1.勇者の子

 リョウは焼けた熊肉に乾燥香草を混ぜた塩を振りかけて、また火にかけた。

 良い匂いが湧きたって来た頃、傍らに横たえさせていた少女・エステルが身じろぎをした。のそりと起き上がった美しい髪は、焚火の炎よりもずっと鮮烈な赤色をしている。

 彼女は匂いに誘われるようにゆっくりとこちらを向くと、一瞬ぎょっとしたような顔をして小さな悲鳴を上げたが、すぐに状況を飲み込んで頭を振った。


「そうだったわ、私……ごめんなさい、まだ混乱していて」

「無理もないさ。クマ公に追われて体力も消耗しているだろうし、腹が空いている状態とあっては、頭も働かないだろ」

「どうして、お腹が空いているって……」

「君が眠っている間、ぐうぐう鳴っていたからな。最初はいびきかと思ったよ」

「やだ、嘘っ!?」


 両手でお腹を隠すように抑えて体を捩るエステルに、リョウが笑いを堪えながら「嘘」と告げると、彼女は顔を真っ赤にして恨みがましそうにこちらを睨んでくる。

 しかし、そんな無言の睨めっこも、本当に鳴ってしまった腹の虫の音によって中断された。


「まずは腹ごしらえだな」


 紙皿に熊肉の串焼きを取り分けて、差し出す。

 エステルはその肉と、焚火の向こうに転がっている熊のむくろとを見比べて、目を瞬かせた。


「これは、あの熊の?」

「ああ。ころころしてて可愛いだろ。あのサイズの獣は油が多いから、削いで焼くと、結構小さくなるんだ」


 これでも大きめを意識して切り分けたつもりだったが、よほどいいものを食べていたのだろうか。調子に乗って量を食べると胃もたれしてしまいそうだ。

 串を二本束ねて肉を挟むリョウの食べ方を、箸を知らないだろうエステルは不思議そうに眺めてから、おずおずと自分の串に噛り付いた。


「……おいしい」

「それは良かった」


 ほうっと息を吐くエステルの強張っていた肩が、ゆっくりと下がっていく。


「食べながら聞いてくれ。今の君の状況は、端的に言えば『違う世界に飛ばされた』というものなんだ」

「違う世界……?」


 エステルの頬が強張ったのは、固い熊肉を噛むためだけではないだろう。


「この世界では昔、『世界なき戦争』というものがあったらしい。時の大聖女と魔族の王とが、召喚魔法の応酬によって雌雄を決した大戦だ」


 大聖女の使う召喚魔法は、精霊や聖獣を呼び出すもの。対する魔王の召喚魔法は、異形や魔龍を呼び出すもの。そこには両者以外、この世界の原住民たちが介在する余地はなかったことから『世界なき』と呼ばれるようになった。


「大聖女は力尽きてしまったが、魔王は斃れた。尊い犠牲の上で世界は平和に……とは、残念ながらいかなかったんだな」


 火にかけていた串を取り、皿に肉を外しながらリョウは続ける。


「大戦の余波によって、世界は穴ぼこだらけになっちまったんだ。しかもその穴は、どことも知れない異界に繋がっているときた。そうして、大戦から五百年経った今でも、この世界には別の世界の存在がたびたび迷い込んでしまう」

「つまり、私もその一人?」

「そういうこと。俺も推しのライブに行く道中で、気が付けば砂漠のど真ん中だった」


 肩を竦めるリョウに、エステルは「おし? らいぶ?」と首を傾げている。

 そんな彼女を横目に肉を頬張っていると、不意にこちらを向いた、彼女の心配そうな視線と目が合った。


「……ん、何?」

「いえ、リョウは強い人だなって思ったの」

「俺が?」

「突然見知らぬ土地に放り出されたのに、こうして生き延びて、この世界のことも勉強して、私のことも助けてくれて。心から尊敬する」

「お、おう……」


 真っ直ぐ向けられた熱い眼差しに、リョウはもごもごと、肉を噛むフリをして顔を背けた。

 そんなこちらの心境をよそに、エステルは拳をぐっと握って、一人頷いている。


「うん、私も力になりたい!」

「はい?」

「ええ。リョウが今でもこの世界にいるということは、元の世界に帰る術はないんでしょう? きっと同じように困っている人がいると思うの!」

「いや、そこは一応国が――」


 言いかけて、リョウは思わず箸を取り落とした。

 がばっと勢いよく立ち上がったエステルの燃えるような髪が、まるで御旗のようになびいていたからだ。びしっと掲げた空の串でさえ、立派な剣のように見えてくる。


「不肖エステル・アルマトゥーラ! 勇者フォルティス・アルマトゥーラの血を引く第一王女として、黙って座してなんかいられないわ!」


 凛々しく火の灯る瞳に、吸い込まれそうだ。

 しかし、そんな眩しい勇姿も束の間のこと。食事を止めるんじゃねえといわんばかりに鳴り出した腹の虫に、エステルはしゅるしゅると縮こまって、恥ずかしそうにおかわりの串を指差すのだった。






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