連合側が押していたのは、オースティン主力部隊が到着する前だけ。


 いざ歴戦のオースティン軍が戦場に到着してからは、その技術力と練度の差で圧倒されたのです。


「トウリちゃんは、何も考えず目の前の負傷兵を救い続けていてください」

「……はい、了解、しました」

「汚れ仕事は我々が担います。……大丈夫、絶対にもう、貴女をあんな窮地に立たせたりしません」


 そんな自分の蒼い顔を見て、ヴェルディさんはそう言ってくれました。


 かつて故郷ノエルの村が焼かれた時、自分が取り乱した事をヴェルディさんは知っています。


 自分がショックを受けているのを知り、気遣ってくれたのでしょう。


「……私は、本当に貴女と再会できて嬉しかった。トウリちゃん」

「はい、自分も、またヴェルディさんにお会いできて光栄です」

「ありがとう。……ガヴェル曹長、入室してください」


 自分は何とか、色々な言葉を飲み込んで。


 これから虐殺されるであろうフラメールの人々の事を考えないように、ヴェルディさんに敬礼しました。


「ガヴェル曹長、入室しました」

「よろしい。貴官は今から、トウリ衛生准尉を衛生部まで案内してください」

「はい、了解しました」


 ……自分は戦争に来たのです。


 人を殺す為に、ここに立っているのです。


 自分一人が戦いをやめようと騒いだところで、何も起きません。


「後で、貴女に遣いを出します。軍に復帰するにあたり色々な手続きが必要なので、早めに書類を用意してくださいねトウリ衛生准尉」

「はい」


 この戦争は予想通り、のちに大きな火種を残します。どうしてこんな虐殺をしたんだと、後世で非難される事になります。


 しかし当時のオースティンが連合国と講和条約を結ぶには、文化が未熟すぎました。


 隣国が弱っていれば、自国を富ませるために侵略戦争を『仕掛けるのが普通』というレベルの文明で、話し合いによる決着は成立しません。


 だからきっと、この時間違っていたのは自分で、正しかったのはオースティン政府だったと思います。


「ではトウリ衛生准尉、退室します」

「よろしい」


 だから今の我々は、民間人を殺すしか未来がありません。


 民間人とは、人間です。人間は兵士になります。


 ならば兵士になる前に殺してしまえと、そう言う発想に至ったのでしょう。


 



「……ところで、衛生准尉って何ですか?」

「トウリちゃんの死亡が確定した際、叔父上が『墓石に刻む階級など盛っとけ』と言って、無茶苦茶な昇進を……」

「……」



 話を聞くと尉官以上の兵士は、墓標が少し豪華になる様で。


 自分を気にかけてくれていたレンヴェル中佐は、キリが良く准尉の地位まで昇進させてくれたみたいです。


「や、後で官位は調整するつもりです。こう、良い感じに」

「良い感じに」


 この世界に2階級特進などと言う文化はありませんが、功績は死後であろうと評価されるようです。


 自分は「ノエル村付近の撤退案の提案」「北部決戦での撤退進路の提案」「命を顧みない囮部隊への志願」などの功績が盛りに盛られてこんなことになったのだとか。


「郊外のドクポリ村跡に、トウリちゃんの墓石があります。隣にロドリー軍曹の墓も立てていますので、今度参拝に行ってはどうですか」

「……ええ、ありがとうございます」


 後日、見に行った自分の墓にはちょっとキラキラした意匠がこらされていました。


 

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