第112話
「もうすぐ勝つらしいぞ、俺ら」
暖かな家屋で、ゆったりと休暇を過ごした日の夜。
自分達は周囲を哨戒する兵士から、そんな噂を聞きました。
「今日で既に、首都の半分を掌握したんだとさ」
「そりゃ有難いね。早く故郷に帰ってヴァーニャを浴びたいよ、俺ぁ」
その噂によると、我々の勝勢はほぼ決したようでした。
敵将トルーキーは、こんなに急に市街戦へ持ち込まれると考えていなかったのでしょう。
市街地内の敵の防衛網は、驚くほど薄かったみたいです。
「敵の占領下にあった市民も、どんどん解放していってるそうだ」
「反抗的だけどな。奴ら、俺達に感謝するどころか怨んでるぞ」
トルーキーは首都ヨゼグラードを囲むように、何重も塹壕を用意していました。
その塹壕の造りは強固で頑丈でしたが、逆に言えばそれだけしか準備する時間は無かったのです。
こちらが物資を準備する時間が無かったように、労働者議会も万全の備えをする時間はありませんでした。
サバト高官に急かされ電撃的に奇襲したメリットが、ようやく出た形です。
「ま、敵テロリストを追い出せば市民も大人しくなるだろ」
「出来ればさっさと、戦闘を終わらせたいね」
労働者議会側は絶対に、塹壕を突破されてはいけませんでした。
彼らの被害は、大事な防衛網を丸ごと失った
我々は暖かな寝床を確保出来てしまったので、時間稼ぎされても困らなくなりました。
ただ塹壕を守るだけで我々が自滅する、労働者議会にとってのボーナスタイムは終わってしまったのです。
「……うーん」
「どうした、オースちゃん」
「いえ、何だかイヤな予感がしまして」
それはあまりにも都合の良すぎる、トントン拍子での成功でした。
自分たちが死ぬ思いで敵中を突破したからこその、この成功だと言われればそこまでなのですが……。
「何だか上手く行きすぎている気がします」
「上手く行っているなら良いじゃねぇか」
「いや、トウリは正しいぞ。好時こそ災いありという。上手く行っている時こそ警戒を強めねばならん」
敵の参謀本部は今頃、顔を真っ青にして頭を抱えている事でしょう。
我々の勝利は目前。何なら、降伏や逃走を視野に入れているかもしれません。
そんな圧倒的に有利な状況だというのに。自分は何となく、この状況すら『誰かの掌で踊らされている』ような予感がしたのです。
これが考えすぎなら、それに越したことはありません。しかしなるべく油断せず、冷静に任務に就きましょう。
そう心に決めて、自分はブリーフィングに臨みました。
「ははは、心配などいらんよトウリ。もう勝ち戦だ」
「今の状況が、敵の狙い通りという事はないですか」
「ありえん」
その日の晩、シルフは自分達の滞在する家屋に戻ってきて、ささやかな宴会を開きました。
後日、ゴルスキィさんは小隊を代表して表彰されることになるそうです。
「確かに、敢えて敵を街内に誘い込んで包囲するという作戦もあるだろう」
「はい」
「だが、そんな作戦を実行するより塹壕を守り続けた方が強かろうな」
その席で、自分は酔っぱらったシルフに捕まりました。
彼女はご機嫌で、チェス盤を開いて自分に相手をさせました。
「むしろ、敵が市街地を囮にするような連中なら与しやすい。せっかく得ている民衆の支持を失いかねん、愚かな策だ」
「……それは、確かに」
「まぁ、苦し紛れにその策へ切り替えてくる可能性はあるだろう。この私が、引き込んでの包囲などという稚拙な策に引っかかる筈はないが」
彼女は、もう勝利したかのような言い草でヴォック酒を飲んでいました。
眉間にシワが寄っていないシルフを見たのは、初めてかもしれません。
「トウリ。この戦いに勝利すれば、貴様はゴールだ。約束通り、それなりの家と財産を用意してやる。思う存分、子を愛でて育てるといい」
「ありがとうございます」
「……だが私にとっては、この戦いに勝利する事がゴールではない。スタートラインに立つだけだ」
そう断言するシルフは、やはり嬉しそうに見えました。
流石の彼女も、完全勝利を前にすれば浮かれるのでしょうか。
いえ、どちらかと言えば「もう殺さずに済む」ことを喜んでいるのかもしれません。
「ここまでは、何とかなった。まぎれもなく貴様のお陰だ、礼を言う」
「……いえ」
「ここからは、私が。出来る事を、成していかねばならん」
シルフは酒で頬を赤らめながら、何かを思い白い息を吐きました。
「やっと、やっとこの馬鹿げた戦いを終わりに出来る。もう誰も、殺さずに済む。私達が愛した平和は目の前だ」
「はい」
「明日、最後の決戦を行う。ゴルスキィ小隊の再編も、手配してある」
「最後、ですか」
「ああ。負傷している所悪いが、ゴルスキィにもひと頑張りしてもらう。もう少しだけ、私に力を貸してくれトウリ」
「……はい」
シルフは、自分のその肯定の返事に、心底嬉しそうな笑みを浮かべました。
翌日。
我々は手痛く負けました。
「……」
どうやら敵は、一夜漬けで市街地内に我々に対する布陣を構築したようでした。
まだ未完成ながら、敵はしっかり防衛網を敷いていたのです。
だというのに、昨日の勢いのままブレイク将軍は勝てると踏んだのでしょう。
彼は自信満々で、無策での正面突撃を命令しました。
そして当たり前のように、防衛側の有利を押し付けられて散々に負けました。
「あー、その、なんだ」
しかし、ブレイク将軍がそんな指揮をするのはシルフの想定通りでした。
彼ならやりかねないと予測していたそうです。
なのでシルフは勝つために、ブレイク将軍から別行動を取る許可を得ていました。
その別行動とは─────、敵ゲリラ部隊陣地への奇襲です。
「……シルフ様、もう勝ったようなものって昨日言ってませんでしたっけ」
「あー」
労働者議会勢力は、市街内に潜伏してゲリラ作戦を敢行していました。
街のそこら中に小規模の部隊が隠れ、我々に不意打ちで襲い掛かってきたのです。
隠れる場所の多い市街地では、これが実に効果的でした。
守りの得意なトルーキー将軍らしい、王道で効果的な防御策と言えるでしょう。
「……ごめんなさい」
その情報を聞いたシルフは、ゲリラ部隊を叩かないと凄まじい被害が出ると判断しました。
しかし、そこら中に潜伏するゲリラ部隊を一掃するのは困難です。
なのでシルフは、そのゲリラ部隊の補給線を狙いました。
敵のゲリラ部隊の前線補給拠点となっているであろう場所を予測し、そこを襲撃しようとしたのです。
そこまでは、良かったのですが。
「完全に読まれていたな」
「死ぬかと思った……」
「何が勝ち戦だ、くそったれ」
その奇襲は、完全に読まれておりました。
意気揚々と突撃した敵陣地は空っぽで、踏み込んだ直後に四方八方から銃撃を受けました。
「ゴルスキィ。トウリ。すまん、本当に助かった」
「いえ」
嫌な予感がしていたので、自分はシルフに『負傷中だから』と頼んでゴルスキィ小隊を後方確保する役目にしてもらっていました。
そのお陰で、囲まれた瞬間にゴルスキィさんが包囲の穴をあけ、脱出路を確保出来ました。
ゴルスキィさんが居なければ、本当に全滅もあり得ました。
「流石に、舐めすぎていた。何たる、何たる無知蒙昧」
……とまぁ、これもシルフの悪癖というか、弱点と言えました。
若い彼女の提案する作戦は、全てが期待値で計算されていたのです。
「……ここに補給拠点があって、叩けていたら戦闘が終わっていたんだ」
「ここには無かったっすケドね」
シルフは常に、その時に考え付く中で一番期待値の高い作戦を選択していました。
多少リスクが有ろうと、成功した時のリターンが大きければ採択してしまうのです。
彼女はそんな指揮官だったので殆どの戦闘で圧勝するのですが、運が悪いとあっさり負けてしまう事もありました。
それは、父親ブルスタフが危惧していた『シルフ・ノーヴァの危うさ』と言えました。
「まったく、独り善がりも勘弁してくれよ」
「やっぱりガキが指揮官じゃあダメだな」
「……」
もっと安全な攻め手が有ろうと『博打的だがより有効な』手を選択してしまう。
それは彼女なりの、少しでも無駄な被害を減らしたいがための選択でした。
戦闘が長引けば長引くほど、市民から略奪し続けねばならないのですから。
「シルフ様……」
「……」
しかし、負ければ元も子もありません。
これは若いシルフにとって初めての、「自らのせいで、被害が増えた」経験だったみたいです。
「素直に、ブレイク将軍と肩を並べて進めばよかったのに」
「それはそれで凄い被害が出たんじゃねぇか」
天才にも失敗はある。しかし、兵士にはそれが分かりません。
シルフは兵士達のボヤキを、唇を噛みしめて聞いていました。
実際のところ。
ここまでシルフに連敗してはいましたが、敵指揮官トルーキーは決して無能な指揮官ではなかったのです。
サバト軍が奇襲策を繰り返してきたので、今度も何かしら奇襲策があると読んでいたのでしょう。
奇策繰り返すべからず、兵法の基本です。
そんな事を忘れてしまうくらいには、いつの間にかシルフ自身も、敵を舐めてかかってしまっていたのです。
「……少し、新しい策を考える。時間をくれ」
シルフ・ノーヴァはそう言って。
あわや壊滅かという危機から脱した日、早々に司令部に戻っていってしまいました。
そしてこの日から再び、戦線は膠着しました。
度重なる連勝で我々の勝勢は決したかと思われましたが、想像以上に敵の士気は高いままでした。
そもそも我々は連勝を重ねてはいますが、まだ超不利な戦いだったのを奇策を弄して五分の条件に戻しただけ。
勢いのまま無策で戦いを挑んで、勝てる筈はないのです。
「……はぁ」
せっかくヨゼグラードに入った我々でしたが、地獄は続いていました。
いいえ、ある意味でここからが真の地獄だったかもしれません。
「流石に敵は良将だ。攻める隙が、まったく見つからん……」
頼みの綱のシルフ・ノーヴァも、とうとう策は出し尽くしてしまったようでした。
いくつかの作戦を立案したのですが、その全てがもうトルーキー将軍に対策されていました。
奇襲に用いられるような地下路、裏路などは全て兵が配置されており。
余すところなく魔法罠が用意されているようで、迂闊に急襲すれば部隊は黒焦げになり。
これ以上街を荒らされてなるものかと、敵の兵士は士気高らかに我々を迎撃し続けました。
トルーキー将軍が指揮を執り続ける限り、シルフは奇策に頼らず正面突破するほか無かったそうです。
そんな訳で、ここから市街地内で長い長い睨みあいが始まることになるのですが……。
「なぁオースちゃん、ちょっと負傷者を見てやってくれないか」
「どうかしたんですか」
確かに市街地を占拠できたことにより、我々は寝床で凍えることは無くなりました。
しかしその占拠した家屋は、元々は誰か市民の所有物です。
我々は誰かの家や財産を奪って、暖かな暮らしをしていたのです。
多くの市民が『家屋を借り受ける』という名目で家を追い出され、市民会館など大きな収容施設に移動させられました。
中には運が悪く、宿泊場所がないので野宿を強いられるケースもありました。
……それらは、想像を絶するほど市民の恨みを買う行為でした。
「市内を哨戒していたら、石が飛んできて頭を怪我したんだ」
「俺は息子を返せって、老婆に切りかかられた。結構パックリいっちまったよ」
「……」
労働者議会はヨゼグラード市民の殆どを味方につけていたため、市街地内で抵抗が相次ぎました。
資産家から分捕った資源を使って食料を
どちらが歓迎されるかなんて、火を見るより明らかでした。
「老婆を撃ち殺したら、市民共から凄い目で見られたよ。放っておけば俺が殺されたかもしれねぇのに」
「あーあ、迂闊に市街も歩けんよ。俺の故郷だってのに」
我々は、侵略者でした。
労働者議会が国を変えようとしているのに、それを邪魔して略奪を繰り返しているのです。
そんなサバト軍に、味方なんていません。我々の命懸けの戦いを、称える人など誰も居ません。
「……何のために戦っているのかね。俺らぁ」
最初は市民に配慮していた兵士達も、そんな度重なる嫌がらせに辟易とし始めました。
誰の為に俺達は命懸けで戦っているのか。
地獄の行軍をして此処に来た我々が、何故ヌクヌクと生活していた市民に嫌がらせされないといけないのか。
そんな感情が芽生えるのに、あまり時間はかかりませんでした。
ある日、自分達ゴルスキィ小隊が市内を哨戒していると、家屋の前でトラブルがありました。
「やめろ! 私たちはお前らなんか必要としていない! 何故放っておいてくれないんだ!」
どうやら若い女性の市民が、サバト兵に囲まれている様子でした。
彼女は瞳を怒りに染め、キッチンナイフを片手に握り、恐怖に頬を引き攣らせ叫んでいました。
「……出ていけ! ヨゼグラードから出て行ってくれ! ここにはあんたらに食わせる飯も、酒も無い!」
その女性の前には、肩から血を流している兵士が立っていました。
どうやら兵士は、女性から抵抗を受けて刺されてしまったようでした。
「言いたいことはそれだけか」
「市民に銃を向けるのか! このクソッタレ共!」
「先にナイフを向けたのはお前だ、この
恐らくその兵士は、軍の命令で民家から略奪を行っていたのでしょう。
その結果、家人の女性に切りかかられたのです。
もちろん、その女性の家族は皆殺しにされました。
兵士に手を挙げて、無事に済ませる訳にはいかないのです。
ただ同情すべきは、この家は既に別部隊から略奪を受けていたようでした。
一家を惨殺した後、兵士が家に残っていた食料を調べたところ、数個の缶詰だけしか残ってなかったそうです。
「この家屋も、明日から駐屯所として使える。司令部に報告しろ」
「了解です」
その家には、子供が3人もおりました。
母親はこれ以上食料を持っていかれたら、子供たちが餓死してしまうと思ったのでしょう。
なので、徴発に来た兵士に対しナイフで切りかかって抵抗したのです。
その一家の遺体は、路傍に放置されました。
極寒の中わざわざ体力を使って、彼女たちを埋葬する兵士はいません。
なのでしばらく、大通りの路傍に遺体が転がり続けることになりました。
子供の遺体が、3つ積まれます。
そのうち最も幼い子は、セドル君と同じくらいの背丈でした。4-5歳と言ったところでしょうか。
そのご遺体はやがて雪に埋もれ、道に大きな凸を形成しました。
極寒の中で、遺体は腐敗しません。
微生物が活動しないので、ただ皮膚の水分が凍り付くだけです。
「……う、ぅ」
見るに堪えず、ある日自分はスコップを借りて埋葬してやろうと思いました。
哨戒を終えた帰り道、自分は小隊の仲間を誘ってその遺体に近づきました。
「うわ、これ子供か」
「雪中で死ぬとこうなるのか」
雪に包まれたあどけない童顔は、老人のように皺が増えていました。
目は半開きのまま、何故か笑っているような表情で、うつ伏せに凍り付いて死んでいました。
「……ああ」
凍死体は奇麗と聞きますが、皮膚の水分が凍り付くせいで小さな皺が出来るみたいです。
凍り付いているため遺体は固く冷たく、その子を抱き上げたときは鉄塊を持っているかのように錯覚しました。
「オースちゃん、落ち着けよ」
「泣くなら室内に戻れ、涙も凍るから」
「ずみ、ません。この子がセドル君だったら、と、思うと」
「はいはい、いったん撤収しよう。オースちゃんが無理だ、これ」
その、幼い子の笑ったような表情がセドル君に似ている事に気付いたら、もう駄目でした。
吐き気と哀しさで胸いっぱいになり、とても埋葬を続ける気持ちになりませんでした。
この時そこら中で、サバト政府軍による市民の虐殺は行われ続けました。
サバト軍の兵士とて、市民を殺したくて殺した訳ではありません。同胞の、故郷の住民を誰が好んで殺すでしょうか。
しかし、自らに刃を向けた市民を見過ごすと戦友が殺されるかもしれないのです。
ブレイク将軍からの「抵抗する市民は賊とみなし、見せしめに殺せ」という命令もあり、反抗した市民は殺すしかなかったのです。
この年の春に、雪が解けた大通りを行くと。
無数の銃殺遺体がヨゼグラードの至る所に姿を見せ、その凄惨な様子を様々な画家が記録しました。
大通りに横たわる色が蒼白く変色し始めた無数の遺体の、大半は衣類を剥ぎ取られ裸でした。
家を焼かれたり、野宿を強いられた者たちが生きるために衣服を奪ったのです。
服を着た遺体の大半は、家の中で餓死して死んだ者ばかりでした。
家族同士で食い合ったのか、四肢の欠損した遺体もありました。
見せしめとして処刑されたものは、街木に吊られその遺体を晒されていました。
彼らには激しい暴行の痕跡が残されており、彼らの末期の苦痛が窺えました。
その光景はまるで宗教画のようで、しかし現実に起こってしまった、気が遠くなるように哀しい光景でした。
持っていた家や食料は略奪され、反抗すれば銃殺され、従順であれば餓死をする。
この年のヨゼグラード市民は、間違いなく地獄だったでしょう。
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