第87話


 自分が他人を殺したのは、これで二度目でした。


 普段の自分なら、人を殺してしまった自責の念に囚われてしばらく呆然としていたことでしょう。


 しかしこの時の自分は冷静なまま、セドル君の手を引いて玄関に向かいました。



 ……これは良い事なのか悪い事なのか、自分は鉄火場で肝が据わる性質のようです。


 ラキャさんを戦死させてしまった時も、撤退作戦の間だけは至って冷静だったのを覚えています。


 命の危機に晒された時だけ、いったん感情を捨て置いて行動できるみたいです。



 実はこういう性質の兵士は珍しくありません。


 アレンさんやロドリー君も平時こそ気さくで騒がしいですが、戦闘中は冷静になるタイプでした。


 冷静さを失ってしまう人は戦死してしまい、前線ではそういう兵士しか残らないからでしょう。


 そういえば前世の「ゲーム」でも、自分は窮地に陥ってなお冷静なのが売りと言われていましたっけ。


「……トゥーちゃん」

「大丈夫ですよ、セド君」


 この時の自分も、何かのスイッチが入った様に冷静でした。


 セドル君の命を最優先に、村から安全に脱出することだけを考えていました。


 ゴムージ夫妻が死んだ事も置いて、冷静に周囲の索敵を始めていました。


「今から絶対に、一言もしゃべってはいけません。お口にチャックです」

「ん……」


 外の様子を窺うと、10mほど西から4名の敵がこの家に歩いてきていました。


 目的は、銃声が響いたこの家の調査でしょう。


 このままでは見つかってしまいます。


「しっかり掴まってくださいね」

「ん」


 自分は賊から奪った小銃を脇に挟み、セドル君を抱きあげました。


 銃は弾を装填して、後は引き金を引くだけにしています。


「おい、銃声が何度も響いたが何があった」



 家の外から、男の声が聞こえてきました。


 4対1で撃ちあえば、自分が蜂の巣にされるだけでしょう。


 それに、サバト小銃の装弾数は最大5発と聞いていますが、フル装弾されているとは限りません。


 基本的に、無駄な戦いは避けるべきです。



「おい、入るぞ」



 自分はセドル君を左手に抱いたまま、家の裏口から脱出しました。


 後はこのまま、誰にも見つからず村の外まで走って逃げるだけです。



「……ゲッ! おい、殺されてやがるぞ!」

「警戒しろ、家の中に潜んでるかもしれん」



 セドル君を抱きながら、自分は家の外壁伝いに玄関の方の様子をうかがいました。


 玄関前の通りにはチラホラ、哨戒している賊が歩いていました。


 正面から家の外に飛び出したら、すぐ見つかりますね。


 そうなれば子供を抱えている自分が、追いかけっこで勝てるはずありません。


「家の周囲も探せ。見つけ次第撃ち殺せ」


 一方、家の後ろ側は錆びた鉄製の扉で施錠されています。


 内側から手動で鍵を開けられるのですが、大きな金属音を立ててしまうので出来れば使いたくありません。


 ……誰も近くに居ないタイミングで、裏扉を飛び越してしまうのが良いでしょうか。


 だとすれば何かで気を引いて、その隙に脱出したいのですが……。



「ヒヒーン」

「あっ」



 そこでふと、自分はこの家にある馬小屋の事を思い出しました。


 ゴムージがオースティンで購入した、行商のための馬です。


「……」


 ゴムージは苦労して、この馬をサバトに密輸しました。


 この国で、馬はそれなりに高価な財産です。


「力を借ります、馬さん」


 残念ながら自分に騎馬技術はないので、彼らに乗ることは出来ません。


 そもそも自分の身長では、一人で乗ることは困難です。


 ドラマのように格好良く、馬に乗って脱出などは難しいでしょう。


 ……しかし、馬を逃がして賊の気を引くことはできます。


「それ、お元気で」


 そう自分が扉をあけ放った瞬間、馬はすさまじい勢いで逃げ出していきました。


 どうやら銃声が轟いていたせいで、馬は恐慌状態に陥っていたようですね。


 馬は駆蹄音も高らかに、玄関から村の外に出ていってしまいました。



「うおっ! 馬だ!!」

「おい、撃つな! 捕まえろ」



 温暖なオースティンと違い、冬国のサバトでは牛の畜産がメインです。


 この国での馬は希少価値が高いので、出来るだけ逃がしたくないでしょう。


「畜生、一体誰が────」


 よし、これで気を引いている間に脱出を……。



「あぁーっ!! トゥーちゃん、逃がしちゃダメだよ!!」

「……」

「パパ困るよ!」


 ……ゴムージが大切にしていた馬を逃がした事で、ずっと黙っていたセドル君が大声をあげてしまいました。


「あ、ガキが二人外に出てる」

「銃を持ってるぞ! 殺せ!」


 その声に反応して、ゾロゾロと男たちが集まってきます。


 先にセドル君に、作戦の内容を伝えておくべきでしたか。








「……【盾】っ!」


 まもなく4人の男が家から飛び出てきて、逃げる自分に銃弾を放ちました。


 死を覚悟しつつ【盾】で応戦しましたが、幸いにも一発も掠らずに済みました。


 結構、敵の狙いエイムは雑ですね。


「追え、逃がすな! 銃を持ってる、何をされるか分からん」


 自分はやけくそで大きな音を立てながら、裏口の扉を開け放って逃げ出しました。


 セドル君を背負った自分を、4人の男が追いかけてきています。


 向こうの方が足が速く、いつか追いつかれてしまいそうです。


「トゥーちゃん、喋ってごめんなさい」

「大丈夫、でも次は気を付けてくださいね」


 セドル君は怯えた声で、自分の背にしがみつき泣いていました。


 背後から、銃を構える気配を感じます。

 

 このままだと、弾がセドル君に当たってしまう可能性があります。


「……」


 どこか、撃ちあいに適した場所は無いでしょうか。塹壕のように、身を隠しながら敵と戦える場所。


「……セド君、もうすぐ飛び降りますのでしっかり掴まっていてくださいね」

「あい」


 少し臭いですが、下水の中を塹壕のように走り回って応戦するのが良いでしょう。


 この村では道沿いに、深さ1mほどの排水路が設置されています。


 汚水を流す水路ですが、自分のサイズ的に丁度良い塹壕になりそうです。



「……よし、回り込んだぞガキ!」

「うっ」



 しかし敵も、そう都合よく逃がしてはくれませんでした。


 自分が逃げ込んだ角の陰から、大柄な肥満男性がヌッと姿を現したのです。


 角待ち、まずい、初弾は避けきれません。


 すぐに飛んで致命傷を避けつつ、振り向き撃ちで応射カウンターを─────


「さぁ、おとなしくしろ」

「え?」


 タァン! と、軽快な銃声が1発だけ路上に響きました。


 火を噴いたのは自分の小銃だけで、肥満男は茫然と撃たれた首元を見つめた後、血を噴き出して倒れました。


「ああ、フリードが撃ち殺された!」

「あのガキィ!!」


 どうしてこの人は撃たずに話しかけてきたのでしょうか。


 ……少し罪悪感を感じましたが、今は考えないようにしましょう。




 これで、自分が使用した銃弾は3発。残り最大装弾数は2発です。


 少し遠回りして肥満男の銃を回収していきたいですが、敵が近づいてるので諦めました。


 遠回りしてる余裕はありません。そもそも、普通に下水に飛び込む前に追いつかれそうな状況です。



 ───状況を整理。


 現在の確認できる敵の気配は、背後から3人。


 次の目的地は、向いの通りにある下水。


 しかし途中で囲まれそうなので、ちょっと時間稼ぎをしたい。



「……畜生、あのガキ撃ってきやがった!!」

「隠れろ!」



 即座に自分は背面走りバックランに切り替え、後ろを向いて敵を威嚇射撃しました。


 練習していない撃ち方なので外してしまいましたが、それは構いません。


 一瞬でも敵に身を隠させ、逃げる時間を稼ぐのが目的です。


 貴重な弾ですが、包囲されるよりマシなので仕方ありません。


「トゥーちゃん、怖い!」

「後でギュってしてあげます! ちょっと我慢してください」


 自分の威嚇射撃を見て、敵は民家の角に身を隠し応射してきました。


 自分はその反撃にしっかりと【盾】を展開し身を守りつつ、セドル君を背負いなおして走ります。


 ……どうやら敵は軍人ではなく、素人ですね。銃の狙いが粗すぎます。


 先ほどから敵の銃弾が、自分の【盾】にすら掠っていません。


 これで悠々、下水に飛び込む時間は稼げそうです───



「運が悪かったな小娘」

「───あ」



 敵が排莢する隙を逃さず、自分は下水を目指して全力疾走しました。


 あの中に飛び込めさえすれば、得意の塹壕戦に持ち込めます。


 銃弾は心許ありませんが、下水の中を逃げ回れば村の外に脱出も可能でしょう。


 そう考えた折でした。



「あばよ」



 下水の中に潜んでいた「敵」が、自分に向けて真っすぐ銃を放ったのは。



 その敵はこの村では見覚えのない、壮年の痩せた男性でした。


 彼はギリギリまで身を隠し、下水から頭を出した一瞬で狙いを定め、自分に容赦なく撃ってきたのです。


 ……それは、素人ではなく軍人プロの動き。



「───【盾】」



 考えるより先に、反射的に体が動いていました。


 ザーフクァさんの訓練で体で覚えさせられた通り、自分は銃口を向けられた瞬間に【盾】を展開し、大きく前屈します。


 しかし、それは悪手でした。


 敵のエイムが良すぎて、【盾】で弾いても弾が逸れそうにないのです。


 【盾】の中心に飛んできた銃弾は、そのまま直進します。


 銃を向けられた瞬間に、横っ飛びして躱すべきでした。



「……」

「トゥーちゃ────」



 バリンと、無情にも自分の【盾】は即座に砕けました。


 銃弾は何処にも逸れず、真っすぐ自分の額に吸い込まれてきます。


 あの軍人崩れは、きっと自分が下水を目指している事に気付いたのでしょう。


 そして背面走りしていた自分の死角を突いて、先回りし待ち伏せたのです。



 なんと、理不尽な死。しかし、これは予想していなかった自分の落ち度です。


 いかに敵を理不尽に殺すことが出来るか。それが、あのゲームの「上手さ」だったのですから───



「……死」



 走馬灯。


 時の流れがゆっくりになり、世界が真っ暗になりかける中で。



「……死、ね」



 自分の右手が、何かを掴みました。


 それは、黒い鉄の、筒です。


 その鉄筒は冷たくも、気持ちは暖かいゴムージからの贈り物。



「……まだ、死ねません!!」



 無我夢中だったと言っていいでしょう。


 セドル君を守らねば、そんな思いでこの間習ったばかりの宴会芸を反芻しました。



 ────真っ直ぐ、鉄の筒を自分の正面に斬り上げます。



 ゴムージから受け取った命は、まだ燃やさねばなりません。


 セドル君を逃がすため、自分は絶命するワケにはいきません。


 彼は、自分の命の恩人の忘れ形見なのです。




 ───直後、甲高い音が頭上で炸裂しました。




 ジーンと鈍い痛みが、振り上げた右腕に響きます。


 轟音で鼓膜がしびれ、硝煙の香りが鼻につきました。


 そして背中のセドル君が大声で泣き叫び、前で誰かが息を呑む音が聞こえてきました。



「嘘だろ、斬っ────」

「あああァァ!!」



 前傾姿勢をとっていた自分は、そのまま大地を踏みしめて下水へと突撃しました。


 2発目を撃たせるわけにはいきません。次はきっと、防げません。


「こ、このガキっ!」

「セド君に、銃を向けないでください!」


 男のボルトハンドルを引く動きは滑らかで、熟練者のソレでした。


 間違いなく、元軍人。


 ……そう確信した自分は、咄嗟に鉄筒を下水の中に投げ込みました。


 カラン、と乾いた鉄音が下水に響きます。



「……ひぃ!?」



 男は即座に、その場から跳躍して下水に伏せました。


 そう。塹壕戦を経験したものであれば、それは絶対に知っている恐怖。


 軍人ならば、近くに鉄の塊しゅりゅうだんを投げ入れられて反応しない筈がないのです。


「ってただの、鉄クレじゃねぇか───」

「ええ」


 1秒、気を逸らせればそれで充分でした。


 自分は下水に飛び込みながら、起き上がろうとする敵に狙いを定めます。



「……手榴弾じゃなくてよかったですね?」




 至近距離での撃ち合い。


 普通は衛生兵である自分が、本職の歩兵に勝てるべくもないのですが、


「や、やめ───」


 サバト銃は、1発撃つごとに排莢する手間が必要です。


 2発目の準備を終える前に地面に伏せた男は、応射することすらできず。




 ───タァン、と乾いた音。




 下水の中、銃声が響いて自分は男の胸を撃ち抜きました。




「あのガキ、流石にそろそろ弾切れの筈だ!」

「ビビらず突っ込めぇ!」



 間もなく背後から、怒号が聞こえてきました。弾の数を数えていたやつがいたのですね。


 しかしこの銃に弾がなかろうと、今殺したばかりの男から銃を奪えば済む話です。



「……あ、う」

「───って、【盾】!」



 そう思って今殺したばかりの男を見た瞬間。


 自分は血の気を引かせ、セドル君を抱き締めたまま下水中に飛び伏せました。


 なんとこの軍人崩れ、自らの死を悟ったのか……



「うわああああ!!?」

「爆発音!?」



 残りの力を振り絞って手榴弾のピンを抜き、力強く地面に叩きつけたのです。


 【盾】の展開が少しでも遅ければ、命を落とすところでした。



「トニーが自爆したんだ、チクショウ!」

「絶対にあのガキを殺せ!」



 ……これは、まずい状況です。


 あの爆心で、彼の銃が無事だとは思えません。攻撃手段を完全に失いました。


「セド君、無事ですか!?」

「舌噛んだぁ!」


 腕の中でセドル君が号泣しています。命に別状はなさそうです。


 しかし今の爆発で破片が直撃したのか、自分の左脛が折れて血が噴き出ていました。


 治療しなければ、走るのは厳しそうです。


 せめて自分を道連れにしようという、あの軍人崩れの意地でしょう。


 軍人はこれだから厄介です。



「居たぞ、あのガキだ───」



 一応は逃げようと、壁に手を付いて立ち上がりました。


 あの男たちのエイムなら、逃げ切れる可能性は有るかと思ったのです。


 自分がダメでも、せめてセドル君を……



「とっとと自分を治せ、オース豚が」



 覚悟を決めたその時、突然に自分の頭上で銃声が響きました。


 直後、暴徒は血反吐を吐いて呻き地面に倒れました。


「次はどいつが撃たれたい?」

「くそ、新手か!」


 見上げればいつの間にやら、下水の上から片目の無い男が険しい顔で自分を睨みつけていました。


 賊達は慌て、それぞれ身を隠します。


 どうやら、誰かが自分を助けてくれたようでした。


「……貴方は」


 その誰かは、よく見覚えのある男でした。


 右目の無い、若い筋骨隆々の男。


 それは以前、自分とセドル君を囲んでタコ殴りにしようとした暴行犯の一人です。


「イ、イリゴルさん。……ありがとうございます」

「ふん」


 彼に感謝を伝えた後、自分は足を引きずって、先ほど放り投げた鉄の筒を拾いに行きました。


 ゴムージが渡してくれた、大事な手術セットです。


 これがあれば、最低限の応急処置が……。


「あ……」

「それ、もう使いもんにならんだろ。捨てろ」


 残念ながら鉄筒は、銃弾が直撃して大きくひん曲がっていました。


 中身のメスは折れていて、針糸は千切れていました。


 ……これでは、使い物になりません。


「ったく。ホラ、アーミーナイフ貸してやる」

「ど、どうも」

「治療が終わったら言え」


 


 ───ああ、やっぱり先輩にゃ武器より医具のがよく似合う。




 誰かの声が、心に浮かんだ後に消えました。


 自分はイリゴルからアーミーナイフを受け取ったあと、ズボンの左部を切って患部を露出させます。


 慣れた手つきで下腿を切って血抜きを行い、回復魔法をかけ止血しました。


 最後にズボンの切れ端を包帯の代わりに太ももに巻いて、処置終了です。


「終わったか」

「……はい」

「移動するぞ、お前はガキのお守りに専念しろ」


 そしてゴムージから貰った応急手術セットを、下水の中に捨て置いて。


 鉄筒の紐を引き抜き背にセドル君を括り付けた後、自らの手に余る大きなアーミーナイフを握り、サバト兵イリゴルの背を追って駆け出しました。

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