第56話
「その方はもう助からないでしょう。どこか邪魔にならない場所に、寝かせてあげてください」
敵の奇襲から、およそ3日が経ちました。
冬も間近、マシュデールという拠点を背に形成された両軍の睨み合いは、オースティン側がかなり優勢に進めておりました。
敵のプランとしては、奇襲攻撃で我々に打撃を与えて翻弄し、被害を与えた後に西部戦線へ折り返すつもりだったと思われます。
ヒット&アウェイ戦略で物資を節約しつつ、我々の臓腑と呼べる後方部隊を壊滅させ、自壊を狙う。
その作戦が上手くいっていれば、残存兵力の少ない我々にさぞ有効だったでしょう。
「なあ、リトルボス」
「……? 何でしょうか、ケイルさん」
何故敵の狙いが、ヒット&アウェイだったと言えるのか。
それは敵の歩兵が、明らかに短期決戦の準備しかしていなかったからです。
オースティン側はこの3日間、ずっと強気に攻撃をしかけました。
しかし、サバト側からの銃弾や砲撃の撃ち返しは、潤沢とは言えませんでした。
彼らは攻勢を強める我々を前に、ジリジリと背を向けぬ様に塹壕越しに応戦しつつ、後退を続けました。
その動きからも、敵の今の戦術目標が撤退であると予想されます。
「ボスが最後に休んだの、何時だ?」
「……、えーっと」
本音を言えば、今すぐサバト軍は走って逃げ出したいでしょう。
しかしそれをすると被害が大きくなりすぎるので、チマチマ後退していっていると思われます。
本格的な戦闘が始まったというのに、この人数の減った衛生小隊で回せているのは、そういった背景もあるのでしょう。
「ドクターストップだ。リトルボス、少し休養してきてくれ」
「どうしてですか。自分はまだ、気力に溢れています」
「……君を今動かしているのは、気力と言えない」
しかし、仕事が回せているとは言え、決して余裕があるわけではありません。
ラキャさんは新米衛生兵と言えど、回復魔法は使えたので軽傷な人を振る事はできました。
今はラキャさんが抜けているので、人手が全く足りていないのです。
「今の君を動かしてるのは、執念……。いや、妄執だ」
「違います、気力ですとも。それに、自分が休む暇なんて無いでしょう」
「そう。君にまで倒れられたら困るんだ」
「……」
「僕が踏ん張るから1時間だけでも、仮眠を取って来てくれないか」
だというのに、ケイルさんは自分に何度も休憩を取れと進言してきました。
こう見えて、自分は徹夜に強いです。西部戦線の野戦病院では、1週間ぶっ続けで働き続けた経験があります。
まだ、自分に休養は必要ないでしょう。
「……ダメですよ、ケイルさん」
「どうして」
「だって」
自分はケイルさんの進言を却下して、再び次の患者さんの診察へ向かいました。
まだまだ、自分の体は動きます。
「自分が休むと、ラキャさんが怒りますから」
「……」
「じっと見詰めてくるんですよ。彼女、暗いところで何時も立ってるんです」
それに寝ようとすれば、ラキャさんが自分を魘しに来てしまいます。
ラキャさんを見殺しにしておいて、のうのうと休むなんて許されるはずもありません。
「……自分から、仕事を奪わないでください」
「リトルボス……」
「何かを考えてないとダメなんです。何かをしていないとダメなんです」
そんなラキャさんも、患者を診察している時だけは何も言ってきません。
彼女だって分かっているんです、患者を治療する事の大事さを。
だから自分がサボろうとしない限り、ラキャさんは自分を責めないのでしょう。
「さあ、まだまだ頑張りますよ」
「……」
そう言えばアリア大尉も、恋人が死んだ時。
何も考えたくなかったからか、没頭するように自分の仕事を手伝ってくれましたっけ。
今なら、大尉の気持ちがよくわかる気がします。
患者さんを前にして奮闘していられる方が、ずっとずっと気が楽になるのです。
「では次の患者さんどうぞ」
その自分の呼び声に合わせて、二人の兵士が自分の目の前に歩いてきました。
一人は足が折れていますね。
もう一人は、そんな兵士に肩を貸している様子です。
「では、負傷の状況を教えていただけますか。見た感じ、足でしょうか」
「爆風で吹っ飛んできた岩に、足を潰されて」
「……成程。ですがご安心ください、これなら整復すれば歩けるようになれますよ」
自分はいつものように患者さんに声をかけ、用意して頂いたお湯で創部を洗い流しました。
泥や腐った骨片などを取り除いた後、骨を元の形に固定しましょう。
そして魔力に余裕が出来たタイミングで、回復魔法を軽くかければオッケーです。
「お願いします、衛生兵さん……」
「ええ」
さあ、いつも通り頑張ります。
だって、こうして働いている限り、自分の心はとても穏やかで────
「おい」
「はい、何でしょう」
「……どうした。眼が虚ろだぞ、おチビ」
タオルを手に取って屈んだその時、とても聞き覚えのある声が自分に話しかけてきました。
自分がハッと顔を上げたら、そこでやっと足を折った兵士に肩を貸していたのが、
「ロ、ロドリー、君?」
「気付いてなかったのかよ」
ガーバック小隊の旧友にして、自分にとって誰より大切な仲間の一人。
ロドリー君だったことに気付きました。
「何で、えっと」
「……新米が歩けないって言うから担いできてやったんだよ」
「あ、いや、その」
今ロドリー君に会うと思っていなかったので、ぐるぐる、と頭が混乱し始めました。
ロドリー君には、大きな怪我は見当たらなそうです。
本当に負傷者の介助でついてきてくれただけなのでしょう。
「おお、君は確か……。私の小さな小隊長と、劇場デートに来てくれた男の子だね」
「お、アルノマさんだっけ、そう言えば居たんだったなアンタ。俳優さんがよくこんな激務やる気になったもんだ」
「ここまでの激務とは聞いてなかったけどね」
と、取りあえず落ち着きましょう。
今の自分の仕事は、この目の前の負傷兵を治療する事です。ロドリー君が肩を貸しているのは、関係ありません。
まず、丁寧にデブリ(汚い組織を除去すること)を行ってから、洗浄を……。
「見てくれ、うちの小隊長はどう見ても限界なんだよ」
「……だな。まーた、何か溜め込んでるのかおチビ」
「君、恋人なら何とか休むよう説得してくれないか。私やケイル副小隊長がどれだけ進言しても、受け入れてくれないんだ」
「あ? 恋人?」
「ちょっと、アルノマさん!?」
丁寧にいつも通り、処置をしようとしたらアルノマさんがとても余計な口を挟んできました。
変なことを言わないでください。
「デートしてたし、違うのかい?」
「違います、前にそう説明しませんでしたか」
「恋人ってか妹だなァ。ま、それはどうでも良いや」
ロドリー君は照れた様子もなく、自分を睨んで溜め息を吐き、
「おう、おチビ。お前さ、信頼される小隊長になるとか言ってなかったか?」
「へ? え、ええ」
「部下の二人が口揃えて休めって言ってんなら、ちゃんと休め」
ペチン、と自分の額を指で弾きました。
「あ痛っ!」
「お前も俺もまだまだ新米なんだから、部下といえど年上の意見は尊重しましょう。はい復唱」
「え、え?」
「お前はまだチンチクリンの新米なんだから、部下の言うことを尊重しましょう。良いから復唱しろやァ!」
「は、はい!」
自分はロドリー君の一喝を受け、慌てて彼の言葉を復唱しました。
あれ、でもちょっと待ってください。何で自分が、ロドリー君に複唱を命じられなければならないのでしょう。
ロドリー君、上等歩兵ですよね。自分の方が、階級、上ですよね……?
「撤退戦の話、聞いたぜ。ヴェルディさん、今回のお前の誘導をベタ誉めしてたぞ」
「あ、いえ、自分は」
「だけど、ヴェルディさんが今回戦果をあげたのも、ちゃんと部下の提案を受け入れたからだ。だったらお前もちゃんと、他の人の意見を受け入れねぇと」
「で、でも」
「チラッと顔見ただけで、今のお前のヤバさくらい分かるわ。そんな顔色じゃ処置される側も不安だっつの」
ブツクサとロドリー君は自分へそうボヤいた後、
「俺がやった変な狐人形でも、抱き締めて寝てこい。この新米が足折ったのは自業自得だから放っておいても構わねぇから」
「え、ロドリー分隊長?」
「新米が調子乗って前に出すぎるからだ。次からはちゃんと、アレン小隊長の指示に従え」
自ら運んできた負傷兵に説教しながら、自分の首根っこをヒョイと掴んで立ち上がらされました。
「でも、ロドリー君」
「でももクソもねェ」
そのまま自分はシッシと追い払われそうになります。
ですが今、自分が一人になってしまえば、またあの幻覚に苛まれる事に……。
「どうした、歩かねぇなら引きずっていくぞ」
「……」
……。
「その。では一人になるのは怖いので、引きずってください……」
「あ?」
暗闇に立つラキャさんを思い出して体が震えそうになったので。
自分は半ば、懇願するようにロドリー君の手を握ったのでした。
「……あー。そんで思いつめた顔してたのかよ、おチビ」
「だって自分のせいで、ラキャさんが」
結局、自分はロドリー君に手を引かれて休憩所を目指すことになりました。
彼が連れてきた負傷兵は、ケイルさんが引き受けてくれることになりました。
「んなもん気にせずとっとと忘れて、糞して寝ろ」
「で、ですが!」
「初めて小隊長を任された人間が、何でもかんでもできる訳ねぇだろ。アレンさんだってポカしまくってんだぞ」
「……」
その間、ロドリー君に何をそんなに悩んでいるのかと聞かれ。
自分は先の奇襲の際、自らの不手際でラキャさんを死なせてしまった事を打ち明けました。
「西部戦線の時とかも、戦友なんて死にまくってたじゃねぇか。何をいまさら」
「だって、ラキャさんは自分の部下で」
「部下だって新米なら死ぬよそりゃ。お前、ガーバック小隊長を思い出してみろ」
自分はあの優しく、素直で明るかったラキャさんの事を思い出すたび泣きそうになります。
ですが、ロドリー君は自分の話を聞いてもやれやれと言った顔をするだけでした。
「おチビ、お前が小隊長としてガーバック軍曹に勝ってるところがどれだけある?」
「へ?」
「あの人はアホみたいに厳しいしムカつくけど、上官としちゃ優秀だった。それで、おチビはどうだ」
ロドリー君は自分とガーバック小隊長を比べてみろと言いました。
そんなの、考えるまでもありません。衛生小隊長に任命されてから何度、自分がガーバック小隊長だったらと夢想したか分かりません。
自分は、何もかも彼に届いておりません。
「そんなの、自分とエースを比べる事なんて」
「ああ、そりゃそうだ。だがそのガーバック小隊長ですら、突撃するたびに毎回死者を出してたんだぞ?」
ロドリー君は呆れるように、そう言いました。
「お前は責任感を持ちすぎなんだよ。部下の命を軽視しろとは言わないが、重荷として背負いすぎるな」
「あ、でも」
「もし、今のおチビがガーバック小隊長なら……。その死んだラキャって衛生兵の死を気にも留めず『今度はもっと使える部下をよこせ』ってレンヴェル少佐に詰め寄っていただろ。絶対」
……。確かに、ガーバック小隊長なら部下の死なんて一切気にしなさそうですけど。
「ですが、自分にはあっさりラキャさんの事を忘れて切り替えるなんて無理です」
「ま、お前にゃ無理だろうな。だけど、抱え込みすぎて他の部下に心配かけるのはいただけねェよ」
「……」
「俺達にはとても頼りになった先輩が居ただろ。あの人の言葉を思い出せ、話はそれで終わりだ」
ロドリー君はそういうと、自分を休憩場所である倉庫のドアの前で手を振って、
「今は悪いが俺も忙しくてな。また、休養日が貰えたら顔を見に来てやるよ」
「あ、ええ、どうも」
「あんま思いつめるなよ」
そのまま忙しそうに、診療場所まで引き返してしまいました。
───仲間の死を悲しんで、前に進む強さを持て。
そんな誰より優しくて、格好の良かった先輩の声が頭に響きます。
ラキャさんの死は悲しい事です。そしてあの夜は、小隊長として反省すべき事の多い経験となりました。
ですが、前に進まなければいけません。彼女の死を悲しんで、立ち止まっている余裕なんて自分にはないのです。
「……ラキャさん」
暗い倉庫には、やはりラキャさんがまだ立っていました。
彼女は恨みがましい目で、自分をジトっと見つめてきています。
申し訳ありません。自分はラキャさんのことを忘れたりはしません。
ですが、今立ち止まってしまったら、救える命を救えなくなるかもしれないのです。
「……そうだ。狐さんの、お人形」
自分はロドリー君に言われた通り、幼いころから愛用していた狐人形を胸に抱きしめました。
この人形を抱いて寝るのは、自分が小さな頃によくやった睡眠方法でした。
何かに掴まってベッドに入ると、自分はとても安心して眠れたのです。
「……」
ロドリー君の勧めた方法は、効果覿面でした。
人形を抱いた瞬間にラキャさんの姿が薄くなり、気にならなくなってきて。
自分は半透明のラキャさんの見守る中で、やがて静かに寝息を立て始めたのでした。
「……すみません、ご迷惑をおかけしました」
「おっ」
ほんの1時間だけの仮眠のつもりでしたが、目を覚ましたら既に空が夕方になっていました。
どうやら自分は誰にも起こされず、かなりの時間休ませていただいたみたいです。
「かなりの時間、ケイルさん達にお任せしてしまったみたいですが大丈夫でしたか」
「安心してくれ、今日は撃ちあいが無かったみたいで。何とか回ったよ」
「お疲れさまでした、今からは自分が頑張りますので少しお休みください」
ぐっすりと睡眠をとれたのは、随分久しぶりな気がします。
あれもこれも、ロドリー君のお蔭でしょうか。
彼に話を聞いていただいて、ぐっと心が軽くなった気がします。
「そうか……、今は患者さんも少ないしね。じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらおうかな」
「うん、良い顔色になったね。これなら、大丈夫そうかな」
「……昼までは土気色だった」
「ご心配をおかけしました」
アルノマさんやエルマさんも、自分の顔を見て安心した様子でした。
そんなに、休む前の自分はひどい顔をしていたのでしょうか。
部下に心配をかけるとは、反省です。
「では、頑張りましょう」
「はいな」
こうして自分は、何とかメンタルを整えることが出来ました。客観的に見返すと当時の自分は、かなり追い詰められていたと思います。
あのまま無理をし続けていたら、精神的にぶっ壊れた新米兵士のような状態に陥っていたかもしれません。
そうしたら、部隊にどれだけ迷惑をかけたでしょうか。
ガーバック小隊長も「自棄を起こした新米が役に立つことは無い」と断言していました。
反省です。
「にしてもあのロドリーって兵士、なかなか見所あったね」
「……ちょっと言葉遣い汚いけど、根はいい子っぽいわ」
「ええ、彼は優しくて頼りになる、最高の戦友です」
後、ロドリー君については自分の部隊のメンバーからも評価は上々でした。
彼が褒められるのを見て、何故か自分も良い気分になりました。
「でも向こうはあんまりなリアクションだったけどねぇ」
「いや。気のない素振りをしてたけど、アレは押せば何とかなるんじゃないかな」
「しっかりアピールすれば、十分な可能性を感じるわ」
「……? 何の話ですか」
ただし、そんなロドリー君の襲来に一つだけ弊害があったとすれば。
「小隊長、ファイトだ」
「……ま、頑張りなさい」
「え、ええ。気合を入れて、頑張ります」
部下の間でどうやら、自分がロドリー君に片思いしているという誤解が広がってしまった様です。
途中で気づいて否定をしたのですが、アルノマさんやエルマさんもニヤニヤとしているばかり。
まったくもって面倒です。
……ラキャさんが生きていれば、どれだけこの話に食いついたでしょうか。
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