矛盾を売る男

冬野こおろぎ

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 これは、私が商談のために訪れた、とある都市での出来事である。


 その都市は、昔から商売の街として世界的にも有名な街であり、中でも都市を南北に分断する大通りは「自由商業区域」といい、鑑札さえ購入すれば誰もが商売を認められる場所であることから、数多の国から訪れる行商人達によって、常に長い列が構成されている。


 私がその大通りに出向いた時にも、商人たちがそれぞれ自慢の品を手に、行き交う客の気を惹こうとしていた。見ると、剣や鎧などの武具や、指輪や首輪等のアクセサリー、珍しいところでは、異国の香辛料なども売られている。

 海に面しておりかつ他国への陸路も充実した、交易に適した土地柄であるから、こうして自然と多種多様な品が集まってくるのだ。


 さて、珍しい品は無いだろうかと眺めながら気ままに歩いている時、それと出会った。


「矛と盾はいかがかな? どんな盾にも負けねえ矛、どんな矛にも負けねえ盾をお探しの方は、あっしの品を見逃しちゃあいけませんぜ!」


 その行商人は、売り口上のとおり、矛と盾を売っているようだった。売り物は、彼が手に持つ矛と盾が一つずつのみで、他には何もない。


 私の見立てでは、彼が持つ矛と盾には、特に変わった点は見受けられない。なんの変哲も無いと言ってしまうとそれまでだが、それは裏を返せば堅実な作りであるともいえ、戦いにおもむく兵士が携えるには十分な品であるように思われる。


 戦士ではない私は、それらを買うつもりは全く無いのだが、私が足を止めたのは、商人の売り文句が気になったためである。


「あっしが右手に持つ矛、こいつはどんな盾でも貫く究極の矛でさあ。対して、あっしが左手に持つ盾、こいつはどんな矛でも貫けねえ至高の盾なんでさあ。究極と至高がここに揃い踏み! この機会を見逃しちゃあいけねえよ。さあさ、買った買った!」


 まあ、どのような売り口上で商品をアピールするかは商人の勝手だが……その言葉が論理的におかしいことに気が付かないものだろうか。


「矛と盾、ですか。私が見たところ、品としては悪くないようですが」


 つい、その商人に声を掛けてしまった。

 そんな私を前にして、商人は意味ありげに微笑んだ。


「へへへ、さすがは旦那。目が肥えてますなあ。こいつぁ、どんな矛でも貫けねえ至高の防御を誇る盾でさあ。こっちの矛ですかい。聞いて驚いちゃあいけませんぜ? この矛はどんな盾をも貫く究極の矛でやす。こんな矛と盾、あっし以外の誰も売っちゃあいませんぜ!」


 あくまでも売り文句にぶれはないようである。


「ねえ、君。一つ、単純な質問があるのですが」

「へいへい、どんな質問でも、きっちりバッチリお答えしやすぜ!」

「その矛で、そちらの盾を突いてみるとどうなるのですか」

「……はい?」

「はい? ではありません。私は単純に、その矛でその盾を突いてみるとどうなるかと聞いているのです。私だけでなく、ここであなたの口上を聞いた誰もが疑問に思っていることでしょう。その矛で盾を突くと、必ず盾を破るとのことですが、その一方で、そちらの盾は必ず矛の攻撃を防ぐという。君、これは完全に論理が破綻しておりますよ。どうなるか結果を教えていただきたいもの――」



「宇宙が崩壊する」



「……はい?」




 商人は、さっきまでの飄々とした雰囲気を一変、悩める学者のような、やたらとかしこまった顔をして、何やらとうとうと説明を始めた。


「究極の矛と至高の盾は、それぞれが世界の因果律を強制修正することにより、必ず決まった解を導き出す能力を帯びている。解とは、『究極の矛は絶対に盾を貫く』という結果と、『至高の盾は絶対に矛に貫かれない』という結果のことを指す。ここでは便宜的に前者を『解A』、後者を『解B』と呼称する。究極の矛が木の盾を貫く場合、世界の因果律を修正し、解Aに至ろうとするが、その過程で『因果律修正エネルギー』を発する。至高の盾が鉄の矛の攻撃を防ぎ、解Bに至る過程においても同様である。因果律修正エネルギーの働きによって、究極の矛、至高の盾は、それぞれ必ず解A、解Bの因果に到達するのである。この因果律修正エネルギー量は、発見者『アイザックス・ニュートロム』にちなみ、アイザックスと呼称され、単位は『Aiz』で示される。ちなみに解Aに至る際に発生するAizは約10万Aizであり、解Bに至るために発生するアイザックスも約10万Aizである。通常、究極の矛と至高の盾が発生させる因果律修正エネルギーは、因果律の強制修正が終了したと同時に全て消費され、エネルギーが残留することは無い。しかし、究極の矛と至高の盾が同時に使用される場合においては結果が異なる。

 因果相対性理論の提唱者である『アルベート・アインシュタノフ』の思考実験により、究極の矛と至高の盾が衝突した場合、両者がそれぞれ解A、解Bに至ろうとするために因果律修正を引き起こすことになるが、どちらの解にも至れない結果になることが示されている。ここで問題となるのは、究極の矛と至高の盾が衝突した際に発生する因果律修正エネルギーが、因果律修正が成立しないがために、消費されずに残留状態となり、やがては因果律修正エネルギーが膨張状態を引き起こすことである。究極の矛と至高の盾が衝突した際に発生する因果律修正エネルギーは、1000Aiz程度と想定されているが、あくまでもそれぞれが接触する瞬間を捉えた数値に過ぎない。実際には『因果律修正エネルギー無限膨張現象』が引き起こされるため、1000Aizから始まったエネルギーは無限に膨張を続け、いずれ天文学的数値へと至る。なお、『因果律修正エネルギー無限膨張現象』は、因果律修正に用いられなかった残留エネルギーが、なおも因果律を修正しようとする働きを強め、因果が修正されるまで、エネルギー量を無限に増やし続ける現象である。幸いにも、因果律修正エネルギー無限膨張現象が現実に観測された事例はないが、この現象は、因果相対性理論内の方程式『E=ma2』において導き出される、理論的に疑いようのない現象である。また、世界に存在する全ての物質には、潜在的に因果律修正エネルギーに耐える許容量があることが証明されているが、物体が許容量を超えた因果律修正エネルギーに曝された時、因果内に自身を留めることが出来ずに自己崩壊を迎え、やがて消滅する。これを『万物因果崩壊現象』という。

 これまでの理論をもとに、再度、究極の矛と至高の盾を接触された場合を検証すると、次の通りとなる。

 究極の矛と至高の盾が接触してから約0.01秒経過後。互いはそれぞれ解A、解Bへ至るために因果修正エネルギーを発生させるが、共に相反する因果であるが故、いずれの因果に至ることも無い。因果修正エネルギーは因果の修正が完了した後にのみ消滅されるものであるから、この場合、因果修正エネルギーは世界に残留することとなる。残留エネルギーと化した因果律修正エネルギーは、因果律修正エネルギー無限膨張現象により、即座に1000Aizから約100億Aizまで膨張する。この段階で、我々の暮らすこの星が許容できる因果律修正エネルギー量を超過。万物因果崩壊現象により、まず生きとし生ける生命がこの星と共に消滅する。我々が因果崩壊を迎えた後も、因果律修正エネルギーは約100億Aizからさらに膨張を続け、むしろ宇宙の真空状態化では因果律修正エネルギーが極めて不安定の状態となるため、インフレーションはより加速する。因果律修正エネルギーの膨張はこの星以外の惑星、数多の銀河へと波及し、すべての因果を崩壊させながら、なおも膨張を続ける。やがて、拡大を続ける宇宙をも超える速度で膨張を続けた因果律修正エネルギーは、宇宙の端をも呑みこむこととなり、そして宇宙を含めた万物全ての因果が崩壊へと結実する。


 故に、宇宙は崩壊する」


「……故に、と申されましても、私には話の半分も理解できません。因果がどうのこうのと言われましてもさっぱりです。そもそも、あなたは一体何の話をしているのです?」

「やだなあ、旦那。矛と盾の話に決まっているじゃあないですか」

「とてもそのようには聞こえないから尋ねているのです」


 とにもかくにも。


 この商人は、論理的におかしい売り文句を、さらに論理が破綻した論理らしきもので煙に巻いているに過ぎない。こういう手合いには、やはり実践させてみるに限る。


「あいにくですが、私は理論より実験を尊ぶ性格なのです。実験に勝る理論はありませんからね。今すぐ、その矛で盾を貫いてみてください。そうすれば、誰の目から見ても納得を得られるでしょう」

「納得を得る前に宇宙が滅ぶぞ。行き場を失った因果律修正エネルギーが一瞬にして万物を包み込み――」

「御託はもうたくさんです。とにかく、やってみましょう」


 私が断固としてそう言うと、商人は諦めたように笑い始めた。


「アハハハ……お客さんが、実験のためなら宇宙崩壊もいとわない覚悟なのは分かりやしたよ。じゃあ、世界が終焉を迎える前に、まずはお代をいただきやしょう」

「えっ」

「えっ、てなんですかい。試したいって言うんなら、先に商品を買ってから試してくだせえよ。世間様の常識ですぜ?」


 私は、その矛と盾のどちらが勝つのか、純粋に疑問を覚えただけであって、それらを買うつもりは全くなかった。しかし、結果を知るには金を払わなければならないらしい。


「君は、中々商売上手だね」

「へへへ、よく言われやす」

「では、その矛と盾を買おうと思います。一体、いくらするのです?」


 すると、商人はとんでもない額を要求してきたので、私は思わず耳を疑った。


「……君。その値段は、国家予算級……いや、国が一つ二つ平気で買える値段じゃないか?」

「そりゃあ、絶対に盾を貫く因果修正能力を帯びた究極の矛と、絶対に矛に貫かれない因果修正能力を帯びた至高の盾ですからねえ。見てくれはただの矛と盾、しかしその実態は次元を超越した神の如き品でやす。安値では売れやせんって」

「安値も何も、それは文字通り次元が違い過ぎますよ。そんなもの、もはや売る気が無いとしか――」

「冷やかしなら他に行ってくださせえよ。こっちは矛と盾を売るのに忙しいってもんで」


 売る気があるのか無いのか。


 商人は再び、例の相反する売り文句を並び立てた。今度はご丁寧に、誰にも手を出せない、異次元過ぎる売値を添えて。


 結局、私は何度も首をひねりながら、その場を後にするしかなかった。

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矛盾を売る男 冬野こおろぎ @nakid

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