第49話
オースティン軍アリア大隊所属、トウリ衛生小隊の朝は早いです。
歩兵がブリーフィングする時間に合わせて進軍を開始できるよう、その30分前から備品のチェックを始めねばなりません。
衛生部は管理する物品が多いので、歩兵より早起きして確認する必要があるのです。
「おはようございます、起床時刻です。では、備品のチェックから始めましょう」
「あの、夜に患者さん来たせいで3時間しか寝てないんですけど」
「それは素晴らしい。そんなに眠れるなんて、ラッキーでしたね」
しかも日中は進軍で時間を取られる為、我々の診療時間は夜間に限られます。
昼間は走って、夜は仕事。そんな日々をこれから毎日過ごすことになります。
必然的に、我々は慢性的な睡眠不足に晒されることになるでしょう。
「頭がぼーっとするわ……」
「ラキャさん。睡眠不足を無難に乗り切るコツは、イライラしないよう自分を冷静に客観視する事です。3徹したあたりから、どんな温厚な人でも人格変わりますので。人間関係のトラブルを避けるためにも、自分の言動をメタ的に認知して────」
「睡眠不足を解消するって考えはないんですか」
「衛生兵ですよ? 眠っている暇があるとお思いですか」
昨晩はまだ敵と接触していないからか、3時間も眠れたラッキーデーなのですが。
ラキャさんたちにとっては、夜間に起こされるだけでもかなり辛いようです。
「安心してください。慣れます、本当に」
「……」
もう少し人手があれば、当直を交代制にしたりして休養日を確保出来ると思われるのですが……。
現状、まともな戦力が自分とケイルさんしかいません。
指導役と実務役が1人づつしかいない以上、交代で休養を取れるようになるのはラキャさんやアルノマさんが戦力になってからになるでしょう。
「さぁ、今日も頑張って移動しましょう。忘れ物はないですか」
「はーいぃ」
今はまだ、焦る必要はありません。
新兵は少しづつ、正しい方向に成長していけば良いのです。
そしてゆくゆくは、戦争が始まって負傷者が山のように運ばれてくるようになった折、この2人にも奮戦して貰いましょう。
「……おお、砦が見えてきた」
首都を出発して、2日目の夕方。
苔の生えた岩造りの、山の間を覆うように建築された砦が我々の前に現れました。
マシュデールからの撤退の際、ガーバック小隊長が殿を務めた砦───ムソン砦です。
「あの砦の再占領が、我々の最初の戦術目標です」
「……え、じゃあ今日は戦闘が起こるの?」
「その可能性もありますが……、かなり低いでしょう」
ムソン砦が敵の占領下にある状態は、首都に王手をかけられている状態に等しいです。
この遠征の最初の戦術目標は、そのムソン砦の奪還でした。
ムソン砦に、ガーバック小隊長のような敵の殿が残っていたら戦闘になるのですが……。
「……は、了解しました」
「どうしたの? トウリ小隊長」
「先行部隊が、ムソン砦を確保したそうです」
ムソン砦に居たサバト兵は全員撤退していたらしく、我々はあっさり最初の目標を達成する事が出来ました。
南部の攻勢が成功したとはいえ、まだまだ敵は優勢を保っています。
こんな敵の本拠地のど真ん中を、命懸けで維持する必要は無いのでしょう。
「先行部隊は、このまま前進してムソン砦の周辺を確保するそうです」
「ほう」
「そして我々アリア大隊は、首都から派遣されてくる防衛隊に引き継ぐまで、ムソン砦を占領しろとお達しを受けました」
「つまり?」
「本日は、ここで進軍停止。我々は、ムソン砦で夜を明かすことになりますね」
ムソン砦とウィンまでの距離は、足の速い人なら1日で移動できます。
重装備を背負った我々歩兵部隊ですら、たった2日の強行軍で辿り着けました。
今から通信で首都に防衛隊派遣を要請すれば、明日の朝には引き渡す事が出来るでしょう。
「じゃあ、今日は屋根がある場所で寝られるのね。やった」
「ただし、血みどろでしょうけどね。慌てて撤退したサバト軍が清掃や死体の処理をしたと思えないので」
「……へ?」
我々が所属する最後方のアリア大隊には、洗濯兵など非戦闘員が多めです。
そんな我々が屋根のあるムソン砦で一夜を過ごす権利を与えられた、ということはつまり。
「要はムソン砦が、清掃しないと寝床に出来る状態ではなかったのでしょう。後方部隊に明け渡されたということは、拠点を占領した先行部隊が寝床にするのを嫌ったという事です」
「えぇ……」
この砦に籠って、サバト軍を迎え撃ったのはあのガーバック小隊長です。
多勢に無勢とはいえ、彼ならばきっと獅子奮迅の抵抗を見せたでしょう。
恐らく、埋葬前の敵味方の死体が山積みされていると予想されます。
「そういった耐性のない人は、覚悟を決めて砦に入ってくださいね」
「……」
そう。
つまり、この砦には────
『ん、じゃあな』
あの、西部戦線で最強と称されたエースの一人が眠っているのです。
砦の門を潜ると、最初は思ったより綺麗な状態を保っていました。
しかし、綺麗だったのは首都ウィン側の攻撃を受けていない側面のみ。
奥に進むにつれて砦の壁に激しい損壊が見られ始め、爆発の痕跡や乾ききった血痕がそこら中に目立ち始めます。
兵士の遺体はある程度纏められ、倉庫に放り投げられていました。
壁は崩落し、土と埃が蔓延して、曇った星空が屋根の亀裂から覗けました。
「こんなに戦闘って激しいモノなわけ?」
「……きっと、魔法による砲撃を受けたのでしょう。敵は、我々オースティン軍が砦に潜んでいると知り、事前砲撃を選択したのです」
「驚いた。かの勇者イゲルは、魔法で城を更地にしたと聞くが……。この威力を見ると、実際に出来そうだね」
この有様ですとムソン砦は、防衛機能をほぼ失ってしまったと言えるでしょう。
おそらく、今から急ピッチで修理が進められると思われます。
「食料庫、武器庫は無事みたいだね」
「地下ですからね。砲撃の影響を受けにくい造りに設計されたのでしょう」
しかし、ごく一部の施設だけは焼け残ってそのまま使用できそうでした。
自分達衛生小隊は、そんな比較的形の残った食料庫を一つ割り当てて貰えました。
衛生部が特別優遇されているから……、という訳ではなく。
「私たちは此処を使って寝ていいの」
「ええ、患者さんさえ来なければ」
単に、仕事に使うからです。
今夜、我々はそこを仮の診療所として夜間の救急を行わねばなりません。
……まぁ戦闘はなかったので、患者が来たとしても体罰を食らった新米兵士くらいでしょうけど。
「この倉庫は……、食料庫じゃない? でも食べさししか残ってないわね」
「食べれそうなものは残ってないか?」
「マシュデールからの撤退戦の時、この食料庫から物資はあらかた持ち出しています。ここに残った部隊のための食料は、1日分だけ。おそらく、殆んど余りはないでしょう」
「……よく、死ぬことが分かってて残ったもんよね」
食料庫や武器庫は重要だからか、砦の一番奥深くに配置されていました。
なので、比較的形を保てていたのだと思います。
「ダメね。殆んど、空箱ばっかり……。美味しそうなお菓子の」
「最後の晩餐ですから。きっと、美味しいものを残していって貰えたのでしょう」
「……高級な酒瓶もある。死ぬ前に1杯楽しんだのかな」
「どんな気持ちで、これ飲んでたんだろうね。やっぱり、泣いていたのかな」
そんな、食料庫の部屋の隅に投げ捨てられていた酒瓶を、ラキャさんが拾い上げました。
その酒は、自分がよく知っている人物が好んでいた銘柄でした。
「……いえ。心底、楽しそうに笑っていたのではないでしょうか」
「トウリ小隊長?」
記憶の片隅にある、ガーバック小隊長の最後の姿が思い出されます。
恐らくその瓶は、別れ際に彼が手に持っていた瓶だと思われます。
「……」
そのお酒を飲んでいた小隊長殿の気持ちは分かりませんけれど。
あのときの彼は珍しく、機嫌良さげに顔を赤らめていました。
間違っても泣いたりはしていなかったでしょう。
「小さな小隊長。急に目を閉じて、どうしたんだい?」
「いえ、少し黙祷していただけです。ここで散った戦友達に」
「……ああ、成る程」
そう言えばこう言う時に、言うべき言葉がありました。
今は自分が小隊長です。せっかくなので、部隊の皆と共に死者の冥福を祈るとしましょう。
「よければ、皆さんも続いてください」
「おっ、なんだい」
「ちょっとした、儀式ですよ」
半年前。
初めてこの文句を聞いた時には、想像だにしていませんでした。
「ムソン砦防衛部隊54名の命は、我らの勝利の礎になりました。自分達が今日、この砦を確保できたのは彼らの命の結晶です」
「……」
「勇敢だった我らの戦友に、敬礼」
まさか自分が小隊長として、あのガーバック軍曹へ黙祷して祈る羽目になるなんて。
「これで、儀式は終わりです。いつか自分が殉職することがあれば、黙祷くらいはお願いしますね」
「おい、縁起でもないことを」
「……それも、そうですね」
戦争に参加していると、自分の命がどんどん軽くなっていくのを感じます。
明日、敵に遭遇してうっかり死んでしまったとしてもまったく不思議ではないのです。
「では、診療に備えて清掃と物品整理を始めましょう。皆さん、よろしくお願いします」
この日は、昨晩よりも患者の数は少なめでした。
新米の皆さんも、砦に残された兵士の遺体の埋葬や黙祷で忙しく、怒られるような真似を出来なかったからでしょう。
あの鮮烈すぎる小隊長の姿を思い出しながら、晩はゆっくりと眠ることが出来ました。
……そして後日、アレンさんから話を聞いたのですが。
ムソン砦で、ガーバック小隊長の遺体は発見されなかったそうです。
しかし、彼だったであろう────サバトの言語で散々に罵倒された落書きまみれの、バラバラの肉片は砦の外門の前に散らばっていたのだとか。
その遺体の残骸は、歩兵達によって丁寧に葬られたそうです。
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