第47話
「小隊は少し待機してください。自分は、ヴェルディ少尉に報告を行って指示を待ちます」
結局集合時間になってもラキャさんは姿を見せませんでした。
おそらく、ほぼ脱走で確定でしょう。
彼女は確か、首都の出身者でした。おそらく、逃亡先は実家でしょうか。
「……了解しました。小隊各員に通達、貴方たちは予定通りヴェルディ少尉の下へ向かって訓練を受けてください。自分はラキャさんの捜索部隊に加わります」
「「はい、小隊長殿」」
これは非常にまずい事になりました。
部下の手前なので出来るだけ平静を装っていますが、内心かなり焦っています。
「では、各員移動を始めてください。自分は、捜索部隊と合流します」
「「はい、小隊長殿」」
……部下の逃亡は上司の管理責任。自分はそれなりの処罰を受けるでしょう。
ですが、それはどうでもいいです。
自分がぶん殴られて制裁を受ければ済む話です。
問題はラキャさんの扱いです。軍規にはしっかりと、「逃亡兵は銃殺」と明記されています。
悪運の強いゴムージが殺されなかったのは、逃亡ではなく「はぐれた兵士」として軍に復帰したからです。
オースティンの降伏が目前だったあの状況で、無駄に軍規を守って彼を殺すのは非合理的だと判断したガーバック小隊長一世一代の激甘裁定です。
そんな特殊すぎる状況でもない限り、見つかった時点で射殺されてしまうでしょう。
『こちら、ヴェルディです。貴小隊以外にも複数部隊で、行方不明者が出ている様子です。トウリ衛生兵長も捜索に参加し、ラキャ2等衛生兵が捕縛か銃殺された場合は現場に向かって本人確認を行ってください』
『了解しました』
ラキャさんの行方が分からなくなった事実は、既に各所に伝わりました。
自分も軍人として、逃亡兵を隠ぺいすることは出来ません。隠ぺいなんてしたら、自分も幇助の罪で銃殺されます。
ヴェルディさんは、銃殺された場合という言葉を使いました。
……つまり、彼女にはもう銃殺許可が下りているのです。
ヴェルディ少尉は優しい人ですが、それでもきっと軍規は順守するでしょう。
たとえ生きて捕縛されたとしても、彼女に待っているのは処刑です。
そこはキッチリしないと、今後脱走兵が増えてしまうからです。
「……どうして」
ラキャさんも軍規についての講義を聞いていたはずなのに、どうして逃亡したのでしょうか。
殺される危険を冒してでも、軍から逃げ出したくなった……にしても変です。
実戦を経験した後なら逃げ出したくなる気持ちはわかるのですが、まだ彼女が命がけで逃げ出すような出来事はなかったはずです。
訓練が辛いだけで、死の危険がある逃走などするでしょうか。
初めて部下を失う理由が、味方による銃殺とか勘弁してください。
お願いだから、何かしら納得のできる理由を用意していてください。ラキャさん。
「───あ」
「く、来るなっ!!」
自分はまず、ラキャさんの逃走経路を推察しました。
士官学校の出入り口には、常に見張りの兵士が居ます。
脱出するためにはこの見張りを突破するか、士官学校をぐるりと囲む3mほどの高さのコンクリート壁をよじ登らねばなりません。
なので外壁や敷地外の捜索は他の兵士に任せて、自分は人気のない校舎の隙間などを探しました。
まだ、ラキャさんが脱出できていない可能性を考えたのです。
「あれ、女の子?」
「げ、げぇ……。トウリ小隊長じゃん」
「嘘、コイツ小隊長格!?」
そして自分は、見つけてしまいました。
3人ほどの、軍服を着た歩兵───。
ラキャさんと見知らぬ二人の少年兵が、固まって身を潜めていたその場所を。
「……く、来るな! 来たら撃つ!」
「う、う……。ごめんなさい、ごめんなさい」
どうやら、ラキャさんは少年兵たちと共謀して逃亡を試みた様子でした。
背の高い赤髪の少年が自分にまっすぐ銃口を向けており、ラキャさんともう一人はその陰に隠れて怯えています。
「……」
血の気が引くのを、感じました。
銃という兵器は恐ろしいです。彼がうっかり引き金を引いた瞬間、自分の顔面は木っ端みじんに吹っ飛びます。
今まさに、自分の命は風前の灯火と言えましょう。
「そ、そのまま両手を上げて背を向けたままこっちに来い。余計な真似さえしなければ、拘束するだけですませてやる」
「……」
少年兵は、震えた声のまま自分に投降するように呼びかけました。
こういう場合こそ、冷静に行動せねばなりません。
まずは彼を刺激しないよう、両手を上げて敵意が無いことを示しましょう。
「こうでしょうか」
「あ、ああ。そのまま背中向けて、一歩づつ下がってこい」
この時の自分と彼の距離は、10mほど離れていました。
銃を持った相手に対し、何をしようと勝てる距離ではありません。
「……」
「おい、早く来い!」
しかし彼らは、校舎間の細い隙間に潜伏していました。
つまり、隙を見て真横に走れば彼の射線から逃れることは可能でしょう。
わざわざ彼に近づいて素直に拘束されるのは、ただ自分の死亡率を上げるだけな気がします。
少し、揺さぶってみますか。
「……あの、赤髪の方に質問です。そう、銃を構えている貴方です」
「何だ」
「貴方、まともに人を撃ったことがありませんね?」
自分の言葉に、少年兵は動揺した様子を見せました。
やはり、彼らはこの街で新規に徴兵された新米兵士なのでしょう。
「銃の持ち方がめちゃくちゃですよ。その構え方で本当に、この距離の自分へ弾を当てられるのですか?」
「う、うるさい!! だったら撃つぞ、試してやろうか」
「撃っていいんですか?」
自分の指摘に少年兵が激高して、自分の鼓動がもの凄い事になりました。
そんな彼が構えて狙っているのは、自分の頭部です。
もし狙い通りに当てられたら自分は即死なのですが……。
「銃声が響いた瞬間、ここに貴方達を殺す部隊がわんさか押し寄せますよ」
「……っ!」
彼、リコイルとか気にせずまっすぐ狙いを定めていますね。
自分はマシュデールではもっと近い距離で、銃の反動も予想し狙い撃ちましたが、目標から数十センチ外れて着弾しました。
あの銃の角度だと、流石に1発目は外れてくれるでしょう。そう気づくと、自分は少しだけ冷静になれました。
「赤髪の貴方。貴方が構えているその銃は、どういう銃か知っていますか」
「んだよ、それくらい知ってるよ。オースティン産の量産銃で、OSTの3型───」
「そういうことを聞いてるんじゃありません。……その銃のために、どれほどの血が流されたかご存じですか」
冷静になった後、自分は少年兵を見据えて。
マシュデール撤退戦の、悲しい記憶を幾つも思い出していました。
「その銃は、おそらくマシュデールから輸送されたものでしょう。我々西部戦線から撤退した兵士が、命がけで守ったものの一つです」
「……っ」
「聞いていますか。貴方が逃亡する行きがけの駄賃で持ち出そうとしているソレは、誰かが命懸けで輸送した銃です」
彼らの持っている銃は、マシュデールでロドリー君が新規に支給されていた銃と同型でした。
おそらくは、マシュデールに蓄えられていたものでしょう。
「祖国のために散った兵士の想いのこもったその銃を、
「や、やかましい。黙れ!」
「……」
「そんなもん、俺の知った事かぁ!」
男性兵士にそれとなく罪を自覚させようとしたのですが、結果は失敗のようでした。
……何とか切り口を見つけて、投降させたいのですが。
「ラキャさん。貴女は軍規を知っていますよね」
「ぐ、軍規ですか」
興奮させてしまった男性兵士は放って、一旦ラキャさんの説得に挑戦してみることにしました。
彼女が逃亡しようとした理由を聞き出せれば、何かしら対応はできるかもしれません。
「逃亡兵は基本銃殺であることは、ご存じですよね。……なのにどうして、こんな無謀な脱走なんか」
「……えっ?」
基本銃殺という言葉を聞いて、ラキャさんの顔が真っ青になりました。
あれ、知らなかったのでしょうか。
「ラキャは目を開けて寝れるからな。聞いてなかったんだろ」
「え、えっ!? このままだと私、殺されるの!?」
「このままですと、そうなりますけど」
軍規については入隊時にきっちり説明があった筈ですが、彼女は聞き逃していたようです。
そこまで覚悟を決めての逃走で無いのならば、説得の余地はあるかもしれません。
「バカ、このまま軍にいたって殺されるだけだろうが!」
「……で、でも! ああ、嘘ぉ」
「脅そうったってそうは行かねーぞ! 俺だっていつでも、お前を殺せるんだからな!」
赤髪の少年が、不安げなラキャさんを宥め始めました。
もう一人の男も、ガタガタ震えつつラキャさんを庇っています。
その2人の、妙にラキャさんと親し気な態度はもしかして。
「貴方達3人は、もしかして知り合いですか」
「学校の友達です。昨晩、一緒に逃げ出そうって誘われてぇ……」
「ははぁ。それで」
成程。ラキャさんは自発的に脱走したのではなく、背後の男二人に誘われて逃亡兵になったのですね。
まだ脱走するだけの理由もないのに、変だと思いました。
「うるさい、探りを入れるな、黙れ。背を向けたままこっちに来て座れ、さもなくば殺す」
「貴方達こそ、おとなしく投降しませんか。……今ならまだ間に合います。この状況を他の捜索部隊に見られたら、射殺されますよ」
「うるっせえ、こんなイカれた軍にいられるか! もうたくさんだ!」
だとすれば、背後の少年兵士二人に脱走する理由があったことになりますが。
……何が、ご不満だったのでしょうか。
「ちょっと口答えしただけで殴る蹴る、俺達は上官のストレス解消の玩具じゃねぇ!」
「あんなキツい訓練、毎日出来るわけないでしょ! 後方勤務と聞いていたのに騙されたぁ!」
「命がけの戦場に駆り出されて、あんなゴミ以下みたいな扱いを受けてまで国に尽くす気ねーよ!」
……。
そういえば最近すっかり麻痺していましたけど、自分もガーバック小隊に入った直後はあの苛烈な暴力に不満を持っていましたっけ。
おそらくこの二人も、ガーバック小隊長みたいな上官に当たってそういう扱いを受けたのでしょう。
「お前は女だから殴られたことないかもしれねーけど、男の扱いは本当に悲惨で───」
「いえ、自分もよく全身骨折するまで折檻されましたが」
「……」
「軍隊は男女平等ですよ」
しかし、そればっかりはどうしようもありません。
おそらく彼らの上官も、部下の手綱を握ろうと必死なのでしょう。
褒められたことでは有りませんが、暴力という手段に手を染めてでも命令に逆らわぬ兵士を育成しないといけないので。
「……あー。そういやトウリ小隊長は、私の遅刻の責任を負わされて、顔面腫れ上がるまで殴られてたわ」
「……。なあ、あんたも一緒に逃げないか?」
「いえ」
ガーバック小隊長からの鉄拳制裁に慣れすぎて、最近はかなり耐性がついていましたけど。
一般の人からしたら、相当な苦痛ですよねアレ。
「そうですね、ではラキャ2等衛生兵。貴女が投降した場合、望むのであれば基礎訓練を免除してもよいですよ」
「ヘ?」
「貴女だけ特別に、歩兵の基礎訓練を免除します。衛生兵としての訓練は参加していただきますが」
「え、良いんですか!?」
「お、おいラキャ!」
男二人に関しては、自分の管轄外です。
ですが、ラキャさんの不満に関しては自分に解決するだけの権力があります。
「ええ、構いません。ですので、投降していただけませんか」
「え、あ、でもぉ」
「おい馬鹿騙されんな、どうせ嘘に決まってる!」
「男性のお二人も。……その扱いは新米兵士の殆どが通る道です」
出来るだけ優しい口調で、自分は3人の逃亡兵に語り掛けました。
ここで上手く説得できれば、銃殺処刑を回避することが出来るかもしれません。
「貴方達が脱走を企ててから随分時間が経っていますが、まだ士官学校から抜け出せていないということは、逃走経路を確保できなかったのでしょう?」
「む、む」
「仮にも正規軍人が駐留しているこの施設は、相当に警備は固いです。このままですと、貴方達は十中八九撃ち殺されるだけ」
「そんなの、分からないだろ……」
「今すぐ、投降をお勧めします。自分も貴方達の小隊長に口添えしますので、もう少し頑張ってみませんか」
自分は出来ればこんな場所で、同年代の部下を失いたくないのです。
「う、うるせえ、信用できるか! てかもう俺達は銃殺なんだろ!? 今更投降出来るわけが……!」
「ここで銃を下すのであれば。貴方達は逃亡なんて企ててなかった。別の深い事情があった。そういう事にしてあげますよ」
「……え?」
「無論バレたら自分も銃殺されますので、口裏はしっかり合わせてくださいね」
……逃亡を手助けするわけにはいきませんが、自分にも彼らの気持ちはよくわかります。
ヴェルディさんも優しい方なので、ちゃんとした大義名分を用意しておけば何が何でも殺そうとしないでしょう。
「ここで自分を射殺して逃げ出したところで、待っているのは処刑でしょう。どうか冷静になって、やり直してみませんか」
「……」
自分はそういうと、なるべく優しい声を出して。
「貴方達の気持ちも、よくわかりますので」
そう、説得してみたのでした。
「……彼らは逃走したのではなく、友人間で集って愚痴で夜を明かし、そのまま寝過ごしたと?」
「本人らはそう供述しております」
その後、自分はこの3人を連れてヴェルディ少尉の前に出頭しました。
自分が咄嗟に考えた、適当な方便を携えて。
「あのトウリちゃ……。おっほん。トウリ衛生兵長」
「は、何でしょう」
「その話を信じるのであれば、君はまたも部下の手綱を握れず、遅刻を許したということになるけど」
「はい。いかようにも罰してください」
「んー。はぁ……」
ヴェルディさんは、物凄く困った顔をしていました。
まぁ、嘘なのはバレバレでしょう。要は、自分から出頭したので恩赦してやってくださいという自分からの懇願です。
「トウリ衛生兵長。君への処罰は追って伝達する」
「ありがとうございます」
「後ろの3人。君達への罰も同様だ、あとで再度呼び出すからそのつもりで。では各自、今すぐ所属部隊と合流して訓練を再開せよ」
ヴェルディさんは、あっさりと逃亡兵たちの部隊への復帰を許してくれました。
ただ、彼の顔からは『次はないよ』という謎の圧力を感じます。
「……では失礼いたします」
自分はそんなヴェルディさんのご厚意に感謝しつつ、ラキャさんの手を引いて退室しました。
彼は今からアリア大尉やレンヴェル少佐など、怖い方々にさっきの事を報告しに行かねばなりません。
恐らく今から、ヴェルディさんは「自分の用意したバレバレの弁明」で頭下げて回るんだろうなと思われます。
……彼の優しさに付け込んだようで、申し訳ない気持ちです。
「……あの、本当に私って訓練をサボっても……?」
「ええ、参加しなくていいですよ。自分が体調不良と認定すれば免除して貰えますので」
「あ、そうなんですか」
ヴェルディさんの部屋から退室した後、ラキャさんが不安げな顔をしていたので安心させてあげます。
ええ、どうしてもというのであれば訓練に参加しなくても大丈夫です。
その話を聞くと、ラキャさんはウキウキとした表情に変わりました。
「そもそも、あの訓練自体がご厚意でやってもらっているものですから」
「……ご厚意?」
「ええ。訓練というのは、少しでも自分の死亡率を下げる為に施されるものです。あの訓練をしっかり履修することで、いざ命の危険に陥った場合も生還できる見込みがぐっと上がります。本来あれらの訓練は衛生小隊に施されないものですが、今や衛生兵は希少兵科なので大事をとって訓練していただける運びになったのです」
そう。訓練には場所と時間がかかります。
教官を用意したり洗濯量が増えたりと、それなりにコストもかかります。
そんな手間暇をかけてでも、兵士の生存率を上げるために施されるものです。
「あれらの訓練は、貴女自身のためのものですよ。ラキャ2等衛生兵」
「……」
「しかし訓練のせいで脱走されるなら、自分はサボりにも目を瞑ります。損をするのはラキャ、貴女だけです」
「……」
「そして無論、実戦の際に訓練不足でついてこれなくなった時には、見捨てられることも念頭においてください」
作戦行動と違い、訓練は軍に利益をもたらしません。兵士に利益をもたらすのです。
「いざ、戦争で死を目前にした時。今日の訓練をサボってしまったことを、死ぬほど後悔しても遅いです。それを理解した上で訓練に参加しないのであれば、自分から言うべき事はありません」
その有難い訓練を拒否するのであれば、まぁそういう兵士であると扱うのみです。
「……。ご、ごめんなさい、やっぱり参加します……」
「それは素晴らしい」
自分が本気で訓練に参加しない場合、本気で見捨てると言っていることを悟ったのか。
ラキャさんはげんなりした顔で、項垂れてそう答えました。
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