7章 フラメール国境攻防戦

第120話


 自分は今から2年前、15歳の春にオースティン軍に志願しました。


 徴兵検査で回復魔法適性を見出されたのをきっかけに、孤児院への恩返しになると聞かされ戦争に参加する事を決めたのです。


 正直に申しますと従軍当時、戦場に向かうまでの道すがらワクワクしていました。


 次から次へ現れてくる敵を撃ち殺す、ゲームのような戦場を想像していました。


 愚かしい事、この上ありません。



 

 現実の戦場は、自分が考えていたものよりずっと過酷でした。


 ゲームのような派手な撃ち合いは存在せず、死の恐怖に心を殺されながら、靴が沈むほど重たい荷物を背負って走るだけ。


 敵の銃弾が、自分の顔を掠めた回数は数知れず。


 少し運が悪ければ、今ごろ自分は大地に骸を晒して辱められていたでしょう。




 本音を言えば、自分は戦場に戻りたくありませんでした。


 いつまでもセドル君と一緒に、平和な後方で暮らしていたいと思いました。


 しかし今のオースティンに、兵士ほど安定した食い扶持はありません。


 セドル君たちの住むサバト経済特区は裕福ではなく、支援が打ち切られれば辛い暮らしが待っています。


 生きる為にも、何処かでお金を稼いでくる必要がありました。



 そして何より前線では、アリアさんやヴェルディさんなどはまだ戦い続けています。


 生還したのに前線に戻らないのは、彼等を裏切る行為でしょう。


 だから自分は、再び前線に赴く事を決めたのです。



 

 それに幸いオースティン軍は、衛生兵を大事に運用してくれます。


 サバトの時と違って、自分が銃を振るう様な事態にはならないでしょう。


 後方の安全な野戦病院で、患者さんの治療に追われる日々を過ごすだけです。


 そう考えると、少しだけ気が楽になりました。




 軍に復帰するには、いろいろと手続きが必要でした。


「トウリ衛生兵長殿。軍籍を照合する必要がありますので、一度首都ウィンの司令部へ出頭していただけますか」

「了解しました」


 経済特区で政府役人に復帰の方法を伺うと、まず首都ウィンへ向かうように指示されました。


 ウィンで身分を確認できれば軍籍に再登録され、前線に送っていって貰えるそうです。


「おうお嬢ちゃん、ウィンを目指すなら一緒にいかないか」

「おや」


 そしてウィンまでの旅路は、民間の運送業者に同行させて貰えることとなりました。


 彼らはサバト経済特区まで、政府の指示で支援物資を輸送してくれた人たちです。


 自分はありがたくその申し出を受け、ともに首都を目指す事になりました。


「飯もこっちで用意してやるよ。困ったときはお互い様だ」

「ありがとうございます」


 こうして、自分の首都への旅が始まりました。




 ……とまぁ。


 少し言い訳をしますと、自分は半年間も幸せな時間を過せたせいで平和ボケしていたのでしょう。


 セドル君を甘やかしに甘やかした至福の月日は、自分の『勘』をとことん鈍らせていたようです。



「あ……う?」

「あはは、お嬢ちゃんごめんね」



 運送業者の言葉に甘えて、彼らのスープを分けて頂いた後。


 しばらくすると体がグラリとふらついて、眩暈で立てなくなってしまいました。



「俺達もさぁ、必死なのよ。もうこの国では、明日食べる飯があるかも保証されていない」

「……これ、は」

「傷は有るが、見てくれは悪くない。お嬢ちゃんはきっと、高く売れるんだ」



 自分のスープには、しびれ薬(恐らくは、神経系毒キノコの粉末)が盛られていたようです。


 この運送業者は、どうやら奴隷売買にも手を出していたようで。


 オースティンに帰る道すがら、自分は再び捕虜……というか奴隷の身分にされたのでした。




 危機意識が薄かったのでしょう。


 オースティンは安全だ、という思い込みもあったのだと思います。


 仮にも女性である自分が、無警戒に見知らぬ人に付いて行くべきではありませんでした。


 少しでも警戒していれば、彼の心の奥に隠れた『欺瞞』を見破れたはずです。


「まだ幼いし、顔に傷があるなぁ。売れるか?」

「普通に可愛い方じゃないの? 俺は結構な額になると思うがな」

「……」


 自分は運送業者の男から、その日の晩に奴隷商に引き渡されました。


 薬さえ盛られていなければ、逃げ出す事も出来たかもしれません。


 しかし体をピクリとも動かせぬ自分は、観念して奴隷商の檻に入るしかありませんでした。


「飯は出してやるから、そうビクビクしなさんな」

「……」


 檻には自分以外にも、数名の奴隷が捕まっていました。


 皆が下着姿で腕と足を縛り上げられ、絶望の表情を浮かべていました。


「ちょーっと痛いけど我慢してね。怨むなら、迂闊な自分を怨んでねー」

「な、何を」

「足の腱、切らせてもらうだけだよー」


 その後、自分は足の腱を切られ縛り上げられて、馬車で運ばれる事になりました。


 よく見れば自分以外の女性も全員、足の腱を切られているようです。


 ……容赦が無いですね。


「最後のはちんまいけど、まぁ小金稼ぎにはなるだろう」

「幾らになるかな」


 こうして自分は檻の中、しばらく馬車に揺られることになったのでした。




 当時のオースティンに、こうした人身売買グループは多かったみたいです。


 オースティン国内の治安維持の為に動ける戦力が、ほとんどいなかったからです。


 フォッグマンjrも対策はとっていたようですが、武力を行使しない限り賊は居なくなりません。


 こういった賊は戦後になるまで、摘発されることはありませんでした。




「今日はどの女にするかな」

「処女には手を出すなよ」


 奴隷商は5人組の集団でした。


 全員が銃で武装しています。おそらく旧型のオースティン小銃で、闇ルートで転売されたのでしょう。


 自分を縛る縄は、かなりボロボロでした。力を入れれば微かに伸びるので、頑張れば抜けれそうです。


 しかし檻は強固で、どうあがいてもこじ開けれそうにありません。


 仕方が無いので自分は、おとなしく震えて檻の中でうずくまっていました。


「今日はお前だ、おい立て」


 奴隷として囚われて1週間ほど経った晩。


 無抵抗におとなしくした事が功を奏したのか、待ちに待った好機が訪れました。


 彼らがお楽しみのため女性奴隷を連れ出した時、うっかり檻の鍵を開けっぱなしにしてくれたのです。


「……おい、鍵どうした」

「あっ」


 賊はすぐ、扉の鍵を閉め忘れた事に気づき戻ってきました。


 その間は1分ほどの短い時間ですが、自分はこの千載一遇のチャンスを逃すわけもなく、


「おい、鍵締め忘れてんじゃねぇかタコ!!」

「す、すんません」

「あのガキ逃げてるぞ、探せ!」


 即座に、緩めていた縄から抜け出して檻の外へと走り去りました。


「遠くにはいっていないはずだ。足の腱は切ってるはずだから」

「その辺に隠れてんだろ、おーい出てきやがれ! 隠れ続けやがったら、見つけた後全身の皮を剝ぐぞ!」


 足の腱など、とっくに自分で治しています。


 自分が回復術師だと気付かれずに済んで助かりました。


「どこにいる、早く出てきやがれ!!」


 この誤解のお陰で、賊に追いつかれることなく安全な距離まで脱出することが出来ました。






 と、こんな感じに賊から逃げられたのは良いのですが……。


 次の問題は、自分がどこにいるか分からないという事でした。


 ウィンを目指すルートからは外れており、現在位置が分からないのです。



 幸い、夏のオースティンには食べられるものがよく転がっていました。


 どんぐりなんかは、皮を剥きさえできれば不味くとも食べられました。


 時折生えている蒲公英たんぽぽは、自分の地元だったノエルでもサラダによく使われていた野草です。


 水源も、小川に巡り合うことは出来たので問題はないように見えたのですが……。


「ヴっ、うぅぅ……」


 ……問題は火を起こす手段がなかったので生で飲まざるを得ず、腹を下してしまった事です。



 どうやらこの辺の水は寄生虫などに汚染されているようです。


 おなかを下してから数日ほど、動けない状況になりました。


 果実などから水分を取ろうとしましたが、全て吐き出してしまいました。


 やがて皮膚が渇き声が枯れ、自分でもわかる程に脱水が進んできます。


 水を飲まねばならないのに、小川の水はとても危険。


 今の自分は、鉄帽も瓶も持っていません。下着だけの、質素な衣装です。


 何とか火を起こせたとしても、煮沸する方法がないのです。


 安全に水を飲む手段が、どこにもありません。


 脱水による死が、現実味を帯びてきていました。



 そんなこんなで、心身ともに弱ってきたころ。


 自分は一つ、大きな幸運を手繰り寄せました。


 それは、



「む、誰だ貴様は」

「あ、あぁ……、保護を、自分を保護してください」

「保護だと?」


 その川沿いに休憩中の、オースティン軍服を着た集団を見つけたのです。


 恐らく、オースティン正規軍の兵士達。


「……むむ、かなり脱水が酷いな」

「水を与えないと死にますよ、この娘」

「むぅ、仕方あるまい」


 こうして自分は、帰国早々に死にかけはしましたが、無事にオースティン軍に合流(?)出来たのでした。





「自分は、人攫いの賊に捕まっていました」

「ふむ」


 その部隊の隊長から清潔な水と塩分を頂き、息を吹き返した後。


 自分は、その輸送隊の隊長の男性に事情聴取をされました。


「お前は何故、その歳で旅をしていた」

「自分はオースティン軍所属の衛生兵です。軍に帰還する為、旅をしておりました」

「なに? お前軍属なのか? ならばどうしてこんなところにいる」

「はい、隊長殿。自分はオースティン軍の衛生兵長として、北部決戦に参加していました。しかし、決戦の最中に負傷し、タール川に流され、落伍兵となっていたのです」


 自分は淡々と、置かれた状況を説明しました。


 サバトに渡ったことも、同盟と共に帰還したことも。


「……北部決戦って、去年だろ。今まで何をしていたんだ?」

「運悪くサバト側に流れ着き、先日同盟が締結されるまで帰還の目途が立ちませんでした」

「それに、お前の年齢で衛生兵長ってなぁ」

「お疑いなら、回復魔法を使って見せましょうか」

「いや、今怪我人いねーし」


 自分の話を聞いて、隊長は怪訝な顔をしました。


 どうやら自分の言い分に疑問を持っているようです。


「悪いが、我が部隊は前線への輸送任務に就いている。お前がウィンを目指しているなら、1人旅を続けて貰わねばならん」

「ならばどうか、自分を前線に連れていって貰えませんか。自分をお疑いなら、アリア大尉殿が身元を保証してくださると思います。彼女が、自分の後見人を引き受けてくださっています」

「だがなぁ」

 

 隊長は、自分を追い払う気満々のようでした。怪しい自分を、同行させたくないのでしょう。


 しかしここで置いて行かれたら、今度こそ死んでしまうかもしれません。


 自分は必死に、隊長の説得を行いました。


「自分がアリア大尉殿と話をしたのは1年以上前ですので、もう昇進されているかもしれませんが」

「……ああ、アリア様は少佐になられている」

「少佐殿ですか。成程、随分と出世なさったのですね」

「ただし彼女は去年、勇敢な最期を遂げられた。その功績をもっての昇進だ」


 自分はそこで、まずアリア大尉の名前を出したのですが。


 ここで彼女が北部決戦の折に、壮絶な最期を迎えた事を知りました。



「アリア、さんが。お亡くなりになったのですか……」

「他に、お前の身分を保証できる将校は居るか?」

「……彼女のお父上であるレンヴェル少佐殿、また直属の上官であったヴェルディ中尉殿と面識があります。衛生部に行けば、ドールマン衛生曹やレイターリュ衛生部長などとも面識がございます」

「ふむ、ヴェルディ大隊長殿の知り合いとな」


 自分がアリアさんの死にショックを受け、涙を堪えていると。


 目の前の若い男性将校は、意外そうな目で自分を見ました。


「俺達は、ヴェルディ増強大隊所属の輸送部隊だ。本当にお前がヴェルディ様の知己であれば、引き合わせる事は出来る」

「本当ですか」

「ああ。無論、厳重にボディチェックはさせて貰うがな」


 どうやら、この部隊はヴェルディ大隊に所属している輸送部隊の様で。


 そしてこの、若くも粗暴な雰囲気のある男の正体は、


「俺はガヴェル曹長である。レンヴェル中佐殿の孫で、ヴェルディ少佐殿の従甥」

「えっ」

「お前がさっき名を出したアリア少佐は、俺の叔母だ」


 レンヴェルさん一族の、若き曹長だったのでした。









 ガヴェル曹長は、自分より2つ年下の新米兵士でした。


 若そうな印象を受けましたが、まさか年下だとは思いませんでした。


「俺はこの春に士官学校を卒業し、すぐに任務に就くことを許されたんだ」

「はあ」


 彼は15歳で士官学校を卒業した後、曹長の地位で参戦しました。


 しかし、いくら士官学校出身と言えど彼は戦場未経験の新米兵士。


 なので最初は、安全な輸送部隊長を任じられたようです。


「俺は指揮官になる人間だからな。前線には出なくて良いのさ」


 ガヴェル曹長だけでなく、士官学校を卒業した直後の人がいきなり前線に駆り出されることは少ないです。


 ヴェルディさんも、ガーバック小隊に所属した年齢は17歳でした。


 2年ほど後方で下積みをして、前線に出てきていたようです。


「お前はヴェルディ少佐殿と、どういう知り合いなんだ」

「はい、お答えします。自分は新米の折、ヴェルディさんと同じ小隊に所属しておりました」

「ほほう、それは幸運だったな。あの人の活躍を、そんな間近で見られたのか」


 ガヴェル曹長は、ヴェルディさんについて色々と聞いてきました。


 何故か少し、恍惚とした表情で。


「ヴェルディさんは凄い人です。絶体絶命の窮地にこそ、冷静な判断力を発揮できる方です」

「そうだろう、そうだろう。あの人は本当にすごいんだ」


 ガヴェル曹長は、ヴェルディさんに心酔しているようでした。


 ノエル撤退戦の時のヴェルデイさんの武勇伝を語ると、目を輝かせて喜びました。


「今のオースティンの優勢があるのは、ヴェルディ様のお陰だよ。本当に、誇らしい人だ」

「ええ」

「ヴェルディ大隊長殿こそが、オースティンの生命線と言って過言ではない」


 聞けばヴェルディさんの活躍で、戦争はオースティンが優勢に経過しているようでした。


 既に敵を国内から追い返すことに成功しており、今は敵の残党を始末している最中だそうです。


 ……話に聞いた通りの戦況なら、自分が着く頃には戦争終わってるかもしれませんね。


「我らが偉大なヴェルディ大隊長殿に栄光あれ!」

「ええ、ヴェルディさんに栄光あれ」


 しかし、得てして大本営発表と言うのは当てにならないものです。


 味方兵士は常に「優勢である」という情報しか聞かされません。


 実情がどうであれ、自分はただ怪我人を癒し続けるのみです。






「あの、自分も何か持ちましょうか」

「ああ? 要らねぇよ」


 こうしてガヴェル曹長に保護された自分は、特に仕事を振られるわけでもなく。


 ただテクテクと歩いて、付いて来るよう指示されました。


 積み荷から予備の軍服だけ、貸し与えられて。


「お前が荷物なんて持ったら、重すぎてひっくり返っちまうだろ」

「一応、それなりの重装備にも耐えられるよう訓練はしているのですが」

「強がるなって、こういうのは男に任せろ」


 輸送部隊は、基本的に馬車や人力車で物資を運びます。


 もう数年経てば鉄道や車などが軍に配備され、人力車の出番は無くなります。


 恐らくこの戦争が、人力での長距離輸送が行われた最後の戦争でしょう。


「心意気は買うがな、それは衛生兵殿の仕事ではないぞ」

「アンタは俺たちが運ぶ物資みたいなもんさ。おとなしく運ばれとけ」


 そんな力仕事をこなす輸送部隊の兵士達は、大体が前線を退いた負傷兵でした。


 彼らは気性が荒く、少々おっかない人が多い印象です。


 負傷し退役出来たのに、わざわざ兵士を続けようとするような人ですからね。


「それにもう、誰が何を持っていくかは割り当てられている」

「そうですか……」


 そんな輜重兵と呼ばれる彼らは、己の肉体一つで物資を運ぶので筋骨隆々です。


 自分も鍛えてはいるのですが、彼等の筋肉には遠く及びません。


「まぁ心意気は買うぜ、衛生兵長ちゃん」


 ガヴェル曹長はからかう様に、自分の背をバンバンと叩きました。


 一応自分の方が年上ですが、軍では階級が全てです。


 ペット扱いされてる気がして少し不快でしたが、甘んじて受け入れましょう。




 このガヴェル曹長という男は、あまり優秀な士官学生ではなかったそうです。


 トレーニングをよくサボり、座学の成績も平均以下で、卒業できたのもギリギリだったと聞きました。


 ヴェルディさんは優秀な成績だったそうですし、アリアさんに至っては士官学校の次席だったことを考えると、レンヴェル一族の中では落ちこぼれだったようです。



 なのでヴェルディさんは、彼を前線で運用するつもりはありませんでした。


 彼は指揮官として、あまりに多くのものが不足していたのです。


 「俺は指揮官だから前線に出なくていい」と彼が言っていたのは、遠回しにヴェルディさんが彼を指揮官として運用する気がない事をオブラートに包んで告げられていただけでした。


 ガヴェル曹長は良くも悪くも、ヴェルディさんに守られていたのです。



 しかしレンヴェル中佐は、逆に彼を買っていたそうです。


 成績も悪くサボりがちな彼を見て「俺の若い頃に似てやがる」と評価したのだとか。


 ガヴェルは大器晩成で、育てば立派な指揮官になると断言しました。



 そんな微妙な経歴のガヴェル曹長は、この時点で15歳。


 自分が初めて西部戦線に放り出された時と同じ年です。


 そんな青々しい彼は、軍人になってから自分で考える事をしていませんでした。


 彼は上官であるヴェルディさんの指示に、ただ従い続けるだけの日々を送っていました。



 勿論、兵士に考える頭は要りません。兵士は命令されたことをただ実行すればよいのです。


 だからガヴェル曹長の行動は、兵士としては正解だったでしょう。


 問題は、彼が兵士ではなく指揮官の立場にあるという事でした。



 兵士が考える頭を持たないで良いのは、指揮官が代わりにものを考えているからです。


 部隊長である彼だけは、よく考えて行動せねばなりません。



 そう。


 15歳では無理もないのですが、彼は漫然と生きていたのです。


 ただ命令通りに、思考を停止して輸送するだけ。


 どういう時に指揮官として、どう動けばいいかなど想像だにしていませんでした。


 ……それはかつて、自分がラキャさんを死なせてしまった時と同じように。






 自分がそれに気付けたのは、偶然でした。


「ガヴェル曹長、緊急事態です。敵と思しき部隊を発見しました」

「え?」


 あまりにやる事が無かったので、戦場に慣れるリハビリを兼ね索敵をしていたのですが……。


 本当にうっかり、敵兵を見つけてしまったのです。


 二度見しましたが、確かに偵察鏡を持った兵士が数名ほど自分達を見つめています。


 恐らくは、敵です。


「2時方向、およそ400mです。当部隊の待ち伏せであるとすれば、敵は中隊規模と予想されます」

「ちょ、お前、何を言っている」


 本当に見つかるとは思っていなかったので、正直かなり焦りました。


 輸送部隊である以上、狙われても不思議ではないというのに。


「ど、何処だ? 見えないぞ、俺をからかっているのか?」

「曹長殿、雑木林の下だ。俺にも見えてる、マジで敵だな」

「何!」

「大手柄だ、お嬢ちゃん」


 輜重兵の方も、自分の見つけた敵を確認してくれました。


 ざわざわと、部隊の人達がざわめき始めます。


「中隊規模ってのはどこで判断した?」

「偵察兵だけで小隊を組んでいるので、敵の規模は中隊以上でしょう。そして目前の地形に大隊が待ち伏せ出来るほどの場所はなさそうなので、中隊規模と推測しました」

「ほう、やるじゃねぇか。衛生兵にしとくにゃ惜しい」


 その輜重兵の方は、目の前に敵が見つかったのに焦る様子もなく、にこにこと自分の頭を撫でていました。


 ……随分余裕がありますね、相当な修羅場をくぐってきた方でしょうか。


「何を落ち着いている! 本当に中隊が待ち受けているのか!? あそこに敵が居るって事か!?」

「ええ、その娘の言う通り中隊規模だと思いますぜ」


 その偵察兵上がりらしき人も、自分と同じ読みのようでした。


 このガヴェル輸送部隊は増強小隊で、20名規模です。


 中隊を相手にするには、かなり人数に差がありました。


「さて、どうする曹長殿」

「え、お、俺か?」

「アンタ以外に誰が指示を出すんだ、部隊長どの」

「そ、そうか。そりゃあそうか」


 突然に判断を仰がれて、ガヴェル曹長は目をパチクリさせました。


 最年少の彼に判断を任せるのは酷ですが、指揮系統はそうなっているのです。


「よ、よし。逃げよう、迂回だ」

「……あい、了解。どっちへ逃げます?」

「え、そうだな。あー……」

「迂回して前線を目指すのか、後退して拠点に戻るのか、どっちですかい」

「こ、後退しよう」


 ガヴェル曹長は絞り出すような声で、そう指示を出しました。


 後ろに逃げる方が安全だと、判断したのでしょう。


 といっても、敵が簡単に逃がしてくれるとは思えませんが。


「……あ、敵部隊が前進してきましたね。待ち伏せを感知されたと、気付いたようです」

「げっ」

「曹長殿。早く、森林内に部隊を寄せましょう。身を隠さないと全滅します」

「ちょ、本当だ、敵がいっぱい出てきたぞ! うわあああ!?」


 この時のガヴェル曹長は、あまりに若く未熟でした。


 ヴェルディさんは、冷静に指示を飛ばすことが出来ていたのですが……。


 新米指揮官に、それを期待するのは酷でしょう。


「全員撤退、荷物は捨て置け! 命あっての物種だ!」

「ガヴェル曹長?」

「逃げろ、俺達は殆ど武装もしてない、勝てる訳がない。荷物なんかくれてやれ」


 彼はパニックに陥りながら、「逃げろ」とだけ叫びました。


 一応、勝ち目の無い状況で輸送部隊が襲われた場合、荷物を捨てて逃げ出すのは教本通りではあります。

 

 ……勝ち目の無い状況であれば。


「落ち着いてください、ガヴェル曹長殿」

「俺は落ち着いている、冷静だ! とっとと撤退を始めろ────」

「良いから、落ち着いてください!」


 今のオースティンで、武器弾薬は稀少です。


 ガヴェル曹長が投げ捨てようとしているこの荷物は、前線兵士にとっては命に代えがたい代物なのです。


「曹長。速やかに物資を保持したまま、右手にある森林地帯に避難することを提案します」

「お、おい、馬鹿か! 敵が来たら」

「よく見てください、まだ接敵まで時間はあります」


 だから自分は冷静になって貰うべく、ガヴェル曹長を励ます様に声をかけました。


 ここは逃げ出すべきではありません。


 敵の様子を見る限り今の状況は、勝ち目の無い戦いではないからです。


「接敵する前に逃げなきゃいかんだろうが────」

「逃げるにしろ、報告のためにも敵の戦力を把握すべきです。恐ろしいでしょうが目を逸らさず、前を見てください」


 自分の勘も、告げていました。


 まだ、ここは死地ではない。ここで突っ張っても、大事には至らないと。


「現状を整理します。我々は幸運にも、敵の待ち伏せを察知できました。なので敵は仕方なく、姿を現したのです」

「え、あ、はぁ」

「近代戦は、防衛側が圧倒的有利。この程度の戦力差であれば、ひっくり返ってしまいます」


 輸送部隊の兵士は、パチクリとした目で自分を見ていました。


 ですが自分は物怖じせず、この未熟な部隊長に気合いを入れてもらうべく、


「どうです、ガヴェル隊長殿。ひと手柄、立ててみませんか?」


 そう提案しました。

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