第75話 


『偵察兵はまだ戻ってこないのか』

『そう急かしなさんな、参謀殿。子供のお使いじゃねぇんだから』


 北橋のサバト軍はシルフの指揮の下、オ-スティン軍の後方を脅かすべく進軍を開始しました。


 しかし流石の彼女も、スピード勝負の状況とは言え迂闊にオースティン陣地に突撃したりはしません。


 多少オースティンは予備戦力を隠していると考え、拠点の特定と残敵兵力を推定するため偵察兵を放ちました。


『偵察兵どもはこの奇襲が、時間との勝負と理解してるんだろうな』

『彼らは今も命懸けで危険を冒して索敵してくれてるんですぜ』

『とはいえ遅い。ちょっと目と鼻の先の陣地に乗り込んで様子を見てくるだけで、何故30分も待たされるのだ』

『遅くないですって、これが普通です』


 しかしシルフは、偵察兵を放ったことを少し後悔していました。


 いくらスピード重視でやれと言われても、偵察兵も命がかかっているのです。


 目の前にあるとはいえ、戦力不明の敵拠点を偵察するなら数時間はかかります。


 30分で偵察兵が戻ってくるはずがないのです。


『もういい、待ってられん。人数で圧倒してるんだ、どうせ勝てる。突っ込むぞ』

『あー、もう落ち着け参謀殿。せめて敵の位置を把握しておかんと』


 とうとう痺れを切らしたシルフは偵察兵の帰還を待たずに侵攻を再開しようとしました。


 本来シルフに指揮権など無いのですが、彼女は総司令官の娘です。


 現場の下士官が逆らえるはずもなく、作戦開始時に指揮権を没収されていました。



『お、通信。参謀殿、偵察兵からです』

『遅い! ちっ、何と言っている』

『めちゃくちゃ早ぇーですって。……ほほーう』



 そしてシルフが行動を開始してから、約1時間後。


 サバトの偵察兵にもなかなか優秀な人材がそろっていたらしく、この短時間で偵察を終えました。


 彼らはその1時間で拠点が空っぽだと調べ上げ、


『敵陣に1兵もいなくて、後方拠点ももぬけの殻。ただ南東方2㎞の地点で、衛生部隊と思しき連中が大荷物抱えてチンタラ撤退中だそうです』

『ははぁ! 奴ら、やはりこの奇襲を警戒していなかったな』

『そのようで』


 撤退していた自分達ヴェルディ小隊の位置まで特定してしまったのです。


 その報告を聞いたシルフは機嫌良さそうに笑みを浮かべ、


『偵察兵どもへ通達、そのまま奴らの撤退している先の地形の詳細を報告せよ』

『ほい、了解』

『我々は今すぐ出撃、その部隊を根絶やしにしてやる』


 意気揚々と、自ら指揮を執り追撃を始めました。


『我々はこのまま敵の後方を追撃だ。右翼軍は、南回りで敵部隊にアプローチ。左翼軍は北回りに詰めろ。挟み撃ちにして一人も逃がすな』

『はい』

『そして中央軍は敵後方まで回り込め。その際によく伏兵を警戒し、もし見つければ応戦せよ。その敵部隊が釣り餌である可能性を忘れるな』


 シルフには以前、指揮を下士官に任せて後続部隊を取り逃がした記憶がありました。


 その経験から、二度と敵を逃がさぬよう自ら指揮を執りたがったのです。


『完全に退路を断つぞ』

『了解』


 彼女は我々の物資を強奪し、後方からオースティン軍を脅かすつもりでした。


 シルフが我々の軍事物資も焼き尽くせば、オースティンが死に体になることをよく理解していたのです。


 その彼女の一発逆転戦略の第一歩として目を付けたのが、我々レンヴェル軍衛生部とその資源でした。




 ……流石に、戦力に差がありすぎました。


 荷物を運ぶオースティン衛生兵は移動速度がとても鈍重で、それを護衛する戦力はヴェルディさんの中隊のみ。


 一方、シルフが襲撃に動員した兵士は北橋を守っていた3万人という大軍です。


 この瞬間、オースティンとサバトの攻守が完全に入れ替わったのです。



 ベルン・ヴァロウもこの動きを察知し、即座に兵を動かしてシルフの背後を脅かしました。


 北橋勢力の南下に備えていた伏兵を解除し、すぐにシルフ率いる北橋戦力へ向かわせたのです。



 しかしシルフは「時間との勝負」であることを重々承知しており、かなりの速度で我々に詰めていました。


 ベルンの動かした援軍がシルフの背後を突くのは、ここから数時間は経ってからです。


 兵は神速を貴ぶとはまさにその通りで、橋が落ちた瞬間に攻勢に出た彼女の戦果といえましょう。


 シルフはたった数時間だけですが、オースティンの後方で好き勝手に暴れる権利を手に入れたのです。



『さて、父上の「負け」を「痛み分け」に変えてやるか』

『アイアイサー』

『包囲が完了次第、即座に突撃を開始しろ。蟻んこ一匹も逃さず皆殺しだ』



 この北部決戦は、全体的な大戦略においてベルンが快勝しましたが。


 局地の小戦略において、シルフという少女がベルンを上回っていたのも事実でした。


 もし彼女の狙い通り我々が全滅してしまったら、きっと今後のオースティンの戦略は大きく狂ってしまっていたでしょう。






『……さて、そろそろ何処かの部隊から戦果報告は来ないか』

『まだですね』

『確かに包囲してるんだろうな。前みたいに、こっそりと抜け出されていたりはしまいな』

『流石に、逃げる場所は無いと思われますが』


 こうして、我々はまんまと包囲網を敷かれてしまいました。


 しかし、この展開は想定内でした。この包囲を避けることは、速度的に困難だったのです。


 ヴェルディさんの部隊だけ残って応戦しても、他の予備戦力が悠々と我々を滅ぼしたでしょう。



『……む、何だか騒がしいぞ』

『爆音……?』



 つまりは、シルフが奇襲を選択した時点で我々ヴェルディ中隊は詰んでいたのです。


 100通りの逃げ道を使ったとして、100回全滅します。


 そんな絶体絶命の状況において、我々衛生部隊の執った渾身の戦略が───




『───参謀殿! これは、敵が!』

『……あっ』




 まずは軍隊に指示を出す「頭脳」を潰すこと。


 我々は敵の偵察兵に捕捉されたことを確認した瞬間、反転して敵の目の前に肉薄したのです。



『まずい! しまった、クソッたれ!』



 自分がこの作戦を提案した時、ヴェルディさんは頭を抱えました。


 無謀すぎるだろう、というドールマン氏からのご意見もありました。


「アレンさんから報告いただいた敵兵力を聞いて、本気で逃げ切れるとお思いですか」

「……でも、トウリちゃん」

「逃げ切れる可能性があるとすれば、敵のミスに期待するしかありません」


 しかし何故でしょう、自分の直感が「生き残るにはこれしかない」と告げていたのです。


 自分のこういった直感は、今まで何度も自分の身を助けてくれました。


「普通に逃げては、まず全滅するでしょう?」


 元々、我々が確実に全滅することはヴェルディさんも予見していた様で。


 自分の具申を聞いたヴェルディさんは、数秒間ほど物凄い顔で悩んだ後、「分かった、君に賭けよう」と作戦を了承してくださいました。



 反転攻勢して、敵を攻撃する。それが、自分の提案です。


 無論ですが、1個中隊だけで正面突破なんて絶対に不可能です。荷物を抱えた鈍重な衛生兵を守りながら突撃なんて、臍で茶を沸かす行為でしょう。


 敵の司令部と思しき場所を銃撃し混乱せしめ、その後ヒットアンドアウェイの要領で反転して全力で撤退しようという作戦です。


 サバト軍の指揮系統が正常のままでは、とても脱出できる状況ではないという判断からの作戦でした。


 そんな訳で敵司令部の真正面に姿を現した我々ですが、これを見たシルフは大層驚き、


『まずいぞ、敵の狙いは逃亡じゃない。正面突破だ!』

『まさか、ブラフでしょう』

『馬鹿言え、よく考えろ!!』


 自分達が正面突破を本気で狙っていると、勘違いしてしまったのです。


 シルフは「この周囲に我々しかいない」なんて楽観的に考えず「どこかに伏兵がいる筈だ」と思い込んでいて、



『今この瞬間、私たちの包囲網で一番兵が薄いのは正面のこの場所だ───』



 そんな状況での我々の反転攻勢は、彼女から見て『自分達サバト指揮官を狙い撃ちする罠』に見えたのです。


『包囲に出した兵を呼び戻せ! 敵の撤退路は南じゃない、私たちのこの正面陣地だ!』

『りょ、了解!』

『絶対に此処を突破させるな! 味方が戻ってくるまで持ちこたえろ!』


 彼女がパニックになるのも無理はないでしょう。


 何せ今まで、シルフは現場を下士官に任せて作戦立案のみをやってきた人間です。


 そんな彼女が居る陣地に、本物の鉛弾が大量に撃ち込まれてきたのです。


 生まれて初めて命の危機にさらされ、平静を保てないのは無理もない話でした。


『確かに一番合理的な撤退路だ、オースティン人もバカばかりじゃないらしい……っ!』


 彼女は半狂乱になりながら汗臭い鉄帽を被り、周囲の兵士に応戦を指示しました。


 いくら守りが薄いとはいえ、彼女を守るサバト軍の数は数千人。とてもヴェルディ中隊だけで突破などできません。


 彼女が冷静さを保って前方を見ていれば、兵を退く事はなかったでしょう。


『ひゃぁ! また銃弾が飛んできた!』

『参謀殿、下がりますよ! 俺についてきてください』

『わ、分かった! くそ、この借りは返すぞオースティン人───』


 初めての実戦、初めての死線。


 ぬくぬくと育てられてきた彼女が、生まれて初めて陥った本物の苦境です。


 自分が居る場所付近まで銃弾が飛んできたのをみて、シルフはすぐさま逃げ出しました。


 迎撃を部下に任せ、いの一番に最後方へ走り出したのです。


 ……そんな彼女に、待っていたのは────












「おチビ、お前はあんま無茶すんな!」

「大丈夫です!」


 その瞬間は、今でも自分の記憶にしっかり残っています。


「これでもしっかり稽古をつけてもらっています、任せてください!」

「おチビは衛生兵だろうが!」

「……戦力が足りん、トウリにも出て貰わねぇと仕方ねぇんだ」


 この時、自分は【盾】をうまく活用しつつ、アレン小隊と共にサバト軍兵士と最前線で撃ちあっていました。


 訓練弾とはいえ銃もあるので、案山子の代わりにはなれると思ったのです。


 また、【盾】魔法は味方をよく守ってくれました。


 ザーフクァ曹長から防衛戦を学んでいて、本当に良かったと感じました。


「ヴェルディ中尉、攻勢はどれだけ続ける!?」

「15分を予定しています、合図と同時に全員撤退してください」

「くそ、訓練銃を返すんじゃなかった。ええい、死んだ兵士はおらんか! 儂に銃をよこせ」

「ドールマン衛生曹、落ち着いてください」


 と、防御に関しては【風銃】や【盾】で結構お役に立てたのですが、攻撃に関しては敵に狙いも定めず制圧射撃の援護をするだけです。


 まぁ訓練弾なので、しっかり敵を狙う意味があんまりないんですよね。


「おい新米ども、銃構えたらケツを引け! 何度言ったらわかるんだ!」

「ご、ごめんなさい」

「おチビの方がまだマシに撃ってるぞ、恥ずかしくねぇのか!」


 こうして、ヴェルディさんやロドリー君と肩を並べて戦うのは久しぶりでした。


 流石というべきかロドリー君は、バンバン敵を撃ち殺していました。


 同時に、怒鳴りながら新米兵士の尻を蹴っ飛ばし吠えています。


 いつの間にか、ロドリー君も先輩兵士の風格です。……口が悪いロドリー君は、怖い先輩なんでしょうね。



「……あ」



 そんな懐かしくも恐ろしい一瞬。


 自分は、ふと何かに惹かれるように顔を上げました。


 見逃してはいけない何かが居た、そんな気がしたのです。



「あ、おチビ! 顔を上げすぎだ、もっと屈んで───」

「見つけました」


 自分は反射的に立ち上がり、ザーフクァさん達に教わった通りに真っすぐ銃を構えました。


 ロドリー君の焦った声が聞こえてきましたが、心を落ち着けて集中します。



「……目視、照準、エイムOK」



 自分は半ば無意識に、その「目標」に狙いを定めました。


 敵が射線上に居てくれるのは、大体ほんの一瞬だけ。


 その瞬間を抜け目なく射貫くことが、遠距離戦の極意です。



「きっとアレが、敵の頭脳インゲームリーダー

「お、おいトウリ、何をしてる!?」



 無数の銃弾が、こちらに飛んできました。早く射撃を終えて盾を展開しないと、こちらも被弾します。


 ヘッドショットを決められたらお陀仏。時間をかけると撃ち殺されてしまうでしょう。


 ザーフクァさんに教わった技術テクを思い出して。銃弾を撃つと同時に【盾】を展開し、後隙を減らす。


 これがあるので【盾】スキル持ちの自分は、遠距離の撃ち合いでは有利なんです。


 だから、自分が撃たないとダメなんです。



「ええ、外しませんとも」

「……おい、おチビ?」

「これを外しているようでは、世界なんて取れませんので」




 自分はエイムを固めたその先に。


 顔を真っ青にして鉄帽を被っている、華美な軍服を着た少女将校の眉間を捉えていました。













 パシュン、と乾いた音と共に。


 シルフ・ノーヴァは眉間に大きな衝撃を受け、大きくのけぞって倒れ伏しました。


『げっ! おい、参謀殿!?』

『あっ』


 眉間を撃ち抜かれた参謀シルフは、その場で泡を吹いて失神してしまいます。


 頭を撃ち抜かれた瞬間を見た周囲のサバト兵は、皆シルフの殉職を確信したそうです。


『畜生、指揮権は俺が引き継ぐ。各員戦線を維持しろ!』

『大変です、たった今、敵オースティン部隊が我々の背後に向かって進軍を開始したそうです』

『なんだと!?』


 シルフは死んだものとして、すぐさまシルフから指揮権を受け継いだ(元来、彼の部隊なので返してもらったともいう)兵士はそんな報告を聞き、頭を抱えました。


『くそ、前の敵だけは絶対に仕留めるぞ! この嬢ちゃんの死を無駄にするな!』

『……あれ?』


 このサバト前線指揮官は不満を抱えど、何だかんだでシルフという幼い参謀を評価していました。


 なのでせめて、彼女の遺した最期の作戦を完遂してみせると、胸に誓ったそうです。


『サバトに殉じた少女の、弔い合戦だぁー!!』

『うおおおおっ!』

『あー』


 と、サバト司令部は一瞬盛り上がったのですが、


『あの、シルフ参謀は生きてるっぽいです』

『……きゅー』

『へ?』



 その数秒後、彼女の眉間を射抜いたのが何故か訓練弾だった事実を知り、



『近くにゴム弾が落ちています……』

『えぇ……?』


 北橋戦力の司令部は、困惑した空気に包まれたそうです。

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