第118話
こうして自分は、セドル君と再会を果たしました。
数か月ぶりに再会した彼は、元気いっぱいという感じでした。
「前線基地の暮らしは、案外悪くなかったよ」
「そうなんですか」
「何せ、屋根があるからねぇ。家ってのは偉大だね」
アニータさんは笑いながら、この1か月の暮らしぶりを教えてくれました。
国境警備隊の保護下の暮らしは、難民キャンプよりずっと良かったようです。
倉庫の1つを借りられたので、村人は狭くとも温かい暮らしが保証されました。
そして川沿いなので水源には困らず、時折川魚料理も楽しめたそうです。
「あと、まぁこっちの兵隊さんは怖かったね」
「まぁ、最前線ですからね。ピリピリもするでしょう」
「それが逆に良かったのさ」
そして何より、ここはとても治安が良かったそうです。
実はオセロ村以外にも、複数のグループが保護を求めて前線に来ていました。
そのグループ間に多少のトラブルが起こった際、「最前線でくだらない事で言い合うな」と介入してくれたのだそうです。
頻発していた暴行犯や窃盗犯にも、「我らが保護する以上は郷に従え」と軍規に照らした体罰を科しました。
そのお陰で窃盗や暴行はほぼなくなり、トラブルが頻発していた難民キャンプより暮らしやすい環境になっていました。
「イリゴルさん。セドル君を守っていただいて、本当にありがとうございました……」
「ふん、礼など受け取れん。俺は自分の故郷を守っただけだ」
因みに難民キャンプでは、そうしたトラブルに対してイリゴルさん達が目を光らせてオセロ村の民を守っていました。
……彼が避難を指示していなければセドル君が死んでいたと思うと、いくら感謝してもしたりません。
結局、この周辺に政府軍は影も形もありませんでした。
意気揚々と出陣した10万人は、1発も銃を撃つことなく勝利を手にしたのです。
「アニータさん、相談があります」
「え、何だい急に」
兵士たちの大半は、そのままヨゼグラードに帰還する事になりました。
しかしオセロ村の人々は、引き続き国境警備隊の倉庫で生活する事になりました。
まだ、周囲には政府軍崩れの賊が多発していると予想されました。
なのでオセロ村に帰っても、略奪されるのが目に見えていたからです。
治安が安定するまでは、しばらく前線基地暮らしをした方が無難でしょう。
「自分は、セドル君を連れてオースティンに戻ろうと思っています」
「む、そりゃまたどうして」
「嫌な予感がするからです」
こうしてサバト革命は終結し、革命軍の戦いは終わりました。
しかし、自分にとっての戦いはここで終わりではありません。
むしろ、今からが本番です。
「このままサバトに残っていたら、きっと酷い事になるでしょう」
自分は『世紀の扇動家』レミ・ウリャコフから、セドル君たちを守らねばならないのです。
レミさんは無事に、サバトを手中に収めました。
今からサバトは、彼女によって改革が進められていきます。
この世界では初の、『共産主義』国家として。
前世の、歴史を信じるならば。そしてシルフの言葉を信じるならば。
皆で資産を分け合い、分配する社会なんてものが成立するはずがありません。
これからサバトに待っている未来は、『粛清と虐殺』の繰り返しです。
「労働者議会の思想は、国家として成立しません。きっとこの先、今よりひどい混乱が待っています」
「……それで?」
「自分はオースティンに帰国するつもりです。レミさんからも、自分をオースティンに帰して頂けるという言質も貰いました」
だから、自分はセドル君をオースティンに連れて行かねばなりません。
それにセドル君はオースティン生まれのオースティン育ちです。サバト語も話せはしますが、オースティン語の方が流暢です。
彼の事を考えても、オースティンで暮らす方がよいでしょう。
「だから、アニータさん。貴女もサバトを捨てて、どうか一緒にオースティンに来ては下さいませんか」
「ん。いや、まぁ、そっか」
だから自分は、アニータさんに頭を下げてオースティンについて来て貰うよう交渉しました。
セドル君は自分と同じくらい、アニータさんにも懐いています。
出来れば、彼女にもついて来て欲しいのです。
「サバトを捨てたくないという気持ちも分かるのですが、どうか」
「いや。アタシは元々オースティン生まれだから、別にソレは良いけど」
「それでは」
アニータさんはタハハ、と頬を掻きました。
成程、そうであればお願いしやすくはなるのですが……。
「問題は、オースティンに移住してどうやって生活するんだって話。一文無しだよ、今の私は」
「うっ」
「オースティンから持ってきた財産も、賊に奪われた。資産がこの身一つしかない状況で、外国に移住する度胸は私にゃねぇなぁ」
アニータさんは申し訳なさそうな顔で、自分のお願いを断りました。
「取り敢えずオセロに戻れば、診療所も住居もある。仕事も住む場所もある訳だ」
「アニータさん……」
「亡命するってなら、移住先の住居と当面の生活費が必須だよ。今の私に、オースティンに帰る度胸は無いね」
どうやら、アニータさんはオセロ村に戻る気の様でした。
身一つで国を渡るのがどれだけリスキーな行為かを、よく知っているからでしょう。
「そこを、何とかお願いできませんか」
「本当にサバトが地獄になるなら、勿論アンタに付いて行くんだけど。それも、ただの予想なんだろ?」
「……恐らく、本当にそうなります」
「うーん、そこまで言い切るなら考えても良いけど。でも、流石に博打が過ぎるよなぁ」
彼女は、この先のサバトがどれほどの地獄か理解していないみたいです。
そりゃあそうです。共産思想の危うさを誰も理解できなかったからこそ、前世では悲惨な歴史が刻まれたのです。
「……では、こういうのはどうですか」
今ここで、アニータさんにその危険性を理解して貰うのは困難でしょう。
だから、自分はただ彼女に頭を下げて、
「自分のオースティンでの貯蓄、財産を全てお渡しします。だから、どうか」
そう、頼み込みました。
自分には、そこそこ貯蓄がありました。
マシュデールで頂いた褒賞は全て、自分の軍用口座に入れています。
西部戦線時代の、1年近くの給与所得も手つかずで残してありました。
それら全てをアニータさんにお渡しすれば、しばらく食べ物には困らないと思われます。
「成程、じゃあ住処は」
「それも、何とかなります」
後は、自分達がオースティンに戻った後に住居を確保するだけ。
一応、それも自分には当てがありました。
「自分の後見人である、アリア大尉殿のお力を借りれば用意はできると思います」
そう、オースティン軍で絶大な権力を持つアリアさんの力を借りるのです。
彼女は自分の後見人として、住居などの世話をしてくれると仰っていました。
それにアリアさんの父親であるレンヴェル少佐は、オースティン軍で最高権力者の一人です。
1家族分の住居を用意するくらい、きっと訳も無いでしょう。
「……ってことはさ」
「はい」
「アンタ、オースティン軍に復帰するつもりなのかい」
しかし、自分がアリアさんにアポイントを取ろうとするのであれば。
自分は再び、オースティン軍に復帰せねばなりません。
「自分は、まだオースティン軍所属の衛生兵ですから。自分がいるべき場所に戻るだけです」
「また、戦場に行くのかい。セドルが悲しむよ」
「本当はもう、行きたくなんてないんですけど」
サバト国境が封鎖されていた以前と違い、今はオースティンに連絡を取る事が可能です。
自分の立場は、オースティン軍の落伍兵。
復帰が可能な状況になった以上、速やかに軍へ帰参しなければならないのです。
「大丈夫です。自分はどうせ、後方の衛生部勤務ですから」
「そう」
「戦争が終わったら、貴女とセドル君の下に帰ってきます。……どうか、もう少しだけ力を貸してくれませんか」
「はいはい、どうせ乗り掛かった舟さ。今更セドル坊を捨てるのも、後味が悪いしね」
こうして、自分が長い時間をかけて頼み込んだ結果。
アニータさんは何とか、オースティン行きを了承してくれたのでした。
「その代わり、ちゃんと金や住居は世話してくれよ?」
「ええ。セドル君の為にも、全力を尽くします」
自分はアニータさんの言葉に、力強く応じて見せました。
とは言いましても。
オースティンでの住居の確保は、正直なところ結構な難題でした。
アリアさんの力を借りる為には、最前線に行って彼女と面会せねばなりません。
しかし、セドル君やアニータさんを最前線に連れて行く訳にはいきません。
なので首都ウィンで宿を取って、住居が決まるまで滞在していただく予定でした。
問題は、自分の貯蓄だけで、いつまで宿を確保できるか分からないことです。
そもそも首都で、自分の貯蓄を下せるかどうかの保証もありません。
もしかしたら戦没者扱いで、口座を凍結されている可能性もあります。
だから正直なところ、行き当たりばったりな展開になると思われました。
「おい、トウリ。これを見てみろよ」
「……おや」
なるべく、不確かなプランでオースティンへ渡航したくありません。
なので自分は、色々とオースティンに渡ってからのプランを練っていたのですが……。
意外にも、これらの問題はすぐに解決する事になりました。
「サバトの経済特区を、オースティンに作るのですか?」
「どうやら、向こうが難民受け入れ政策を始めたらしい」
何と、オースティン政府からサバトに難民受け入れの提案があったのです。
これはレミさん達からしても、渡りに船でした。
「よくこんな時期に、大規模な難民の受け入れを企画したもんだね」
「戦争で人口が、大きく減ったからでしょうか」
「ああ、なるほど。むしろ今だからこそか」
大混乱だった1年を乗り越え、略奪がそこら中で勃発していたサバトでは、各地に難民が溢れていました。
しかしレミさんら臨時政府には、その全ての難民を食わせるだけの資金力はありません。
なので飢えた難民は暴走し、賊になり、ますます治安が悪くなっていったのです。
そこに目を付けたフォッグマンjrは、『慈善事業』と銘打って難民を受け入れる宣言を出しました。
その目的は、短期的に生産力を回復させる事でした。戦争で多くの国民を失ったオースティンにとって、難民は喉から手が出るほど欲しい『労働力』だったのです。
フォッグマンは彼らを軍事工場や食糧生産に利用しようと画策し、サバトにそんな打診をしたのです。
「サバトからの移民だけで、村を作るっぽいね」
「オースティン人と一緒にしない方が、衝突も少ないでしょう」
「違いない」
彼の気が利いたところは、移民を各地に散らさず固めて生活させたところです。
オースティン国民からしても、サバトはまだ憎い敵国民です。
普通の農村に混ぜてしまえば、様々なトラブルが起きてしまうでしょう。
なので、フォッグマンjrは経済特区という形で国民と移民を隔離したのです。
それでも、この経済特区は色々なトラブルの種になったのですが……。
今まで稼働できなかった工場を動かせるようになったり、荒廃した土地を再開発出来たりとオースティンにとってメリットは非常に大きかったでしょう。
こうして、1年ほどに及ぶ自分のサバトでの生活は終わりました。
もう、ロドリー君が死んで1年が経つのかと思うと時の流れの速さを感じます。
アニータさんはオースティン移民を志願して、その切符を勝ち取りました。
様々な審査を受け、何枚も念書を書かされたそうですが。
イリゴルさんなどにも声をかけてみましたが……、断られました。
……彼は故郷を、サバトを愛しているのだそうです。
そして自分は、落伍兵としてオースティン軍部にレミさんを通じて届け出ました。
政府の許可が下りれば、渡河させてもらえるそうです。
それから、3か月の月日が経ちました。
結局、タール川を渡る許可が下りたのは、夏に入ってからでした。
難民の受け入れには準備する事が多いようで、時間がかかってしまったようです。
この3か月の間、自分達は革命軍の指揮下で東方司令部の補修を手伝わされました。
セドル君やアニータさんと平和に生活できたこの3か月は、自分にとって癒される時間でした。
朝起きたら、自分の寝床にセドル君がくるまっている生活。まさに、夢のような時間です。
いつしか少年兵たちの怨嗟の声が聞こえなくなる程度には、落ち着いた日々を過ごせました。
革命軍の下での生活は、本当に悪くなかったのです。
政府軍とは違って治安維持に積極的ですし、食事の配給の回数も多かったです。
レミさんが心から、サバトを良くしようとしているのが伝わりました。
ただその方法に、思想に、問題があっただけなのです。
そして、日差しが照り付ける初夏の折。
とうとう、自分やアニータさんはオースティン入りを許可されました。
そして多くの監視の中、たくさんのサバト難民と一緒に船に乗ってオースティン領へと渡りました。
「さあ、貴様らはこっちへ来てくれ。新しい住居へ案内してやるぞ」
受け入れられた難民は、タール川沿いの『廃墟となった村落』に連れていかれました。
戦争の傷跡が生々しく残る農村で、畑や家屋は荒れ果てていましたが、その中央の広場には木材や食料などが山積みされていました。
そこで各人に家屋の補修や開墾、工場勤務など仕事が割り振られました。
「住居を建て直す時間は無かったが、物資は運搬しておいた。家は自分達で直してくれ」
「おー」
「今年は、難民村落に課税をしない。その代わり、しっかり仕事はしてもらうぞ」
アニータさんは診療業務を割り当てられ、難民村落の健康を預かる事になりました。
セドル君と共に大きめの家屋を割り当てられ、診療所として改装していくことになりました。
雨が降ると困るので、自分とアニータさんは真っ先に家の改修を始めました。
セドル君に風邪を引かせるわけにはいきません。
「役人さん。もっと木材と石材が欲しいんだが切り出しても良いのか」
「む、十分な物資は用意したと思ったが。何に使うんだ」
「そりゃあ、ヴァーニャだろ」
「何だそれは」
しかし何故かサバト難民達は、自宅の補修より先にヴァーニャの建造を始めました。
男達はせっせと木を組み、石材で炉を作って、ヴァーニャを組み上げてしまいました。
オースティンの役人さんの怪訝な目が印象的でした。
「それではアニータさん」
「もう行っちまうのかい」
自分は、アニータさん達の家を建て直すのを手伝った後。
翌日の昼に、首都へ向けて出発しました。
「自分は、兵士です。……軍には戦友が待っているんです」
「そうか」
「フラメールとの戦争さえ終われば、退役して戻ってくるつもりです。それまで、しばしのお別れです」
ここ数か月は、非常に幸せな時間でした。
可愛い盛りのセドル君と、平和な時間を堪能できました。
「トゥーちゃん……」
「また、会いましょうセドル君。自分は絶対、此処に戻ってきますので」
しかし、そんな甘えた時間はもうおしまいです。
自分は、オースティン軍の衛生兵。戦場で傷ついた戦友を治し、命を救う立場にいる人間です。
これ以上、この幸せに甘んじて助かる命を見捨てる訳にはいきません。
「最後に、ギュってして」
「ええ」
もう二度と会えないかもしれない、大事な子を抱きしめて。
自分は、何時までもぐずるセドル君のおでこにキスをしました。
「良い子で待っていてくださいね。アニータさんを困らせてはいけませんよ」
「うん」
「自分が戻った後、色々とお話を聞かせてください。楽しかったこと、辛かったこと、全部」
セドル君の泣き顔を、しっかり目に焼き付けた後。
自分は、彼が拾ってきたという小石をお守りにポケットに入れて、
「では、行ってきます」
戦友達が待つ、オースティン軍へと旅立ったのでした。
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