第55話


「やってくれたな、ヴェルディ。私は前々から、お前に見所があると思っていたぞ」


 敵に分断・包囲されたヴェルディ中隊は、誰からの援護を受けることなく独力で撤退に成功しました。


 その戦果はアリア大尉を大いに驚かせ、そして喜ばせたそうです。


「……え、あ、どうも光栄です」

「どうした? 歯切れが悪いな、もっと誇れ」



 ヴェルディさんが撤退に成功させた部隊には、衛生兵など非戦闘員が多く交じっていました。


 撤退戦は、非常に難しいです。


 熟練の指揮官でも、昨晩のように包囲が完成されかかっていた状況であれば、全滅は必至でしょう。


 そんな非常に難しい撤退を、少尉になったばかりの従弟ヴェルディがやってのけたのですから、アリア大尉の喜びはひとしおだったと思われます。


「報告の通り、私はトウリちゃんの案内にしたがって脱出しただけですから。今回の功績は、彼女に帰属して……」

「馬鹿言え、立派なお前の手柄だよ」


 ヴェルディ少尉は当初、自分に手柄を譲ろうとしたようです。


 あの撤退戦の際、道筋を指示したのは自分で、その安全を確認していたのはファリス准尉でした。


 そんなヴェルディさんは「部下に任せて何もしていない自分が、功績だけ受け取っていいのか?」と、罪悪感に囚われていたそうです。


 ですが、


「指揮官の職務は、自分で作戦立案ができればそれに越したことはないが。部下の提案を吟味し、適切に採用するのも大事な仕事だ」

「……」

「お前は、まだ実績も殆どない衛生兵の提案を自己責任で採用し、戦果をあげた。紛れもなく昨晩の撤退劇は、トウリの案を採用したお前の戦果に違いない」


 アリア大尉は、自分に戦果を譲る提案を却下しました。


 そして昨日の戦果は紛れもなくヴェルディ少尉の功績であったと告げ、


 ついでに、『これ以上トウリを昇進むりさせてどうする』と苦笑したそうです。




 このアリア大尉の判断には助けられました。


 当時の自分は、小隊長という立場にいっぱいいっぱいでした。


 しかもこの時はラキャさんの件で打ちひしがれており、表彰を受けられるような精神の余裕は有りませんでした。


「トウリへの褒章は、地位ではない何かを考えよう。今回の戦功はお前が受け取っておけ、ヴェルディ」

「了解です、従姉上あねうえ


 結局、この撤退戦の功績の殆どはヴェルディさんに帰属することとなります。


 それによりヴェルディさんは中尉に昇格となり、勲章を授与されることになったのだとか。


 ヴェルディさんは『また新しく仕事を覚えないといけないのか』と苦い顔をしたそうです。



 実際、本作戦におけるヴェルディさんの功績はとても大きいものでした。


 敵に認知されぬまま撤退を成功させた事により、サバト軍は夜闇の中、いる筈のない我々を夜通し探し回ることになりました。


 そして夜が明けて太陽の光が平野を照らし始めると、



「敵の位置を確認した。魔導部隊、反撃せよ!」

「おっしゃぁ!!」



 アリア大尉率いる魔導部隊とレンヴェル少佐が回してくださった応援部隊が、サバト軍へお返しの砲撃を撃ち込んだのです。


 昨晩の夜襲で魔石を使いきってきたサバトはこれに撃ち返す事ができず、総撤退に追い込まれました。


 そして互いに距離を取り、森林や平原の起伏に隠れて睨み合うことになりました。



 我々はサバトの奇襲砲撃でそれなりの被害を受けましたが、敵も同じくらい被害を受けていると予想されるそうです。


 不意打ちの奇襲を食らったのに被害が互角なら、上出来と言う他ありません。



「敵だ、塹壕を掘れ」

「歩兵の仕事は穴堀りだ!」



 敵軍の奇襲を受けた後。


 我々はマシュデール付近まで後退し、塹壕を作り始めました。


 敵を見つけたら、まず塹壕掘り。これが、戦争の基本です。


「このまま敵を、釘付けにしてやろう。後方の補給線を、南部軍が切ってくれるまで」

「いや、多分そのうち敵は逃げ出すぞ。追撃のチャンスを逃すな、偵察兵はよく見張っておけ」


 マシュデールは首都とかなり近い拠点です。この場所に戦線を構築できれば、オースティンがかなり有利です。


 補給線の長さが違いすぎるので、我々は楽に補給を受けることができますが、サバトはその限りではありません。


「追撃戦で、サバトに地獄を見せてやる」


 そして逃げる敵を追撃する場合、基本的に追撃する側が有利です。


 士気が違いますし、背を撃つ方が向かい合って撃ち合うより楽に決まっています。


 面倒くさいのは、ちまちま塹壕を構築して隠れつつ、罠を撒かれて撤退されるケースですが……。


 その時は、先行部隊が頑張ってくれるでしょう。


 








「……全身水脹れ、この方はもう助かりませんね。次の方を運んできてください」

「了解です、トウリ小隊長」


 そして戦争が始まったと言うことは。


 我々衛生兵にとっても、地獄が始まると言うことです。


「リトルボス、大丈夫か?」

「ええ、自分は問題ありません。それより、アルノマさんの補助を」


 我がトウリ衛生小隊は、命の危機に晒された上に仲間を2名も失い、精神的にも人員的にも大きな被害を受けました。


 オーディさんやラキャさんと仲の良かったメンバーはショックが大きく、普段よりミスが目立つようになりました。



 しかし、患者は決して待ってくれません。


 負傷兵は次から次へと、我々の下に運ばれてきます。


「リトルボス、昨晩から働きすぎだ。ずっとフラついてるじゃないか」

「いえ、自分はこれくらい慣れっこなので」

「……せめて、秘薬を飲んできたらどうだ? 見てて危なっかしいよ」


 そして、普段通りのコンディションを保てていないのは自分も同じようです。


 まだ徹夜1日目だと言うのに、眩暈と吐き気で頭がガンガンしています。


 これは、精神的なものでしょう。


 ラキャさん達を見殺しにしてしまったと言う罪悪感が、自分を苛んでいるのです。


「では、薬を取ってきます」

「……」


 しかし、今は心の問題で休んでいる場合ではありません。


 ケイルさんも奮闘してくれていますが、癒者の手が全然足りないのです。


 以前の、マシュデールの前線診療所なら集中治療の必要があれば後方に送るよう指示するだけで良かったのですが。


 今回は、助かりそうでかつ治療のコスパの良い患者を選別し、この場で処置をしないと回らないのです。


「次の患者はアルノマさんに振ってください」

「……わ、わかった、やってみるさ」

「すぐ戻ってきます。厳しければ泣きついてください」


 そう言って、自分はフラフラと歩きながら輸送物資の置いてあるマシュデール内の簡易倉庫へと移動しました。


 休んでいる暇はありません、死んでいった二人のため、もっともっと働かないと。








 倉庫の中は、真っ暗でした。


 秘薬は地面に敷かれたシートの上に並べられており、まだまだ数は残っています。


 そのうち一瓶を手につまむと自分は蓋を開けて一気に飲み干しました。



「ああ、何だか心が軽くなっていく」



 この薬には、高揚効果があります。


 辛いことや苦しいこと、嫌な気分などを一時的に忘れさせてくれるのです。


 それは、何と素晴らしいことでしょうか。


「……おや」


 薬を飲み干すと、頭痛が止まりました。


 そしてフワフワとした酩酊の中で、倉庫内にいるある人物と目が合います。


「……」

「また、ここに来たのですか」


 その少女は無表情に、倉庫の中央に立っていました。


 彼女は全身に火傷を負って、ズタズタに軍服を切り裂かれ。


 生気の無い真っ白な肌色で、瞳孔の開ききった目を此方に向けています。


「……ラキャさん」


 そう。


 自分はあの日以来、時おり暗闇に彼女の姿が見えるようになったのでした。 




「あれはラキャさんが悪いんですよ。自分の命令を無視するから」


 このラキャさんは幻影です。


 あの15歳で何もわからぬまま騙されて従軍した少女は、恐らく爆風に巻き込まれて戦死したでしょう。


 だから、こんな場所にいるはずがありません。


「自分はちゃんと、撤退を指示しましたから。その命令を無視し、オーディさんを背負いにいったのはラキャさんです」

「……」

「命令の遵守の重要性は、何度も説明したでしょう。そんな目で自分を見ないでください」


 これは、自分の心の産み出した幻覚です。 


 それは理解しているのですが、


「……」


 ラキャさんは責めるような目を向けたまま、ずっと無表情に自分を睨んでくるのです。


 言い訳をしてしまうのも、仕方ないと言えるでしょう。


 そうです。


 あの一件は、ラキャさんの自己責任。自分の責任ではありません。


 そのまま命令の通り、オーディさんを見捨て逃げ出していれば。


 オーディさんは殉職したかもしれませんが、ラキャさんだけは助かっていたのに。


 そう、彼女が言うことを聞かないから────



「……」



 本当に、そうなのでしょうか。


 果たして、ラキャさんは命令無視をしたのでしょうか?


 いえ、間違いなく命令を無視はしたのですが、その自覚は彼女にあったのでしょうか?



 ラキャさんは、新米です。


 彼女は集合時間すら守れぬ程に、軍隊と言うものを理解していない一般人です。


「……もしかして、ラキャさんは」


 自分が初めて戦争に参加した頃は、どうだったでしょうか。


 サルサ君と二人で、ガーバック小隊長の背中を追いかけて走っていた頃。


 空から無数の砲撃が飛んできて、サルサ君が魔法罠で足を負傷した時、自分はどうしたでしょうか。




 命令無視した自覚もなく、サルサ君に駆け寄って助けにいったのはどこの誰?




「……もしかして貴女は、負傷した仲間を助けるのは常識だと思っていて。自分の命令に違反したつもりなど、なかったのですか?」



 そうです。


 サルサ君を助けた時、自分はガーバック小隊長の命令に逆らっているなんて自覚はありませんでした。


 他人が危険な場所で動けなくなった、だから助けよう。


 そんな、一般人の当たり前の感覚で、行動を起こしました。



「ああ、それなら理解できます」



 ラキャさんは心優しい少女です。


 心優しいからこそ、回復魔法の素養が発現したのです。



「その過ちは、自分も犯したことがありました」



 命令を無視したと言う自覚すらなく、上官の想定と全く違う行動を取ってしまう。


 成る程、これが新米が命を落とす理由なんですね。


 ラキャさんには、この命令伝達の重要性を先に話して指導しておくべきでした。



 新米兵士が、そんなミスを犯しうる事を自分は知っていました。


 だって、そのミスについてはガーバック小隊長に全身骨折する勢いでボコボコに殴られ、指導を受けていましたので。


 ああ、あの時のガーバック小隊長の指導は正しかったのです。


 サルサ君を助けに行った時、一歩間違えれば自分は死んでいたのです。


 当時はガーバック小隊長の苛烈すぎる暴力に対し不満すら感じていましたが、小隊長の立場になって初めてわかりました。


 あの戦場のエースが、自分にトラウマを植え付ける勢いで体罰を科したその意味を。



「……なら」



 なぜ自分は、ガーバック小隊長の話をラキャさんにしなかったのでしょうか。


 かつて自分が指導を受けたその話を、どうして同じ新米であるラキャさんに共有しなかったのでしょうか。


 もしその話を前もってラキャさんが聞いていたら、オーディさんを背負いに行ったりはしなかったんじゃないでしょうか。



「そうですか。つまり、ラキャさんが死んだ原因は」

「……」



 青白いラキャさんの生気の無い目が、ずっと自分を射抜いています。


 彼女は死にました。


 爆風に巻き込まれ、蹴っ飛ばされた空き缶の様に夜の闇に消えていきました。


 もしかしたら、暫く息があったかもしれません。


 燃えるような全身の火傷の痛みに苦しみながら、自分達が誰も助けに戻ってこないことを知り、絶望して死んでいったかもしれません。


「自分の怠慢が原因、だったと。貴女ラキャはそう仰りたいのですね」


 鼓動がドクンドクンと早くなります。


 無言で恨みがましい目をしたラキャさんが、倉庫の中でじっと睨み付けてきます。


「……ああ」


 その視線を受けて、自分は微かに息が切れ始め、頭痛と目眩が襲ってきました。


 彼女の怒りには、正当性が十分にあったのです。


「そうです、その通りです────」


 吐きそうになりながら、自分はラキャさんの前に屈み込みました。


 ごめんなさい、申し訳ありません、自分はあまりに上官として未熟でした────






「おーい! リトルボス、大丈夫か!?」

「へ?」




 次の瞬間、倉庫の扉が開かれて。


 心配そうな顔のケイルさんが、自分の前に姿を見せました。


「ずっと戻ってこないから、声を掛けに来たんだ」

「ああ、すみません。少し、ボーっとしていたようです」

「その、ボス。……何を、ブツブツ言ってたんだ?」

「いえ、別に」


 ケイルさんに声をかけられ、自分は慌てて立ち上がります。


 こんな所を、年上とはいえ部下であるケイルさんに見せるわけにはいきません。


「すぐ、戻ります」

「……ちょっと休んだ方がいいんじゃないか? ボス、あんたの顔色すごいことになってるぞ」


 ……ああ、やってしまいました。


 ただでさえ貴重な時間を、幻覚とお喋りして潰してしまうなんて。


 ケイルさんは、呆れてないでしょうか。


「いえ、心配をお掛けしてすみません。もう大丈夫です」 

「そうか……」


 まだまだ患者さんは運ばれてきています。


 ラキャさんを殉職させた反省は、後からでも出来ます。


 今はラキャさんの事は一旦忘れ、救える命の為に奮闘するべきです。


「では、行きましょう。ケイルさん」

「あ、ああ」


 自分は気合いを入れ直し、ゆっくり立ち上がりました。


 眩暈やふらつきも、薬のお陰かマシになっています。


「おや、どうしたんですか」

「……リトルボス?」


 心地よい酩酊の中で、自分はその場で振り返り。


「早く行きますよ、ラキャさん」

「……っ」


 いつまでもその場に立って動かぬラキャさんに、声を掛けたのでした。

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