35 王子の心
セツは、裏切り者を見下ろした。すでに戦意は喪失している。
挫折を知らず、三色の魔法と、持って生まれた魔力量で周囲から甘やかされて、これまで思い通りに生きてきたのだろう。
狭い世界で満足した、いわば井の中の蛙だ。
(こういう奴の鼻をへし折るために、俺がいるんだがな)
漏れる溜め息は苦い。
(この程度で、俺とやり合えると本気で思っていたのか……)
ギルドの質が落ちたのか。
(それとも……)
駆け寄ってくる足音に思考を中断され、セツは屋敷へと続く道に目を向ける。ウルソン伯や使用人には、庭に出ないように言ってある。ここに来るのは一人しかいなかった。
「ロワ様! セツ様!」
屋敷を留守にしていたカイが戻ってきたのだろう。いつしか、陽は傾きけている。
夕風が、一足早く夜の気配を運んできていた。
「ご無事ですか!?」
一目で状況を把握したカイは、ロワメールの肩や腕に触れながら、主の怪我の有無を確かめる。
「セツ様がご一緒なら大丈夫でしょうが、お怪我がなくてなによりです」
ひとまず胸を撫で下ろす。
しかし、そこでカイはふと首を傾げた。
ロワメールから、表情が消えている。
「ロワ様?」
「……ぼくは部屋に戻って関係各所に手紙を書く。カイ、その容疑者をギルドに護送して」
必要なことだけ告げると、ロワメールは一人足早に屋敷へと戻っていく。
セツもロワメールに背を向けたまま、黙っている。
優秀な側近は、それでなにがあったのかを悟った。
(セツ様に話したのか……)
いつも笑顔を絶やさぬカイだが、この時ばかりは神妙な面持ちになる。
カイは、手早くレナエルを拘束すると、できるだけ普段通りにセツに声をかけた。ここでカイまでセツと距離を取るのは、ロワメールの為にならない。
「セツ様、申し訳ありませんが、ギルドまでついてきてもらっていいですか?」
今は大人しくしているが、もし抵抗されれば逃げられてしまう。並の騎士より腕の立つカイでも、本気の一級魔法使いには勝てない。
「ああ」
セツは短く返事をすると、それ以上は口を開かなかった。
レナエルを引き立て屋敷へと戻る道すがら、カイはそっとセツの様子を盗み見る。
無表情な横顔からは、彼の心は窺い知れない。
(セツ様なら、きっとロワ様のお心をわかってくださる……)
ロワメールは、完璧な王子だった。
たった五年で宮廷作法を身に着け、元より備えた気品と優雅さは王子としてなんら不足ない。騎士家で育てられたとは、とても思えないほどだった。
明るく素直で聡明、その上であの美貌だ。彼が貴族たちに受け入れられるのは早かった。
非凡な剣の腕前で、騎士隊にも実力で認められた。
だが、ロワメールの生い立ちは波乱万丈である。
生まれてすぐ母を魔獣に殺され、養い親に育てられるも、本当の家族が見つかったと思えば父は国王だった。
セツが選んだだけあって、ロワメールの育て親はよくできた人たちだ。実子とかわらぬ愛情を、たっぷりとロワメールに注いでくれた。
それでも、ロワメールはどうだったのだろう。養い親を慕っている。現在も手紙のやり取りをしているし、国王の計らいで夫妻が王宮に招かれれば、率先して時間を作り、一緒に過ごしている。けれどどこかに、遠慮があるのではないか。
血の繋がった父と兄はなおのこと。ワガママを言うのすら難しいに違いない。
ロワメールが心の底から、なんの気兼ねもなく甘えられたのは、セツ一人だったのではないか。カイはそう思う。
血の繋がりはない。育ててもらったわけでもない。
それでも命を救われ、名前を授けてもらった。
誰を気にする必要もなく、それを理由に慕い、甘えてきた。それこそ、父のように。
会えない時間も、彼を心の支えに生きてきたのだろう。
そうしてセツは、ロワメールの中でなによりも大きな存在となった。
過剰なまでのセツへの懐き方は、それで説明がつく。
そのセツが魔法使い殺しと呼ばれていると知ったのは、王宮に来て、しばらく経ってからだった。
魔法使い殺し――その名は、十三歳の少年に深い衝撃を与えた。
そして名付け親の一生を思い、ロワメールは心を痛めた。
自ら望んだわけではない、長すぎる『生』。強制される、マスターの重責。
そこから、ロワメールは魔法使いについて調べ始めた。調べれば調べるほど、魔法使いとギルドへの憎しみは増していった。
そして己が立場を利用し、持てる権力の全てを使い、セツを救いたいと考えた。
カイが止めなかったのは、それが国のためにもなり、ひいてはロワメールの地位を盤石にするからだ。
しかしセツを救おうとすればするほど、ロワメールはセツの嫌いな権力者になっていく。
国のためと大義名分を掲げ、父にも兄にも嘘をつき、自分を可愛がってくれる廷臣たちの好意につけ込み、政敵すら利用する。そんな醜い権力者になってしまった自分を、セツはかわらず受け入れてくれるだろうか、と。
それに、セツにとって魔法使いは仲間。ギルドは家同然である。
ロワメールは、セツにとって大切なものを忌み嫌った。セツを恐れる魔法使いを許せなかった。
では、セツは?
セツの仲間を憎むロワメールを、どう思うだろう……?
(セツ様は大人だ。きっとわかってくださる)
ロワメールが魔法使いを恨み憎むのも、セツを思ってのことだと理解してくれるはずだ。
(だから、きっと)
すぐに、いつもの二人に戻るはずだ……。
けれどカイの祈りは届かず、それからセツとロワメールはほとんど顔を合わせなかった。
ロワメールが事後処理が忙しいと部屋に籠もってセツを避け、そのままコウサを発つ日を迎える。
裏切り者レナエルは、取り調べを受ける為にすでに王都に護送されていた。護送官となる一級魔法使い、護送船の手配はカイが奔走し、滞りなく済ませている。
ロワメール達三人はギルド本部に報告するため、ユフ島行きの船に乗り込んだ。
船は海流に乗り、船足早くユフへと進む。
王子と魔法使いは、まだ口をきいていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます