第57話
「おい、今日もサバトの連中、後退してるぞ」
「そりゃ良い」
オースティンとサバトが睨みあって、1週間ほど経ちました。
その間に激しい交戦は発生せず、両軍は静かな睨み合いを続けていました。
この時は、お互い攻勢に出難い状況でした。
首都で新兵を補充したとはいえ、決して兵数の多くないオースティン軍。
攻勢に出て返り討ちにされたら、今度こそ態勢を立て直せなくなるでしょう。
一方でサバトは兵数は勝るものの、武器弾薬の補給線が危ういので大きな作戦行動がとれません。
オースティン軍を返り討ちに出来るだけの弾薬を保持するために、攻勢に出られなかったのです。
そもそもサバト側は、こんな場所で戦線を押し上げても全く旨味がありません。
本音を言えば撤退したいのでしょうが、正面にオースティン軍が展開されているので、背を向ければ大きな被害が予想されました。
結果、両軍は大きな戦闘を起こさないまま、ジリジリ西に向けて戦線を移動するに留まっていたのです。
「このペースなら、そのうち南部軍が敵の補給線を切ってくれるだろう。我々は余計な事をせず、敵を足止めすればよい」
そんな戦況でしたので、レンヴェル少佐は手堅い戦略を取りました。
彼は塹壕で堅実に守りを固め、敵がしびれを切らして逃げ出すのを悠々待ったのです。
敵もこのレンヴェル少佐の動きの意味を察知していたので、大胆な撤退行動を取れず。
かくして戦況は持久戦の様相を呈し始めていました。
そんな、硬直した戦線を大きく動かしたのは、天の神様でした。
「げ、雪……」
秋の終わりごろ。
神様がサバト軍に味方したのか、はたまた敵はこの天候を最初から待っていたのか。
我々の睨み合う塹壕に、真っ白な粉雪が降り始めたのです。
「雪が強まってきました」
「くそ、冬はまだ先のはずだろ?」
待っても雪は止まず、少しづつ降り積もり、大地を銀色に染め上げました。
そして雪のせいで、我々の視界はどんどん悪くなりました。
「敵が撤退の準備を整えています」
「まずい、敵を逃がすな」
気温が急激に下がり、兵士たちが凍える中。
サバト軍は待ってましたとばかり、視界不良に乗じて撤退を始めます。
無論、我々も追いかけたのですが……。
「サバトの連中、防寒具をしっかり用意してやがる」
「これは、追いつけないかも」
オースティンと比べ、サバトの気候は非常に寒いことで知られており。
冬用の防寒装備は、冬国である彼らに大きな分がありました。
気温が下がる事は兵士に、馬鹿にできない疲労を与えます。
体温を維持するためにより多くのエネルギーを必要とするので、同じ距離を走るにしても疲れ方が全然違うのです。
「……逃がしたか」
この様に防寒具の質は、進軍速度に大きく関わります。
無論、冬が近い事はわかっていたので、我々も防寒具は用意していました。
しかしオースティン産の防寒具は、性能がサバト製に比べかなり劣るのです。
こちらの防寒具は、厚手の布で作られた手袋と帽子、そしてコートです。
このコートは所謂トレンチコートと言われるもので、塹壕内で使用される前提で製造されました。
薄手ではありますが、雨の中でも戦える様に防水性を担保されているのが特徴です。
一方でサバトの防寒具は防水性は低いですが、その分寒さに耐えることに特化しています。
毛皮まで使用したそのフカフカのコートは、サバト兵士を極寒からよく守ります。
その代わり、雨には強くありません。水を被ると、すぐ傷んでしまうそうです。
こんな仕様なのは、サバトの冬は水なんか凍り付くからです。
寒さに強ければそれでよし、という設計なのでしょう。
この防寒具の観点から冬場の戦闘は、温暖気候ではオースティン軍に、寒冷地ではサバト軍に分があります。
今回は、この有利を突かれる形でサバトに撤退を許してしまいました。
「……何て冷え込みだ」
かくして、雪に紛れ撤退したサバト軍を追いかけながら我々は進軍を続けます。
敵を見失ったため、我々は再び奇襲を警戒しながら偵察を密に行わねばなりません。
日を追うごとに冬は徐々に厳しさを増してきて、西に進むにつれてどんどんと気温は下がり、吐く息が白く濁ります。
「……」
冬に入ってから、レンヴェル軍の進軍速度は1日に5km以下になっていました。
移動距離は減ったものの、寒さは兵の体力を奪い続けるので疲労度は変わりません。
もしかしたら、寒さで夜も震えているせいで前より疲れている可能性すらあります。
「どうして、今年に限って」
この冬入りによる被害は、オースティン軍の想定を大きくずらしてしまいました。
どうやら今年は異常気象で、例年より1か月以上冬入りが早かったようです。
冬将軍の登場でオースティン側は、せっかくの攻勢の好機に水を差され。
態勢を立て直す時間が欲しかったサバト側にとっては、最強の援軍の到来と言えました。
戦闘が起こらなくなるのは衛生兵にとってありがたいのですが、偵察兵にとっては地獄です。
肌も凍り付きそうな雪景色の中を走りまわって、より見つけにくくなった敵部隊を索敵し、安全な進路を確保せねばなりません。
今まで通り強行軍を維持するなど、不可能なのです。
「……天はオースティンを見限ったのか」
冬入りによる少佐の落ち込み様は、それは凄まじいものでした。
何故ならこの異常気象のせいで、レンヴェル少佐の目論みは全て崩壊してしまったからです。
この時、オースティン首脳陣は『北部決戦構想』というプランを下に動いていました。
これはレンヴェル少佐の主張した『自軍の総兵力を以て敵の主力を短期決戦で打ち破る』という作戦案でした。
具体的な方法として、南部軍が補給線を破壊しサバト軍を突き上げれば、敵軍は残った補給線を頼りに北上していくと予想されます。
敵の主力が北部に集まるのに合わせ、オースティン側も兵力を結集させて総叩きにするという、ちょっと無理がありそうな作戦です。
我々の総戦力は、やはりサバトに大きく劣ります。
全ての作戦が上手く行ったとしても、倍近い兵力差があるサバト軍を決戦で打ち破らないといけないというハードモードな構想なのです。
しかし、他にオースティン側に勝機のありそうな作戦が少なかったのも事実でした。
国土の大半がサバトに焼かれたので、我が国に長期戦を行うだけの生産力はもうありません。
実のところ、南部軍が奇跡の大勝を収めたこの機を逃さず、短期決戦を挑んで打ち破るのが一番現実的な勝ち筋でした。
オースティン北部は主要都市が少なく、大規模な戦闘を行っても被害は大きくありません。
大きな戦闘が予想されるので、前もって避難誘導を行う事も可能です。
更に窮鼠となったオースティン側の士気はかつてないほど高く、一転窮地に陥ったサバト軍の士気は低いと予想されました。
オースティンが生き残るには、敵主力との決戦に勝利するしかない。
そんなレンヴェル少佐の演説の結果、北部決戦構想は可決されました。
決戦は3か月後。
冬入り前までにサバト軍を北に追い込み、3か月後に首都ウィンから送られてくる1万の動員兵と合流し、決戦するプランだったようです。
「冬前に、せめて南部軍と合流したかったが」
「厳しいでしょうな」
しかしこの起死回生のプランは、残念ながら冬将軍に阻まれてしまいました。
進軍速度が大きく落ちてしまった今、想定していた地点までサバト兵を押し上げるのは困難です。
この豪雪では、南部軍の進撃も止まる事でしょう。こんな天候で、寒さに慣れていないオースティン側から作戦行動を仕掛けるのは危険すぎます。
しかし今ここで我々の反撃が止まってしまうと、敵は広い戦線を維持したまま来年を迎える事が出来ます。
そのまま再び長い塹壕戦になれば、生産力の差で我々の敗北は必至なのです。
こういった背景から、レンヴェル少佐は早すぎる冬の到来をこの上なく嘆いたのでした。
そんな、上層部の思惑なんていざ知らず。
我ら衛生小隊は、日々の業務に追われて忙しい日々を過ごしていました。
「凍傷で、指が……」
「これは、しばらく指が腫れあがりますよ。どうして手袋は使わなかったのですか」
「賭けで負けた罰ゲームで、1日防寒具を外したんです。風邪もひいたみたいで、ヘーックチュ」
「……」
戦闘による外傷こそありませんが、冬に入ってから凍傷で患者が増えました。
雪を舐めた行動を取った兵士がしばしば、我々の元へ折檻の傷跡と共にやってきました。
「凍傷の患者さんの半分くらいは、自業自得なような」
「首都はあまり雪が降らないんだ。だから、兵士もはしゃいでしまったんだろう」
首都に1年以上住んでいたアルノマさんは、そう教えてくれました。
やはり今のレンヴェル軍の兵士の質は、お世辞にも高いとは言えません。
彼らが一人前の軍人になるまで、それなりに年月がかかるのでしょう。
自分だってまだまだ、新米のひよっこ衛生兵なのです。
「おう、衛生兵長。機嫌はいかがか」
「ファリス准尉殿」
冬になって変わったことと言えば、しばしばファリス准尉殿が衛生小隊に顔を出すようになったことでした。
進軍速度が落ちた煽りで、歩兵に時間の余裕が増えたのでしょうか。
そしてファリス准尉がここに顔を出す理由と言うのが、
「前々から、衛生小隊とつながりを持っておきたかったからな。前の撤退戦で力を合わせた仲だ、そう邪険にすることもあるまい」
と言って茶菓子を持って遊びに来るという、何とも狙いが分かりやすい話でした。
「女は良い。居るだけで、男の心を穏やかにする」
「まぁ、生物の性でしょう」
彼は女好きを隠すつもりはないようで、衛生小隊の若い看護兵を見てニヤニヤと機嫌よくしています。
エルマさんを筆頭に、女性にだらしない殿方が地雷となる看護兵さんは多いです。
だからぶっちゃけ迷惑なのですが、上官ですし手土産に色々持ってきてくれるので、時間があれば自分がそこそこに対応しています。
「トウリ衛生兵長、貴殿も数年すればよい女になるだろう」
「恐縮です」
自分は知っています。こういう兵士は、隙あらば平気でセクハラを仕掛けてきます。
尻を触られるのも仕事のうち、と野戦病院の女性衛生兵も割り切っていました。
ただ、ちょっと前まで普通の看護師さんだったであろう部下に、その被害を見過ごして病まれてしまっても困ります。
「その時は存分に俺と飲んでくれ、ガハハ」
まぁセクハラに関しては未成熟な体型の自分が応対する限り、殆ど飛んできません。
セクハラのキツそうな方の相手は、今後もケイルさんやアルノマさん、自分で応対するようにしましょう。
それと別の問題として。
「……また、腕を庇っていませんか。アルノマさん」
「げ、バレちゃったか」
なぜか最近、アルノマさんがよく負傷するようになりました。
それも、パっと見ではわかりにくい場所……、腹部や腕など軍服で隠れる部位の傷です。
「今度はどうしたんですか」
「気温が下がってから、よく寝起きにフラついてね」
「また転倒ですか」
アルノマさんは恥ずかしそうに負傷しながら、打撲した部分を見せてくれました。
回復魔法を使えば一発なのですが、彼の魔力も大事な軍の資源です。
放っておけば勝手に治る程度の打撲だったので、軽く冷やすように指示をして話を終えました。
「気を付けてくださいね」
「いやぁ、面目ない」
アルノマさんは、とてもハンサムなお方です。
女性看護兵からも評判がよく、しばしばアプローチを受けることもあるようです。
言葉は紳士的ですし、話も面白く、顔も美形。
「……あの。アルノマさん」
「何だい、小さな小隊長」
まさかとは思いますが。
いや、うちの部隊に限ってそんなことは無いと信じたいのですが。
「最近、イジメなどに悩んだりしていませんか……」
「大真面目に、そんな事を聞かれるとは思わなかった」
男の嫉妬による、イジメ。
ケイルさんはそんなことをしないと思いますが、自分がこのアルノマさんの負傷から男性看護兵の方や、その他部隊の男性兵士からイジメをうけている可能性に思い至りました。
「集団ではどうしても起こりうる、非常にデリケートな問題です。特にアルノマさんの様な、嫉妬を買いやすい方はなおさら」
「心配しなくても良いよ、本当にうっかりの怪我なんだ」
「悩みは一人で抱え込まず、周囲によく相談してください。年下の自分に相談するのが恥ずかしいかもしれませんが、自分にはそれを何とか出来る権限があります」
「あははは……」
軍隊でのイジメは、非常に悪辣だと聞きます。
幸いにして自分はまだイジメられたことは無いのですが、信頼すべき戦友から負の感情を向けられて戦うのは想像を絶する苦痛でしょう。
「人間関係に悩みもありませんか」
「本当に何もないんだ、君の思い過ごしさ」
「本当、なんですね?」
「ああ」
自分は心配してアルノマさんに詰め寄りましたが、彼は何でもないと笑って首を振るのみでした。
……、本当でしょうか。しかし、そう言われてしまったからにはこれ以上追及できません。
「では、これから何か困ったことが有りましたらいつでもご相談ください」
「ああ、分かったよ。ありがとう、小さな小隊長」
この日は仕方なく、話をここで打ち切りました。
まだ自分はアルノマさんに小隊長として信用してもらっていないのか、はたまた本当に自分の思い過ごしなのか。
モヤモヤとした感情を胸に残しながらも、自分は仕事に戻ったのでした。
「まぁ大人が、イジメの問題を年下の娘に相談できんだろ」
我が衛生小隊に遊びに来てくれるのは、ファリス准尉だけではありません。
前の宣言通り、ロドリー君やアレンさんもしばしば顔を見せてくれるようになったのでした。
「それに、アルノマさんも良い歳だ。そのくらい、自分で解決できるだろう」
「そんなものでしょうか」
「彼は、劇場で主役を張る舞台俳優だったんだろ? その陰で、どれほどの嫉妬と戦ってきたと思ってるんだ」
「まぁ、確かに」
アレン小隊は、ヴェルディさんの指揮した撤退戦の時、より近かったアリア大尉の本隊側に逃げて分断を避けたそうです。
ヴェルディ中隊が分断されたと報告を受けた際、危険を顧みずに延々と我々の捜索を続けてくれていたのだとか。
まったく、頭が下がります。
「後、俺が来たら妙に看護兵さんたちのテンション高くねェ?」
「……高いでしょうね」
そしてロドリー君が衛生部に顔を出す度、部下から好奇の視線が飛んでくるようになりました。
言わずもがな、例の誤解のせいです。
自分とロドリー君の関係は、彼女等にとって良いゴシップなのでしょう。
「もしかして俺、結構イケてるの?」
「いえ、それは関係ないかと」
ロドリー君はどうやら、看護兵さんのテンションが高いのは自分が格好いいからだという幻想を抱いた様です。
残念ながら、そんなに都合の良い展開はありません。
「どうやら自分が、ロドリー君に片想いしているかららしいです」
「……え? してんの?」
「しているように見えますか?」
別に隠すこともないと考えたので、ロドリー君が勘違いしないよう事実を伝えておきました。
誤解されるような言動を避けてもらう意味でも、伝えておいた方がいいでしょう。
「……お前、そんな気無いよな? 少なくとも俺ァ、そう思ってるが」
「無いですけど」
「だよなァ」
「部下達から見たら、有る様に見えたみたいです」
「そりゃ、災難だったな」
ロドリー君は事実を知って、反応に困ったのか苦笑しました。
一方で、不満げな自分の顔がそんなに面白かったのか、アレンさんは大爆笑していました。
……何がそんなに、面白いのでしょうか。
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