第24話

 城塞都市マシュデール。


 その名の通り、かつて城塞として名を馳せたこの街は、3つの堡塁に囲まれた中心にありました。


 堡塁とは、銃弾を防ぐべくしっかりと土や砂利、コンクリートを固め作られた高さ数メートルの防壁です。


「よくぞご無事で」

「ああ」


 堡塁の関門で小隊長が我々の所属と名前を伝えると、衛兵は我々を歓迎してくれました。


 奇跡の生還を喜び、小隊メンバーと抱き合う方もおられました。


「……」


 そんな空気の中、自分は一言も発さず、ただ虚空を見つめるのみでした。








「もう、市民は避難誘導されてんだな」

「市街戦も想定しているのだろう。民を残しておく理由はない」



 初めて足を踏み入れたマシュデールの街は、廃墟街のような人気のない寂しい場所でした。


 自分にとって子供のころの憧れだった、華やかな城塞都市マシュデール。


 賑やかだったであろう街並みに市民の姿はほとんどなく、軍服を着た兵士が忙しなく走り回っています。


 メインストリートではひび割れたパン屋の看板が、石造りの店の前に倒れていました。


 路傍に咲く花は誰かに踏みにじられ、街角には至る所で無機質な土嚢が積み上げられています。


「すまない、少し宜しいか」

「む、撤退兵でありますか」


 ガーバック小隊長は近くの兵に声をかけ、所属と名前を伝えレンヴェル少佐に取り次ぎを願いました。


「取り次ぎますので、待機場所でお待ちください」


 兵士の対応は慣れたもので、自分達はすぐに待機場所の広場に案内されました。


 待機場所には、既に多くの兵士が屯しています。


 彼らは元々マシュデールの警らをしていた者や、平原を突っ走っていち早くマシュデールまで撤退された兵たちだそうです。


「おお、あのガーバック小隊か。実に頼もしい」

「エースだ、エースの帰還だ」


 広場にいくと、ガーバック小隊長はかなり歓迎されました。


 我々の戦線の兵で、ガーバック小隊長の名を知らぬ者は少ないです。


 小隊長は頭がおかしい事で有名ですが、同時に多くの兵士にとって先行して敵をぶっ潰してくれる有難い存在とも見なされているようです。



「どうぞ、一服してください」


 広場で暫く待っていたら、何も言わずともパンと温かなミルクが出てきました。


 撤退兵には、まず最初に食事を出すよう指示が出ているそうです。


「め、飯っ!!」

「……エロドリー、ミルクと一緒にゆっくり食え。一気にかっ込んで喉詰めるなよ」

「むぐっ……」

「言わんこっちゃない」


 ロドリー君は貪るように、パンに噛みついてえずきました。


 無理もありません。数日ぶりのまともな食事なのです。


 出されたパンは固くなっていましたし、ミルクも薄めてありました。


 この時の自分はフラフラと、ただショックで何も感じずに口に運んだ気がします。


「……ぅ」


 しかし身体は正直でした。久し振りの栄養摂取に、凄まじい幸福を感じてしまいます。


 この日に食べたパンは人生で一番美味しかったかもしれません。


「美味、しい……」


 ミルクを飲み干し、パンを腹に詰めた後、ようやく自分は落ち着きを取り戻したのでした。





「レンヴェル少佐に会って来る。貴様らはここに待機、ヴェルディのみ追従しろ」

「了解です、小隊長」


 ガーバック小隊長は食事を終えると、すぐ作戦本部へと向かいました。


 敵はもう、マシュデールの目の前まで侵略して来ております。


 のんびり休んでいる時間はないのでしょう。


「この町も戦場になるんだろうな」

「……でしょうね」


 ロドリー君はぽつりと、呟くように話しかけてきました。


 先程、自分の故郷ノエルは燃やされてしまいました。


 そしてこのマシュデールも、自分たちが奮戦しなければ火の海に沈むのです。


「ちょっと無神経なこというぞ、おチビ」

「……何でしょう」

「故郷を燃やされて、流石に憎んだか。サバトの連中」


 ロドリー君は至極真面目な顔で、自分にそう問うてきました。


 ノエルを燃やされて、恨まなかったか。


 それは勿論、


「流石に、故郷の大事な人たちが殺されていたら。とても、恨めしいです」

「だろうなァ」

「これがロドリー君のよく言う、敵と戦う───殺す理由ですか」

「ああ」


 まだ、孤児院の方々の安否など分かりませんけど。


 もし院長先生が逃げ遅れて、敵兵に殺されていた場合を考えますと。


 胸が張り裂けそうなほど悲しいですし、きっとその敵兵を殺したいほど憎むに違いありません。


「……でもな、おチビ。やっぱそういうのは野蛮な俺たちに任せとけ」

「え?」


 ロドリー君は珍しく優しい顔をして、自分の頭をさすってくれました。


「前はいろいろ言ったけどな。衛生兵みたいな連中は、臆病にビクビク逃げ回ってくれた方が良いんだ」

「えっと、それは」

「後ろにお前ら医療職が居るから、俺達は安心して命張れる。おチビが無謀に敵に突っ込んで、命を散らされる方が迷惑だ」

「……」

「憎しみのあまり敵に特攻するのは、俺達人殺しだけでいい」


 自分は思わず、ジっとロドリー君の顔を見つめました。


 それはいつもの彼らしからぬ、とても優しい言葉でした。


「頼むから無茶やって、敵に突撃したりすんなよチビ。今まで通り、臆病に縮こまっててくれや」

「……あの。ロドリー君」

「なんだァ?」


 結局、ロドリー君は性格なのか、グレー先輩の忠告の後もやや口は悪かったのですが。


 彼の言葉の裏には常に、人を思いやる何かが隠れている事が多いのです。


 つまり、


「お気遣いありがとうございます。……大丈夫ですから、ご安心ください」

「そうかい」


 ロドリー君は先ほど、ノエルが燃えて大いに取り乱した自分を心配してくれていたのでしょう。


 隠れ仲間思いの彼らしい行動です。


 要は『怒りに任せて自分を見失うな、冷静にいつも通り行動しろ』という忠告ですね。


「あと、ロドリー君」

「どした?」

「本当、グレー先輩に似てきましたね」

「……」


 自分はそんなロドリー君に、尊敬すべき先輩の影を感じました。


 ロドリー君は、グレー先輩に「俺とよく似ている」と評されていましたっけ。


 どうやら先輩の見立ては、間違っていないようです。


「……どういう意味だよ、ウゼェな」

「あれ、もしかして照れてますかロドリー君」

「やかましいドチビ」


 確かに、自分は少々平静さをかいていました。


 過酷な行軍や故郷を燃やされたショックで、取り乱していた自覚はあります。


 しかし、軍隊において平静を失うことは死を意味します。


 彼からの忠告を、よく胸に刻んでおきましょう。















「……君が、例の衛生兵かね」

「はい、肯定します」


 ……。


「よくやったガーバック。彼女を……、衛生兵を無事にマシュデールまで撤退させた功績は大きいぞ」

「光栄です、少佐殿」

「ふむ、若いと聞いていたが……、想像以上だな。俺の孫と同じくらいに見える」


 そんなこんなでロドリー君に癒されていたら、いきなりヴェルディ伍長に声を掛けられました。


 聞けばなんと、レンヴェル少佐────この地の最高司令官が自分を呼んでいるようです。


 おっかなびっくり、伍長に連れられマシュデールの役場に連行された自分は、ものすごく強面のお爺ちゃんの前で直立させられていました。


「君の名と階級は」

「はっ。自分はトウリ・ノエル1等衛生兵です」

「そうか。ご足労感謝する」


 老人は見るからに立派な軍服を着ていて、顔面に山ほど古傷があり、老いてなお筋骨隆々の肉体をしています。


 そして、あの傍若無人なガーバック小隊長殿が背筋を正し敬礼していました。


 つまり、この威圧感たっぷりのご老人こそ……。


「俺は中央部前線指揮官、レンヴェル少佐である」

「お会いできて光栄であります」


 自分にとって上司の上司。


 ガーバック小隊長すら顎で使える前線指揮官、レンヴェル少佐その人でした。


「時間がないのでいきなり本題に入るが構わんな、トウリ1等衛生兵」

「はい、少佐殿」


 少佐は睨むように厳しい顔で、話の枕もなく命令の話に入りました。


 レンヴェル少佐の顔にはハッキリと疲れが浮かんでいますが、部屋は書類で溢れており休んだ形跡がありません。


 この作戦本部に、まったく余裕がないのが窺えます。


 あまり無茶な命令を、しないでもらえると助かるのですが。


「では貴殿に命ずる。明朝までに、このマシュデールに医療拠点の設立を命ずる」

「……」


 レンヴェル少佐は、真顔のまま自分を見下ろし。


 そんな、想定よりかなり上の無茶振りを仰ったのでした。


「返事はどうした」

「……命令を復唱します。自分は明朝までに、医療拠点を設立します」

「よろしい」


 この方は何を仰っているのでしょう。


 医療拠点を設立って、何をどうするのですか。


「機密事項なので自軍の総兵力は話せないが、おそらく数百人規模の死傷者が予想される。それに対応できる規模の医療本部が必要だ」

「はい、少佐殿」

「敵の侵攻予想時刻は、早ければ明け方。その時点で、すぐ重症患者を受け入れる態勢を整えておけ」


 数百人規模を受け入れられる医療拠点と来ましたか。それ、元々自分が働いていた野戦病院と同等の規模ですよね。


 衛生兵が自分一人しかいないのに? 医療物資や看護兵などの当てなんて全くないのに?


 こんな15歳の小娘捕まえて、どんな期待をしているのですか。


 しかし命令ということは、自分に拒否権ないんですよね。


「質問の許可を求めます」

「構わんよ」

「医療拠点の場所と人員に関しては、ご用意いただけるのでしょうか」

「それも貴殿に一任する、その為の権限も用意しよう」

「……はい、少佐殿」

「期待しているぞ、トウリ」


 医療本部の設立に関しては、必要な権限は貰えた上で、自分に一任いただけるようです。


 言い換えれば、今から全部自分がやれってことですね。


 明日の朝までに、看護経験のある人とか集めて、医療物資を運び出して、拠点を設立すると。



 マジですか?

 


「……あの、少佐殿。あんまり俺の部下を虐めんでくださいや」

「く、くっ」


 自分が顔を真っ青にしながらパクパクと静かにパニくっていると、ガーバック小隊長が呆れた顔で口をはさみました。


 それと同時に、困り果てた自分の顔がよほど面白かったのか、レンヴェル少佐が真面目な顔を崩して噴き出してしまいました。


 ……。


「くははははっ、すまん、すまんね。出来ない命令は断って構わんのだよ、トウリ1等衛生兵。無理な命令に従って失敗したら、軍全体に迷惑がかかるからな」

「は、はぁ」

「悪い悪い、君が真面目な顔なもんでからかってみたくなってな。ホラ、俺みたいなこんな歳なのに少佐にしかなれてないヘッポコ指揮官相手に、そうガチガチに緊張することなどあるまいよ」


 どうやら先ほどの無茶振りは、彼なりのジョークといったところのようです。


 見た感じ、このレンヴェル少佐という方はかなりお茶目な面があるみたいですね。


 自分はまんまと、揶揄われたといったところでしょうか。


「だが、いかに劣勢であろうと心に余裕を持つことは大事だぞ、少女よ。確かに西部戦線は崩壊し、我が軍は旗色が悪い。だが、こんな時こそ明るい顔をせねば……」


 こういう場合は、合わせて笑えばよかったのでしょうか。それとも上官に砕けた態度をとるのは、やはり無礼なのでしょうか。


 そもそも故郷ノエルを焼かれたばかりの自分にはまだ、笑えるほど心に余裕などないのですが。


「お、叔父上。その、トウリ1等衛生兵はその名の通り、今日焼かれたノエル村の出身で───」

「……えっ」


 どう対応すればいいかわからず困り果てた顔をしていたら、ヴェルディ伍長が慌てた顔でレンヴェル少佐に耳打ちしてくれました。


 ヴェルディ伍長も、先ほどの取り乱した自分を見ているので気を使ってくれたのでしょう。


「……」

「……」


 確かにロドリー君の言葉で少し気が楽になりましたが、まだ消化できていません。


 あの優しかった院長先生のことを思うと、今にも目頭が熱くなって泣き出してしまいそうです。




「……それは本当にゴメン。トウリ1等衛生兵……」

「いえ」



 気づけば瞳に涙が浮かんでいた自分を見て、今度はレンヴェル少佐が顔を真っ青にして謝ってきました。


 レンヴェル少佐なりに気分を盛り上げてくれようとしたのかもしれませんが、タイミングが悪かったです。










「真面目な話をすると、医療本部の設置はもう終わってるのだ」

「はい」

「ただ、この町の癒者を頭を下げて集めただけで、軍部の人間がおらん。君に、軍人として医療本部のまとめ役を頼みたい」

「なるほど、了解いたしました」


 ばつが悪そうな顔で、レンヴェル少佐は自分に本当の命令内容を教えてくれました。


 聞けばあの野戦病院で働いていた衛生兵は、自分を除き全員が生死不明だそうです。


 つまり、自分は今この場所で唯一の衛生兵ということになります。


 なので設立したは良いが、ほぼ民間病院みたいになって指揮系統があやふやだった医療本部で、仮に自分がリーダーをしろという話でした。


「彼らはあくまで民間協力者なので、君に命令権とか指揮権はないのを注意してね」

「はい、少佐殿」


 しかし招集された医療者たちは、おそらく自分よりも経験豊富な人ばかりです。


 自分が軍属しているから、まとめ役になるだけでしょう。


 いざという時は自分が矢面に立って、彼らを守らなければなりません。


「あと、場所はこの役場内の会議室だから」

「おお、ではすぐそこですね」

「役場を重点的に守るよう布陣するからな。医療本部も、作戦本部と一緒にしといた方が安全だし」


 部下に案内させるから、挨拶しにいっといで。


 レンヴェル少佐殿はそう言って、少佐の後ろに控えていた1人の女性将校を手招きしました。


「君の相談役には、アリア少尉を遣わせる。何か分からないことがあれば彼女に聞きなさい」

「分かりました」


 レンヴェル少佐の言葉と共に、一人の女性将校が自分の前に歩いてきます。


 アリア少尉と呼ばれたその将校は、長い金髪でキツい目付きの女性でした。


 少尉と言うことは、ガーバック小隊長より上官です。それなりに若そうに見えますが、きっと経験豊富な方なのでしょう。


 そして女性を当ててくれたのは、自分に対する配慮でしょうか。


「レンヴェル少佐直轄、魔導中隊長アリアだ。よろしく」

「はい、よろしくお願いいたします。少尉殿」


 女性兵士は、かなり少ないです。


 基本的に歩兵は、男性のみで構成されます。


 例外として、非戦闘員である工作兵や衛生兵、直接戦闘しない魔導師など一部の兵科でのみ女性将校として編入されます。


「少尉は士官学校で次席の卒業だ、きっと何でも力になってくれるだろう。非常に優秀なので、存分に頼るといい」

「過分な紹介です」


 魔導師と衛生兵は、比較的女性将校の多い兵科です。


 しかし女だてらに中隊長になるのは、並大抵の事ではありません。やはり、男性兵士の方が優遇される傾向にあります。


 コネでも無い限り、女性中隊長とかあり得ないと思っていました。


 男性兵士を押しのけて隊長格に任命されたと言うことは、彼女がすさまじく優秀であるという事でしょう。



「因みに、アリアは俺の娘だったりする」

「……何と」

「君の部隊のヴェルディ伍長とは、従兄弟の関係だ。彼と話すように、気軽に接してくれ」



 コネでした。

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