スパンコールの匣

かけふら

スパンコールの匣

 私は自宅に二十数の品を持ち帰った。母が生前使っていた、ないし持っていたものだ。


 母は亡くなっていた。今から2週間ほど前の話で、死因はガンだった。父が死んでから8年、享年82。長く生きた方だと思う。


 母はガンによる余命宣告を受けた頃から身辺の整理を始めた。それでも父の時よりはマシだった。父は物好き、と言うべきか書斎には鉄道模型が並び、廊下の本棚には鉄道関係の雑誌がびっしりと並んでいた。父は賢明だったのかもしれない。突然死んでしまったら模型等々を売って何かの足しにしてくれ、と言ってくれていたからだ。私も母も鉄道に興味はなく、結果その言葉の通りとなった。父のコレクションは私にはその価値が分からなかったが意外とプレミア物で、家が軽くリフォームする程度の金にはなった。


 元々少なくなっていた母の品、それでも作業を始めてみれば結構面倒なものだ。


 二十数の内訳は写真アルバムが5冊、父から贈られたバッグ2つ。それと礼服、手紙が数枚だった。手紙には父と母の恋文であり、それはそっとファイルに挟んでおくことにした。そこにビーズのアクセサリーを見つけた。


 幼少の頃、私はビーズが趣味でブレスレットを作ってプレゼント、と母に贈ったことがあった。それをいつまでも取っておいてくれたのだろう。


 そして残されていたのは諸々の品、他に婚約指輪と結婚指輪だった。それは当然といえば当然だったのだが、最後に1つ、はこがあった。


 私はその匣の中身を知らない。というよりその匣に見覚えすらないのだ。


 それはスパンコールの匣であった。重さとして金属はありえなさそうだ。恐らく木製で、それにスパンコールの生地を貼り付けたような、そんなもの。


 匣の中身は何なのか? 匣は鍵穴があった。しかし鍵はかかっておらず、開けようと思えばいくらで開けられる代物であった。しかし私はなかなかそれを開けることができなかった。中身が何なのか、それが予想できないからである。


 例えばリングケースであればどうであろうか。その中の様子を探るのは簡単である。結婚指輪か、それか婚約指輪であろう。それが限りなく他者に理解しやすいため、他者はそれを開けようと思えるのだ。宝箱もまた然りで、「宝箱」という多くの人間に共有されるイメージがある。


 ではスパンコールの、この匣は? そもそもスパンコールの匣というものに大多数の人間の持つイメージが無いのだ。それが宝石でも、はたまた他の何かだとしても一応は成立するのだ。もしかすれば人の髪とか呪物のような、恐ろしいものだとしても。


 このスパンコールの匣がいつ作られたものなのかさえ、私には分からない。正直手作業でできるものではないから市販のものであろう。この匣は小さな直方体で、生地にはスパンコールが縫い付けられている。私はインターネットで何度かそのような特徴のものを検索してみたが、やはりこの手にあるそれと同じものは無かった。


 この匣は少なくとも母が一時期所有したものだ。しかし、母の前の所有者がどれほどいるのか、それともいないのかは分からない。少なくともこの匣はそれほど古びていなかった。保存状態が良かったのか、又は母しか所有していなかったのか、スパンコールは剥げておらず、購入時点の姿を留めている。


 私は一度テーブルに匣を置いた。その時、1つ気づいたことがあった。もしかすれば「匣」を残したかった可能性である。早い話が中身は何もないのかもしれない、ということだ。私は壊さないように匣を揺らす。コト、コト、と音がした。少なくともこの匣には何らかの中身があった。


 それに少し安心した私はテーブルに再び匣を置き、ソファに腰かけた。


 匣、それは何のために存在しているのだろう。私は2つ、その可能性を考えていた。


 前者は保存による再現性の確約である。例としては宝箱の中身の宝石だろうか。もし宝石を家の中に放置しておけば、踏んでしまったり、はたまた掃除機で吸ってしまったりしてしまえば大問題だ。それを保存し、何度もそれを見ることができる再現性の確約。この事例に当てはまるのは例えばタイムカプセルだとか子どもからのプレゼントだろう。


 後者は再現性の消滅である。例は、例えば別れた恋人からの贈り物だろう。別れたならもう残しておきたくはないが、呪われそうで捨てに捨てられない、そんな感覚。それを放置しては見る度その忌々しい記憶が出てくるかもしれないから、匣にしまってどこかに追いやる。


 それではこのスパンコールの匣は何なのか。スパンコールの装飾があるということは前者なのだろうか。しかし、この匣は母の棚の、それも奥で見つかった。となると再現性はかなり低いのかもしれない。では後者だろうか? それであればこのスパンコールの意味は? 堂々巡りだ。


 馬鹿らしいだろう、開ければその答えは一瞬で見つかるのに。私はそれをいつまでも開けられない。中身を確認することはできない。理由はこの匣はその矛盾を内包しているからだ。どっちに転んでも違和感を覚えさせないからだ。


 この状況はシュレディンガーの猫に少し近いものを感じる。もちろん、これが学問上の「猫」ではないだろう。ただ、そんな感じだ。今この匣には前者の性格を帯びた中身と、その後者のような中身が50:50の確率で存在する。もし自分がギャンブラーであれば50%という確率に躊躇はしないのかもしれないが、私にはその気概は無い。


 無理に中身を知る必要は少なくとも今すぐでは無い、その選択肢が濃厚となっていた。ひとまず私は、かつて母がそうしたように、自室の棚を少し整理してそこに匣を入れた。銀色のスパンコールは、先ほどまでやや暖色の光を浴びて自らもそのように色を変えていた。それがこの場所に置かれることでやがて本来の色に戻ってゆく。それをこの匣自身がどう思うのか、それは結局この匣の中身を開けるまでは知る由も無かった。

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