第111話
「よくやったな、ゴルスキィとその勇敢な部下たち」
味方に保護してもらった自分達は、すぐ衛生部に運ばれました。
そこでメディカルチェックを受けると、みんな思った以上にボロボロでした。
自分の撃たれたほっぺは小さな傷が残るそうですし、何本かの足指は凍傷で壊死しかかっていました。
片目を失った兵士もいますし、凍った足を切り落とすことになった兵もいました。
「貴様らは英雄だ、後日に表彰してやるぞ。……だから今日は休め」
「休め、ですか」
「勝利の立役者に対するご褒美だ。旨い酒と肉も用意させよう」
「やった!」
彼女はそう言って自分の、治したばかりの頬を優しく撫でました。どうやら休暇がもらえるようです。
この日のシルフは、いつになく優しい顔をしていました。
「一生ついていきますぜシルフ様!」
「今日は随分と、素直に喜ぶのだな。いつもはクソガキだの散々な言い草のくせに」
「口の悪いアイツは、もう雪原の奥に旅立っちまいましたから」
「……そうか。あの口が悪い男も逝ったのか」
そう呟くと、少しだけシルフは哀しそうな顔をして。
「阿呆もいなくなれば、寂しいものだ」
軍服を翻し、去っていきました。
「シルフ様も話が分かるじゃねぇか」
その日は、本当に休暇を貰えました。
「俺はこの後、どうなるんだろうなァ」
「片足じゃあ戦えねぇだろ。退役じゃねぇの」
更に部隊全員に、一瓶のヴォック酒と士官用の温かな食事を配給もされました。
民家の一角を借り受けた我々は、暖かな暖炉を囲みゆったりとした時間を過ごせました。
「お、机の引き出しにチョコレートが隠してあったぞ。この家主のものかな」
「食っちまえ食っちまえ、明日には死んじまうかもしれないんだ」
ゴルスキィさんを入れて、生き残った兵士は5名です。
そのうち片目を失った兵士と片足の無い兵士は、この後の戦闘に耐えられないでしょう。
ゴルスキィさんも防弾装備の部分に銃撃を受けて、肋骨を折っているそうです。全治一週間ほどだとか。
ゴルスキィ小隊は、暫く機能停止ですね。
「申し訳ありませんがグレシュ1等兵殿は、酒を飲まず安静にしてください。傷が開きますよ」
「えーっ!」
「完治してから飲めばいいじゃないですか。酒は無くなりません」
負傷したメンバーのアフターケアは、自分に割り振られました。
逆に言えばそれしか仕事は振られず、重傷な人は適当なソファに寝かせておきました。
「あの状況から生還できるとは、吾も悪運が強い」
「悪運ではありません。ゴルスキィさんの雷槍あってこそでした」
「何を言うトウリ、ほぼ貴様の功績だろう」
話しかける相手がいなかった自分は、ゴルスキィさんの傍に座りました。
ゴルスキィさん以外の人とは、テンションが違い過ぎて話しにくいのです。
「貴様は冷静だったな。誰よりも狂っているように見えて、誰よりも生きることに貪欲だった」
「そりゃあ、自分の帰還を待っている子がいますから」
「そうか」
流石の金色の英雄も、今日ばかりはくたびれた顔で無精髭を生やし、静かに酒を呷っていました。
彼には、相当な無茶を強いてしまいました。
「そういえば、吾にも居たな。帰りを待つ家族が」
「そうでしょう」
ゴルスキィさんがチビリと酒を飲むのに合わせ、自分も静かにヴォック酒を口に含みました。
非常に濃いお酒ですが、少しづつ口に含めばそう悪酔いはしないのです。
「……実は、シルフから密命があった」
「密命、ですか」
「トウリの提案は最大限採用しておけ、密書にそう書かれていた。シルフは、貴様を随分買っていたようだ」
「えっ」
ここで自分は、意外な事実を知りました。
ゴルスキィさんは、自分の提案を妙に採用してくれるなと思っていたのですが……。
「特に『窮地に陥った時は頼ってみろ』と書いてあった。正直なところ、まだ若い貴様の案を採用するのは不安だったが……」
「シルフが、どうして」
「その理由は、貴様自身が証明して見せただろう」
何とシルフは、自分の提案を採用する様な命令をゴルスキィさんに下していたのです。
「教えてくれ、貴様には何が見えていたんだ?」
「何が見えているか、と聞かれましても……」
彼女は一体、自分をどのように考えているのでしょうか。
妙に買われているなとは思っていましたが……。
「自分は死にたく、ありませんでした」
「そりゃあ、誰だってそうだろう」
「自分の帰りを待っている、セドル君の顔を曇らせたくありませんでした。どうすれば生き残れる可能性が高いかって、必死で考えました」
自分は、ただ臆病な小娘です。
この血と泥に塗れた場所で自分は、前世のFPSゲームみたいに百発百中のエイム力も画面内の敵を発見する技術も持っていません。
ただ、
「そしたら自分の中の誰かが、教えてくれたんです。『どうすれば、生き残る可能性が高いのか』を」
「幻聴か」
「そうかもしれません。そしていつも、自分の中の誰かの声に従えば、死なずに済むんです」
何となく「この先には破滅が待っている」という根拠の無い直感だけが、今の自分を支えてくれています。
「幻聴が聞こえる兵士は、たまにいる」
「そうなんですか」
「ストレスに耐えかねた者が、精神を分裂させることで心の安定を得るのだそうだ。心が壊れたから聞こえる幻聴ではなく、
自分の中から聞こえてくる声についてゴルスキィさんに話すと、彼は困ったように眉をひそめて、自分に教えてくれました。
戦場での、幻聴への向き合い方に。
「心が壊れた者の幻聴は、大体が呪詛だ。死んでいった仲間の恨み節や視線が、頭にこびりついて離れなくなる」
「……それは。自分も、経験があります」
「そうか。吾もある」
ゴルスキィさんも幻聴を聞いた事がある、と聞いて驚きました。
勝手に目の前の偉丈夫は、そんな心の葛藤とは無縁と思いましたが、
「長く戦場にいると、一度は聞くもんだ」
「……」
よく考えればゴルスキィさんにも新兵だった時代はある訳で。
その時に色々と経験を積んで、今の彼に至ったのです。
きっと、自分が悩んでいる葛藤などはすべて経験済なのでしょう。
「そういう兵士は休養を取らせるか、何かしらの強い意志で乗り切るしか治す方法はない」
「強い意志、ですか」
「ああ。吾にも、青臭い時期があったのだ」
ゴルスキィさんは苦笑いの顔でそう言って、恥じるように顔を背けました。
きっと彼は、強い意志でその幻聴を乗り切ったのでしょう。
自分が幻覚に苛まれた時は、ロドリー君に抱き着いて寝て治しましたっけ。
今思うと、ロドリー君が勘違いしても仕方ないようなことしていますね。
「しかしそれとは別に、自分の中にもう一人の人格があり、ソレが語り掛けて来るという幻聴を聞くものもいる」
「……はい」
「この場合も同様に、休養を取らせるケースが多いのだが……。これが、なかなか治らない」
ゴルスキィさんは、そう話を続けました。
……彼が言っているのはきっと、2重人格症と呼ばれるモノなのでしょうか。
「戦争神経症の一つらしい。兵士が戦場のストレスに耐えかねた際、もう一つ人格を作り出し精神の安定を図るのだと、知り合いの衛生兵は言っていた」
「もう一つの人格、ですか?」
「そうだ。その場合、作られる人格は『戦場に適応した自分』が多い。戦場の死や暴力に恐怖を覚えず、どんな時も冷静に行動でき、やがては戦場を楽しみ始める」
そう言った人格に体を任せた方が、心が楽になるからな。
ゴルスキィさんはそう言って、心配げに自分を見つめました。
「トウリよ。その『声』とやらが聞こえてきたのはいつからだ? 戦争に参加してからか?」
「はい、そうです」
そう言えば自分の中で誰かの声が初めて聞こえたのは、確かゴムージと共にマシュデールの市街地を突破した時でしたっけ。
あの時も、確か自分は窮地に立たされていました。
「……無理をせず、ゆっくり思い返して欲しいのだが。トウリ、貴様の心の内から聞こえてくるという声は」
「はい」
「戦場に適応した自分の声だと、そう感じたことは無いか」
そしてゴルスキィさんは言葉を選びつつ、真剣な目で、
「そしてトウリ。貴様は今、自分が正気であると断言できるか?」
そう、聞いてきました。
自分のもう一つの、人格。
戦場という異常なストレスに暴露された状況下で、精神を安定させるために生まれたもう一人の自分。
その説明は、これ以上無くすっと自分の中に受け入れられました。
「そう、でしたか」
自分は、精神の弱い小娘です。
殴られるのは嫌ですし、戦友を失うのは怖いですし、自分が死ぬのなんて考えたくもありません。
だから、自分が死ぬかもしれない状況になると、パニックを起こしていたのです。
「トウリ、どうした」
「いえ。とても、納得のいく話をありがとうございます」
自分がパニックを起こしてしまった時。自分は、前世の栄光を頼ったのでしょう。
FPSで世界覇者になったという、前世の自分の誇れる唯一の記憶。
常に冷静で、どんな苦境からでも逆転して見せた、天才ゲーマーとしての『人格』。
「自分は、自分が思っていた以上に、心が弱かったみたいです」
自分は前々から、窮地に陥ると妙に冷静になりました。
大事な人を失った悲しみや、死んでしまうかもしれないという恐怖から解放され、どこまでも冷静沈着に行動をすることが出来ました。
それは自分が戦争に慣れていたからではなく、弱すぎる自分が作り出した虚栄の人格に切り替わっていたのでしょう。
戦場のストレスに耐える為に。そして、冷静に生き残る手段を見つけ出す為に。
「ありがとうございます、ゴルスキィさん。一つ、自分を知れました」
「そうか。……それで、大丈夫なのか」
「ええ、大丈夫です。自分は正気です」
なんてことはありません。自分は心の防衛反応として、落ち着いて冷静に行動できる人格を心のうちに飼っていただけです。
そして土壇場において、冷静になれるメリットは非常に大きい。
それがたとえ、苦境に在ってなお『ゲームのように戦場を楽しむ』ような変態人格であっても。
「きっと今は、アレが正気なんです」
すぐにパニックを引き起こすような、脆い
「そうか。では精神に不調があれば、すぐ申告しろ」
「了解です、ゴルスキィ小隊長」
「ソレは、今はとても有用に感じるかもしれないが……。全てが終わって平和になってから、ゆっくり貴様に牙を剥くやもしれん。あまり頼りすぎるな」
ゴルスキィさんはそう言って、大きな掌で自分の頭をワシャワシャと撫でました。
まるで、泣く子をあやすときのように、乱暴に。
その日の攻勢は、夜まで続きました。
我々サバト連邦政府軍は速やかに首都の東区画を占拠し、市街に防衛網を構築したそうです。
「川上からソリで滑って市街地を奇襲した部隊と、単独で敵塹壕を突破したゴルスキィ小隊の面々に、勲功第一として褒賞を与える」
このヨゼグラード侵攻の勝利の立役者となったのは、命を顧みず特攻して後方をかく乱した奇襲部隊と、塹壕を正面突破して大いにかく乱した我々と言う事になりました。
サバト兵の中でゴルスキィさんの凄まじさが改めて周知され、部隊が再編される折にゴルスキィ小隊へ所属の希望が殺到したそうです。
いっそゴルスキィさんを中隊長格に格上げしようという動きもあったのですが、
「中隊長になると、後方で指揮を執る事になる。ゴルスキィを最前線で用いないのは勿体ない」
と、結局ゴルスキィさんに与えられたのは増強小隊のままでした。
最前線で突っ込むのは小隊長まで。中隊長にもなると戦死した場合の指揮系統の乱れが甚大なので、最前線に立つわけにはいかないのです。
「要は、いつ死んでも構わんという扱いよ。突撃兵とはそう言うものだ」
ゴルスキィさんはその扱いに不満は言わず、「後ろでアレコレ指示を出すのは性に合わん」と言って笑いました。
勇敢なゴルスキィさんが最前線を走ってくれるからこそ、我々も安心して付いて行けるのです。
「ここだけの話な。吾は負傷退役でオセロ村に戻った事を後悔していたのだ」
「それは、どういう理由ですか」
「吾には何もなかったんだ。家族も、村の友人も、皆が吾を尊重して慮ってくれた。だけど、ただむなしかった」
彼はヴォック酒を飲んだ時、自分にそう愚痴りました。
「仲間が逝った戦場こそ、吾の死に場所だ。そう決めていたのに1人安穏とした村に帰って、ポッカリと胸に穴が空いたようだった」
「……」
「戦場に適応するという事は、戦場に死を求めるという事だ。戦場に慣れすぎるなよトウリ。お前はまだ、死を求めるには若すぎる」
「……はい」
「吾が今まで、どれほどの人間を殺してきたと思う。そんな人殺しが、安穏とした生活を送る裏切りを誰が認める。この世の誰が許そうと、この吾が許さんのだ」
その言葉を聞いて。
自分はかつてガーバック小隊長が、これ以上無く嬉しそうに『殿』を買って出た理由の一端を理解した気持ちになりました。
「突撃兵は、戦場の死でしか救われない。ベッドの上で大往生など、夢物語でしかない」
ゴルスキィさんは獅子のように勇敢で、象のように優しく繊細な男でした。
彼はとっくに死を受け入れて、兵士である事に殉じていたのでしょう。
ガーバック小隊長が同じような事を考えていたかは知りませんが、
「ではゴルスキィ小隊長。貴方はベッドの上で死ぬのではなく、仲間の為に戦い殉職する事こそが突撃兵の救いだと、そうおっしゃるのですか」
「その通りだ」
彼の言う事が本当なら、ガーバック小隊長はこの上なく救われていたと。
そう、考えても良いのかもしれません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます