第46話
「よし。トウリ衛生小隊は、集合してください」
アリア大尉の部屋から退出した後。
ヴェルディさんは、士官学校のグラウンドの一画に自分の部隊を集結させました。
「「……はい、少尉殿!!」」
「良い返事です」
グラウンドでは既に彼の部下と思わしき歩兵達が、訓練を開始していました。
今から何をさせられるのか、どんな暴行が待っているのかと、衛生小隊の面々は顔を真っ青にしてヴェルディさんに敬礼しています。
少し、脅かしすぎてしまったでしょうか。
「皆さん初めまして。私は君達の上官となる、ヴェルディ少尉と申します。
「はい、少尉殿」
「ただ、訓練において命に関わるようなミス────それも、自分だけでなく部隊全体を危機に陥らせるようなミスに関しては、厳しく指導します。先程のように、時間に間に合わない等はもっての他だからね」
「申し訳ありませんでした、少尉殿」
「以後気を付けるように」
ヴェルディさんはやんわりと、自分達に注意を行いました。
大事なことなので、繰り返し注意喚起したのでしょう。
「君達には、まず体力トレーニングを行ってもらおうと思います。しかし、訓練ではなく実際に戦場にいるんだと思って訓練を受けてください」
「「はい、少尉殿」」
「君達には専属の教官として、本士官学校の教員を手配しています。歩兵調練のプロですので、何でも分からないことがあれば質問するように」
「ありがとうございます、少尉殿」
チラリと目線を隣にやると、いかにも怖そうな髭のオジサンが警棒を片手に威圧的な笑みを浮かべていました。
顔面にはいくつも傷があり、まさに退役軍人という風貌です。
「では後はお願いいたします、先生」
「了解した」
教官にそう告げると、ヴェルディさんはカチコチに固まった自分の部下に苦笑しつつ、忙しそうに立ち去っていきました。
きっと、少尉になった彼には山ほどやるべき事があるのでしょう。
「では、貴様らに訓練を開始する」
「はい、教官殿」
「まずは準備運動だ! 各自体をほぐした後、全ての装備を背負ってグラウンドに集合せよ!」
残された教官の人に自分達が言い渡されたのは、どうやら歩兵用の訓練メニューでした。
強行軍を行うにあたって、衛生小隊も歩兵並の身体能力を要求されるからでしょう。
まずは重装備での持久走から始まり、近接戦における受け身や着地の訓練、罠魔法を見破る訓練など、実用的な訓練を沢山施してもらえました。
「ひ、ひぃぃぃい!! 死ぬ、死んじゃうぅ!」
「こんなもの、舞台の稽古に比べたら……。いや、やっぱキツい!」
長距離走では、掛け声がずれたりコケたりする度に全員で走り直させられました。
罠の看破訓練では、誰かが失敗する度に全員が罰でスクワットをさせられました。
一人のミスは全員のミス、という概念を植え付ける為の様ですが……。
「ラキャ! また貴様か、このアンポンタン!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「お前のせいで、皆がまた苦しむことになる。さぁスタート地点に戻れ、全速力!」
今まで安穏と首都で暮らしていた人間にとって、軍隊仕込みの訓練は負担が大きすぎたようで。
時間が経つごとにみるみると、皆の顔色が悪くなっていきました。
平気なのは、既にガーバック小隊長に似たようなメニューを毎日やらされていた自分だけです。
「……これを、毎日やらされるの? 頭が狂ってるとしか思えないわ……」
「足が、足が痛い……」
「まだまだ、訓練はこれからだぞ新米ども!」
歩兵に入隊した新米は、こういった訓練を数日かけて出征前に施されていたそうです。
自分の際は、衛生兵だったので省かれていた様ですね。
「さて、これで貴様らの訓練メニューは終了だ」
「ありがとうございました、教官殿」
日が赤く染まる頃、自分達トウリ衛生小隊はやっと訓練終了を言い渡されました。
「ぜー、はー」
「き、きついね、これ……」
小隊メンバーは若手で体力があるとは言え、全員がヘトヘトになっていました。
フットボール選手であったケイルさんですら、汗だくで地面に屈み込んでいます。
流石のケイルさんも、一般兵士並の体力までは身に付けていなかったようです。
「歩兵達は、まだ訓練を続けるのですか」
「ああ、むしろこれからが本番と言えるだろう」
グラウンドでは、まだ歩兵たちが隊列を組んで的を目掛け銃を構えています。
歩兵達の訓練は、続けられる様子です。
「疲労がピークに達した今こそ、実のある実戦訓練が出来る。体力気力の溢れたベストコンディションでしか戦えない歩兵に価値などない」
「成程」
歩兵達は疲弊した状況で、戦闘を継続できるかどうかが非常に重要です。
だから基礎訓練が終わった後に、やっと実戦的な戦闘訓練を施されるみたいです。
しかし戦闘訓練は、衛生兵に無用の長物です。
それで、自分達だけ早めに切り上げてもらえたのでしょう。
「しんどかった、これが軍隊……」
「シャワー浴びたーい……」
……ふむ。
しかし、早めに訓練を終えてもらったからといって、衛生兵だけさっさと休憩するのもおかしな話ですね。
歩兵と同じく、体力気力にあふれた状態でしか診療を行えない衛生兵はあまり戦力になりません。
ケイルさんの様に1週間徹夜していても、平然と仕事を続けられる精神力はやはり必要です。
それに歩兵達がまだ訓練を続けるのであれば、我々も何かしらすべきです。
「では、衛生小隊の皆さんには今から、座学を行いましょう。30分の休息の後、再度此処に集合してください」
「えっ」
そう考えて、自分はこれから衛生兵としての勉強会を始める事にしました。
あわよくば、自分自身もケイルさんから学ばせてもらおうという魂胆です。
「も、もう今日は十分訓練したじゃない!?」
「今日はまだ、体力訓練しかしていません。自分たちの兵科を覚えていますか、ラキャさん」
「え、えぇ……?」
と言いますか、むしろ衛生兵としての訓練をするためには、今からしか時間をとれません。
明日以降も、日中は体力トレーニングを課されるのです。
体力トレーニングが終わった後に、実戦的な練習を行う。それはきっと、衛生兵にとっても有用な訓練となりうるでしょう。
「あの、座学って何をするんですか」
「まずは、
「えええ~っ!?」
精魂尽き果てた部下から、悲鳴のような声が上がりました。
もう休めるとばかり思っていたのでしょうか。
しかし、申し訳ないですが我々には時間がないのです。
特に今は、ラキャさんやアルノマさんなど素人に近い人が沢山いる状況。
「では解散。あ、衛生兵としての訓練内容については、ケイルさんにも相談に乗っていただきたいです」
「あー了解、リトルボス」
出征前に少しでも、成長しておいて貰わないと困るのです。
可能なら、本日の訓練で出た怪我人を使って治療の練習もさせてもらいたいですね。
負傷者がいなければ、自分の腕でも切って回復魔法を練習させてあげなければなりません。
その旨も、ヴェルディさんに相談してみましょうか。
「ヴェルディ少尉。以上で、本日の報告を終わります」
「うん、お疲れ様」
衛生部としての訓練を終えた後。
小隊長である自分は、就寝前にヴェルディ少尉に本日の活動について報告をさせられました。
小隊長は直属の上司に戦果や被害状況、装備の損耗率などを報告する義務があります。
おそらくガーバック小隊長も、部下が就寝した後に通信でレンヴェル少佐に報告を行っていたのでしょう。
「トウリちゃんはまだ、余裕ありそうだね」
「ガーバック小隊長に、訓練メニューを課されていましたから。今思うと、ありがたい配慮でした」
「あー……。私は、どうかと思いましたけどね。衛生兵に偵察兵の真似をさせたり、負担が大きすぎるんじゃないかと」
確かに負担は大きかったですが、前線で衛生兵を突っ走らせてる時点でそんなことは気にしなくていいと思います。
負担の大小より、生存に役立つ訓練を課して貰えた方がありがたかったですし。
「あの訓練はマシュデールでも、生き延びる上で非常に有用でした。偵察兵としての訓練も、是非続けたいと思っているくらいです」
「……偵察兵の訓練ですか。まぁ、アレンさんとかに頼めば教えてくれそうですが」
「おや」
アレンさんは偵察兵のベテランで、自分にとって偵察兵の師匠です。
彼には、西部戦線で様々なことを教えていただきました。
その名前が出てくるということは、
「もしかしてアレンさんって、ヴェルディ少尉の中隊に所属してるのですか?」
「ええ、知己だから扱いやすいだろうと回してもらいました。ベテランで頼りになりますし」
「おお、それは嬉しい情報です」
アレン小隊も、ヴェルディ中隊に所属しているみたいです。
つまり何か相談事があれば、出発後も彼らに会うことが出来るんですね。
もしかしたら今日も、訓練をしている人の中に混じっていたのでしょうか。
「では今後アレンさんなど、偵察兵の方に当小隊の訓練を依頼してもよろしいですか? 周囲の警戒など、学ぶべきことは多かったので」
「ええ、ただし教えを乞う偵察兵はよく選んだ方が良いです。私の部下には、衛生小隊へ『対尋問訓練』をさせてくれと懇願した馬鹿もいました」
ヴェルディさんは何とも言えない顔で、聞き慣れぬ訓練名を口にしました。
……なんですか、その不穏な訓練は。
「対尋問訓練、とは何でしょうか?」
「敵に捕まって拷問された時に、秘密を漏らさないよう拷問に耐性をつける訓練ですね。上級偵察兵になる際は、必修です」
ああ、そういった訓練は聞いたことがあります。
味方から拷問を受け口を割らない様にする、懲罰みたいな訓練です。
単独で敵陣に潜入する事のある偵察兵は、確かに必修でしょう。
「かなり過酷な訓練で、最初に全裸にさせられ人としての尊厳を踏みにじられるそうです。要は、女性が多い衛生小隊にそれをやりたかったのでしょう」
「それが必要であると少尉が判断されるのであれば、当小隊も受け入れますが。現状、敵に尋問される訓練より優先して履修すべき技能があるかと愚考します」
「同意します。というかそもそも、吐かれて困る軍事作戦上の機密を衛生小隊に共有するわけないでしょう」
なるほど。
本気で偵察兵としての訓練過程を履修する場合、そんな訓練を受けさせられるのですね。
それを、大半が女性である我々に課したいと。
……衛生小隊にどういう理由で提案したのでしょうか、その人は。
「身の安全のために、そんな提案を行った兵士の名前を聞いておきたいのですが」
「……。ファリス准尉という方です」
「よく覚えておきます」
ファリス准尉。その名前は、念のため小隊で共有しておきましょう。
危険人物候補です。
「ただし、トウリちゃん。向上心を持つのは素晴らしい事ですが、まずは基礎訓練を大事にしてくださいね」
「了解いたしました」
ヴェルディさんはそう言うと、自分に敬礼して下さいました。そろそろ帰れというサインですね。
自分も即座に敬礼を返し、一礼して退室します。
ヴェルディ少尉は、まだ暫く仕事が残っているのでしょう。あまり、長居しては迷惑です。
「……おやすみ、トウリちゃん」
「お疲れ様でした」
ヴェルディ少尉のデスクには、山盛りの書類が積んでありました。おそらく彼には、まだまだ仕事が残っているものと思われます。
昇進すればするほど、仕事が忙しくなっていくのでしょう。
今思えばガーバック小隊所属時の、訓練をさせて貰いつつ仕事さえ終われば眠れる下っ端というのは気楽な身分でした。
昇進とは、命の危険はそのままで仕事だけが増える貧乏くじなんですね。
その、翌朝の事です。
「……あの、トウリ小隊長」
「どうかしましたか」
自分たちがトウリ衛生小隊として集結し、2日目の出来事。
本日もヴェルディ少尉の下へ出向き、歩兵の基礎訓練に混ぜてもらうべく朝一番に招集をかけていたのですが。
「……朝からどこを探しても、ラキャさんの姿が見当たらないのです」
「え」
自分は定刻に間に合うよう、寝坊助なラキャさんを起こしておくよう、看護長のエルマさんに依頼していました。
しかし朝一番、エルマさんからラキャさんが寝床からいなくなって行方知れずになっていることを報告されました。
「トイレなどにはいませんか」
「はい、近場は見に行ったのですけど」
思えば訓練を終えた直後、ラキャさんは顔面蒼白になって倒れていました。
昨晩はそんな彼女をたたき起こして、フラフラの状態のまま座学と回復魔法の実習を行わせたのですが……。
「……ラキャさんの荷物も、無くなっているんです」
「……」
よほど訓練がきつかったのか。
自分と同じ15歳の新米衛生兵ラキャは、脱走を図ったようでした。
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