第48話
ラキャさんを連れ帰って、訓練に合流をした後。
夕方、再度ヴェルディさんに呼び出された我々への罰は、10枚ほどの反省文を書かされるだけで済みました。
そして、上官である自分がラキャさんをみっちり指導するようにとお達しを受けました。
「ま、実際のところよくある事なんだ」
聞けば士官学校では、新入生が激しい訓練に耐えかねて逃亡するのは毎年の恒例行事らしいです。
なのでレンヴェル少佐も『逃亡兵くらい出るだろうな』という予想は立てており、しっかり士官学校の警備を固めていたのだとか。
無論、逃亡兵が銃器を持ち出している場合は追手の安全確保のため射殺許可が出ます。
しかし、説得に応じ自分から帰ってきた場合は基本的に処刑しない方針だったそうです。
「この俺に恥をかかせやがって!!」
ヴェルディさんの前に呼び出されたのは自分とラキャさんの他に、2人の男性兵士の上官であろう強面の軍人さんもいました。
彼はヴェルディ少尉に敬礼して退出した後、廊下で不機嫌そうに2人を蹴飛ばし始めました。
「てめぇらのせいで俺のメンツは丸潰れだ!」
今朝、自分の説得に応じて帰順したラキャさんの友人兵士達の顔は、痣だらけになっていました。
どうやら2人は、かなりの折檻を受けた様です。
「あ? 貴様ら、何を見てやがる!」
「ひっ……」
その兵士は機嫌が悪かったのか、友人に声をかけようとしてオロオロしているラキャさんを恫喝しました。
歳は40付近でしょうか? それはくるくると巻いたパーマの、筋骨隆々な髭の兵士でした。
……おそらく少年兵たちは、この人が怖くて逃げだそうとしたのでしょう。
「あの、上官殿」
「あん? 何だぁテメェ」
自分は恐る恐る、そんな強面の彼に話しかけました。
自分も恐ろしいですけど、彼らの小隊長に口添えをするよう約束しましたので、声をかけざるを得なかったのです。
「自分は、本軍の衛生小隊長を務めているトウリ衛生兵長と申します。この度は自分の部下が、貴小隊のメンバーにご迷惑をおかけしました」
「お? ……んだよ、そのナリして小隊長か」
「はい」
さて、この方はどういうタイプでしょうか。
見た感じガーバック小隊長と同類に見えますが……。
「ふーん? 衛生小隊のトップは少女兵と聞いていたが、マジだったんだな」
「まだ若輩ではありますが、誠心誠意、職務に準じる覚悟です」
「そうか」
少し、この人の態度の方が偉そうというか傲岸な気がします。
ガーバック小隊長殿は、もっと純粋に暴力的な感じでした。威張り散らす真似は……時折しか、しなかったです。
「俺はファリス准尉である。俺も人の事を言えんが、互いにしっかり部下の手綱は握らんとな」
「はい、准尉殿」
彼が名乗った名には、聞き覚えがありました。
ファリス准尉。それはつい昨日、ヴェルディさんから聞いた危険人物の名前でした。
「ところでファリス准尉。少しお話があるのですが、お時間よろしいでしょうか」
「あ、俺にか?」
「はい」
……自分はそんな危険なお方に、今から折檻の手心を加えるよう要請しなければならないのですか。
逆切れされて、自分までボコボコにされなければ良いのですが。
「何の用だ?」
「大した用ではないのですが。現状の衛生小隊の状況を鑑みての、お願いになります」
「……ふん?」
まぁ、約束してしまったものは仕方ありません。
それっぽい理由をつけて、言いくるめてしまいましょう。
「見た感じ、貴小隊のお二人はかなりの重傷に見えるのですが」
「それがどうした」
「その。現状、衛生小隊の戦力的に、今まで通り体罰指導を続けられると仕事が回らなくなる可能性が高いのです」
「あ?」
自分は申し訳なさそうな顔で、ファリス准尉に頭を下げました。
「そこにいるラキャを含め、衛生小隊に衛生兵────回復魔法使いは4人しかいません。しかもそのうち、2人は素人です」
「おいおい、そんな状況なのか」
「はい。ですので、各歩兵部隊の小隊長殿に今まで通りの折檻をされてしまうと、負傷兵で溢れてまともな軍事行動をとれなくなる可能性が高いです」
自分の言葉に、ファリス准尉は顔をしかめました。
嘘は言っていません。
「なので、今まで通り激しい体罰を行われていそうな小隊長格の兵士を見かけた場合、自分の判断でお声かけさせていただいております」
「ふむ……、衛生兵の補充はいつ来る? そんな有様で、まともに衛生部が機能するとは思えんが」
「はい、准尉殿。我々先行部隊は、南部戦線の戦力と合流できればまともな衛生部を組織できると思います。あるいは、後詰めの本隊にはそれなりの規模の衛生部が設営される予定です。それまでは、この貧弱な衛生小隊のみで軍を運用せざるを得ない状況です」
「……分かってはいたが、オースティン軍は中々に苦しいのだな」
自分の説得に対しファリス准尉は面白くなさそうな顔をしていましたが、一応は納得したような顔になりました。
これで、多少は体罰が軽くなってくれればよいのですが。
「うむ、ならもっと肉体的ではなく精神的な罰に切り替えるとしよう。衛生小隊の要請は承諾した、今後もよろしく頼むぞ」
「ご、ご理解いただけて幸いです」
ファリス准尉は、納得した顔のまま意地の悪そうな笑顔を浮かべました。
……精神的な罰に切り替える、ですか。
「体罰の方がマシだと思ったが、衛生小隊長がそういうのであれば仕方ないな。よし」
「ほ、ほどほどにしてあげてくださいね」
「馬鹿を言っちゃいかん。適当な指導をされて命を落とすのは、こいつらなんだぞ? 俺は遠慮なく、最大限の教育を施すだけだ」
そんなファリス准尉の言葉に、2人の兵士は顔を真っ青にしました。
もしかして自分は、余計な事を言ってしまったでしょうか。
「体は治療すれば治るが、
まぁただ、実際体罰を繰り返されると業務に大きく支障が出てしまいますので。
精神的な罰と言うものがどんなのか知りませんけど、耐えられる内容であることを祈るのみです。
「そればっかはどうしようもねぇよ、トウリ」
夜。自分は、脱走兵についての一連の話をアレンさんに相談しに行きました。
果たしてこれでよかったのか、他にどうすべきだったかの助言を頂きたくて。
「そのファリス准尉がやってるのは軍では普通の指導法だ」
「はい」
「脱走させないために体罰を軽くして甘やかしたところで、いざ実戦の厳しさを知ってしまえば結局新米は逃げ出しちまう」
アレンさんは難しい顔で、自分の相談に乗ってくれました。
「かくいう俺も、理不尽に怒られて上官を死ぬほど恨んだこともある。だが、戦場ってのは上官なんかよりずっとずっと理不尽だ」
「……」
「気の良くて真面目なヤツが、セオリー通りに壁に張り付いて丁寧な偵察をして、運悪く転がってきた手榴弾で爆死する事が有る。下品で適当な性格の奴が、上官命令を忘れて寝過ごして、その結果部隊で一人だけ助かるなんて事もある」
この時のアレンさんは何処か、実体験を話しているように見えました。
「理不尽に慣れるって意味でも、積極的に介入せず放っておけ。ファリス准尉の腕が確かなら、1か月以内には従順で生意気な兵士二人が出来上がるはずさ」
「成程」
オースティンの新米兵士には、種類がいくつか存在します。
まず、士官学校を卒業してきっちり兵士としての心構えやスキルを身に着けているエリート新兵。
士官学校は出ていないものの、自ら志願しそれなりの期間訓練を受ける事が出来た普通の新兵。
そして、徴兵されたまま訳も分からず送り出された素人。
素人でも銃を構える事が出来れば戦力になってしまうので、西部戦線の後期では練度より補充速度を優先し、政府はガンガン素人を戦場に送り続けてきました。
その名残で、今回の徴発でも素人が大量に動員されてしまったのです。
そんな彼らを普通の新兵にまで成長させるべく、今各部隊の小隊長は必死であれこれと努力しているのでしょう。
「ありがとうございました、アレンさん」
「おう」
だとすれば自分がすべきは、他の部隊の新米兵士を激しい暴力から守ることではなく。
自分の部下として配属された、ラキャさんやアルノマさんを訓練して生存率を高めてあげることです。
少し前まで一般市民だった彼らにとっては過酷な状況ですが、それがいつか自分の命を助ける事になります。
それを邪魔することの方が、彼らにとって不利益となるのでしょう。
そして、結論から申しますと。
自分たちに施されたこの体力訓練は、実はただの訓練ではありませんでした。
毎日毎日、歩調を合わせて重装備を背負ったまま延々と走らされ続けること3日。
ラキャさんはおろか、ケイルさんやアルノマさんなど体力のありそうな男性陣にも疲労が見え始めた頃、
「見よ兵士たち。この一片の曇りもない青空を!」
とうとう、我々先行部隊の出陣の日がやってきたのです。
「晴天の日に出陣するのは、太古の昔より必勝の予兆とされる。これは我々の行く先に、曇りなき栄光の輝きが待っていることを示した素晴らしい天気だ!」
レンヴェル少佐は機嫌よく演説を行い、兵士の士気を存分に高めていました。
その背後に並んでいる将校には、アリア大尉の姿も見えます。
「我々は、サバトの悪鬼に鉄槌を下さねばならない。それは正義を示すため、そして大事な我らの同胞を守るため。神は、そんな我々の大義を祝福してくれている!」
そして我々の見送りのため、数多くの市民たちが城門に集まっていました。
涙を流しながら、兵士に向かって手を振っている年配の方々がいくつも見受けられます。
「さあ進め、勇敢な兵士達よ! 全てを終えてこの首都に凱旋するその日まで、我らは一心同体の兄弟である!」
そのレンヴェル少佐の掛け声とともに、我々オースティン軍は首都ウィンを出立したのでした。
「……あの体力訓練、実際の移動距離とほぼ同じに設定されていたんですね」
首都から出立し、1日間進軍して気づいたことがあります。
それは実際の進軍距離が、訓練中に毎日走っていた距離とほぼ同じだったのです。
「ぜー、ぜー」
「成程ね。あの訓練は単に体力を付けるだけではなく、我々が強行軍についてこられるか試す目的もあったんだね」
我々トウリ衛生小隊は、軍の最後方から味方に引っ付いて前進するだけの役目です。
前方では、偵察兵を飛ばし周囲を警戒しながら進まねばなりません。
そんな前方と比べたら、ただついていくだけの我々は非常に楽な進軍なのですが、
「無理ぃ。もう、足が、パンパンよぉ……」
「む。ラキャ君、どうしてもというならば私が背負って走ろう」
「それは許可できません。アルノマさん、貴方だってギリギリのはずです」
「足が痛ぁい……!」
その代わり、我々衛生小隊は軍でも指折りに体力のない部隊です。
女子供の多く交じったこの部隊は、部隊の進軍についていくだけでも一苦労です。
「どうしてもとなれば、輸送部隊にお願いしてケガ人扱いで軍荷の上で搬送してもらいます。ですが、それは最終手段にしましょう」
「……うー」
「文字通り、お荷物扱いされたくなければ気合を入れて走ってください」
後方には、衛生小隊の他に様々な非戦闘系の部隊が配置されています。
例えば物資の輸送に特化した、大荷物の荷車を引きながら移動する輜重兵部隊。
輜重兵は戦争において何より重要な兵站に関わる、戦場の陰の主役です。
「だ、騙されたわ。こんなの詐欺よ、騙されてとんでもない部隊に志願しちゃったわ」
「奇遇ですね。自分もです」
西部戦線までの兵站輸送には鉄道が使われていましたが、鉄道のない場所には未だに荷車を引いての移動がメインです。
トラックなど自動車も開発されているようですが、高価なために水や魔石の輸送など一部でしか運用されていません。
また、荒れた地で車はまともに走行できないようです。
なので兵站の殆どは、まだ人力や馬車などで輸送しているのが現状です。
「キツかったら無理せず、輸送部隊の人にお願いした方が良いよラキャちゃん。彼らも、疲れ果てた女の子を運ぶ分にはそんなに怖い目をしないハズさ」
「でも輸送部隊の人たち、荒っぽいし下品だからスケベな悪戯されそうで……」
「まぁ、負傷したベテラン歩兵がメインだからな。そりゃあ荒っぽいさ」
因みに、輜重兵部隊は体力勝負なので筋肉モリモリな男性だらけです。
その多くが、腕を撃たれたり片目を失ったりして前線に居られなくなった元歩兵です。
そんな場所に動けなくなった女性兵士が放り込まれたら、そりゃあセクハラの嵐となるでしょう。
「女性だらけの輸送部隊とか無いの?」
「ありますけど、本当に女性だけですからね。力仕事なんてお願いできませんよ」
一方で女性のみで構成された輜重兵も存在してはいます。
それは、炊事洗濯などを行う『洗濯兵』などと呼ばれる人たちです。
洗濯兵は毎日毎日、手作業で洗濯を行って兵士達に清潔な軍服を支給してくれる役割です。
「むしろ、その洗濯兵さんこそ輸送されてんじゃないかな。洗濯兵も新米だらけでしょ」
「一応、体力自慢を集めたとは聞いたけど……。女性メインの部隊はキツいだろうね」
「あまりに脱落者が多いと、進軍速度を落とすことになります。到着が遅れると南部軍に迷惑をかけちゃいますので、頑張ってついていきましょう」
そんな感じにレンヴェル少佐は、過酷な進軍になる事を見越して我々に歩兵訓練を課したそうです。
「うええええーン」
「頑張ってください、ラキャさん」
おそらく、これからはこの進軍速度が日常となるのでしょう。
この時の我々の1日当たりの進軍速度は、10km強でした。
10kmと聞くと大した移動距離ではないように感じますが、重装備を背負った状態で整備されていない道を歩かされれば物凄い疲労になります。
「さて皆さん、今からが本番ですよ」
周囲が暗くなり、進軍が停止され休養の許可が下りた頃。
マシュデールでの撤退戦を経験している自分には余裕がありましたが、衛生小隊の皆さんは大半がバテて倒れこんでしまいました。
「はぁ、はぁ。まだ何かすることがあるのかい、小さな小隊長」
「ええ」
「……また、座学ぅ……?」
「いえ、仕事です」
今から歩兵の皆さんは、明日の進軍に備えて寝床を確保し休養するのでしょう。
周囲では夜営の為に火を起こしている者、小隊長のテント付近に穴を掘って簡易の寝床を作る者など、色々な兵士が散見されました。
ほぼ全員、休養を取る態勢に入っています。
しかし、部隊の進軍が停止して野営の準備を始めた今こそ、我々の仕事は始まるのです。
「日中に連絡を受けていたのですが。転倒して足を負傷した歩兵が1人と、倒れこんで嘔吐をしているらしい洗濯兵さんが1人、診察を受けに運ばれてきます。各自、治療の準備を開始してください」
「……わーお」
「今日は戦闘が無かったのでこの人数ですが、もし敵と接触があればもっと大量の負傷者が押しよせます。そうなれば、このまま徹夜で治療しないといけません。この程度でヘバっている余裕はないですよ」
そう。我々はただ、マラソンする為に先行部隊に配属されたのではありません。
軍全体の負傷者を治療するため、ここに居るのです。
「よし、頑張ろうか。エルマ、点滴の準備を」
「……私に命令しないで」
「今から……仕事……?」
「あは、ははは。さすがの私も、ちょっと後悔してきたぞ」
衛生部の仕事は忙しいですが、その代わりに安全な位置に配備して貰ったりと優遇されている部分も多くあります。
なので、我々は仕事で応えねばならないのです。
「ふむ、了解です。皆さん、患者さんを2名追加だそうです。指導の際の激しい体罰で、歯が折れた兵士が診察を希望している様です」
「……えぇ?」
「この体罰指導を行った上官には、あとで抗議文を出しておきましょう。では、今日はアルノマさんとラキャさんに最初から問診を行ってもらいます」
さて、今夜もそれなりの数の負傷者が送られてきそうです。
負傷者の数が少ないうちに、新米二人をしっかり育てていきましょう。
「……こら、点滴の針を手で触ったでしょう。そんな不潔な管理をどこで習ったの」
「すみません、エルマ看護長!」
「秘薬は、秘薬はーっと」
「ケイルさん、今日は使わないでおきましょう。在庫に限りがあるので、節約していくべきです」
「あ、すまない。前の時の癖でね」
衛生部の仕事は、決して楽なものではありません。
何なら、命の危険がないだけで全部隊で最も過酷な労働環境と思われます。
こんな毎日を過ごす中で、少しづつ体力を付けていってくれると助かるのですが。
「……本当に騙された」
「……ふぅ。愚痴っても仕方ないさ、行こうラキャ君」
こうして。
出陣して初日は、初めての進軍で慣れない人が多かったのか負傷者がそこそこの数やってきました。
その大半が上官からの暴行だったりします。そんな必要のない負傷のせいで、自分達衛生小隊は夜遅くまで仕事を続ける羽目になったのでした。
「……少しは加減して、ケガしないように殴るとかできないのかね」
「あー、もう、無理ぃ……。シャワー浴びてあったかいお布団にくるまりたーい……」
新人さんたちの眼の光がどんどん消えていくその様子が、半年前の自分を見ているようでほっこりした気分になりました。
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