第86話
資産家は殺しても、罪に問われない。
今まで仕事もせずに甘い汁を吸い、贅沢の限りを尽くしてきた悪人である。
その報いとして財産を没収し、皆で分け合うのが新しいサバトの法律だ。
この時、自分たちを襲撃してきた賊の主張はそんな内容でした。
ゴムージが、今までずっと家を支えてくれていたクーシャさんへのお礼として奮発して買ったネックレスが、賊の怒りの琴線に触れてしまったのです。
目撃者の話によると、クーシャさんは抵抗する暇もなく取り押さえられ、アーミーナイフでギコギコと首を切り落とされてしまったようでした。
村に響いた最初の悲鳴は、クーシャさんのモノだったのです。
「……」
この日の村の空気は、今まで経験したことが無い味をしていました。
普段は村の住宅通りには、草木や土の匂いに混じって香ばしいパンやシチューの香りが漂っています。
今の時間なら子供の遊び声や主婦の世間話、揺れる草木のそよめきで賑わっていました。
自分はその、牧歌的で温かな雰囲気のオセロ村が大好きでした。
ですがこの時は、硝煙のツンとして鼻を突く臭いが混じり、家の外壁には血飛沫が飛んで、そこら中にピクリとも動かぬ肉塊が転がっていました。
音を発するのは賊の怒声か銃のみで、時おり悲鳴と救いを求める断末魔が響いていました。
「う、う」
吐き気を堪えるのがやっとでした。
こんなに簡単に、地獄の扉は開かれるものなのでしょうか。
人はこんなにも躊躇いなく、平和を叩き壊せるものなのでしょうか。
「……っ、ゴムージ!」
クーシャさんは光のない眼で、自分をぼんやり見つめていました。
自分は必死で呼吸を整え、銃声が聞こえてきた母屋の裏口に回りました。
ゴムージまで、撃たれた可能性があるのです。今は取り乱している暇はありません。
せめて彼とセドル君だけでも、救わねば。
「……」
壁越しに中の様子を伺うと、複数の男の声が聞こえてきました。
セドル君の凄まじい泣き声で、その話の内容はよく聞き取れません。
……なので、敵の気配に注意して耳を傾けました。
「複数の足音がリビングを移動中……」
足音を聞く重要性は、アレンさんに何度も教えてもらいました。
見えずとも気配が探れ、大まかな敵の位置を割り出せるのです。
「賊の声は、2人分でしょうか」
リビング付近でセドル君が泣いていて、その室内で敵が二人ほど歩いているのが分かりました。
他に息を潜めている敵がいる可能性もありますが、今分かるのはこんな所です。
「……」
先程、大きな銃声が響いていました。つまり、敵は銃で武装していると思われます。
一方で自分は丸腰、強いて言うならメスが投擲武器になるくらいでしょうか。
投げメスなんて練習したことないので、正直あんまり当てにできません。
……ここで自分が乗り込んでも、死体が増えるだけの可能性が高いです。
不意をついて一人を何とかしても、もう一人に銃を向けられたら勝ち目がありません。
何とか、中の二人を助ける方法は……。
────裏取りは出来ている。武器がないなら奪えばいい。
────適当な鈍器を、背後から頭に投げ付ければ一人は倒せる。
────敵の進行ルートを予測、そろそろ二手に分かれる。孤立するタイミングで襲え。
……その時、スッと。
誰かの助言が、聞こえてきた気がしました。
周囲を見渡せば、近くに手頃な鈍器がありました。
それは投げやすいサイズに固められた、土の塊。
きっとセドル君がこしらえたであろう、
「……」
泥団子を拳で掴み、自分はこっそりと家の外壁に張り付いて様子を伺いました。
……中から一人の男が出てきて、倉庫に向かっているのが見えます。
どうやら一人が母屋の中の家財を運び出す役割で、もう一人は倉庫を物色する役目になったみたいです。
つまり今、家の中に1人しか敵がいません。
「……あ?」
意を決して、自分は裏口の戸を開け中に突入しました。
握り込んだ泥団子は、結構な重さがありました。
野球ボール程の土塊を自分は思い切り振りかぶって、
「誰か、他にも隠れてやがったか────?」
「えいっ」
振り向きかけた男の、側頭部に全力投球してやりました。
「が、あ……」
泥団子と言えど、それなりに鍛えている自分の全力投球は馬鹿にできない威力でした。
暴徒の右顔は陥没し、耳や鼻から血を噴いて男は失神してしまいました。
「トゥーちゃん!」
「セドル君、何処かに隠れてください」
自分はその男が手に持っていた小銃を拾い、すぐさま玄関口の方向へ構えます。
「何があった!?」
「……」
直後、もう一人の暴徒が銃を構えたまま家に突撃してきて、
「誰だテメェ────」
「【盾】!!」
互いの姿を確認した瞬間、ほぼ同時に撃ち合いました。
「痛っ……」
自分は撃った直後に、【盾】を展開しました。
敵の銃弾は【盾】を砕きましたが、軌道が逸れてふくらはぎに命中するに留まりました。
思わず自分は、苦痛に顔を歪めます。
しかし、
「────ぁ」
敵は鼻っ柱に銃弾が命中し、脳みそを撒き散らして絶命していました。
敵と同時に撃ち合う訓練をしていてよかったです。
咄嗟に【盾】が出せなければ、自分は下腹を撃たれて重傷でした。
「自分の怪我は軽傷、治療は後回しで良い。ゴムージ、ゴムージは無事ですか」
「……ここ、だ……」
自分は痛む足を押さえながら、ゴムージの姿を探しました。
彼はテーブルの下で、血を吐きながら生きていました。
「ゴムージ、良かった無事でしたか。今、怪我を確認します」
「いや、いい。先輩は先に、自分の足を直せ」
「……自分の足は、致命傷ではありません。ゴムージの方がずっと重傷です」
「分かってるよ、そんな事くらい」
自分は急いでゴムージの所に駆け寄り、その傷の重さに内心で動揺していました。
彼は腹を撃たれたのか、腹を押さえて仰向けに倒れていました。
出血量をみるに、間違いなく致命傷です。既に体は失血死寸前で、臓器は幾つか破裂していそうです。
これは、今すぐ手術してギリギリ間に合うかどうか。
「なぁ、今から俺を治療する時間があるのか?」
「ええ、貴方さえ気合を入れて耐えてくれれば、きっと治療は間に合います」
「そうじゃねぇ。銃声が何度も響いて、賊の仲間が様子を見に来ねぇかって聞いてんだ」
自分はゴムージの治療に取りかかろうとした瞬間。
顔が真っ青な彼の手に制止され、治療の手を止めました。
「セドルを連れて逃げてくれ、先輩」
……冷静に、自分の「直感」に尋ねます。
ここでゴムージを治療し始めて、完遂するまで見つからずに済むかと。
複数の臓器破裂。どれだけ端折って応急処置だけにとどめたとしても、手術には1時間近くかかるでしょう。
そもそも、手術の間に失血死する可能性の方が高そうです。完遂できる可能性は3割以下。
そして、手術中に賊が様子を見に来ない確率は─────ほぼゼロ%。
……ゴムージを救うのは、現実的に不可能です。
「……ゴムージ、自分は、貴方に救われて」
「そんな顔すんなよ、俺だって救われたんだからおあいこさ」
ゴムージはそう言って笑うと、最期の力を振り絞ってセドル君を手招きしました。
セドル君はしゃっくり上げながら、ゆっくりと父親の下に歩いて行きます。
「セドルや」
「……パパ?」
「俺ぁもう駄目だ。これからはクーシャと、先輩の言う事をよく聞いて生きていけ」
ゴムージは優しい笑顔を浮かべて、最愛の息子の顔を撫でました。
「セドル、これからの人生、信用する相手はよく選べよ。義理を返してくれる人の信用は、絶対に裏切るな。人を騙すこすっからい奴は、逆に徹底的に騙してやれ」
「……?」
「分かんねえならそれでいい、大きくなってから思い出してくれ。そうだな、まずはこの先輩は絶対に裏切るな。その人は絶対に、お前を助けてくれる人だから」
「トゥ-ちゃんを?」
「そうだ」
ゴムージは血塗れの手で息子の頬を撫で終わると、最後にチラリと自分の方を見て、
「クーシャとセドルを頼んだぜ。先輩の凄さを、俺は知ってるから」
「……ゴムージ」
そう、言い残しました。
────ですが、クーシャさんは、もう。
「分かりました、今からクーシャさんと共にこの村を脱出します」
「ああ。先輩がついてくれるなら安心だ」
「自分の命に代えても、貴方の家族を守ります。ゴムージ」
自分は力が入らなくなったゴムージの手を握り、そう言い切りました。
……そう言うしか、ありませんでした。
「……クーシャに伝えてくれ。……最期まで情けねぇ旦那ですまなかったと」
彼は血の滲んだ涙を浮かべ、最後にセドル君の方を向いて、
「ああ、畜生ォ。やっと掴んだ平穏だったのに」
そう言い残して事切れました。
────危険察知。数分以内に、ここに敵が来る気配。
────ここでの撃ち合いは、セドル君を巻き込むリスク大。
────早期の撤退を。
幼いセドル君は、動かなくなったゴムージの顔を叩いていました。
「パパ! パパァ!!」
彼は何度も何度も父親の頬叩いて、大きな叫び声を上げ泣きじゃくっていました。
その声はきっと、近づいてきている賊にも聞こえている筈です。
────丁度良い、泣かせておこう。今は自分の足の治療に専念するべきだ。
────ショックは溜めるより泣かせた方が、落ち着くのが早くなる。
────パパ、パパと泣いてくれれば、撃たれたのはこの家の父親だと誤解してくれるに違いない。
……自分の冷静な部分が、酷く冷酷な判断を下しました。
自分は泣きわめくセドル君を放置し、とりあえず自らの足の処置を始めます。
ゴムージに頂いた手術セットのおかげで、1分以内に治療は完遂しました。
「……よし。セドル君。行きますよ」
「トゥーちゃん、パパ、パパ、パパが!」
「パパは、ちょっとお昼寝しているだけです。セドル君も、お昼寝しに行きましょうか」
逃亡中も彼が泣き続ければ、見つかって殺されてしまいます。
彼をあやしつつ、安全な場所まで撤退せねばなりません。
「パパ、起きないよ?」
「後で目を覚まします」
「本当?」
「ええ」
自分は張り裂けそうな胸を押さえ、セドル君を抱き上げました。
彼の半信半疑の目に、ぎこちない笑顔を作って。
「ママもきっと先に逃げています。早く、行きましょう」
「……」
泣き腫らした目のセドル君を、力一杯に抱き締めて。
自分はそんな、残酷で悪辣な嘘をつきました。
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