第76話
「アレンさん、この先を偵察お願いします。今なら突破出来るかもしれません」
「よっしゃ、任せろ」
我々の決死のヒットアンドアウェイ作戦は、上手く嵌ってくれた様でした。
自分達を包囲していたサバト兵は反転し、サバト司令部へ撤退してくれました。
「ヴェルディ中尉、通信はまだ回復しませんか」
「まだの様です」
その隙を突いて1時間ほど、我々は死に物狂いで走りました。
自らの命を守るため、そしてオースティンの未来を繋ぐため。
幸いにも、その間の敵の追手は止まっていました。
シルフが意識を失ってしまった事で、一時的にサバトの指揮系統が麻痺してくれた様です。
「結構、味方が疲労しているのう。情けない」
「援軍と合流さえできれば、後はどうとでもなるのですが……」
しかし敵の包囲を突破は出来ましたが、流石に衛生兵は疲労困憊といった様相でした。
一時間も走ったというのに、この時の我々はパッシェンまでまだ10㎞近い距離がありました。
ドールマン氏は流石というべきか、まだ汗をかいていないのですが……。
「エルマ看護長、僕が少し荷物を持つ。小袋を渡してくれ」
「……結構よ、貴方の力なんか借りないわ」
「今は意地を張ってる場合じゃないだろ」
フットボール選手のケイルさんですら疲れた顔を見せ始め、女性看護兵達は顔を真っ青にして倒れそうです。
大荷物を抱えた状態での、全力疾走1時間は流石に厳しかったようです。
首都ウィンで受けた歩兵訓練ですら、ここまで過酷なプログラムはありませんでした。
「おいヴェルディさん、サバトの連中がもう一回俺達を囲みに来てるっぽいぜ」
「もう立ち直ってしまいましたか」
そして、サバト側はいつまでもボンヤリとしてくれません。
しばらくすると立ち直り、改めて我々への追撃を再開したのです。
「やはり荷物なんか捨て置かんか。このままじゃ、本当に全滅しますぞ中尉殿」
「……っ」
我々が自力でサバトの追撃を振り切るのは、やはり不可能でした。
進軍速度の差が大きすぎます。
となれば司令部と連絡を取り、援軍を要請するしかないのですが。
「まだ、通信は回復しませんか」
「……まだですね」
ヴェルディさんの通信機器はうんともすんとも言いません。
この時代の通信距離は2~3㎞が限界でした。
パッシェンまでの距離を考えると、すぐ通信がつながるとは考えにくい状況でした。
「あと少し、もう少し進めば通信が出来るかもしれません。もうひと踏ん張りしましょう」
しかしヴェルディさんは、このまま前進を指示しました。
パッシェンにたどり着くまでの何処かに、味方の通信拠点は設置されていると考えたのです。
「後方から再び、サバト軍が進軍中。1時間以内に、我々の包囲が完成すると思われます」
「こちらヴェルディ、報告了解です。各員、死にたくなければ走ってください」
我々の進軍路はバレバレです。
物資運搬のため荷車を用いているので、整備された道を進むしかなかったからです。
道沿いに進んでいる我々を再捕捉するなど、容易だったでしょう。
だからこそ、通信封鎖も行わなかったのですが。
「ああ、上官命令を了解。……クソッタレ」
半ば意固地になってるんじゃないか、というヴェルディさんの命令を受け毒吐きながら。
我々は、体力をすり減らしてマラソンを続けるのでした。
実はこの時、近くまで味方の援軍は近づいてきてくれていました。
ベルン大尉が、我々の撤退補助の為に司令部付近の兵を動かしてくれていたのです。
しかし彼らは、自分達の詳細な位置を特定できていませんでした。
捜索部隊は『我々がこの辺にいるだろう』という予測を元に捜索してくださってました。
しかし当初の撤退予想位置にサバト軍が展開していた為、「味方は敵に捕捉され、全滅したと思われる」という内容の通信がベルンに届けられました。
一応ベルンはその通信に「諦めず、もっと広範囲を捜索せよ」と返信した後、大きなため息を吐いたそうです。
そして「もっと広範囲を捜索せよ」と命じられた指揮官が次に捜索を行ったのは、パッシェン付近でした。
何かの間違いで我々が囲みを突破したなら、ここしかないと当たりをつけて探しに来てくれたのです。
そんな訳で「もうあと少し頑張ればなんとかなる」というヴェルディさんの判断は、決して間違ったものではありませんでした。
後もう少し、数十分ほど走れば味方と連絡がつく位置まで我々は到達していたのです。
問題はそこまで部隊の士気を保てるかどうかがカギでした。
「ええ、ヴェルディ中尉。自分も、あと少し進めば何とかなる気がしています」
「そうですとも、頑張りましょうトウリ衛生兵長」
「ここを乗り切れば、平和な日常が待っているんです。もうひと踏ん張りです」
自分は敢えて大きな声で、ヴェルディさんとそんな会話をしました。
何の根拠もない、わざとらしい味方への鼓舞でしたが。
そんな自分の言葉は、水輪のように兵士たちの間に広がっていきました。
「そっか。この苦行を乗り越えれば、故郷に帰れるんだ」
「もう戦争なんかやらずに済む。退役金をがっぽり貰って、一生、平和なところでのんびり暮らすんだ」
「ウィンに帰ったら、オヤジにたっぷり武勇伝を聞かせてやる」
彼らはまだ知りません。フラメールが侵攻し、戦争が長引いてしまった事を。
「この間ウィンで、報奨金使って豪遊している兵隊さんを見てうらやましかったんだ。俺も一生に一度でいいから、あんな豪遊してみてぇ」
「俺は孝行に金を使うんだ。いつも腰が痛ぇって嘆いてるお袋に、木造の揺り椅子買ってやるんだ」
「ならウチの実家の家具店に来るといい。腕のいい職人さんに、オーダーメイドで作らせてやる」
ここで死に物狂いで走っている彼らは、この戦いの先に平和なオースティンがあると信じているのです。
「おいおチビ、数㎞先に分かれ道があるぞ。どっちに進めばいい」
「えっと、西に進めばタール川沿いに出ます。南の方の分かれ道が、パッシェンに続いてます」
「なら、南に進めばいいんだな」
もうちょっと頑張れば平和が待っている。
これが最後の戦いだ。
兵士たちはその言葉を拠り所に、限界を超えてなお走り続けました。
「まずいぞ、サバト兵が追い付いてきているぞ」
「……向こうさん、既にこの辺の地形を把握してるっぽいな。あまりに侵攻が早い」
しかし、サバト軍はシルフの最後の指示────我々の逃走先の地形を偵察しておけ、という指示のせいで進軍が迅速でした。
恐らく、この先の分かれ道についても把握されていると予想出来ました。
「どうする、もう一回ヒットアンドアウェイをやるか?」
「……いえ、二回目は流石に無効でしょう」
敵が我々の行く手を阻むように、高速で布陣していく状況。
しかし自分は何の根拠もなく、此処を乗り切ればゴールだと感じていました。
今、我々を包囲しようと先回りしている部隊さえ躱せば────生き残れる。
「……そうですね、こういう状況ならば」
さて、先回りしてくる敵は「あのゲーム」でもしばしば居ました。
FPSは動きながら戦うより、遮蔽物を使い待って戦う方が強いです。
なので敵を見つけた際に、進む先を予測して待ち伏せするプレイヤーもたまに見受けられました。
ただし、まぁ敵がそんな作戦を取ってくると知っていれば対策は容易です。
「……何かまた、とんでもない作戦でもやるんですかトウリちゃん」
「ええ。一つ、提案、が────」
ゲームでは、対策が、容易、でした。
────あ、待ち伏せっぽいですね。敵さん
────お、よく気付いたな。流石は世界覇者
ええ、待ち伏せしてくる敵の対策なんて、簡単なんです。
敵は自分達が、こっちに来るに違いないと息巻いてくれている訳で。
────じゃ、俺が回り込むんで。
────俺も付いていきますわ。
────あー、じゃあ。
人は敵を騙していると思い込んでいるとき程、簡単に騙されます。
この場合、まんまと罠にかかったふりをして、裏を取るのが常套手段。
つまりは────
────囮、任せました!
────うーわ、了解です。ちゃんと蘇生してくださいよ?
────分かってるって!
チームが負けなければ、死んだ味方は生き返ります。
そのゲーム性を利用した、囮による陽動が非常に効果的なのです。
「作戦、は────」
……囮、ですか?
囮って、この状況で、誰を?
「……トウリちゃん?」
自分の直感が告げていました。
その作戦はきっとうまくいく、と。
────少数の囮を『西』へ進ませて、自分達の逃走先をタール川沿いと誤解させる。
────敵は、我々をタール川へ進ませぬよう西に大きく展開する。
────その隙をついて、本隊は南方面……パッシェンに進路を取る。
「あ、あ、あ……」
その後、囮部隊の西への進軍が罠だったと敵は気づきます。
すぐさま、パッシェンに向かっている本隊を追いかけるに決まっています。
そこで、味方に被害が出ないよう足止めをする必要があります。
────つまり囮部隊が、本隊を追いかけようと突撃してくるのを、迎撃する必要があるのです。
「作戦は、流石にもう出てきませんか」
「あり、ます」
……それを、言えというのですか。
自分がこの場で「決死の囮を使えば無事に脱出できる」と、進言しなければならないのですか。
「あるん、です……」
ゲームではないこの世界で。
人が死んだら、二度と生き返らない現実で。
囮による陽動を実行しろと、提案しないといけないのですか。
「……またおチビが泣き出したよ。今度は何だ、オイ」
突然に誰かが、自分の尻を蹴飛ばしました。
振り返った場所に居たのは、やはりロドリー君でした。
「ヴェルディさん、コイツ最近情緒不安定でさ。突然こうやって泣き出すんです」
「……女性の尻を蹴飛ばすのはどうかと思いますよ、ロドリー上等歩兵」
「おチビなんてこんな扱いで良いんですよ。その胸じゃ女扱いできませんって」
ロドリー君は呆れ顔で、自分を見ていました。
その顔を見て、ほんの少しだけ、心が落ち着きました。
「……囮、なんです」
「あ?」
「きっと、何名かの囮を使えば、本隊は無事に脱出できると思われます」
少し平静を取り戻せたその隙に、自分はポツリポツリと作戦の概要を話しました。
「小隊規模を西方面に先行させ、偵察するふりをさせます。そうやって、我々の進路を西と誤解させるんです」
「……」
「そうすれば、敵は包囲先をタール川方面にするでしょう。その隙に本隊を南に逃がし────」
自分が行うのは、作戦の提案のみ。
その実行を決めるのは、ヴェルディ中尉です。
「囮部隊はそのまま、本隊に突撃してくるだろう敵部隊を迎撃します。彼らが時間を稼いでくれさえすれば、本隊が脱出できる余裕は十分にあります」
「……その作戦ですと、囮の方は」
「全滅するでしょう」
ですが、きっと。
元々、全滅覚悟でサバト兵を迎撃する予定だったヴェルディ中尉は────
「……他に妙案が無ければ採用します。今日のトウリ衛生兵長の案は全て当たっている」
「ありがとう、ございます」
少数の犠牲くらいなら、きっと容認してしまうでしょう。
「さて、じゃあ俺がその貧乏クジに立候補していいですか」
「ロドリー上等歩兵?」
そんな予感は、していました。
自分がもし、この作戦を提案してしまったら。
「まぁ、ちょっとでも罪悪感は軽い方が良いだろ」
「ロドリー、君」
「おう、俺が逝ってやるよ。いや、俺が逝きたい」
彼は絶対に、名乗り出てしまうだろうと。
「……ロドリー君。貴方は祖父のように、大往生したいと言っていませんでしたか」
「戦争が終わってたらな。戦争中なら話は別だ」
彼の性質は、どこまでも仲間思いで。
「この土壇場で、咄嗟に腹くくれる兵士も多くねェ。そこそこ敵もぶっ殺して時間稼ぐ自信はある、俺が適任だ」
「……」
「むしろ俺ァ、戦友を犠牲にして────一人ひぃこら逃げ出す方が、よっぽど苦痛だね」
戦友の事を誰より大事に思っている、とても優しい男の子です。
「んー、ロドリーだけに格好いい思いさせるのも癪だな」
「アレンさん……」
「小隊長として、俺も一肌脱ぐか。うん、どうせ生き残っても苦労が多いだろうしな」
ロドリー君が名乗り出たのを見て、少し躊躇った顔を見せた後。
アレンさんも、自分の提案した囮作戦の部隊に志願してしまいました。
「お二人とも、本当にいいんですか?」
「応ともさ、ヴェルディ中尉殿。時間もねぇし、さっさと決めないといかんからな」
「あと数名……できれば1小隊分は欲しいな。他にも志願者は居ねェか」
ヴェルディさん自身も、仲良くしていた二人を囮に送り出すのは辛そうでした。
しかし、
「おチビ、変な勘違いすんなよ。俺ぁ、勝手に名乗り出たんだ」
「ロドリー、君……」
「お前が作戦を提案したから死ぬんじゃねぇぞ。俺が、英雄願望こじらせて暴走しただけだからな。よーく覚えとけ」
自分はそんな二人に、胸が詰まって何も言葉をかけられませんでした。
お二人があまりにも、晴れ晴れとした顔で志願したものですから。
「……俺は孤児なんで。アレン小隊長、ロドリー分隊長、ご一緒させてもらいます」
「ああレータ、お前も来るか」
「他にも、この糞みたいな貧乏くじが欲しい奴は居ないか~」
ズシリ、と臓腑が重くなった気がしました。
鉛を丸ごと呑み込んだ様な吐き気が、クラクラと自分を蝕みます。
「ようし、後2~3名ってところかァ。結構すぐ集まったなぁ」
「意外と人気あるのな、この貧乏くじ」
「今ならあん時のガーバック小隊長の気持ちが少しわかる気がするぜ。あー、思ったより晴れ晴れとした気分だ」
そんな自分とは対照的に、ロドリー君は良い顔で笑っていました。
彼は死ぬことを決めたのです、だからこんなに暢気に笑えるのです。
何と無責任な。生き残ってしまう自分の気持ちなんて、理解してくれないでしょう。
生き残って、しまう……。
「嫌、です」
ああ、成程。
こういう気持ち、なんですね。
「ヴェルディ中尉、すみません」
「どうしました、トウリちゃん」
「ここからは道なりに進めば、パッシェンに到達できます。道順に不明があれば、ケイル1等衛生兵などがお答えできるでしょう」
「……トウリ、ちゃん?」
死んでしまう戦友を、置いていくのが怖い。
ロドリー君やアレンさんが、自分を生かすために犠牲になるのが堪え切れない。
「自分も、囮に志願したく思います」
「……」
ならば、彼らと共に────最期まで戦えばいい。
そう決めた瞬間、自分の心がとても軽やかになりました。
「あ? おいおチビ、お前が来て何になる」
「衛生兵も付いていけば、ますます撤退先が偽装とは気づかれにくいでしょう? それに、訓練弾とはいえ銃も持っています」
「……あのなぁ」
ヴェルディさんが、息を呑んで自分を凝視しました。
自分の全身が、
その選択の先に、自分の命はありません。
「戦友は家族なんですよね、ロドリー君」
「……」
「だったら。死ぬその瞬間まで、一緒に居ませんか」
だというのに。
自分の心は透き通る晴天のようで。
「はぁ、馬鹿なヤツ……」
「それはロドリ-君も一緒でしょう」
「違いねぇ」
自分は久々に、それはもう従軍して以来かもしれない────心の奥底からの笑みを浮かべることが出来たのでした。
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