お別れの鐘が鳴る
「颯太……一体、どうして……!」
誰もいない廃ビルの屋上で、私はおぞましいほど憤怒に歪んだ顔で爪を嚙んでいた。
ガリガリ、と爪が削れる音が虚しく響き、それがかえって神経を苛立たせる。だが止めようとは思わなかった。何かをしていなければ、頭が狂ってしまうことが分かっていたからだ。
忌々しげな顔で目下に広がる摩天楼に視線を走らせ、舌打ちした。
「クソッ、臭いを追跡できない……速過ぎる……!」
あの外宇宙生命体――颯太がナニガシと呼んでいた怪物は時を圧縮する能力を有する。
それにより相対的にとはいえ、自身の移動速度や情報処理能力を格段に強化することができる。
だが、その強化も青天井ではない。太古の時代、地球を来訪した奴等がそうだったように時間操作にも限界があるはずだ。精々五十倍程度。
それは同時に、私の動体視力が対応できる限界でもある。
「限界を超えた能力の行使……なるほど、骨身を削る覚悟か」
ふと、空を仰ぐ。太陽は既に昇り切っていて、頭のほぼ真上に位置している。体感時間はまだ6時過ぎだが、実際の時刻はちょうど正午ということになる。
太陽が青空の上を滑るように動いているのが肉眼でハッキリと見えるほどに、時間の流れは急激に加速していた。
ここまで高速で移動されては、上位存在の臭いを辿ることによる追跡も叶わない。
それが余計に焦燥と怒りを煽り立てた。
「あぁ、まったく……アイツはどこまで私を苛立たせれば気が済むんだ……!」
私は腕を振るうと、炎の飛沫を撒き散らした。
神力を薪に燃え盛り、その気になれば地球ごと全ての生命体を焼き尽くすことすらできる地獄の業火。
あらゆる物体を平等に、機械的に燃やし尽くすその炎は太陽のような輝きを放っていた。
「わざわざ追い掛けるのも面倒だ。いっそのこと、炙り出してみるか」
炎を指先に凝縮させて小さな光球のような形に纏め上げると、腕を大きく振り上げる。
制限は既に取り払った。これで私の炎はあらゆる有象無象を平等に、そして理不尽に燃やし尽くす。
今、私が手にしているのは原初の力だ。
銃火器よりも手軽で、戦車よりも獰猛で、核兵器よりも圧倒的な力。
この世に存在する、あるとあらゆる暴虐の頂点に君臨するもの。
「……安心しろ。お前の魂だけは燃やさないように調整してやる。だから、あまり手を煩わせるなよ?」
そう言って、腕を振り下ろそうとした瞬間――。
ばちん、と脳の神経が千切れるような激痛が襲うと同時。
『えっと、君は……コヨミちゃん、って言うんだ。この辺に住んでる子かな?』
「っ……!」
脳内に駆け巡った、鮮明な映像。
穏やかな表情の青年が街灯の下で微笑んでいる。
『なんだよそれ、ははは!』
『やっぱりコヨミの話してる時間が一番楽しいな。なんかこう、自然体でいられる、みたいな?』
走馬灯のように駆け回る無数の記憶に心がかき乱されていく。
「忘れろ……」
頭を振り、必死にそれらを脳内から振り落とそうとする。が、駄目だった。
溢れ出す楽しかった記憶はウイルスのように脳内で増殖し、膨れ上がっていく。
凝縮していた炎が花火のように弾け飛んで、消え去った。
「忘れろ、そんな記憶……! 今更思い出しても無駄だろうが……!」
頭が割れてしまいそうな激痛に呼吸が荒くなっていく。心臓が激しく高鳴っていく。視界が真っ赤に染まっていく。
「今更……うぐっ、今更後戻りなんて……出来るはずがないだろぉ……!」
楽しかった日々も。
何よりも尊く、愛した関係も。
全て燃やし尽くしてしまった。
塵芥も残らないほどに壊してしまった。他でもない、アタシ自身の手によって。
分かっている。分かってはいるのだ。
だがそれでも、あの輝かしい日々が愛おしくて、惜しくてたまらない。
一度粉々に壊れた、もう二度と帰ってこないものを想っても無駄だというのに。
「うっ……」
ああ、頭が痛い。
『——様は私にとっての太陽です。あったかくて、いつも輝いて、恵みを与えてくれて、決して触れられないほど遠い。……でも、それでいいんです。これ以上貴女様に近付いたら、私はきっと熱で焼き焦げてしまいますから』
気も遠くなるほど遥か昔、誰かから言われた言葉を思い出す。
顔も名前も忘れた誰か。きっと彼は死んだのだろう。
今や冷たい土の下で、最早骨すら残っていないはずだ。
だがそれでも、彼の遺した言葉はいつまでも私の心に深く食い込んでいる。
まるで石碑のように、私の頭蓋の裏に強く刻み込まれているのだ。
ぐにゃり、と視界が歪んだ。
「……泣くな」
じわり、と目元が熱を帯びる。
「泣くな……泣くな泣くな泣くなっ!」
ぽろぽろ、と双眸から熱い雫が溢れ出した。
「涙なんて流すなっ、お前は神だろうが、遍く大地を照らす太陽の化身だろうがっ……!」
非情になれ。神は涙など流さない。
冷酷になれ。神は躊躇などしない。
神に成れ。お前にはそれしか道はないのだから。
そう自分に言い聞かせ、言い聞かせ続けて、必死にそれを信じ込もうとする。一種の自己暗示。
それが功を奏したのかは分からないが。
「…………」
すぅ、と頭が冷えていく。同時に頭痛も消えていく。
まるで頭のてっぺんからつま先まで生まれ変わったかのような気分だ。
不思議なほど落ち着いてくる。
「……冷静になれ。そうだ、お前なら出来る。
口の中で呟けば、そう異様なほど頭が冴えてくる。思考が切り替わる。
「……うん、無闇に火を点けて回ったのはいいアイデアだったな。おかげで人間たちからの畏怖を集めることができた。これで力は全盛期と同等、いやそれ以上だ。だが、これ以上焼くと炎の調整やら後始末が面倒になる。一度これくらいで止めておくか。
ゆっくりと首を回し、地平線の先まで続く街並みを眺める。
体感時間はまだ明け方くらいだが、既に時刻は正午を回っている。今頃、時間の流れに従順な者たちは急いで出勤や登校の準備を始めているだろう。
東京中が炎に包まれているとはいえ、多くの人間にとっては他人事だ。不安を抱くことはあれど、会社や仕事を休むほどではないと判断するだろう。
馬鹿なことだ。焦らずとも、あと十分も経たないうちに夜になるというのに。
「……さて、このまま颯太をがむしゃらに追跡し続けることでどういったメリットがあるだろうか。超高速で移動を続ける奴をニオイを頼りに追い続けるのは現実的に不可能だ。いたずらに体力を消耗するだけだ、なら、どうするか」
ふぅ、と細い息を吐くと、私は転落防止用の白いフェンスを飛び越えた。狭い足場の上に裸足で立つ。
「待ち伏せ。これに尽きる。余計な体力を消耗せず、最低限の労力で獲物を仕留める。それが強者の狩りだ」
再び炎を漲らせた瞬間、強い突風が吹いた。私の身体は押し出され、ふわりと宙に舞う。
「待っていろ、人間。神の懇意を蔑ろにした罪、その身をもって知らしめてやる」
上位存在たちに愛されすぎて地球が崩壊寸前になっちゃう話 @Jikouji2000
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